オオカミ
村内放送が流れた。
“今日昼頃、山を下るオオカミの一群が目撃されました。
猟友会の方々が狩猟に向かっておられますが、行方は分かっていません。
皆さん、家に入って、外出をなさらないようにしてください“
達雄は木こりの最中であったが、それを耳にすると斧を仕舞って家に帰った。
妹の信子は川で洗濯の途中であったが、切り上げて家の中で達雄の帰りを待っていた。
「村内放送、聞きなさったですよね」
「ああ」
「ここいらにはいないと聞いていましたわ、昔、お父さんから」
「もっと奥の方からえさを探しに来たんだろう」
「怖いんでしょ、オオカミって」
「熊を襲うくらいだからね」
「今日は戸締りをしっかりして、早めに寝ましょう」
信子は台所に入って、夕げの準備を始めた。
達雄は居間に入って、猟友会の連中が無事であることを祈った。
――人里離れた山奥に二人で暮らす兄妹であった。達雄は木こりをし、信子は和裁をして生活の糧を営んでいた。
両親は早くに亡くなり、それ以来の二人暮らしであった。
夜明けとともに起き、日暮れと共に寝室に入る生活をしている。
二人とも村に出ることも少なく、村人からは若干の変人と思われている。
「夕食出来ましたわよ」
「ああ」
夕食の最中、信子が
「初枝さんの法事はいつですの?」
「来月の初日だ」
「まだ気にかかりなさる、初枝さんのこと?」
「もうすっかり忘れたさ」
「嘘ばっかり」
達雄は3年前に村の娘と結婚してそこで所帯を構えたが、妻の初枝は早々に他界し、達雄は間もなく信子のもとに戻ってきたのだった。
「お前を一人きりにしたことは今でも悪いと思っているんだ」
「そんなこと」
達雄は食事を終えると居間に戻って、斧を磨き始めた。達雄の変わらぬ習慣であった。
「今日は早く床に就きましょう」
「ああ」
初枝を失ってから達雄は悄然として、人嫌いに拍車がかかったようであった。
そんな達雄を信子は甲斐甲斐しく面倒を見た。和裁の腕を上げ、実入りも達雄を凌ぐほどであった。
「布団、敷いておきました」
信子が声をかけた。達雄は着替えを済ませると、布団に入った。
「私も今日は早く寝ます」
「そうおし」
夕食の片づけを終えると、再び和裁の仕事に取り組むのが信子の常なのであった。
達雄はいつもそうするように煙管を一服し、今日の仕事を振り返った。
村内放送が流れてすぐ仕事を切り上げたので、出来はよくなかった。生活に困るというほどでは、信子の和裁の収入のおかげでなかったが、オオカミがそのままでは明日も仕事にならないのであった。
「私もそろそろ寝ます。おやすみなさい」
「おやすみ」
信子が自身の寝室に入り、電気を消した。達雄は引き続き、少年時代以来聞かないオオカミの群れについて思いを巡らせていた。そのうちうとうととしていると、信子が達雄の部屋の障子を開けた。
「兄さん」
「どうしたかい?」
少しぼんやりした頭で尋ねた。
「私、怖いの」
「オオカミがかい? あれは家の中まで来ないし、戸締りならきちんとしたんだろう」
「それでも怖いの。今夜は兄さんの布団の中に入れて」
「…それならそうするがいい」
信子は達雄の横に入った。しばらくして兄妹は男女の関係になった。
その晩、達雄はまんじりともしなかった。
翌朝、朝げで達雄は信子に話した。
「おい、昨日の俺たちは間違っていた」
「そうでしょうか?」
「兄妹でああいうことがあってはいけない」
「どうしてですか?」
「いけないものはいけないんだ」
信子が泣き出した。
「私に初枝さんの後は務まりませんか?」
「初枝のことはまた別の話だ」
「私が兄さんのことをどれだけ愛しているか、お分かりにならなくて?」
「とにかくだめだと言ったらだめだ。お前は村に嫁に行け」
「兄さん、ひどいわ!」
初枝は表に飛び出した。
「危ない!」
少し遅れて表に出た達雄は、信子がオオカミに噛み殺される様を目の当たりにした。
「おい、今度の若者はよく働くな」
「山奥で木こりをしていたそうで」
村の製材所で、達雄の上司が話し合っていた。
「何か辛いことでもあったかな」
「私らにはわからない話でして」