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病弱な領主には薬草のプレゼントを

 円卓には次々と食事が並べられる。

 焼きたてのパン、熱々の玉葱たまねぎスープ、朝一番に採れた盛りだくさんの野菜サラダ、ふわふわのオムレツにメインディッシュは白身魚のソテーだ。カップに注がれた香茶もいいにおいで、パトリツィアは思わず顔をほころばせる。


 早朝、まだ日が昇る前にパトリツィアは侍女のミラを呼んだ。

 浮腫んだ顔と腫れた目を薔薇水でまず潤して、それからお湯で濡らした手巾ハンカチーフを当てたりと格闘すること数時間、どうにか朝食の時間に間に合った。

 普段はあまり化粧をしないパトリツィアだったが、白粉をはたいて唇にも薄い色を塗った。このくらいの薄化粧ならば、きっと誰にも気付かれないとミラは言ってくれた。


「昨日はよく眠れましたか?」


 それでも、声をかけられて顔をあげるまでパトリツィアはふた呼吸を置いた。円卓の向かいに座るのは彼女の夫であるギルベルト・エーベルだ。


「はい。お気遣いありがとうございます」


 小夜中さよなかになるまで泣いて、そのあと眠りについたものだから睡眠時間としてはやや足りないくらいだ。それでも寝具に包まれてからはすぐ眠ってしまった。だから彼の声に返した言葉に偽りはないだろう。


「それはよかった」


 ギルベルトがにっこりと笑う。笑みで応えたパトリツィアはふわふわのオムレツを一口食べて、また笑顔になった。


 辺境の小国アストレア。それが、ギルベルトの国だ。

 王都マイアから南西に進めば深い森へと入る。そのうちたどり着くのがアストレアの湖だ。聖イシュタニアの六番目の娘である女神アストレイア。彼女の落とした涙がその豊かな水源を作ったのだと、この国の人々は伝承を信じている。


 パトリツィアはアストレア城に来る前に湖を見た。

 清冽せいれつな水、それとおなじ色が見える。ギルベルトの目だ。見つめられていたのがわかって、思わずパトリツィアは目を逸らしてしまった。もしかしたら無意識のうちにまじまじと見ていたのは、パトリツィアの方だったのかもしれない。


 ギルベルトはゆっくりと食事を進めている。

 白パンをちぎるその手は細くて白い。首筋から肩にかけてもそれはおなじで、アストレアの領主が病気がちという噂は本当だったようだ。


(それならば、なおさらだわ……)


 視線をギルベルトへと戻したパトリツィアは白身魚と格闘していた手を止める。


「あの、旦那さま」


 スープに浸しながら白パンを味わっている。その一口はまどろっこしくなるくらいにすこしずつだ。


「あの……、ギルベルトさま」


 ようやく彼がこちらを見た。パトリツィアは膝の上で拳を作る。


「昨夜はなぜ、来てくださらなかったのでしょう?」


 パトリツィアはいつだって自分に正直に生きてきた。

 王都マイアの白の王宮。十八年間パトリツィアが暮らしてきたその場所で、相対する人はパトリツィアに誠実であったり、その逆に嘘を吐いたりもした。けれどもどんな人間に対してもパトリツィアは自分の声を届ける。偽るような理由がないからだ。


「申しわけありません。昨夜は体調が優れなかったのです」


 はっと、パトリツィアは息を呑んだ。

 失念したわけではなかった。そう、先ほどもパトリツィアはそれを認めたのだ。アストレアの領主ギルベルト・エーベルは身体が弱くて病気がち、昨日は朝から婚礼の準備にはじまり宴は夜までつづいた。つまりギルベルトの体力が持たなかったのだろう。


「まあ……。それは、いけませんわ。わたくしったら、気付かなかっただなんて」

「いいえ、姫。お気になさらないでください」


 見え透いた嘘。そう捉えなかったのはパトリツィアが純真な娘であったからで、給仕をする侍女のミラは一瞬だけ動きを止めていた。


「ところで、食事はいかがでしょう? ぜひとも、姫の感想をききたいな」

「ええ、とても美味しいですわ。こんなに新鮮なお野菜を食べたのは、はじめてですの。パンもオムレツもふわふわで、いくらでも食べてしまえそう。お魚も美味しくって、アストレアは素敵なところなのねって、すごく感動していましたの。そうだわ、料理長にも挨拶しなくっちゃ! こんなに素晴らしい料理を作られる方ですもの。きっと素敵な方でしょうね」

「それはよかった」


 相手の返しよりも先にどんどん勝手に喋ってしまうのは、パトリツィアのちょっとした悪い癖だった。ギルベルトは相好そうごうを崩さずに、それでも最後のパンを口にするとやおら立ちあがった。


「あ、あの……、旦那さま?」

「ああ。どうぞ姫はごゆっくりと。私には仕事がありますので」


 人好きのする笑みを残してギルベルトは去ってしまった。


(まだ半分も残っているのに……)


 一人取り残されたパトリツィアはゆっくりと食事をつづけて、それから食後の葡萄と梨も綺麗にぜんぶを平らげた。




   *




「わたくし、決めましたわ。ミラ」


 私室へと戻ったパトリツィアは鏡越しにミラに告げた。


「ああ、姫。動かないでください」


 朝の食事をつい食べ過ぎてしまったので、パトリツィアは散歩と称してこれから城内を散策するつもりだ。その前に侍女のミラに髪を結いあげてもらうところだった。


「昨晩言ったでしょう? わたくしに魅力が足りないのなら、もっと努力致しますと」

「ああ、それなのですが……姫」

「でもね、その前に旦那さまにはもっと元気になっていただかないと!」

「あのですね、ギルベルト様の()()は」

「それでね、ミラ。わたくし、良いことを思いつきましたの」

「姫? あの、話をですね」

「滋養には薬が一番ですわ! わたくし、草や木にはちょっと詳しいの。ねえ、ミラも知っているでしょう?」

「ああもう、姫様ったらぜんぜん話をきいてくれない。……ああでも、そうですね。薬ですか?」


 鏡の前で大人しく椅子に座っていた試しのないパトリツィアである。

 侍女のミラは苦労しながらもどうにかパトリツィアの髪を結った。きっとこれも長年侍女をつづけた慣れなのだろう。


「アストレアは素晴らしいところだわ。豊かな森と湖に守られた国。辺境だなんてとんでもない! ここでしたら、きっとたくさんの薬草が採れるでしょうね」

「たくさん勉強なさいましたからね、姫様は」


 王都マイアの白の王宮、パトリツィアの私室に残してきた本たちはいまも大切な宝物だ。何度も繰り返し読んだ本たちの知識は、ちゃんとパトリツィアに吸収されているから大丈夫。特徴のない草花だって見まちがえない自信が、パトリツィアにはある。


「アストレアに嫁いだわたくしは、妻の義務を果たさなければなりませんわ。でも、その前に旦那さまにはちゃんと元気になっていただかないと」

「ええ、その意気です。姫様」


 前向きに張り切る姫君と侍女。コンコンコンと、扉をたたく音がしたのはそのときだった。

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