かなしばり温泉ささやき
「さ、風呂に行くか」
「はい。あ、私、荷物の整理をしてから行きます」
「それじゃお先に」
大浴場へ向かう隆一の背中を見送ると、私はため息をついた。
友達には昭和の演歌みたいな恋愛だとバカにされてきた。
極めつけには人里離れた小さな温泉に二人して来たのだから否定の仕様がない。
移動中、人気が無くなる毎に私たちは距離が近くなった。
普段ひた隠しにしている関係だからそんなことすら嬉しかった。
いざ、旅館の部屋に一人になると一気に現実が押し寄せてくる。
「どうなるのかな」
隆一は会社の上司だ。既婚者。娘がひとり。年齢は一回り上。口数は少ない。それが隆一に色気というフィルターをかける。そのぼんやりとしたフィルターに自ら吸い込まれていったのは私の方。隆一はためらいつつ、私の想いを受け止めてくれた。
会社から離れた駅のガード下の飲み屋や私のアパートが逢瀬の場所。温泉へ行くことになったのは、隆一が友達から旅行券をもらったから。
嬉しい反面、どこまでずぶずぶになるのかと不安が過った。
「考えても仕方ないか」
私はバッグの中から明日着る予定のワンピースを出し、ハンガーにかけた。浴衣に着替え、横になる。ここまで知り合いに会わず来れるか緊張していたのだ。「金縛温泉ささやき」の看板を見つけるなりどれだけホッとしたことか。
思い返してすぐ目を閉じると眠気が襲ってきた。
「お嬢さん、早く帰りなさい」
「え?」
突然の声に目を開けようとしても体が動かない。
女性の声は大きくなる。
「かわいそうに、こんなに若くて可愛いのにあんな男にひっかかって。あいつはダメだよ」
「何なんですか」と言い返したいのに唇が動かない。
「あの男は若い女と心中するのが趣味なんだ。でも自分はちゃっかり生き残ってまた若い女を捕まえる。何人の女が餌食になったか。とにかく早く帰りなさい!」
そう叱責されたあと、急に目が覚めた。ひんやりとした汗が全身にまみれている。ふと立ち上がって障子を開ける。
「きゃ」
庭の池の向こうに浴衣を着た若い女が三人立っていた。
みんな浴衣の胸元がはだけ髪は乱れていた。
私は障子を閉めると急いで着替え、荷物をまとめて旅館を飛び出した。
薄暗いけもの道を下り、バス停へ辿り着くと、同年代の女性が数人ベンチに座っていた。みんな顔色が悪い。
私はそのベンチの真ん中らへんに座った。
バスがライトを放ってやってきた。私を含め女性たちは我先にとバスに飛び乗った。