第五章
佐倉との初デート?から数日が経過した。
あのデートを境に、夜のラインでのやり取りが頻繁になったのは勿論、教室でも時々佐倉と話すようになり、日々の生活に彩りや充実感が生まれたことは間違いなかった。
だがその一方で、どうしても頭にちらつくのは、やはり嘘告白の事だった。
今でもあの日の事に関しては、自分の中で折り合いがつけれずにいた。
許したいけど許せない、今のこの感情をどう扱えばいいのか分からず、次第にその思いが態度に出てきたのか、学校での付き合いや、夜のラインのやり取りも徐々に億劫になりつつあった。
このままではいけないと分かっていても、どうしていいのか自分では答えを見つけることが出来ず、悶々と過ごしていたある日の夜の家で、俺の様子を見かねた姉の香代子が話しかけてきた。
「英二さぁ。最近元気ないじゃん。何かあったの?」
「別に。何でもないよ。」
「もしかしてさぁ、この間話してた例の佐倉有希ちゃんだっけ?その子と何かあったの?」
姉の香代子は俺とは真逆の性格で、アクティブで人懐っこく面倒見も良いので、今でも学生時代の友達とも多く付き合いがあり、今でも沢山の友人や彼氏も居て、交友関係も広い。
そんな面倒見の良い性格をしているので、俺も両親以上に頼っている部分があり、昔から姉弟仲は良いので色んなことを話している。
当然佐倉との事も話済みである。
「まあね。」
姉には隠し事をしても直ぐに見破ってしまうところもあるので、俺は素直に今の心境を姉に吐露した。
「成る程、あの事故の前にそんなことが有ったのか。それで英二は有希ちゃんを許したいけど許せないって事になってるんか~。」
俺の話を皆迄聞いた姉は、暫く腕を組んで考え込んでいたかと思うと、徐に言い出した。
「そうだ!アンタさぁ、カウンセリングとかに興味ない?」
「えっ。」
唐突に言われた言葉に、俺は面食らった。
「いやね。あたしの知り合いに心理カウンセラーしてる人が居てさ。その人に話聞いてもらおうって事よ。どう?」
「いや。カウンセリングなんて大袈裟な。」
俺は断ろうとかぶりを振ったが、香代子はこう言う性格にありがちの、ちょっと強引な面があり、しかも頑固者なので、一度言い出したら梃子でも動かない。
「でも、いくらかわかんないけど、俺カウンセリングの料金とか払えないし。」
「馬鹿ね。それくらいあたしが出すわよ。当たり前でしょ!」
「でも・・・。」
「ごちゃごちゃ言わない。それにあまりストレス抱えすぎると体にも障るよ。ただでさえアンタの身体そんな状態なのに。」
「まあ・・・。」
痛い所を突かれて、二の句が継げずに黙り込んだ。
もっとも、姉も頭が良いから口喧嘩しても言い負かされるしるし、結果的に見たら結局は自分の為になってることも多いので、最終的には従うことになるのも何時もの事だった。
「分かったよ。行くよ。」
「よし決まり!日取り決まったら言うから、出来るだけスケジュール開けとくように!」
ちょっと芝居かかった言い方で告げると、姉は一旦俺の部屋から出ていった。
何時もながら強引だな、ブラコン姉貴め。
心の中で悪態を付きながらも、何時も向けられる俺への気遣いに感謝しながら、その日を終えた。
3日後、平日ではあったが姉が仕事が休みだということと、俺も特に用事が無かったので、学校帰りに姉の車で1時間程走った隣町にあると言う姉の知り合いのカウンセラーが居るカウンセリングルームへと向かった。
着いた所は、閑静な住宅地の一角にあるちょっと小洒落た一軒家であり、門の表札には「矢坂」とあった。
「さっ、着いたよ。」
姉が俺の肩をポンと一叩きすると、表札の下にあるインターホンを押した。
少しの間を置いて、「はい。」と返事がインターホン越しに聞こえてきて姉が来意を告げると、少しして玄関の扉が開き、中から母の君江と同い年位の中年の女性が笑顔で出て来た。
「香代子ちゃん久しぶり。相変わらず元気そうね。」
「こんにちわおばさん。今日はお時間作って下さり、ありがとうございます!」
「良いのよ。こちらが弟さん?」
「そうです。この人は心理カウンセラーの矢坂冴子さん。あたしの大学時代の友達のお母さんなんだよ。」
姉が簡単に矢坂先生の事を紹介した。
「はじめまして。横峯英二です。姉がお世話になっています。」
「ええ。今日はよろしくお願いしますね。さ、中に入って。」
矢坂さんに促されて、俺たちは中に通された。
案内されたのは、二階の6畳はあるかという洋室で、テーブルと長ソファーが2つ置いてあり、窓際には沢山の観葉植物が置いてあった。
その観葉植物が映える様に、照明も工夫がなされているのが見て取れる。
「家の外観もこの部屋も素敵ですね。」
思わず感嘆の言葉が出た。
「ふふっ、ありがとう。お客様が落ち着いて話をするためには、このくらいの雰囲気は作らないとね。ささっ、二人ともここに座って。」
矢坂先生に促されて長ソファーに姉と座って、矢坂先生は向かいのソファーに座った。
「では英二君。お話を聞かせて頂けませんか?」
俺は先生に、佐倉の事を包み隠さず話した。
一目惚れしたこと・佐倉から告白されたが、それが噓告白で、佐倉の友達から心もとない事を言われて深く傷ついたこと・自分の事故を切っ掛けに佐倉と親しくなった事・毎夜ラインでやり取りしたり、時々二人で遊びに行ったりしているが、好きな気持ちと許せない気持ちがせめぎ合っていて、どうしていいのか分からない事を全て話した。
俺の話を黙って聞いていた矢坂先生は、暫く考え込むように押し黙っていたが、やがて俺の目を真っ直ぐ見て話し始めた。
「話してくれてありがとう。今まで辛い思いを抱えて生きてきたのに、必死で頑張ってきたんですね。若いのに本当に凄いと思います。」
「ありがとうございます。」
今まで時々こんな風に褒められた事は偶にあったが、改めて面と向かって言われると、気恥ずかしさが勝って、俺は少し俯きながら小さくお礼を言った。
そんな俺の様子に、優し気な眼差しを向けながら、先生は言葉を紡いだ。
「先ず今までの話を聞いた私の英二君に抱いた第一印象は、とても真面目で芯が強く、自分の考えをしっかり持ってる人だなと思いました。そして、思いやりがあり常に周囲に対する気配りを欠かさないと言う面が強い傾向にあると思います。ただその反面、融通が利かなく頑固な一面も持ち合わせているようにも思います。」
先生から言われた自分の性格診断については、あまり心当たりが無く、イマイチピンと来ない部分が多かったが、横で聞いている姉は、その通りだと言わんばかりに大きく頷いていた。
「なんか長所の部分はいまいち実感が湧かないですが、短所に関しては思い当たるところが結構あると思います。」
「よく言われている長所と短所ですが、物事には必ずこの長所と短所が存在し、この相反する二つが存在することで、すべての事柄が成り立っています。今回の英二君の相談内容である相手の娘を許したいけど許せないと言う気持ちも、それに当てはまります。」
先生の言わんとしていることは何となく理解できるが、それでも頭の中では?マークが大多数を占めている。
「解るようでで解らないって感じですかね。」
俺は正直に答える。
「そうだと思います。人によっては短期間で理解できる人もいれば、時間がかかるっていう人も居るし、ずっと理解出来ないって人も居ます。でも人の性格や個性は十人十色あるので、一概には言えない部分が多いです。まあ、この事は今はおいておきましょう。さて、問題の対処法ですが、結論から申し上げると英二君がどうしたいか、この一点です。」
「えっ!?」
あまりの単純な答えに、思わず面食らい、素っ頓狂な声を上げた。
「人の心と言うのは、そうそう単純なものではありません。それが正しい・それが一番と理性では解っていても、感情では納得できないことは多数です。心の状態を一定に保つことは、幾ら精神的に鍛え上げた人間であっても容易な事ではありません。時には嫌なことを考えて落ち込む事は誰にでもあります。無論私もそうです。大切なことは、良い感情も悪い感情も持ち合わせているのは当然なので、こういうものと理解してその時の感情を受け入れることです。」
先生の話を聞いて、少しずつ納得していく自分が居たが、まだまだ解らないことが有ったので、質問してみた。
「そうは言っても、やっぱり佐倉の事は許せないところがあります。」
「無理に許そうとしないで良いです。」
「えっ!?」
意外なことを言われて、再度面食らった。
「さっきも言ったように人の心や感情は、そうそう簡単にどうこう出来るものではありません。英二君が佐倉さんから酷い嫌がらせを受けたのは、紛れもない事実です。直ぐに無理に折り合いを付けようとすれば、余計に色んな意味でしんどくなります。良い感情を持ち続けることが難しいように、悪い感情もまた持ち続けることが難しいです。勿論良い感情・悪い感情をずっと持ち続けてる人もいますが、割合的にはそこまで多くは無いと思います。だから無理に許そうとしないで良いんです。よく言われる時間が解決してくれることもありますから。大切なことは、今佐倉さんと曲がりなりにも親しく付き合っている時間の中で感じている感情を元に、これから佐倉さんとどう付き合っていくかを、ほんの少しずつで良いので考えていけばいいのです。でも私が思うに、まだ自分で気づいてないだけで、英二君自身の中で、佐倉さんとの付き合いをどうしていきたいのか、結論が出ているように思います。」
言われて、何となくピンとくるものが有った。
「まあ色々言いましたが、くれぐれも無理をしないで、ゆっくり心の片隅にだって良いので、これからの佐倉さんの事を考えるのと同時に、今一緒になっていることを楽しみながら生活していけばいいと思いますが、どうでしょうか?」
「そうですね。ゆっくり考えてみます。ありがとうございました。」
まだ完全に納得したわけではないが、それでも心に巣くっていたもやもやがかなり解消されたのを感じて、自然とお礼の言葉が出て来た。
「うん。他に何かありますか?」
「いえ。無いです。」
「それじゃあ、これで終わりという事で。また何かあったら、遠慮なくご連絡くださいね。」
先生は優しく微笑みながら言った。
その後姉が料金を支払い、先生に見送られて、俺たちは帰路に着いた。
帰宅後、夕食・宿題・入浴と、いつものルーティンを過ごし、ベッドでスマホを弄りながら今日の事を思い出してみた。
そして、あることをしようと思い至り、明日早速実行しようと決め、眠りについた。
ある日の放課後、あたしは横峯に呼ばれて、件の公園に向かっていた。
前日の夜のラインのやり取りで、大事な話があるって事だったので、何だろうと思い若干緊張しながら歩を進めた。
公園に着くと、もう横峯が先に来ていた。
「ごめ~ん!待った?」
「いや。そんなことないよ。こっちこそごめん。急に呼び出して。」
「いいよ。それで大事な話って何?」
「ああっ・・・。」
それだけ言うと横峯は黙り込み、暫く沈黙が続いた。
この雰囲気には覚えがある。
そう、告白されるのだと。
今までそれなりの回数色んな男子から告られたけど、この独特の雰囲気には中々慣れることが無い。
しかも今回は横峯だ。
これまで横峯と過ごしているうちに、あたしの中である感情が芽生えてきたので、それを確かめたくなってきたりもしていた。
暫くの沈黙が続いた後、横峯が意を決したように口を開いた。
「俺さ、復学してから今までこうやって佐倉と過ごす時間が増えてきて、今とっても嬉しいんだ。」
「うん。」
あたしは小さく頷いた。
「だけど心の何処かで、まだ佐倉にやられた嘘告白の事が尾を引いてて、どうしても折り合いをつけることが出来てないんだ。」
「ごめん。」
「中々許すって気持ちには、まだ完全になれないけど、それでも前に進まなきゃって事と、そのために今持ってる気持ちを伝えたくて来てもらったんだ。」
「うん。」
返事をした後、また沈黙が続く。
暫く横峯は俯いていたが、顔を上げてあたしの方を向いた。その目にこれまでにはなかった強い意志を宿していた。
「佐倉、好きだ。」
何度か受けた告白の中で、一番シンプルな言葉で綴った告白。今までにないほど胸の高鳴りと喜びを感じた。
「ありがとう。実はあたしも横峯と接する様になってから、ずっと意識してた。だからとっても嬉しい。」
「ああっ。ありがとう。じゃあ、時間取らせてごめん。」
「えっ!?ちょちょっ、ちょっと待ってよ!」
踵を返して立ち去ろうとした横峯の手を掴んで止めた。
「何?」
「何っじゃないわよ!それだけなの!?」
「それだけって?」
「他にもあるでしょ!」
「何が?」
「だから!その・・・、俺と付き合え的な・・・。」
ここでまたしばらく沈黙の時間が続いたが、やがて横峯が話し出した。
「俺が今日佐倉に気持ちを伝えたのは、佐倉を好きな気持ちと許せない気持ちに決着を付けるために告白したんだ。そうしないと前に進めないと思ったから。佐倉と恋人になりたくないって言ったら嘘になるけど、少なくとも今はそのつもりは無い。さっきも言ったけど、まだ佐倉の事許したわけじゃないから。」
ハッキリ言われて、掴んでいた横峯の手をゆっくり放した。
「女々しい奴って思ってくれても構わない。気に入らないなら、付き合いはこれっきりってしてくれても構わない。本当に好きって気持ちを伝えたかっただけだから。だけど恋人として受け入れるにはまだまだ時間がかかるよ。」
「時間がかかるってことは、これから先はわからないって事だよね?」
「そうだな。」
「ならあたし、振り向いてもらえるように頑張る!一緒に居たいって思ってもらえるように頑張る!あたしだって、横峯の事好きなんだからね!」
あたしも、ありったけの気持ちを伝えた。
「解った。」
そう言って横峯は薄く微笑んだ。
その優し気な微笑に、胸の高鳴りが更に激しくなった。
「ありがとう。それからさ・・・。」
あたしは少し口ごもった。
「何?」
横峯が真っ直ぐにあたしの顔を見返してくる。
「これから横峯の事、英二って呼んで良い?」
「う~ん、どうしよっかな~。」
横峯が少し意地悪な笑みを浮かべながら言った。
「う~わっ!タチ悪~!信じらんない!結構真剣に言ってんだけど!」
「悪かったよ。ああっ、良いよ。」
「ありがと~!あたしの事も有希って呼んでよ。」
自分でも破顔してんだろうなって思いながらも、あたしは言った。
「そう言えば佐倉ってさぁ。苗字も名前も女の子みたいじゃん。どっちで呼ばれても嬉しいんじゃない?」
「そうだけどさ。やっぱり下の名前で呼んで欲しい。」
少し懇願するように、あたしは言った。
「解ったよ。有希。」
英二は微笑みながら言った。
自分で呼んでくれって頼んだのに、いざ面と向かって言われると、嬉しさと恥ずかしさで思わず俯いてしまった。
「あれ?自分で呼べって言ったのに照れてんの?なんか可愛いな。」
「茶化すなよ!そんな性格悪かったっけ?」
あたしは少しむくれながら言った。
「ごめんごめん。」
「許さない!ただ、パフェ奢ってくれたら考えてあげる。」
「わかったよ。奢らせてもらうよ。」
「うぬ。わかれば良し!さあ行こ。英二!」
「ああっ。」
踵を返して歩き出した英二の腕に、自分の腕を絡ませながら身体を密着させた。
「おい有希!」
「良いじゃん今日位!」
「ったく!」
呆れてはいるが、満更でもなさそうな表情を浮かべながら笑う英二の顔を見て、あたしはこれまでにない幸せな時間を、英二と過ごした。