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黒の魔王と黄金の歌姫   作者: 芝村あおい
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06



 いつものメイド服。深い紺色のスカートはくるぶしまでの長さで、その上から白いエプロン。無駄な装飾は一切ない。魔族は細かな細工が苦手だし、今は戦時下なので余裕もない。しかも娘にとっては分け与えられたものだった。サイズが合うだけありがたく、文句を言う筋合いなどない。

 それでも前夜はていねいに服にブラッシングをして、湯浴みもさせてもらった。


 今日は魔王さまに魔術の教えを乞うのです! 緊張して心臓が潰れそう!


 娘は気合いを入れて、朝から髪も編み込んだ。長い黄金の髪を編み込んでアップにすれば、顔がきゅっと小さく見えて細い首が強調され、白いうなじに王族だって注目したものだ。

 廊下で会った星屑に「わあ、黄金さま、今日はお綺麗ですね!」と言われたので、魔族にだって自分の美貌は通用することがわかった。


 その姿で朝食を調理し、魔王の給仕をしたが、とくになにも言われなかった。


 そうか。いくら整っていようが、所詮は人間の美貌。やはりあの美々しい王には取るに足りないものなのか。


『はあ……この身の見窄らしさが嘆かわしいです……』

「………………」


 調理場で娘と遅めの朝食を摂る従者は、無言でパンを口に運んでいる。この魔人も、とくになにも感想めいたことは言わなかった。ちらちらとこちらに視線だけを向けているので、思うところがないでもないのだろうが。


『従者さま? どうかなさいましたか』

「………………」

『宵闇さま? わたしが美しくて言葉も出ませんか?』

「……………お前に、言っておくことがある」


 その声は、思っていたよりも低かった。何事か、彼の意図にそぐわないことでもあっただろうか。


「我が君は、創世記より存える神に等しい存在だ」

『存じております』

「魔術が得意、などと本人はおっしゃるが、そんなレベルではない。彼の方は、魔術体系を生み出したに等しい」

『……ええっと。なにやら難しいお話でしょうか?』

「そうだ。難しい話だ。私も生まれたのはすでに世界の在り方が定まった時期だ。その頃から世界には空と大地と地下と水があり、人間とどうぶつと魔族がいた。魔術があって、智慧があった。そうあれかし、と神が願ったから、この大地はそう成ったのだ」

『……気がついたら世界は完成していたから、きっと魔王さまがそうしたんだろうな、ということでしょうか』

「意訳が過ぎる。神がそうつくった、という魔力の痕跡があるのだ。そして、おそらく王はもっと詳細を……『この世の理』をご存知だ。魔術はこの世の理を知り、その力を引き出す技術のこと。王以上に魔術を知る者はこの世にはない」

『最高の魔術の教師ということですね?』

「表現が軽い」

『大丈夫です。魔王さまが最高でない時などございません』

「否定はしないが、そんな話をしているのではない。……お前、決して王が言った通りの魔術を試行するなよ」


 教えられた通りにするな──それは、あまりに。


『さすがに、不誠実では? わたし、少なくとも魔王さまにそのような態度を取りたくありません。喉を掻き切って死んだ方がマシです』

「極端だな。だが、どの道お前、教えられた通りに魔術を使ったら死ぬことになる」


 娘は、瞳を瞬いた。そんなに危険な魔術を教えてもらう必要はないのだが。


『魔王さまは、スパルタ、というお話でしたか……』

「違う。我が君は素晴らしい。お前のレベルに合わせて指導をしてくださるだろう。……だが、彼の方は魔術の理の理解が、深過ぎる。魔術の素養があるわけでもないお前が、理の深淵に触れれば、あっという間に魔力も命も術に吸い取られる」

『……?』


 よく理解ができずに小首をかしげると、従者は浅くため息を吐き出した。その一方で得意げに目元を歪めているので、もしかすると今までやられっぱなしだった相手に、なにかを教えられるのがうれしいのかもしれない。


「魔術は、世界の理に触れ、その力を引き出す技術だ。基本は【音】【拍】【色】【形】。正しい理解のもとで魔術を行使すれば、わずかな労力で巨大な力を引き出せる。たとえば、お前の歌。今はわずかにひとの感情を変えたり、魔物を不快にする程度だ。だが、お前が正しく<歌の魔術>を扱えば、お前の歌で相手を呪ったり、死に至らしめることができるだろう」


 娘は魔術のことをよく知らない。なので、そういうものか、とただ頷いた。


「だが、それは使いこなせればの話だ。半端な理解と魔力では、予測もしない魔術に育ち、自分の命以上の魔力を消費してしまう。身の程をわきまえない術は、術者に還って術者を死に至らしめる」


 なるほど。そういう仕組みであれば、これから魔王と過ごす時間は命がけになるのか。死に目になるかもしれないのなら、やはり身支度に念を入れておいて良かったと思う。


「正直、通常、魔術を教えるのにそんな危険性はない。教える側も受ける側も、そこまで魔術の理を理解していないし、できないからだ。理解できたとして、それはもう初心者の域を越えているし、命を奪われるほどの魔術を組むことはない」

『おや? でしたら……』

「……我が君は……教えるとなると全力で教える。お前が愚かであれば、その内容を理解することもできないだろう。……だが……」


 そこで、従者は言葉を切った。すっかり冷めたスープを口にしはじめたので、それ以上は話したくないのだろう。


『ふむ。わたしだと理解はできてしまうけれど、術を御する技術がないので、あっさり死んでしまうだろう、ということですか』

「…………………」

『心得ました。魔術は本当に学んだことがないので、どんなお話になるのかはわかりませんが、もし本当に理解できるのであれば──致命的ななにかを避ける術にもできるでしょう。まあ、さすがにやったことがないのでわかりませんが』

「……お前に今死なれると、迷惑なんだが」

『わかっておりますよ』


 チョロくて気の良い魔人は、つまり娘の身を案じているのだ。真っ当に心配されるのが久々で、娘はにっこりと微笑んだ。従者が嫌そうな顔をする。気にしない。


『それでは、従者さまの不安が少しでも減るように、次の策の話をしておきましょうか』

「……そうしてくれ」



/*/


 魔王は、少し機嫌が良かった。娘が体調を戻して、今朝も昼も食事が旨かったからだ。

 それに、従者の手助けができるのもいい。

 あの若い魔人は近年稀に見るほど勤勉で頭が回り、よく働く。それに忠義者だ。子どものころからかわいかったが、大人になってもかわいいままだった。彼は自分には向かないことを得意とするので、そばに置くようになってから頭を悩ますこともずいぶん減った。とても頼りにしている片腕だったので、その男の役に立てるのは、単純にうれしかった。

 魔王などと言っても、古から永らえるだけのじじいだ。

 変化には無頓着になるし、細かいことを考えるのに向かない。そういう己の気質が伝播して、魔族そのものがものを深く考えることをしなくなってしまったのは本当に反省している。同じ時期に生まれた人間が、どうも細かなことを考える力を全部持っていってしまったらしい。共存していたころはそれでよかったのに、人間も人間で変な方へと進化して、魔族と袂をわかってしまった。

 じじいにできるのは見守ることだけだ。

 細かいことが苦手なので、仲裁だとかそういった気遣いが重要なことにほとほと向かないということもあった。魔族の方が数が少なかったので、庇護するために魔族の王などと名乗るようになったが、本質的にはどちらの味方でもなかった。

 それが、昔のように魔族が人間を庇護して、それを人間が細かな作業で恩を返す営みを目前にしている。それが懐かしくて、魔王は、やはり機嫌が良かった。


「それでは、はじめるか」


 鷹揚な調子でそう言って、魔王の私室へ入ってきたばかりの娘に視線を向ける。娘は緊張した面持ちで、そろそろと部屋をうかがっていた。


「ここが、魔王さまの私室……」

「なんだ、入ったことがなかったか?」

「ええ。お世話をするのは寝室と食堂がほとんどですから……でも、明日からお掃除に入るようにしますね」


 ……どうやら、人間の目から見ると散らかっているらしい。多少書類が乱雑に積み上がっているかもしれないが、掃除はときどきメイドたちがやってくれているから、さほど埃が溜まっているわけでもない。

 そんな言い訳を言うより先に窓を開け放たれたので、黙ったまま、娘のしたいようにさせてやる。


「お掃除は後で。……その、それでは、本日はご教示よろしくお願いいたします」

「ああ。だが、畏まる必要はない。お前の魔力溜まりを解消するための、ただの訓練だ。魔術を正しく使えるようになるためですらない。気を楽にして学べ」

「はい」


 娘が頷くのを見て、ソファに座るように促した。正面のソファに座り、さて、と考える。人間にも扱える、ちょっとした魔術というと。


「……お前は歌うたいなのだし、<魔術の言語>でも学んでみるか」

「<魔術の言語>……? 言葉そのものに魔力が宿っている、というお話と関係がございますか?」

「なんだ、知っているのか。そうだ。言葉そのものが<力>を宿している。お前たち人間だって、『やればできる』『命を賭ける』などと言って気合を入れるだろう? それを、もう少し実態を伴ったものにするのが<魔術の言語>だ」

「……ただの掛け声かと思いますが」

「自己暗示だな。声に出して前向きな言葉を言い続けると、本当に何事かをできそうな気がしてくる。そういう気がしてくると、実際に行動が伴うことが増えてくる。そうなると、声に出したことが実現する環境がつくられる。魔力がなくても言葉はいきものに暗示をかける」

「……なるほど」

「言葉はその地の歴史と文化を刻んでいる。だからその土地で生きる者は、言葉と無関係ではいられない。必ず言葉に支配される。あるいは、言葉を通して支配することができる。これはある程度まで魔力なしでも実行可能だ。だが、魔力を込めれば」

「その『支配』の力が強くなる」

「誰も抗えないほどに」


 人間や魔人が論理的な行動が可能なのは、言語があるからだ。言語に縛られないどうぶつや魔獣たちは、言葉に縛られない分、論理的な行動ができない。秩序は言葉に宿るのだ。


「そして、この世ではそういった<言語>で相手と意思疎通するが、つまるところ意思疎通の手段が互いに共通しているのであれば、媒介は言語に依らない。言葉を分解すると【音】【拍】が音声言語、【色】【形】が表記言語に分けられる。それぞれの媒介によって与える影響は異なるが、この世界の全ての魔術は今言ったことが基礎にある」


 娘は、さきほどから真剣な面持ちで講義に耳を傾けている。なにかを深く思考する時、この娘の翡翠の瞳は一層鮮やかにきらめく。人間とは思えないほど整った造作だと思う。どこかで魔人の血でも混じっているのだろうか。


「……魔王さま。つまり、こういうことでしょうか。『魔術とは、世界との意思疎通手段である』と」

「そうだ」

「では、『世界』とはなんなのでしょうか?」

「『彼の方』の気まぐれに産み落とされた落とし子だ」


 魔王の言葉に、さらに翡翠が深く光る。


「彼の方、とは?」

「私はもともと別の場所で王に仕えていた。赫い瞳の金の王。お前のことを人間たちは『黄金』と呼んでいるそうだが、私にとっての『黄金』は、彼の方だけだ」


 そこで、娘が妙に動揺した。なぜかわからないまま、話を続ける。


「この世界は彼の方の気まぐれの結果だ。彼の方は私に『遊び心が足りないから、遊んで来い』とここへ堕とした。遊びどころか、世界創生を放り投げられて途方に暮れた。なんとか生物が誕生したころには、もう還り方がわからなくなっていた」

「まぁ……結局、真面目なままお変わりになられていないのですね?」

「昔よりはマシになった……と思う。昔はもっと、細かいことができた……はずだ」


 なにせ、あまりに遠い記憶であやふやどころか、ほとんどなにも覚えていない。実際のところ、『彼の方』の姿や声も朧げになっていた。ろくでもない王で、とても美しかったことしか覚えていない。


「……それで……この世界は、『彼の方』が、魔王さまのために創った世界、ということですか」

「そうだ。だから、私がもっともこの世界のことを理解できる。だから、私以上に魔術に詳しい者はいない」


 そこまで語ると、娘は、きりりとした表情で視線を上げた。


「──よく、理解できました」

「そうか。では、軽い呪文を教えよう」

「いいえ。おそらく、不要です」


 娘はそう言って、白い指先を眼前にかざした。


「光を灯してください」


 白い指先には、うっすらと光が灯った。夜間に点けるランタンよりもまだ小さい光。だが、呪文なしに魔術を行使したのはなかなか見どころを感じさせる。


「ほう。さすがに、宵闇が見込んだだけあって頭がいいのだな」

「畏れ多いことでございます」

「呪文を覚えたほうが効率良く術が使えるが、お前の目的は術の効率化ではないからな。毎夜今のやり方で魔術を使っていれば、昨日のようなひどい魔力溜まりにはならないだろう」

「魔王さまのご教示が素晴らしかったからです。感謝申し上げます」

「よい、お前の息災は宵闇のしごとを減らすようだしな」


 なんの気なしの言葉だったが、娘はうれしそうに微笑んだ。なんだ。案外この娘もあの男を憎からず想っているのではないだろうか。


「──お前がどこでなにを見たのかは知らんが、執着心は未来にはつながらんぞ」

「いいえ。生きる糧にもなりえます」


 即答されて、魔王は思わず苦い表情になった。

 どうやらこの娘は、まだ自分に気持ちの悪い執着心を向けているらしい。宵闇が気に入っているのだから、素直に受け入れればいいだろうに。


「……とうとう、ここまでやってきたのです。それこそ、この世界がわたしの想いを祝福してくださっているからでしょう。ここで諦めるなどあり得ません」

「お前は私になにを望んでいるんだ」

「わたしが死ぬその時に、おそばに置いてくださいませ」


 翡翠の瞳が、ことさら強く煌めいている。本気なのだろう。

 いっそ妃の地位だとか子が欲しいだとか、そういうことを言ってくれれば、不敬者、などと言って追い出してやれるのに。この娘は、そういったことは本当に望んでいないらしい。


「……それすらも、厭わしいでしょうか……?」


 ふいに、不安そうな表情を見せる。計算なのか、天然なのか。いつも自信に満ち満ちているように振る舞うのに、今はまるで普通の村娘のように、素朴に体を震わせている。

 魔王は大きくため息を吐き出した。

 こんなささやかな、願いとも言えないような願いを無下にするほど、器は小さくない。


「お前、もう少しまっとうな願いを持った方がいいぞ」

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