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黒の魔王と黄金の歌姫   作者: 芝村あおい
6/34

05



「魔王さま。昨日から城下で農地を視察されているそうですね。収穫はいかがですか」


 朝食を運んできた黄金の娘の問いに、漆黒を身に宿した王は機嫌良さそうにうなずいた。朝食の付け合わせの揚げイモを口に運びながら明るい声で話しはじめる。


「まずまずだ。今年のものは出来がいい。戦で死んだ者どもが良い肥料となっているのだろう」

「死体は軒並み火葬してしまいますものね」

「農作業を手伝ったら、農家の者たちがいくらか城に分けてくれた。調理場に運ぶように言ってある。好きに使え」

「まあ、ありがとうございます」


 娘はうれしそうに微笑んでうなずいた。魔王も満足そうだ。


 ──突っ込むべきか突っ込まざるべきか。従者は朝から途方に暮れていた。


 大体、この敗戦濃厚な戦時下において、為政者が農作業をしている場合か? もっとやるべきことが……。


「娘。お前も農家に顔を出してみるか? イモ掘りはなかなか面白いぞ」


 魔王の提案に、今度こそ従者は目を剥いた。周囲のメイドや家令も無言で目を瞬いている。従者は思わず口を開きかけ、


「申し訳ありません、魔王さま。わたしは人間ですので、今魔族の皆さんの前に出るのは障りがあろうかと……」


 困ったような娘の表情に、ああ、と魔王があっさりうなずいた。


「そういえば、そうであったな。忘れていた」


 忘れないでほしい。従者は内心でため息を吐き出して、そつなく誘いをかわした娘を見た。

 思わず目を疑った。


 つねに大胆不敵で慇懃無礼な娘が、なぜか悲しそうな表情を浮かべているではないか。





 調理場へ戻っても、無言で浮かない顔をしている娘に従者は半眼を向けた。

 この娘がただしおらしいわけがない。今もなぜかいいように言いくるめられて調理場でイモの皮剥きをさせられていた。


「……そんなに行きたかったのか?」

『はい?』

「イモ掘り」


 それで従者がなにを言ったのか、理解したらしい。美貌が苦笑でわずかに歪んだ。


『そういうわけではないですよ。ただ、本当に魔王さまはわたしのことをただの料理係と思われているのだなあ、と』

「それのなにが問題なんだ?」

「問題の有無ではないのではないでしょうか?」


 セリフを挟んだのは、星屑だった。基本的に彼女は体毛を有しているので調理場には入らないのだが、今日は娘の代わりに台所で皿を洗っていた。従者とともにいる時の娘の声は、自分に影響がないと気がついたらしい。以来、時折こうやってしごとを手伝っている。


「黄金さまは、魔王さまがご自身を気にかけていないのではないか、と不安に思っていらっしゃるのです」

「は?」

『あ、別にそこまでではないのですが……』

「聞けば黄金さまは、魔王さまに会うために何年も戦場に立たれていたとか。純愛です! 魔王さまにはぜひ一時でもご慈悲をいただきたいものです」


 そこで、従者は思わず娘を見た。娘はエキサイトしている星屑を気持ち悪いくらい優しい目で見ている。


「……娘、お前、我が君と会ったことがあったのか?」

『ええ。ご存知の通り、わたしは戦歌姫として、戦場の最前線で歌っておりましたから。魔王さまの美しいお姿は、遠目からお見かけしていましたよ」


 ──魔王さまに会うために、何年も戦場に立たれていた。


 星屑が誤解した可能性はある。覚え違いかもしれない。だが、もし娘の言った言葉そのままなのだとしたら。


 この娘は、魔王に会うために戦場で歌っていた。


「……お前、本当になにが目的でここへ来た?」

『ご存知の通り、魔王さまに攫われましたが?』


 さらりと返されて、そこで従者の思考は止まる。そうなのだ。この頭の切れる娘がこの城へ来たことが本当に偶然なのかと、何度も考えた。そしてその度、『連れてきたのは魔王の気まぐれ』という事実にぶち当たってしまう。こればかりは、娘にも誰にも予測しようがない。

 従者は浅くため息を吐き出した。

 深く考えるのは、魔族に向いたしごとではない。娘を締め上げても、きっと必要でないことははぐらかされてしまうだろう。そして、彼女にとって重要なことは魔王との平穏な暮らしだ。それはおそらく間違いない。

 少なくとも、目的は従者と一致している。今の所、その目的に反する動きもないのだから、これ以上考えても意味はないだろう。

 そう考える傍らで、星屑が小さな鼻をぴすぴす鳴らして興奮した声をあげた。


「魔族の生は人間よりもはるかに長いのです。まして魔王さまは永遠とも言える時を生きていらっしゃる。人間に慈悲を与えたところで、蚊に噛まれたようなモノです。1回や2回くらいいいじゃありませんか」

「……星屑、皿洗いが終わったら部屋の掃除に戻れ」

「もう、宵闇さまはロマンがお分かりにならないのですね!」


 星屑は従者にやれ情緒がないだの、そんなのだから奥方がいないのだの散々言って、調理場を出て行った。

 ふいに、娘からの視線を感じて顔を上げた。


「……なんだ?」

『……いろいろとありますが。とりあえず、宵闇さまとおっしゃるの?』


 翡翠の瞳が好奇心に煌めいたのを見て、従者はため息を吐き出す。


「……そういえば、お前たちヒトは名を呼び合うのだったな」

『お名前がないと不便ではないですか』

「呼び名はな。だが、我々魔族の『名』には、呼び名以上の意味がある。……お前、魔術には詳しいか?」

『まったく』


 なんでも知っています、というような顔をしていながら、この娘は知ったかぶりをしなかった。合理性の塊のような娘は、見栄に一片の意味も感じていないらしい。


「魔術の元素は【音】【拍】【色】【形】だ。そして、自我を持つ生物にとってもっとも影響する【音】、それが名前だ」

『なるほど。【音】【拍】の要素が詰まっているのが【音楽】ですね』

「そう。だからお前たち戦歌姫の歌は、わずかな魔力でも高い効果を発揮する。もともと、歌それだけでも魔術的意味があるからだ。だが、特別魔力を通さずとも、儀式を行わなくても、道具を用いなくても行使できる魔術がある。それが『名を呼ぶこと』だ」

『……人間は普通に名前を呼び合っておりますが……』

「お前たちが魔術の本質を理解していないから、本来の効果を発揮していないんだ。だが、魔族はお前たちよりずっと魔術世界に近い場所で生きている。だから、我々は名を明かすことはない。役割、もしくは通称で呼び合う」

『……要するに、『宵闇』は本名ではないけれど、従者さまの通称である、と』

「そうだ。だから、我々はお前の名前も訊ねない。不要だし、名を明かすのは特別に親密な者だけだ」

『親密……伴侶、とか? それだと、従者さまのお名前をご存知の方はいらっしゃらない?』

「我が君は知っておいでだ」


 そこで、娘は白い頬を膨らませた。


『……わたしは、名を訊ねられてもいません』

「たかが人間、名で縛る必要さえない」

『従者さまは、わたしの名前を知りたくありませんか?』

「いらん」


 即答した。そんな厄介なモノ、知りたくもない。通常、名を他者に知られると格段に呪いなどにかかりやすくなるので知られたくないものだったが、娘の名など知った方が呪われそうだと思う。


『……魔王さまの、お名前は、どなたかご存知なのでしょうか?』

「神の名をたやすく口にできるわけがないだろう」


 かの王は魔王と名乗ってはいるが、その立ち位置は神に等しい。この世界が生まれ落ちた時から生き続けるモノ。神より身近な存在のため「王」を名乗っているに過ぎないのだ。


『……いつか教えていただけるでしょうか』


 従者は、ぎょっとして娘を見た。翡翠の瞳には真剣な光が宿っていて、彼女が本気であることを悟った。思わず頭を抱える。


 ── 魔王さまにはぜひ一時でもご慈悲をいただきたいものです。


 ありえなくは、ないのだ。あの王は気に入った存在に寛大で、別に人間嫌いというわけでもない。彼女を本当に気に入れば、そんなことがないとは言い切れない。人間のように寿命の短い種族であれば、魔族側は大きな問題にもなり得ないのだから。

 だが、人間は?

 その短い人生で、強大な存在に侍るには失うもののほうが多いだろう。すでに娘は、生まれ育った国と人間の矜持を捨てている。

 ─純愛です!

 星屑のように、得体の知れない「愛」などを信じることは従者にはできなかった。


「……今日はどうした? やけに発言内容がおとなしいぞ。明日は人間の軍が総攻撃でも仕掛けてくるんじゃないか」

『司令官が暗殺されたばかりですから、まだしばらくはかかるかと。その隙に敵軍の補給部隊を襲う段取りもしておりますし。……でも、そうですね。言われてみれば、なんだか妙に気分が塞いでいます……。せっかく従者さまに恋人がいないとかいう面白情報を入手しましたのに……』

「おい」


 娘が自らの額に手を当てて、大きな目を見開く。


『まあ!』

「どうした」

『わたし、熱があるようです』


 そう言って、ぱたりと床に倒れ込んだ。


/*/


「宵闇の君、黄金さまはどうなさったのでしょうか……」

「わからん」


 宵闇の君はそっけなく応えたが、その視線は心配そうにヒトの娘を見ていた。

 ヒトの娘は、自室のベッドに横たわっていた。倒れた直後、慌てて宵闇の君が彼女の部屋へ運んだのだ。

 娘の体はとても熱くて、呼吸も脈も乱れている。城に魔族の医師はいるけれど、ヒトは診られないと言う。なので、これがヒトだけの病なのか、持病なのか、毒なのか呪いなのか、全くわからない状態だった。


「黄金さま、とても苦しそうです……」


 それでもやっぱり、彼女は美しかった。額に浮かぶ汗さえもガラスの宝飾品のように思える。

 その雫を濡れた布で拭って、わずかに開いた口元からじょうごを差し込み、わずかに水を含ませた。


「このまま亡くなったら、戦争捕虜の待遇違反などになったりして、また政治が拗れたりするんでしょうか?」

「……母国でこの娘は死んだことになっている。今更拗れるような縁はない」


 だから死んでもいいか、と言われるとそれも違う。少なくとも星屑は、この美しいヒトの友人が好きだった。死んだら悲しい。きっと宵闇の君もそうだと思う。毎日一緒に食事をして、あんなに仲良さそうだったから。


「あの。大丈夫ですよね? 黄金さま、亡くなったりしませんよね?」

「さあな」


 宵闇の君はそっけなくそう言って、娘の寝室を出ていった。


/*/


 ──娘が死ぬと、どうなるか。


 従者は城に与えられている執務室で、地図を広げて必死に考えた。娘はなんと言っていた? 兵糧攻めをすると言っていた。いいタイミングだと。あの娘はなにか一計を案じていたに違いない。どうせ倒れるなら、その話をしてから倒れてほしかった。

 あの娘がどんな策を考えていたのかは、従者にはわからなかった。しかし、兵糧攻めのタイミングは悪くない、と言っていた。ならばその用意をしておこう。それに、この前の暗殺に使っていたスパイがまだ人間の軍の傍で待機している。配置も悪くない。補給部隊の本体が迫っているとの報告もあった。

 そこまで考えて気がつく。

 ──これまでにない、悪くない流れだった。全ての配置が整っていた。

 娘が配置したものだ、と思い至るのもすぐだった。


「……くそッ……!」


 一手一手は小さなものだったはずだ。なのに、娘の置いた小さな小さな小石は、今、大きな流れをつくっている。

 稀有な才能だと、認めざるを得ない。

 あの美貌と性格に喰われがちだが、間違いなく彼女の本質はこの先読みの力だ。美貌も声も、彼女の価値のごく一部に過ぎない。

 死なれては困る。

 あの娘の気付けになるようなことはなにかないか。そう考えて、また従者は渋面を浮かべた。


 そんなこと、一つしかなかった。


/*/


「娘が倒れた?」


 執務室で書類を眺めていた魔王は、報告してきた従者をまじまじと見つめた。


「はい。昼に高熱で倒れ、今も意識は戻りません」

「あの強心臓に取り憑く病があろうとは……」


 魔王が本気で関心していると、従者も深くうなずいた。


「それで、それは病なのか? 毒か、呪いか?」

「ヒトが診られる医師がおりません」


 なるほど。それはそうか。


「仕方ない。なら、私が診るか」

「いえ、御身にわざわざ捕虜の診察など……!」

「水臭いな、お前の情人に慈悲を与える程度の度量はあるつもりだが?」


 そう言うと、従者は切れ長の瞳を剥き出しにした。慌てたように声を張る。


「じょ……! なんの話ですか!」

「? お前、あの娘と恋仲なのではないのか? メイドたちが噂していたぞ」

「あとで徹底的に指導しておきます」


 しまった。余計なことを言ってしまったか。メイドたちが楽しそうに話しているのを耳にしただけだったのだが、やはり他人の色恋に首を突っ込むと碌なことにはならないらしい。


「……だが、お前はあの娘を気に入っているんだろう? そうでなければ、お前が私の側仕えに推薦してくるわけもない」

「…………」


 無言が回答だった。魔王は薄く笑って、席を立つ。


「死人を生き返らせるわけでもない。そう気負うな」

「……ただ、見舞ってくださるだけでいいのです。それだけで、あの娘は地獄からでも舞い戻ってくるでしょうから」

「気持ちが悪いな」


 わりと本気でそう思いながら、従者に促されて部屋を出た。


 


 扉を開けさせると、がらんとした部屋に小さなベッドが一つ置かれていた。年頃の娘らしい装飾は一切ない。この娘がこの城へやって来たのは捕虜としてなので、こんなものなのだろうか。

 ベッドの上では娘が眠っている。息苦しそうに呼吸を乱していた。


「なんだ、本当に死にそうだな」

「……まだ、そこまでは。いつまでこの症状が続くかにもよりますが」

「ふむ」


 弱った人間を見るのははじめてではない。戦場で四肢が千切れた者や、臓腑を裂かれた者の死に向かう絶望の顔が脳裏を過ぎる。時に哀れだな、と感じることもあった。だが、魔族と戦うと決めたのは人間の方なので、手加減する謂れはなかった。手加減しなくとも、戦況は悪かった。自分が皆殺しにする方法もあるにはあるが、それは本当に最後の決断だ。

 そばによって、荒い息をする娘を見る。額に手を当てると、高熱と、汗でしっとりとした肌の感触を得た。


「……魔力溜まりだな」

「……未熟な魔族がかかる、あの?」

「そうだ」


 魔力溜まりは、うまく魔力を制御できない魔族の子どもが起こす現象だ。上位魔人の子どもは巨大な魔力を抱えて生まれてくるが、その扱い方を知らないため、体が耐えられないほどの魔力を身の内に溜め込んでしまう。通常、魔力の制御方法を教えたり、訓練をすることで魔力が発散されて重体に陥ることはない。


「この娘は、それほど魔力が強いのですか? 私には感じられませんでしたが」

「まあ、人間にしては、というところか」


 それにしたところで、せいぜい魔法使いの適正がある、といったもので、不出生の天才とか、大魔法使いになれる、といった類の量と質ではない。


「体の方が問題なんだ。この娘、虚弱体質だ」

「……………?」

「なんだ、わからないか? 体が特別弱い、ということだ」

「は、言葉の意味はわかるのですが」

「本人のイメージと一致しない、というのなら、そうだな。私も言っていて驚いている」


 この男が目を白黒させる顔を見られただけでも、この部屋に来た意味はあったな、などと思う。同じくらい、この強心臓を持っていそうな娘が、虚弱な、本当にただの人間の娘であったことに魔王も心底驚いた。


「この娘は戦歌姫で、戦場に出るたびに歌っていた。それが魔力を発散することになっていたのだろうが、地下帝国に来てから歌どころか声を出すことも禁じていたな。その影響か」

「……では、歌わせなければ、定期的のこの状態になる、と?」

「まあ、歌わせたところで皆、少し不快になるだけだが……」


 しかし、毎日一定時間、不快な音を聴くというのはなかなか拷問めいている。人間の捕虜にそこまで遠慮する必要はないだろう。まあ、この娘に情を移している隣の男はどうか知らないが。


「なにか魔術でも教えてやれ。習得させずとも、訓練で魔力を外に出させるだけでいい」

「は」

「今回は、外から魔力を抜くか」


 そう言って、額に重ねた手のひらに意識を集中する。魔力を吸い取る、という技術は、上位の魔人になら可能だった。同族の魔人や魔獣から魔力を吸い上げて行う大規模魔術もあるからだ。逆に言えば、高位の魔人にしか行えない。この娘は本当に悪運が強いな。

 さして時間もかからず魔力を吸い上げると、娘の呼吸が次第に落ち着いていった。魔王にしてみれば微量の魔力だったし、おそらく人間の世界でも大したことのない魔力量だ。それだけの量で魔力溜まりを起こしてしまう体は、本来魔力への耐性が極端に低いと言わざるを得ない。よく戦歌姫になれたものだ。


「原因がわかった。以降は対処できるな」

「はい。問題ありません」

「……っ、………」


 ふいに、娘の目がうっすらと開いた。翡翠の瞳がぼんやりとこちらを捉える。


「……ま、おう……さま……」

「…………」


 いつになく、小さな声だった。いつもの娘と同一人物とは思えないほど、儚く見える。まるでどこぞの姫君のようだ。


「……ゆ、めの、よう……こんな、近くに……」

「お前は」


 こんな時まで気持ちの悪い冗談を、と言おうとして、次の言葉に口をつぐんだ。


「お美しい、まおう、さま……


 ……わたしがしんだら、ないて、くださいますか……?」


 思わず、唇を引き結んだ。戸惑った。問いの答えにではない。なぜ、この娘がこんなことを問うのか。


「お前……どこで、なにを見た?」


 娘は問いに答えず、ふと、意識が覚醒したかのように飛び起きた。


「従者さま!」

「なんだ」

「冥道の入り口に兵をお出しなさい!」


 従者はなにも言わずに部屋を飛び出していった。なんの話か、問いただす間もなかった。

 残った娘に問おうとすれば、もう娘の意識はなく、ただ荒い息を繰り返すだけだった。




/*/


 騎士長、もとい臨時司令官が、自軍のテントで目をつむってこっそりとうとうととしていたところに、伝令係が飛び込んできた。


「司令官! ご報告です!」

「聞いている。そのまま話せ」


 簡易の椅子から立ちもせずに伝令係を見ると、男は息を切らしていた。腕章の印から、本日到着予定の補給部隊に所属する者のようだ。


「わ、私が所属する補給部隊が、魔族に襲われました! 人的被害は大きくありませんでしたが、交戦中に積荷に火をかけられ、物資は焼失……! 補給物資は……こちらには届きません!」

「それで、魔族たちはどうした」

「積荷に火をかけてから、すぐに撤退しています」

「深追いしていないだろうな」

「そんな余裕もなく……空を飛ぶ魔族ばかりを集めたようで、あっと言う間に離脱されました……!」


 司令官となった騎士は、側に控えた従卒を横目で見る。事態の大きさに言葉を失っているようだが、なにかを考えているような顔をしていた。


「なにか気づきがあるなら、言ってみるといい」

「はい。……その、とても統率の取れた動きをするな、と」

「これまでの魔族らしくないか」

「はい」


 司令官は笑った。生まれがいいせいか、頭も悪くないのは見込みがあると思う。

 これまで本能のまま、巨大な魔力や牙を振り翳していただけの魔族が、作戦めいたことをしてきた。


「向こうも頭がすげ替えられたか。もっとも、細腕で無理やりぶんどっただけだろうが」

「は?」

「なに、笑ってもいられん。食料がなければ、この地下帝国では芋くらいしか食うものがないぞ。しかも、この大軍を維持するだけの芋はこの地下帝国では収穫できん」


 地下帝国の資源は、黄金、宝石といった貴金属だ。陽光の差さない地下帝国では、苔やわずかな光で成長する植物しか育たない。少人数ならともかく、この場所で多くの人間が生き続けることは難しい。


「そろそろ、帰り道を確認しておこうか」


/*/


『ご心配をおかけしました』


 翌朝。愁傷な様子でそう言って、ベッドの上で頭を下げる娘は、随分と調子を戻したように見える。もう熱は下がり、呼吸も安定していた。声も、従者を不快にしないように配慮されたものだった。


『……心配、してくださいましたよね? 従者さま』

「なぜ念押しする」

『いえ、死ぬことを喜ばれるのは、あまり気分がよくないな、と』


 どうやらまだ熱の後遺症で情緒不安定なようだ。らしくないことを言っている。


「心配した。お前がどうやって人間どもの兵糧を奪うつもりか、聞くより先に倒れてしまったからな」

『ああ。熱があった時の記憶があまりないのですけれど、ちゃんとお伝えしていたような……?』

「それがなければ、今頃この城は決死の覚悟で最期の戦場に出る準備をしていただろうよ」


 娘が倒れてからすぐに人間の軍のそばに配置した部隊に臨戦態勢でいるよう指示を出していたので、娘の寝言のような指示でもすぐに対応できた。


「タイミングがあと一歩遅ければ、補給部隊の物資が本隊に届いていた」

『ヒントはお出ししていたのですから、ご自身で差配してもよろしかったのでは?』

「……お前になにか策があるのではないか、と思ったんだ。次からはそうする」

『……確かに、物資を丸々いただくためにあれこれと考えてはいましたが』

「なに? 物資は全て燃やしたぞ」

『まぁ……魔族の方々にはさほど重要なモノでもないでしょうから、今はそれでいいですよ』


 娘が残念そうな顔をしたのは一瞬だったので、魔族にとって重要ではない、というのは本当なのだろう。


『香辛料とかがあると……お料理の幅が広がるな、と欲張っただけですので……』

「……次があれば、考慮しておく」


 娘のつくる料理はどれも悪くないが、かつて人間の村で食事をしたときのような旨みはない。それは、人間の国の香辛料が地下帝国では入手できないからだろう。


『まあ、次などありませんよ。あの軍、かなりの大所帯でしたし、今回の補給物資の運搬は半年以上も前から計画されていました。5万もの兵を賄う物資ですもの。……あの国に、そんな余裕はもうないはずです』


 娘の翡翠の瞳が、きらりと光った。まるで、魔王に攫われたらこうしてやろう、とずっと以前から計画していたかのようだ。


『次は、少し積極的に攻めますよ』

「……しごとの話は、今はここまでだ」


 従者の言葉に、娘はおや、という顔をした。


「お前は一応、病み上がりだ」

『まぁ! 心配してくださるのですね!』

「さっきも言った」


 臆面もなく言うと、娘はかえって面白くなさそうな表情を浮かべる。


『従者さまには、もう少し可愛らしい反応を期待していますのに……』

「いらん期待をするな。今私が訊きたいのは、お前の体についてだ」


 従者の問いに、翡翠の瞳は静かになった。


『子どものころは、10歳まで生きられないのでは、なんて言われていました。ちょうどその頃に、歌うたいに拾われて、歌を覚えました。それからは、生死に関わるほど体調を崩すことはなくなりましたね。もっとも、わりと頻繁に倒れてしまうのですが』

「魔力溜まりという自覚はあったか」

『どういう現象なのか、名前は知りませんでしたけれど、時々わたしのような子どもが死ぬことはありました。もっとも、わたしの子どものころから国は戦ばかりでしたから、虚弱で死ぬより戦に巻き込まれたり飢饉で死ぬことの方が多かったですけれど』


 娘の言に、従者の眉根が寄る。娘の話を聞くと、どうにも人間の国は今酷い状態にあるらしい。知ったことではない、とも思うが、戦になるずっと以前は人間と友好的に過ごしていた記憶もあった。村の祭りで肉の串を手渡してくれた子どもはもうずっと以前に死んでいるだろうが、同じような子どもが死ぬのは哀れだと思う。


「……お前をこの城で歌わせるわけにはいかん。小さな魔術を訓練させてやる。自分で魔力を散らすようにしろ」

『まあ、従者さまが教えてくださるのですか?』


 問われて、一瞬、考えた。

 別に従者が教える必要はなかった。軍を差配する従者は多忙だ。メイドの中にも魔術を使う者はいるのだから、彼女たちに任せても──


「娘、目が覚めたか」


 娘の部屋に入ってきたのは、魔王だった。伴っているのは獅子頭の家令で、いつ見ても雄々しいと思う。王が供を連れていることに安堵しつつ、従者は頭を下げて礼の姿勢を取った。

 娘はなぜかベッドの上であたふたとしながら、ガウンを胸前で抑え、手のひらで髪を撫でつけた。


「お、おはようございます、魔王さま。こんな、お見苦しい……」

「気にするな。幼子のような病で倒れたのだ。幼子は健やかであらねばならん」

「………………」


 思い切り子ども扱いされて、娘は不本意だったらしい。どこか不服そうに眉を上げた。


「宵闇にお前の世話を任せていたが、我が従者は本来、私よりも多忙だ。なにせ私は戦の作法に疎い。法などの重要性は理解しているが、細かな運用もさほど智慧があるわけではない。戦場では宵闇がいてくれねば困る」

「ご自身の特性を理解し、できる者にしごとを任せるのは立派な王の資質でございます」

「そうだな。それで、私は考えた。お前の世話の方が、むしろ私の得意なことだ。魔術にはいささか心得がある」


 王の発言に目を剥いたのは、従者だけではなかった。家令が喉をぐるる、と低く鳴らしている。娘も翡翠の瞳を瞬かせていた。


「……王自ら、で、ございますか……?」

「ああ。宵闇が動きやすくなるだろうからな」


 我が身を慮る王の気持ちに、心が震える。畏れ多いと従者は思った。だがそれとは別に、妙に胸がざわついた。それがなにかは、わからないが。


「体調が戻ったら、昼食後に時間をとってやろう」


 王は満足げにそう言って、娘の部屋から出ていった。王は王なので、誰の許可も必要ない。彼が本当にやりたいと思ったことは、実行に移されるのだ。


『……従者さま、ずるいです』


 娘がそう言って、白い頬を膨らませた。


『魔王さま、ずっと『宵闇のため』としか仰られなかった。とても大事にされていて、うらやましいです』


 そうだ。光栄なことだった。それなのになんだか胸のざわめきは消えずに、今日は横になっていろ、と娘をふとんに押し込んだ。


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