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黒の魔王と黄金の歌姫   作者: 芝村あおい
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 街は燃えていた。


 もともと、さほど大きな街ではない。主要都市をつなぐ中規模な街で、石造りの建造物は領主の城しかない。民家も屋台も木造で、火の回りは早かった。魔物は火を使わないので、きっと人間が放った火なのだろう。

 苦手な火に囲まれて、魔物は暴れ狂い、暴力と炎に街は崩れ落ちていく。城へ至る道には、魔物も人間も関係なく、死体が折り重なっていた。

 ありふれた戦場の姿だった。

 見飽きた。もうその光景に、なんの感慨も抱かない。


 歌を唄う。


 子どものころから、わずかに声に魔を祓う力が宿っていると言われてきた。本当は相手の精神に響きやすい、いわゆる「心地よい声」という程度のものだと知っている。人間にとっては心地よいが、それが魔族にとっては不快な音の波であるというだけだ。


 歌を唄う。


 どうして唄うのだろう。もう、こんな命は消えてしまってもいいと思ってこの街まで来たというのに。


 どうしてまだ、生きるために唄っているんだろう。


 歌声を聴いた魔物は、不快そうに眉を顰める。こちらの姿を認めて、けれど他の騎士に向かって駆けていった。魔物にとって不快な音を発し、かといってこちらを攻撃するでもない小汚い小娘など、彼らにとっては殺す価値もないのだ。


 重い体を引きずって、石造りの城までやってきた。街は燃えているのに、石造りの城は火で炙られても形を残している。見上げた城壁は静かで、ただ火が燃える音だけが人間の恐怖心を煽ってくる。戦闘は終わったのだろうか。ただ。


 ──戦場の臭いがする。


 それはつまり、血の臭いであり、火薬の臭いであり、肉の焼ける臭いだった。


 城で戦いが起きていたのは間違いない。


 娘は火が放たれた城門をくぐり、城壁の階段を登った。城壁からは街が一望できるだろうから、戦況を把握しやすいだろう。

 それにしても、兵士や騎士をひとりも見かけない。魔物も魔人にも会わなかった。一体、なぜこんなにも静かなのだろう?

 傷だらけになった裸足で一歩一歩、石造りの階段を登っていると、後ろから声をかけられた。


「待ちなさい、お嬢さん」


 声に振り返ると、傷ついた鎧を身につけた中年の騎士が立っていた。城に来て、はじめて見かけたヒトだった。厳しい表情を浮かべている。


「ここは危険だ。すぐに避難しなさい」

「安全な場所ってどこにあるのかしら」


 即座に切り返すと、男は悲しげに眉を下げた。


「……では、せめてここではないどこかへ。魔王と腹心の魔人との戦闘中だ。いつ城ごと消し飛ぶかわからない」


 戦闘中? この静けさで?

 娘は、俄然興味をそそられた。最期にこのひどい戦の終わりを見物しながら死ぬのも一興だろう。

 男を無視して階段を登りきると、人間の兵が2人の魔人を取り囲んでいる様子が見えた。

 騎士がため息を吐き出して肩を引く。


「お嬢さん。今すぐに逃げなさい。……この城はじきに崩れる」

「……魔王が城を吹き飛ばすんじゃなくて、魔王ごと城を吹き飛ばすって話なのね?」


 男の言葉を受けて、娘はそう結論付けた。騎士が目を白黒させる。


「なぜ……」

「あんなに冷静そうないきものが、問答無用で相手を皆殺しにするとは思えない」


 兵士に囲まれた魔人たちは、いずれも美しかった。燃えるような赤毛の魔人が、もう一人を庇うように前へ出て、存在を強く主張している。まるで盾のようだった。すると、後ろに控えた長身の男が魔王なのだろう。

 黒く長い髪は夜空のように輝いて、瞳は闇より深い漆黒をしていた。

 この世界のはじまりから立ち会っていたとされる、原初の王。はじまりのひと。


 彼が魔王だ。


 美しい姿だと思う。でも、その瞳はどこか悲しそうに見えた。あるいは、退屈しているようにも見える。


「……魔人は強大な力を持っている。冷静に見えるからと言って危険でないとは言い切れない」

「見るからに危険そうな人間よりマシに思えるわ」


 冷静に返すと、騎士が苦い表情を浮かべる。そこでようやく、娘は騎士の役割を理解した。


「……あなたは、城にまだいる生き残りを探して街へ避難させる役目だったのね」


 具体的にどんな作戦だか知らないが、魔王と魔人ごと城を吹き飛ばす予定で、城には誰もいないらしい。あるいは、残された者は不要と判じられたか。


「貴方、本当は城から脱出する側だったんでしょ? その鎧、そこそこ偉いひとが身につけるやつよね。なのに持ち場から離れた。ずいぶんお人好しね」

「……そういうコトは、思っていても言うもんじゃない。生きるのが下手なのか? 往生できんぞ」

「生きにくいのはわたしのせいじゃないわ」


 娘が肩をすくめると、騎士はなんとも言えない居心地の悪そうな顔をした。有り体に言って、今の国の政治はお粗末極まるものだったし、その状況は真っ当な人間であれば身分を問わず否定できない程だった。


「……でも、貴方はそうじゃないんでしょ? なら行って。わたしより生きたいひとを助けるほうが世のためよ」

「……なるほど、きみは死ぬためにここへ来たのか」

「今どき、珍しくもないでしょう。行きなさい」


 騎士は迷っているようだった。娘を説得する言葉を持っていなかったらしい。

 無言でいる騎士を放っておいて視線を戦場に戻すと、


「今、兵を引くのならこれまでの侵略行為をなかったことにしてやると、我が王は仰せである」


 朗々と響く声は低く重く、甘くも聴こえる美声だった。それは弦楽器の音色のようで、それだけにまるで戦歌姫の歌のように辺りを支配する。


「ひとの子よ! 我が王が寛大な心を見せているうちに、我が領土から兵を引け!」


 魔人の呼びかけに、ひとりの戦歌姫が立ち上がった。歌うたいらしく軽装で、武器は持っていないようだ。

 歌姫は青白い顔で、魔人に声を届ける。


「魔人の王よ。そして、魔族の王よ。この街の城主、そして国王から書類を預かっております。お側によってもよろしゅうございますか?」

「許す」


 魔人の王が頷いて、歌姫から書状を受け取る。そこに書かれたなにかを読み取って、魔人は眉根を寄せた。


「このような条件、本気なのか? お前たちヒトは、本当に我々と戦をしようとしているのか?」

「わ、私には、なにも……」


 戦歌姫は怯え切っているようだった。戦歌姫が戦場で歌うと言ったところで、通常は軍の後方でお偉方の付近にはべって魔族を追い払うくらいのことしかできない。魔人と対峙するなど、全身が震えていてもおかしくなかった。

 盾の魔人はそのことを承知しているのだろう。歌姫には、失礼、と小さく気遣うように声をかけた。


「ひとの子よ! この軍の責任者は誰だ!」


 盾の魔人が高らかに声を上げると、1人の騎士が無言で前に進み出た。男は黙って魔人に近づたので、盾の魔人は警戒して戦歌姫を間に挟む。


 騎士は剣を抜き、戦歌姫ごと盾の魔人を刺した。


「な……!」


 盾の魔人は腹を、戦歌姫は胸を刺し貫かれてくず折れた。

 背後にいた魔王は、驚いたように目を見張り──


 瞬間的に、暴挙に出た騎士の体が泥のように溶けた。骨から肉が削げ落ちて、血まみれの塊がぼとりと地面に落ちる。すぐに骨もぼきりと折れて、地面にべしゃりと崩れた体は、瞬きする間にぐずぐずになっていった。


 なにが起こったのか、ずっと見ていた娘さえも理解できなかった。おそらく、溶けた本人もなにが起こったのかわからないまま肉塊になっただろう。

 そんなことに微塵も気をやらず、魔王は慌てた様子で盾の魔人に近づき、血が流れる体を支えた。


「……ッ、無事か……?」

「わが、君……引いて、ください……! ヒトが欲に狂っている……!」


 魔人が貫かれたのは腹部だ。傷は深いだろうが、魔人が死ぬような傷とも思えない。おそらく毒だ。

 同じように魔王も察したのだろう、盾の魔人の体を抱えて、空を飛び立とうと風の魔力を引き寄せる。

 その時、城の城壁から歌が聞こえた。

 それは、戦歌姫の歌だった。ひとりではない。複数人の声だ。幾重にも重なる響きは、魔術的な拘束となって魔王の動きを止めた。


「……どこに……!」


 魔王は明らかに焦っているように見えた。仲間の命を大切にする王らしい。いいな、うらやましい、と娘は思った。

 戦歌姫の姿は見えず、2人の魔人を囲んだ騎士と兵士がじりじりと近寄っていく。

 魔王の表情はさらに怒りに燃えた。


「貴様ら……歌姫を、城壁に沈めたな?」


 壁に埋められた戦歌姫たちが、その命を賭して歌っていた。


 誰を人質にとられているのか。それとも歌い続ける呪いでもかけられているのか。いずれにしても、命を捧げられた「歌」の効果は重い。通常、魔人にはほとんど効力のない歌姫の歌が、魔王の足止めになっているように見えた。


「魔族を殺して、地下帝国を我らのものに」


 誰かが小さく言った声が、あっと言う間に大きな流れになる。


「魔族を殺せ!」

「地下帝国を我らのものに!」

「黄金の国を我らの手に!」


 全方位から槍と剣を向けられた美しい魔人たちは、無言のままだった。


「……わが、きみ……どうか、おしずまり、ください……」

「お前が情けをかけるほどの価値もない」


 魔王の声は美しく、冷え冷えとしていて、声まで夜空の星のようだった。あっという間にひとを飲み込む、森の夜。


「……うつくしいうたは、わるくない、でしょう?」


 魔王の怒りを溶かそうと、盾の魔人は微笑んだ。彼は歌が好きだったのだろうか。それとも、生きたまま土に埋められ、まさに今命を終えようとしている戦歌姫たちに敬意を払ったのか。それは、娘にはわからなかった。


「……そうか」


 魔王は、静かに頷いた。それから、漆黒の瞳を周囲に向ける。ただ、それだけで。


 ひとの肉が、次々に溶けていった。


 悲鳴を上げる時間もなかった。ただ、次々とひとが肉塊に変わっていった。どろどろに溶けて、混じり合って、ただの肉の泥になる。逃げようと動きはじめても、足から溶けた。悲鳴を上げる喉がもげた。背後にいた騎士が息を呑む気配がした。どうやら騎士は無事らしい。無差別に殺戮して回る力を持ちながら、魔王は殺す相手を選んでいるようだ。

 街唯一の石造りの城の、一番眺めのいい美しい場所が、一瞬で、静かに地獄に変わった。


 やがて歌も消えたころ、魔王は魔人の体を抱いて、ゆっくりと宙へと浮かび上がった。漆黒の髪が風にたなびいて、城を焦がす炎の橙が溶ける様はまるで夕闇のようだと思う。

 魔王の漆黒の瞳に、涙が見えた。隠す様子もなくただ静かに雫を流す様子が、流れ星のようだった。どうか、腕の中の男が生き返りますように。


 その美しさに、娘は生まれてはじめて心を打たれた。


 そうか。誰かを喪えば、泣いて惜しむ心が彼にはあるのだ。

 あの、美しい魔王には、ひとが失った心がある。自分が失くした感情を持っている。


 それが、娘には尊く見えた。


「……お嬢さん、我々も行こう」


 背後の騎士が娘の細過ぎる腕を引く。娘はまだ、燃える夜空を舞う至上の王を見つめていた。


 ──あの瞳に映るには、どうしたらいいのだろう。


 あのひとの前に立つには。そうして、あの感情に触れるには、どうしたらいいのだろう。


「……魔王、さま……」


 その日、娘は生まれてはじめて、自ら望んで成し遂げたいことができた。




 ──どうか、わたしが死ぬときに泣いてくださいませ。



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