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黒の魔王と黄金の歌姫   作者: 芝村あおい
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03


 古くて広いばかりの王の食卓。並べられていたのは芋のパンケーキと穀物のサラダだ。王の食事と思えば質素だが、戦時下で物資に余裕がなく、さらに魔族は調理した食物を必要としていないことを考えると十分過ぎる内容だ。


「魔王さま、今日の朝食はいかがでしたか」

「……悪くはない」

「ありがとうございます」


 きれいに平らげられた朝食の皿を見て、娘は魔王に微笑んだ。魔王はこれまで、娘の料理を残すことは一度もしなかった。いつも完食してくれるので大変つくり甲斐がある。

 娘は笑顔で皿を片付け、食後の飲み物を運びながら、気分がほぐれる話題を提示した。


「今日も朝から軍議でらっしゃいますか」

「ああ。……だが、最近人間どもの進軍が妙にもたついている。今までは数と勢いで、無理にこの地下帝国を侵攻していたのに」


 魔王の表情は、どこか明るさが見てとれた。戦の激しさがいくらか和らいでいるのだろう。攻撃的とは言えない魔王が、その状況を喜んでいるのがうれしかった。

 ちなみに、魔族は敵勢力の分析などしない。なので、なぜ人間側の進軍がもたついているのか、興味も持たないので理由など知るはずがない。


「無理はいつまでも続きませんからね。向こうも疲れたのでしょう」

「そうか。確かに、そうかもしれんな……」


 魔王が頷くと、黒く光る長い髪がさらりと揺れる。その姿が絵画のようで、娘は思わず瞳を細めた。


「ならば今のうちに」

「進軍をおすすめになる?」

「兵糧の備蓄といこう」

「………………」


 王の背後に控えていた従者が、整った眉を思い切り上げた。彼の眉間のしわが消えることはこの先もないだろう。


「人間と国交があった時代にもらった苗が形を変えて育っている。いくら魔族や魔物が『調理した食物』が不要でも、糧はいる。本来、今は地下世界の収穫期だ。敵の進軍が緩んだこの隙に、収穫できるものは急ぎ収穫し、植えられるものは植えてしまおう」

「……まあ、さすがは魔王さま。食べ物がなければ、みなさん元気に動けませんものね」


 娘の言葉に、魔王はゆっくりとうなずいた。


「そうだ。王は皆を飢えさせぬよう、死なせぬようにするのが役目。これも私の務めだ」


 魔王はそう言って、娘に笑みを向けた。


「……お前には、それがわかっているのだな」


 娘は、胸を抑えてよろめいた。膝をつかなかったのは奇跡だ。奇跡は目の前にもある。奇跡に溢れる素晴らしい世界だと思った。


「どうした! 具合が悪いのか」

「い、いいえ……あまりに魔王さまのお心が尊くて、その威光に圧倒されておりました……」

「お前の言うことはときどき気持ち悪いな」

「とにかく。……魔王さまの尊いお心が叶いますよう、卑賤の身ながらお祈り申し上げております」


 心拍の上がった体を無理やり深呼吸で落ち着けながら、頭を下げる。頭上の魔王が満足そうに微笑む気配がした。


「……ああ。収穫した芋で、スープでもつくるといい」





/*/


「どうする、娘」


 軍議が終了したのは午後に差し掛かったころだった。魔王への昼食の給仕を終えて、娘は従者と調理場で食事を摂っていた。本日のメニューは猪肉のスープとひら焼きパン、芋のサラダだ。地下帝国では芋が名産らしい。


『はい、本日の魔王さまも大変麗しく、黄金は今世界の安寧を心より願っております。このような時間が永遠に続けばいいのに』

「王は午前の軍議で農地支援策を打ち出したぞ」


 世界を祝ぐ祝詞だったというのに、従者にはもののみごとに無視された。だいぶこの魔人にも娘の毒が回ってきたらしい。猪のスープを食みながら、従者が落ち着きのない声で軍議の内容を語る。


「王が臣民を気にかける姿勢はご立派だ。だが現状、農地を整えるような人員は我が国にはない」

『機密かと思ってこれまでお尋ねしませんでしたが、現在この地下帝国の軍はどれくらい残存しているのでしょう?』

「軍として機能しているのは、私のような高位魔人の血族が4家。それぞれが20名ほどの魔獣の血族を抱えている。その下は下級魔獣になり、主君に命じられたこと以上のことは行えない。あとは本能で動く」

『なかなか、束になった人間の軍隊に勝つには厳しい内容ですね。まあわかってはいましたが』


 魔族は魔人と魔獣に明確に区別される。ひとの見た目をしたものを魔人、ひと以外の姿をしたものを魔獣と呼ぶ。魔族は魔王の似姿である人型になるほど魔力が多く、知性も高い。さらに一握りの魔人が、魔王と並んで遜色のない美しい容姿を形作る。つまり、この従者も相当な高位魔人であることは間違いなかった。

 これほどかわいらしくもチョロい性格をしているのに高位にあるということは、それだけ高い魔力と知性を備えているのだろう。もしくは、魔人にしては知性が高い、というだけか。

 娘はパンを口に運びながら、知られれば目の前の魔人に怒鳴られそうなことを考えた。もっとも、怒鳴られる以上のことはされないと思うので、怖くもなんともないが。


『……ひとつ言わせていただくなら、魔王さまの言うことも誤りではないのです。補給線を確保することは戦の基本ですからね。長引く戦で兵糧が心もとないのは魔族も人間も同じです」

「……そうか」


 従者は王の判断が悪くないとの評価を聞いて、ほっとした表情を見せた。もしや、これまで軍の采配はほとんどこの魔人ひとりで行っていたのだろうか。相談相手がほしかったのかもしれない。

 これでも、一宿一飯の恩を感じる感性は残っている。この魔人がいなければ魔王の侍女になることもなく、城を追い出されて魔獣たちの餌になっていたかもしれない。彼を手伝うのはやぶさかではなかった。

 娘はパンを咀嚼し終えてから、美しい魔人の月光色の瞳を見た。


『なら、あちらも兵糧に困るようにして差し上げればいいのでは?』


 娘の言葉に、従者が視線を上げる。


「……暗殺の次は兵糧攻めか?」

『そうでした、暗殺! うまくいって何よりです』


 魔族は敵勢力に関心を持たない。ただ、彼だけは違う。彼だけは、なぜ人間の軍が侵攻してこないのかを知っていた。


「……お前の姿に似せた魔族の娘を用意するのは骨が折れたぞ。魔族は見目が人間に近くなるほど巨大な力を持つが、そんな高位の魔族に暗殺など不名誉なしごとを依頼するのは面倒だった」

『でも、やってよかったでしょう?』


 そう言うと、従者はまた苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。


「……指揮官が暗殺されたんだから、侵攻が止まるのも当然だろう」

『ええ。ボンクラ皇子がボンクラで、今回ばかりは助かりましたね。あの方、わたしに随分執心しておいででしたから、わたしに似ている若い娘が戦場に現れれば寝所に入り込むのも容易いかと思ったのです。うまくいってなによりでした』


 娘の言葉に、従者はますます美貌を歪めた。うまくいってもいかなくても、彼はこういう顔をするのだろう。


『……不服でらっしゃいますか?』

「……王は、きっとお気に召さない」

『ダメですよ。自分の気持ちを誰かのせいにしては、自分がどこかへ消えてしまいます』


 娘はそう言って、笑った。従者は今度こそ口をつぐんでしまう。その隙に、娘は話題を変えた。


『魔王さまは農地支援に力を入れる。なら、軍の相手は我々がなんとかしましょう。それが従者のお役目というものです』

「……貴様は従者ではないだろう」

『侍女に推薦してくださったじゃありませんか。……魔王さまは、本当にわたしを殺しても解放しても、どうでもいいと思われていたはずなのに』


 どれだけヒトに近い姿をしていても、彼らは魔族だった。人間の倫理観など持ち合わせていないし、人間の情動もわからない。強大な力を持つ彼らは、人間を理解する必要性を感じていない。

 だからこそ、力の弱い人間に戦で負けているのだ。

 他民族に興味がないから情報を得ることもなく、情報収集力が壊滅的に低い。この地下帝国に、諜報活動という概念は存在しなかった。情報が相手に握られていれば、いくら個々の力の差が大きくとも作戦が成功することはないのに。


『兵糧攻め、タイミングとしても悪くありません。地下世界の地図を手配してくださいませんか』

「……わかった。お前の言う通りにしよう」

『ありがとうございます』


 微笑むと、また嫌そうな顔をされた。どうにも、自分の容姿は魔族にはあまり効果はないらしい。これでも人間の世界では絶世の美少女などと言われていたのに。まあ、あの美々たる魔王の傍らにいれば印象が薄くなるのも仕方がないか。


「だが。我が王の名誉のため、ひとつ忠告しておこう」

『あら、なんですか?』


 不敬だと言われるだろうか。こんなに愛を込めて日々の雑事に励んでいるというのに。それもこれも、全てはあの美しい魔王さまのためなのに。

 従者は整った顔を忌々しそうに歪めて、


「我が君は、決してお前のことをどうでもいい、などとは思っていらっしゃらないぞ。どうでもいい人間に世話を任せるほど、御身をないがしろにされる方ではない」

「……………」


 思わず、まじまじと従者を見つめる。魔族はずっと不機嫌そうだ。


「せいぜい、今の待遇を維持してくれ。お前に今去られるのは、王のためにならん」

「……………」


 従者の言うことはわかる。今自分がいなくなれば、あっという間に人間の軍は勢いを取り戻して地下帝国は人間に制圧されるだろう。

 でも、魔王は自分たちがしていることを知らない。自分はただ、清掃や調理、身の回りの世話をする人間でしかない。だから魔王が娘を気にかける理由はないのだ。

 これはきっと、従者のまごころだ。


『……従者さま』

「なんだ」

『……ありがとうございます』


 心から笑みを浮かべると、美しい魔人は黙って調理場から出て行った。







 

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