31 王に
ファルヴァラは、書斎に呼び出したソスランと向き合っていた。
小さな城の、小さな書斎だ。亡き父のころから調度品は変えていない。木でできた背もたれのある椅子、石造りのテーブル、それらを飾る薄い羊毛の織物。無駄のない装飾は、好みというよりそういったことにファルヴァラの興味が薄いだけだ。
来客用の椅子に座ったソスランは、皮の甲冑を脱いで普段着に着替えているものの、青銅の剣を側に置いている。立場上、まだ彼は自国の軍司令官であり、武装についてファルヴァラが抗議できる立場にはなかった。
もっとも、心理的な立場はその限りではない。
「それで、お前は私を殺すつもりだったのか?」
「…………」
あいさつも建前も吹っ飛ばしたファルヴァラの言葉に、ソスランは思い切り眉をしかめた。けれど、なにも言わない。ファルヴァラは浅く息を吐き出した。
「お前が『豊かの国』に使者を送っているのは知っている。こちらも辺境の都ゆえ、密偵を送っているからな。あちらの兵をこの都にけしかけるつもりだったんじゃないか?」
「なにか根拠でもあるのか?」
「お前ならそうすると思ってな」
「………………」
ソスランはまた口を閉ざした。きっと間違ってはいないのだろう。
「……別に、お前を殺すつもりなんてなかった」
「なるほど。死んだらそれまで、と割り切っていた、と」
「これから国相手に戦おっぱじめようって時に、割り切れないほどガキじゃない」
「……そうだな」
ファルヴァラはソスランを見た。精悍ではあるが、記憶より肌艶も悪くなり、目元の皺に加齢を感じる。お互いさまだが。
けれど、しかめ面を浮かべるソスランは実年齢より若く見える。
「……お前こそ、説得したところで絶対に折れないと思っていたぞ。どういうつもりだ?」
「そうだな。お前が王都で方々に色気を出していたころは、どんな話も聞く気はなかった」
実際に、ソスランからは何度か文が届いていた。全て無視していたので、ある日突然城に乗り込まれて殺されても文句は言えないような状況だった。もちろん、当時は全力で抵抗するつもりだったが。
「心変わりの理由はなんだ。あの娘の説得に、心動かされる要素があったとは思えんのだが」
「世話した子どもなんだろう。辛辣だな」
「あれは……付き合えばわかる」
よくわからない返答が返ってきたが、今の話にあの美しい娘は重要ではない。
「……土地が、痩せてきている。この都だけではない。国全体がだ。戦ばかりで、耕す者が極端に減ったからだ」
ファルヴァラは目を閉じた。脳裏に浮かぶのは収める土地の痩せた姿だ。王都よりマシとは言っても、決して豊かではない。
かつて魔人や獣人とともに世話をした果樹園は実りが減り、田畑も男手が足りずに手入れがおぼつかず、商品がないので商人の往来もすっかり減ってしまった。
長く続く戦が、決して国に必要のないものだと、ずっと前からわかっていた。
それなのに、ファルヴァラは王家に従い続けた。王に苦言を呈するほど家格が高くなかった。けれど、命をかけて忠告する道もあったはずだ。それこそが、ファルヴァラが目指していた貴族の姿だとも思う。
一方で、ファルヴァラには子がいなかった。自分がいなくなれば、このぎりぎりのところで踏ん張っている都が、あっという間に崩れるのが簡単に想像できた。
「……お前は昔、言っていたな。『己の主は民である』と」
「ああ」
「青臭いな」
ファルヴァラが笑うので、ソスランは口元への字に曲げた。照れくさいらしい。ファルヴァラはその顔を見て笑った。笑ったのは久々だった。それから表情を引き締めて、目の前の男を見つめる。
「……王になれ。お前なら、私の民も、国民も生かすことができるだろう」
ソスランは、微妙な表情を浮かべた。仕方がないような、納得し難いようなはっきりしない表情だった。
「……お前が大事にしていた、貴族の誇りはいいのか? 王家に仕えるのが貴族の役目なんだろう?」
「……私の誇りと領民の命、比べるまでもないだろう」
それは、あの哀れで美しい娘が語ったことだった。
戦をするなら、その志しに賛同する者とともに。
今、王家のやり方に賛同する領民がいるだろうか。それが全てだった。
「そうか……」
「まあ、お前に膝を折るのは複雑な気分になるが」
「そうかい、そうかい」
「……お前はいつも、私の顔色を伺っていたからな」
そう言うと、ソスランは驚いたように目を見開いて、それから気まずそうに視線を逸らした。
「……俺と対等に話すのは、お前しかいなかった」
「お前、学生時代は案外友人が少なかったからな」
「うるさい」
ソスランは騎士や領主を育てる学舎にいた。高位神職の直系男子とは言っても三男坊に価値はさほどない。おまけに見目の良い成績優秀な変わり者とくれば、あえて交流したいと思う者は少なかった。ファルヴァラ自身、あまり親密だったわけではないと思う。
「なあ、ファルヴァラ。……あの時、言えなかったことを、ここで言ってもいいか?」
あの時。
それは、学生時代の別れ際に、濃茶の髪の少年が言いかけたなにか。
聞き出したかったのに、あの時の自分ではうまくできなかった。
ファルヴァラが戸惑っていると、ソスランは居住まいを正して改めてファルヴァラと向き直る。
活力に満ちた青い瞳は、真っ直ぐにファルヴァラを見ていた。ファルヴァラは自分から話しかける。
「……僕に、なにか手伝ってほしいことが、あるのか?」
「──俺を、王にしてくれないか?」
──あの時から、この男は、こんな先を見通していた。
こんな未来を片隅に見ながら、ずっと息を潜んでいたのか。ずっと、ずっと。
そんな男が、今、自分を頼っていた。
一瞬、体と目頭が熱くなった。この、歳下の出来過ぎた男が、ついに自分を頼ったのだ!
万感の思いと同時に、自分の無力を呪った。
結局のところ自分は、この男に託す以外の選択肢がない。詰んでいるのだ。もはや頼るのがないのはこちらの方だ。
それでもこの男は、自分を頼ろうとしてくれていた。
ファルヴァラは一度、大きく呼吸した。そして、青い目を真っ直ぐに見つめ返す。
「……お前が、この先も王たることを誓うなら」
ソスランは、笑った。もうずっと前に、覚悟を決めていたのだろう。そうでなければ、これほど晴れやかには笑えないはずだ。
この崩れかけた国と病んだひとびとのために命をかける、覚悟を。
「……お前が、王になれ」
だから、ファルヴァラも覚悟を決めた。この男に傅く覚悟。この男に託す覚悟。──この先、友人にはなれない覚悟。なにもかもをこの男に背負わせて、それを見過ごす覚悟を。
王に代わりはいない。
代わった時こそが、その王が「王」としての役割を終える時。
今の王がそうであるように。
「……お前にそれを言わせるのに、ずいぶん時間がかかったな」
「それはこっちのセリフだ」
「お前がその気になれば私をどうとでも説得できたのではないか?」
「お前、俺のこと買い被りすぎだぞ。俺は頭でっかちの騎士だ。……アイツに会ってから、つくづくそう思う」
「なにを……」
「黄金は、『この世で最も価値あるもの』だ」
唐突に、ソスランはそんなことを言った。ファルヴァラは首を捻る。
「黄金……あの娘のことか? 確かに、目を見張るような美しさではあったが」
「アイツの価値はそこにはない。そんなわかりやすいモノじゃない」
ソスランは一瞬、ここがどこかも忘れたように、熱を帯びた視線になった。
「アイツは性根がねじくれている。……だから、誰も思いつかないことをする」
ソスランの声に、ファルヴァラは息を呑んだ。外面は朗らかに見えて、内面は冷静な男である。その男が、目の色を変えてひとりの歌姫を讃えていた。
「あれは、ただのひとが至れない場所に最初から立っている──」
ファルヴァラは、ソスランの様子が不快だった。
それは、ファルヴァラにとってのソスランだった。間違っても、あのような派手な容姿の娘ではない。
「……お前があの娘にのめり込んでいるのは理解した」
「今そういう話じゃなかっただろ!」
「地下帝国の捕虜になったというじゃないか。嫁に迎えるには障害が多いな」
「だから今そういう話じゃなかっただろ!」
「なんだ、そういうつもりじゃないのか」
問うと、ソスランは渋面をつくった。どうやら複雑な関係らしい。それこそ知ったことではない。
「私が王に望むことはただひとつ。私の領民が飢えることにない治世だ」
「前から思ってたんだが、お前個人の望みはいいのか?」
「もう叶った」
「は?」
「ところで、お前本当にあの娘は……」
「ご歓談中失礼します!」
声はファルヴァラの部下のものだ。切羽詰まった様子に、ソスランの瞳が鋭く光る。
「入れ。お前は城門の門番だったな?」
「はい! 今しがた、王都から……!」
「文か? 使者か?」
いずれにしても、どんな要件か。また、ソスランやその軍をどのように伝えるか、知恵を捻らなければ──
「王が崩御されました! その旨、王太子殿下が直接伝えるべくご来訪されました!」
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