02
地下帝国と地上をつなぐ広大な一本道を「冥道」と言う。
冥道は深い森に包まれている。地下帝国はその名の通り地下なので、空がなく星もない。灯りは岩や木々に張り付いている光苔がわずかに発光しているだけだ。時刻は夜半だが、この国はずっとこんな風に薄暗い。
ランタンの灯りだけがうっすらと光る小さなテントの中で、中年の騎士が、ひそやかな声で部下に尋ねた。
「……これが、黄金か?」
「はい。顔の半分が焼かれていますが、地下帝国に人間の女は戦歌姫たち以外におりませんので、おそらく間違いないかと」
騎士の視線の先には、藁に横たえられた女の遺体があった。ざんばらに切られた金色の髪はくすんで、白かったはずの肌も焼き爛れている。下腹部を中心に炭化が激しいので、まあ、そういうことなのだろう。吐き気がする。実際に、連れてきた年若い従卒は一目見てテントの外で吐いていた。
「そして、これが死体のそばにあった従軍テントに遺されていた手記です。こちらは間違いなく、黄金さまの筆跡でした」
差し出された紙のノートをめくる。貴族の令嬢が書いたような、見事な筆致。確かに記憶にある筆跡だった。
「……自分は……恥ずかしながら、このような非道な行いが自軍で行われていたとは、全く気付かず……黄金さまには幾度も命を救われていたのに、お救いすることもできず……こんな……!」
部下はついに悔恨に落涙した。ノートには、今回の出兵を指揮する王弟の息子とその取り巻きに、性的虐待を加えられていたことが切々と綴られていた。
そして、魔王軍から命からがら逃げ出して、内密に殿下たちに保護されたところで日記は終わっている。
「ふぅむ……」
騎士は伸びはじめた顎ひげをなでて、小さく唸ってからノートを懐にしまった。
「公にはできぬ故、これは私が預かろう」
「騎士長殿! いくら王族とはいえ、糾弾なさらないのですか? 出兵にも反対されていた貴方なら、と思ってご報告差し上げたのです!」
「ああ。感謝する。……悪いようにはせんよ」
そう言って、騎士長と呼ばれた男はさっとテントを出た。
「まだ吐いてるのか?」
「い、いえ! もう大丈夫です!」
青い顔をしながら顔を上げた従卒を連れて、自分のテントへ向かう。従卒も部下と同じような内容を繰り返した。
「黄金さまは、あのような最期を遂げていい方ではありません! 7年間、つねに最前線の戦場で歌い続けた功績は、どの戦歌姫も及びません。殿下たちの慰み者になって……あ、あんな死に方、あんまりです……! きっと殿下たちの仕業です!」
そこで騎士は改めて従卒を見て、口角を上げた。
「──なるほど」
「? なにがなるほど、なんですか?」
小首をかしげる従卒を見て、騎士長は満足そうに頷いた。
「なに。……相変わらず、悪どい知恵が回りよる、とな」
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「ええっ、人間の娘が城に留まるのですか?」
兎頭人体の魔族の娘が、悲鳴のような声を上げた。甲高い声に、メイド長の犬頭の魔族は思わず眉をしかめた。
「声が大きい。魔王さまや従者さまに聞こえたら失礼でしょう?」
「し、失礼しました。でも……その人間って、先日魔王さまが連れてきた方でしょう?」
兎頭は、彼女のことを知っていた。戦に出た親族が戦場の歌歌いについて話してくれたことがあったのだ。
人間の中には、魔族が嫌がる声や魔力を持った者が生まれることがある。女は戦に出ないのに、彼女たちは戦場で歌って、人間の将を護っていた。それなのに、あの『黄金』は違う。将ではなく、騎士や兵を護る。いつも戦場の最前線にいて、その中でもとびきり危険な場所で歌うらしい。
あれは化け物だよ。
そう言った親戚は、まるで幽鬼を見たような顔をしていた。
それから兎頭は、その噂の娘をすっかり忘れていたけれど、昨日偶然、城の中で顔を見たらすぐに思い至った。
魔人のように美しい人間だったから。
『宵闇の君』と並んでも違和感がなかった。高位の魔人と紹介されれば、疑わなかっただろう。人間の中にいたら、魔族もヒトも、きっと忘れられないに違いない。
「……今は人間と戦争しているのに、どうして殺さないのでしょう?」
「魔王さまは無益な殺生を好まれないからね。きっとヒトにも情けをかけていらっしゃるのでしょう」
「でも、たくさん仲間が殺されているのに……」
「無益な殺生はなされないけど、報復をされない方でもないわ。だから戦になっているんでしょう?」
メイド長は、兎頭に噛んで含ませるように話した。兎頭はまだ若く、80年ほどしか経験を積んでいなかった。
「魔王さまや宵闇さまがお決めになったことよ。それに、魔王さまのお世話もされるらしいわ」
「なんでそんなことに……」
「もし悪い人間でも、魔王さまなら相手にもならない、ということでしょう」
魔王は王だ。王はこの世の誰よりも強い。だから、人間がなにを企てても問題ない。そういうことらしかった。
「だから、メイドたちはそのヒトと関わる機会があると思うの。これから挨拶に来るそうだから、気をしっかり持つのよ」
「はい! ……あの、なぜあたしだけ呼び出されて、そんな話を?」
「アナタがメイドの中で一番臆病で心配だからよ」
メイド長の言った通り、ほどなく使用人用食堂に、メイド服を着た人間の娘と月光の瞳を持った『宵闇の君』が現れた。
「娘、お前は声を出すな。この者たちを害する恐れがある」
宵闇の君がそう言うのを、娘は素直にうなずいた。意外だった。人間なので、もっと高慢なのかと思っていた。とても素直そうだった。
それに、美しい。
改めて見ると、金の髪は黄金を溶かした糸のようだったし、瞳は翡翠のように鮮やかな碧に輝いている。肌は真珠か絹糸のようにやわらかく光っているように見えたし、目は大きく鼻は小さく高かった。唇も柔らかそうで、紅もさしていないのに果実のように色付いている。
もしかすると、魔王さまと並んでも霞まないかもしれない。
魔族は美の基準を魔王に置くところがあるが、それでもこの娘は文句なしに美しかった。
兎頭は聴くことがないかもしれないが、きっと声も可憐で美しいのだろう。
娘は、その彫刻めいた美貌に柔らかな笑みを浮かべて、ゆっくりと膝を曲げて礼の形を取った。歌うたいらしく、貴人の前で行うていねいな挨拶だった。
美しい形のモノは、力あるモノである。
そういう価値観のある魔族に、兎頭はもちろん、食堂にそろっていたメイドや侍従たちは、この人間の娘に対して、錯覚を起こした。
この娘は、力ある『何か』である、と。
美しいものは強いから。強いものには従うのが、地下帝国の摂理だから。だから皆、無意識に頭を下げた。
「黄金さま。どうぞ、よろしくお願いいたします」
黄金さまは、それを──当然のもののように受け止めて微笑んだ。隣にいた宵闇の君が、苦々しげな表情を浮かべる。
多くのメイドや侍従が、美しいヒトに視線を奪われていた。けれど兎頭は、力あるモノへの心酔と同じくらい不安も抱いていた。
「あの……宵闇の君、発言をお許しいただけますか?」
兎頭の発言に、メイド長がぎょっとした表情を浮かべた。メイドの身分で魔人の王に話しかけるのは礼を欠いた行為だった。しかし兎頭の中では礼儀以上に重要なことなのだ。本能でこの人間に従ってしまう自分が怖かった。
「許す」
「黄金さまは、ずっと城にいるのでしょうか?」
「……少なくとも、戦が終わるまではここで拘束する」
「黄金さまが突然歌を歌うことはないんでしょうか? それを聴いて、死んでしまったりは?」
兎頭の長い耳が、不安でしゅんとうなだれた。それを見て、宵闇の君はどう思ったのか、珍しく微笑みを浮かべる。
「死ぬことはない。少なくとも、この者の歌で同胞が傷ついたことはない。だからこそ、王は自由をお認めになった」
その答えを聞いて、兎頭はようやく震えを止めた。再び娘を見て、その好奇心に溢れた翡翠の瞳にまた体をぷるぷると震わせる。
美しいヒト。力あるヒト。兎頭は王と宵闇の魔人、かつて城に控えていた料理長以外に、高位の魔人と会ったことがなかったので、得体の知れない彼女が恐ろしかった。
黄金の娘は、そんな兎頭を見て、なにを思ったのか。こともあろうに宵闇の君の袖を引いて、屈め、と催促した。さらに驚くべきことに、宵闇の君は嫌な顔をしながら膝を下げる。
『従者さま、魔族や魔物の方々というのは、皆さまあのようにお可愛らしい方ばかりなのですか?』
兎頭の耳は長く、それだけ声もよく聴こえた。声に魔力が籠る娘と聞いていたが、なぜかその小声に不快感は感じなかった。
「……その声、繊細な技術だから日常的には使えないのではなかったのか?」
『重要な話ですもの』
「すでにしょうもない話に聞こえるが」
『従者さまもお可愛らしいですよ?』
「殺すぞ。……まあ、魔族の多くがあの娘のように獣頭人体の姿をしているのは事実だ。交戦的な気質の種族もいれば、臆病な平和主義の種族もいる。今は戦時中だから、城に残った家令たちは皆、戦には向かない気質や能力を持った者ばかりだ」
『まあ……では本当にあのようなお可愛らしい方ばかり? わたし、断然魔族派になってしまいました! 魔王さまと従者さまのほかは正直どうでもいいと思っていましたが、心を入れ替えます!』
なんだかよくわからないが、美しいヒトに無邪気にかわいいと言われるのは悪い気分はしない。思わず照れていると、突然宵闇の君に声をかけられた。
「兎頭のメイド、お前の呼び名は?」
「はい。『星屑の部屋の世話係』です」
「星屑。お前がこの娘に城の決まりを教えてやれ」
「ふぇっ⁈」
驚いて赤い目をまあるくしてしまう。こんな恐ろしいヒトのそばに侍るというの?
「そ……その……私はまだ世話係なので……城のお客さまをお相手するのは荷が重いです……」
「客ではない。捕虜だ。……やっかいな捕虜で、不安に思うのは妥当な判断だ。すまない。だが、目を離すな。それだけ守ればいい」
「──かしこまりました」
低い職位の者が上位の者に意見するのは、大変な胆力がいる。決死の告訴だったが、あえなく却下されてしまった。それに、貴人に謝罪までさせてしまった。あとでメイド長にこっぴどっく怒られるに違いない。
「黄金。お前は皆の前で声を使うな。脱走したらその場で殺す」
『まあ、まだ信用がないのですね』
「お前のどこに信用に足る要素がある?」
黄金さまは小首を傾げて、少し考え込む仕草をした。けれど困っている様子はなく、面白そうに翡翠の瞳の輝きが増していく。
『でしたら、もう少しだけ、信頼していただけるお仕事をしましょうか』
「わぁ……あ!」
午前中の清掃を経て、調理場は新品のように美しくなった。星屑の長い耳も喜びにぴんと跳ねる。ヒトの娘は、こちらを柔らかい笑顔で見つめて、浅くうなずいた。一緒に掃除をして、お互い服は煤だらけなのに、なぜか娘は美しかった。きっとどんな姿をしていても、この娘は美しいのだろう。
「料理長はとても腕の良い方だったんですが、5年前に戦争でお亡くなりになって……それ以来、この調理場に立つひとはほとんどいなかったので、知らずに随分汚れていたんですね。黄金さまは昨日調理場に立ったとうかがいましたから、その時に気になられたのですか?」
黄金の娘はこくり、と穏やかに首を縦に振った。やさしそうな微笑みを浮かべていて、なんだかさっきまで怯えていた自分が馬鹿らしく思えてしまう。
「なんだか、勝手に怖がっていてごめんなさい。私、一族のなかでも特別臆病で、戦場に出たことがないんです。戦場での話を聞くだけで怖くって……だから、戦場で活躍している人間のあなたが怖かったんです。でも、よく考えれば、歌を歌うだけでそんなに怖いことってないですよね。これから長いお付き合いになりそうですから、仲良くしていただけますか?」
素直に謝罪すると、ヒトの娘は糖蜜のような甘い笑みを浮かべて、そっと手のひらを握ってくる。このヒトの手は細くて柔らかくて、牙や爪で簡単に傷ついてしまいそうだ。どうしてこんなにか弱い命に怯えていたんだろう。むしろ、こちらが守って差し上げないといけないのでは? なんと言っても、我が君が自由をお許しになった方なのだし。
「あの! なにか困ったことがあったら言ってくださいね! あ、声は出してはいけないんでしたね。でも、教えてください。あなたは城の新しい住人なのですから」
娘は、それはそれはうれしそうに笑って、こちらをぎゅっと抱きしめてきた。なんだか、不思議な気持ちになってくる。
それから娘は、食材と調理場を指差した。この娘は我が君の食事当番をすることになったと聞いていた。
「ああ、確かにそろそろ、魔王さまの昼食のお時間ですね。私はこのように有毛種なのでお手伝いはできませんが、調理や給仕以外に手伝えることがあったら言ってください」
そう言ったのだが、娘は首を横に振る。それから、もう一度、食材と、そしてこちらを指差す。
「えっと……もしかして、食べるか、と訊かれているのでしょうか?」
星屑が戸惑ったように言うと、黄金さまは大きく頷いた。
「いえ! そんな、我が君と同じメニューなんて……あ、まかないですか? そうですね、それなら……あの、ほかのメイドや門番の分もありますか? 料理長がいなくなってから、調理した食べ物って珍しいんです。ですから……」
娘は再び、甘い笑みを浮かべて、もちろん、という意味で大きく頷いた。
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「……なんだ、城が賑やかだな」
昼食を終えて、午後の政務に向かう途中で、魔王が従者に問いかけた。場内に残る臣下の数は少ないが、どこか浮き足だった気配を感じる。
「は。……あの娘が、まかないを城内の者に配っているようです」
「ふむ」
今日のメニューはチキンソテーだった。かつての料理長の腕とは比べるべくもないが、それでも戦時中で物資不足のなか、わずかな食材で上等な味を出していたと思う。
魔物や魔族は調理した食事を必要としないが、だからこそ火を使い、色合いまで考えられた食事は娯楽に等しかった。娘は戦時下で我慢の長かった臣下たちに、極上の娯楽を提供したことになる。
「……拾い物にしては、役立っているようだな」
「………………」
従者は、なぜか苦虫を噛み潰したような顔をした。なぜだ?
「お前はあの娘を城に置くのに反対か?」
「……………いえ」
また、押し殺したような声で応える。
「なんだ。意見があるなら率直に言え」
「………………あの娘は、魔王さまはもちろん、魔族たちへの害意もなく、城に留めても問題ないように判断します。声の件もありますので、正式に料理人兼王の側付きとするのがよろしいでしょう」
ものすごく不服そうなのに、そんなことを言う。明らかに挙動不審だった。
「お前、どうした? あの娘に弱みでも握られたか?」
「……いえ、そのようなことは……」
「変なやつだな」
たかが人間の娘がひとり迷い込んだところで、なにが変わるものでもないだろう。こちらとしては、あの娘が人間の軍に戻らなければそれでいい。まして、つくる食事に文句もないのだ。城の臣下ともうまくやれているというのであれば、なんの問題もない。
「私の側付きにしたければするといい」
「……やはり……あの娘は、魔王さまに不埒な発言をするのでやめておきます!」
「なんだ、それは。確かに気持ち悪いが」
「気持ち悪い女を我が君に近付けようとした私が愚かでした!」
「だが、お前は熟考した上でこの話を口にしたのではないのか? お前がなにも考えずに私に進言することはなかろう」
従者は気まずそうに眉根を寄せた。おそらく、この件もなんらかの意図があってのことなのだろう。
「お前を信じている。良きようにはからえ」
「……は」
従者は、最後まで渋面を浮かべていた。
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「おい、娘」
『あら、従者さま』
娘は寝支度の途中だったらしい。娘に与えた部屋は使用人部屋だが、本来は3人部屋の間取りを1人で使わせている。魔を祓う娘と、ほかの魔族の使用人と同室にさせるわけにはいかなかった。
それなりの広さがある部屋で、娘は端っこに設置したドレッサーの前で金糸の髪を梳いていた。真っ白い寝巻きは、人間と交流していたころに献上された上等の絹織物でできている。王はこういったものに興味がないので、不要なものを娘に与えているに過ぎない。
『いけませんよ。人間だろうと魔族であろうと、深夜になってから異性の部屋を訪れるなんてマナー違反です』
涼しい顔をしてそんなことを言う。魔を祓う力のない声を選んで使っているところから、自分がやって来ることを見越していたに違いない。こんな怪しい小娘に対して、そんな類のマナーを気にする魔族がいるはずがないだろう。
「そんなことより、お前、城の者を食べ物で懐柔して一体なにを企んでいる?」
従者の問いに、娘はわざとらしく目を見開いて見せる。
『まあ、懐柔だなんて人聞きが悪い。これからお世話になる方々に、お近づきのしるしとして食事を振るまっただけです。まかないですから、さほど豪勢な内容でもありません。これが原因で物資不足に陥る、なんてこともないと思いますよ?』
「本音は?」
『あんなに純真無垢な存在がいるだけで心が洗われます。わりと本気で気に入ったので、懐に入れてしまいたいな、と』
「会話を禁じたのは悪手だったな」
この娘、外面が良すぎる。まして、この娘が言うように、魔族や魔物は人間に比べると裏表がない。駆け引きというものを基本的にしない。上位魔族であれはさすがにそういうこともないが、それは種族全体で見ても一握りの存在だった。大半が、戦闘員か非戦闘員かの違いがあるだけで、思考回路は同じだ。純真無垢で疑うことを知らない。
これが、圧倒的な力を持ちながら人間との戦に負け続けている大きな要因だ。
『……主人が美しいと、臣下の心根まで美しくなるのでしょうか。本当に、魔族の皆さんが羨ましいです』
その声が、存外本音の響きを感じて、従者を片眉を上げた。だめだ。手記を読んだことで同情的になっている。思えば、それすらこの娘の知略かもしれなかった。
「とにかく、あまり目立つことをするな。この城の者は基本的に穏やかな性質のものが選ばれているが、人間嫌いの魔族もいる。お前の口先など聞く間もなく爪で裂かれるぞ」
『ご心配、ありがとうございます。ほどほどにしておきましょう。
──では、ここからはしごとのお話です』
娘が鮮やかに笑うので、従者は嫌な予感に打ちのめされた。
「……なんだ、突然」
『突然ではありません。昼間に申し上げたでしょう? 信頼していただけるおしごとをお見せします、と』
「……厨房の清掃や臣下の掌握ではなかったのか?」
『それのどこが従者さまにとっての「信頼をいただけるしごと」になるのです? ──従者さまは、そんな成果を期待してわたしを城に残すことにしたわけではないでしょう』
それは、その通りだった。この娘を残したのは、たとえわずかでも人間側の情報があれば、この地下帝国を少しでも長く生きながらえさせることができるかもしれないと考えたからだ。
たとえ、勝ち目がなくとも。
『わたしとしても、魔王さまとともに過ごす生活を守るために魔族軍には頑張っていただかなくては困ります。ですから、奮発して耳寄り情報をお渡ししましょう』
娘は立ち上がって従者の側に近寄り、囁くように顔を近づけてくる。
『──人間軍の指揮官を、暗殺なさいませ』
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冥道の一角に人間の軍がテントを張って滞在して、早1週間が経とうとしていた。
「知らん。去れ」
わずかな言葉だけで、皇子は騎士長の退出を促した。騎士長は、首を垂れて膝をついたまま動かず、言葉を重ねる。
「──黄金さまが敵軍に拉致されてから、一度もお会いになっていない、ということでよろしいですか?」
「そう言っている。……惜しい女だったが、敵軍に囚われるなどと失態を犯した戦歌姫に、命はない。例え戻ってきても極刑だ」
「そのような軍規はございません」
「魔族どもの種を持ったかもしれん女など、殺してやるのが慈悲だ」
地下帝国の住人は魔族と魔物だが、法もルールも倫理もある。ましてかの戦歌姫は魔王自ら連れ去ったと聞く。捕虜になっている可能性は十分にあるはずだった。おそらく、発言者にこそそんな倫理観がないのだろう。
「……本当に、黄金さまにはお会いしておられませんか?」
「くどい。去らぬならお前とてここで首を斬る」
騎士長はようやく立ち上がって、一礼してから黙ってテントを出た。入れ違いに、見事な金髪を背中に流した美女がテントに入っていく。
「……見ない顔だったな」
「……つい先日、補給部隊の先ぶれとともに来ていた戦歌姫だそうです。……黄金さまに似ておられるとの噂で、昨日から皇子殿下のおそば付きだそうです。……戦時中、敵地で一体なにをしているのか……ッ!」
侍従が整った顔を歪めて小さく吐き捨てる。とくに咎めず、肩を叩いて自陣へ移動した。騎士長の陣は、軍の最前線だった。
「皇子のあの話ぶりは、本当に黄金さまを……」
「滅多なことをこんなところで口に出すな」
「はい。申し訳ありません……ですが……」
まだ歳若い従卒は、心底悔しそうに拳を握りしめる。心根の真っ直ぐな男だ。長生きできないだろう。
「……だが、とくに証拠があるわけでもない。あっても王族だ。たかが戦歌姫の焼死体、事実ごと握りつぶされて終わりだろう」
「はい……。しかし、このままでは軍の士気にも関わります。事実、皇子の疑惑に現場部隊は動揺し、指揮系統が乱れているとのことです」
「…………」
騎士長は、無精髭が生えたあごを何度かなでた。
──笑みが込み上げてくるのを、精一杯こらえる。
「……なに。そのうち、ご自分がなにをしていたのか、ご理解なされるだろう。そういう星周りの方だ」
「は?」
──あるいは、自分がなにをされたのかもわからないまま、その命を終えることになるのだろう。
「……ありがたく、塩を受け取っておくぞ。性悪娘」