26 光届かぬ夢の底
『さて、月光さま。もうひとしごとです!』
床に入ろうと寝巻きに着替えていたら、黄金がそんなことを言い出した。
「……さすがにアンタのお守りで疲れたんだけど?」
『大丈夫です。ここからは肉体労働ではありません。ちょっぴり、月光さまにとある方へ夢を見せていただきたいのです』
「誰よ?」
『領主さまです』
月光は柳眉を跳ね上げた。
「領主とは話がついたんじゃなかった?」
『感傷には浸っていただきましたが、明日、冷静になって「もう少し考えたい」とか言い出さないとも限りません。明後日くらいにはなにがあってもソスランさまが乗り込んでくるでしょうから、その間に心を決めていただかないと』
「いただかないと?」
月光が重ねて尋ね返すと、黄金は気まずそうに視線を逸らした。
『……わたしが皆さまに叱られます……』
「へえ? 一応叱られることしたって自覚はあるんだ? ちなみに、宵闇にはもう報告してるからね」
『……従者さまは、なんと?』
「別に? そのまま護衛を続けていろってアタシへの指示だけ」
『ふ、ふぅん? そうなんですね?』
わずかに声が上擦っている。なんだかとても珍しいものを見た気がして、月光はにやにやと嫌らしい笑みを浮かべた。
「ねえ、アンタ宵闇のコト好きなんでしょ?」
黄金は平然と首を傾げるだけだった。こういった話題のかわし方を心得ているのだろう。つまり、深刻に受け止めずに過剰に反応しない、ということだ。
『それは、あれだけ可愛らしい方なのです。好きでない方のほうが少ないでしょう?』
「まぁね。アタシの自慢の弟分よ。でもそういう意味じゃないわ。……そうね。訊ね方を変えましょう。魔王さまの閨に2度も入って、なぜ通じなかったの?」
月光の問いに、黄金はとたんに白い頬を赤くして、黒くなった髪の先を弄りはじめる。弟よ、残念だったな。今ので答えは得た気がした。
『そ、それは……その……畏れ多くて……き、緊張、しまして……』
「はあ? アンタが?」
『……魔王さまにも、生娘か、と……』
「あっはっはっは!」
この傾国の美貌をもって、何人もの男を虜にしては命をつないできた、生き汚い人間の小娘が! 生娘呼ばわり! さすがは我らが魔王だ!
『……笑い過ぎでは……?』
「あはは……でも、そうね。アンタが本気なら、羞恥なんて感じることもなかったんじゃない?」
『魔王さまへの愛は本物ですが?』
「敬愛とか親愛とか、そういう意味なら疑ってないわ。でも、性愛とか、恋慕とか、そういう愛をアンタは魔王さまに感じてるの?」
『──わたしの望みは、わたしが死ぬとき、魔王さまに泣いていただくことです』
月光は、意外に思って目を見開いた。もっと聞き出すのに手間がかかるかと思っていたら、あっさりと答えられてしまった。
『わたしには……それだけで、十分なのです』
黄金は、白魚のような手を胸の前であわせて、瞳を閉じた。宝石のような翡翠が閉じられたというのに、美しさは増したように感じられる。
『……そして、地下帝国へ来てから、泣いてくださる方がたくさんできました。これ以上は、なにも望みません』
「……なるほど」
──世紀の死にたがりだ。
勝手に満足して命をかけるヤツ。今回も、もしかすると本当にどこで失敗して命を落としてもよかったのかもしれない。
なにせこの娘は、一番欲しかったものをもう手に入れてしまったのだ。この娘が死ねば、あのお人好しどもは必ず泣くというのに。
「……ただでさえ人間は早死にするんだから、命は大事にしなさいよ」
『でも、命は使ってこそ意味があるでしょう?』
「泣かれる相手がいるんだったらね、相手を泣かせないようにするのが甲斐性ってモンでしょ」
月光の言葉に、黄金は翡翠の瞳をまたたかせた。考えたこともない、という表情だ。
『……なるほど』
「大体、アンタ自分以外の誰かが魔王さまや宵闇泣かせたら、どうするのよ?」
『自ら死にたくなるような状況に追い込んで、気が狂うまで生かします』
「怖い! ……まあ、アンタがほいほい命を捨てようとするってコトは、アタシがそういう気持ちになるってコトよ。忘れないで」
『……はい。肝に銘じます』
黄金が大人しくうなずいたので、月光はひとまず今はこれでいい、と思う。
個人の恋愛云々なんて遠い場所に置いてきた娘なのだと、よくわかった。
「それじゃ、領主サマの夢に細工でもしましょうか」
『あの、自分でお願いしておいてなんなのですが、夢魔の皆さんはどんな仕組みで夢を渡っておられるのですか? そういった魔術が?』
「夢を渡るのは、魔術ではないわ。これは夢魔だけが使える技よ」
『それは魔術とは違うのですか?』
「魔術っていうのは、『理』から正しく力を貸してもらうための儀式みたいなモノよ。『音・拍・形・色』を媒介に、自分の魔力を流して、『理』の力の方向性や威力を定める。
夢魔が夢を渡るのは……そうね。鳥が自分の羽で空を飛ぶのに似ているわ。アタシたち夢魔は、ヒトの夢……とか言われてるけど、まあ眠っている時に記憶や情報を整理しようとする時の熱量が一番のご馳走なの。基本的には、それを食べるために夢の中に入る。相手を眠らせたり、こちらで夢の方向性を定めたりっていうのは、その派生ね」
今の説明でどこまで理解できたのか自信はなかったが、黄金はなるほど、と何度かうなずいた。
『どうして夢魔は夢を食べるのでしょう?』
「さぁね? 魔王さまに尋ねたこともあるけど、あのひとも大概いい加減だから……『夢がどこにつながっているのか興味があって』とか言ってたわ」
『……興味深いですね』
この娘の頭の中では、なにかが考えられているのかもしれないが、月光には興味がない。どうせ小難しいことを考えているのだ。おそらくこの娘は、単純にそういった思考実験が好きなのだろう。
「領主さまにはどんな夢を見せればいいの?」
『お若いころ、ソスランさまと競った時期があったとか。その時期にいたしましょう』
「過去の夢なら難しくないわ。ここからでもできるでしょ」
月光は部屋の中央で地べたに座り、意識を集中させる。領主の魔力を捉えて、その方角に向かって意識を飛ばした。相手の意識を一方向に向かうように誘導して、固定。
これは本来、魔術でも再現可能だ。戦歌姫の『歌の魔術』を、一人にだけ集中して使うようなもの。もっとも、夢魔に関してはこれを『理』を媒介せずに行う。『理』の力を使ったものは全て魔術だ。
「──はい、もういいわ」
『もう? なんだかずいぶんあっさりしてるんですねぇ』
「魔術じゃないからね。側から見てても面白いものじゃないわ。夢は入ってみるのが一番面白いのよ?」
月光は笑いながらそう言って、黄金の腕を引いてベッドの上に押し倒す。翡翠の瞳が驚いて丸くなるのが興味深かった。
『……お腹が空かれました?』
「アンタみたいな貧弱なコから夢を食べたら、アンタ明日動けないわよ? そうなったら誰が面倒見ると思ってんのよ。……ちょっとだけ、夢を覗くだけよ」
『わたしの夢なんて、面白いでしょうか? 月光さまをお辛い気持ちにさせるかも……』
「何百年生きてると思ってんのよ。アンタみたいな小娘の過去がどれだけ凄惨だろうと、なんとも思いやしないわ」
『それなら別に、月光さまが好きに覗いていただいて構いませんが……でも、なにを見ても、あんまり皆さんに言いふらしたりしないでくださいね? 流石にわたしも恥ずかしいので……』
「わかってる、わかってる」
黄金は、意外とあっさり夢に入るのを許可した。大抵の人間は、自分の夢なんて他人に見られたくないものなのだが……これも死にたがりの弊害だろうか。
まあ、いい。普段は許可など取ったりしないが、見知った相手の夢を覗いたとバレると魔王や宵闇がうるさいので、これで文句も言われない。
この娘がどんな夢を視る精神の持ち主なのか。単純に興味が湧いた。
黄金の額に自分の額をあわせて、先ほど城主に夢の方向性を固定したように、娘の魔力に向かって意識を集中させる。
娘の魔力は、人間並みだ。さほど大きいわけではないが、戦歌姫にしておくのは少しもったいないかもしれない。きちんと教えて鍛えれば、それなりの魔術師になったことだろう。まあ、この娘の体質では鍛えるのが難しかったかもしれないが。
魔力の流れをつかんで、そこからするりと意識を潜らせる。娘の意識はまだ鮮明で、月光から見える景色は、ずっと夕焼け色の空と大地が広がっていた。黄金の、意識の表層だ。ここから娘の意識に眠ってもらえば夢を覗ける。
けれど、なかなか意識は眠らなかった。夢魔の『眠りの術』が効かない人間は滅多にいない。護符でも持っていたのだろうか?
戸惑ううちに、ふいに、周囲が真っ暗になった。あまりに唐突だったが、ようやく眠ったか。
──だぁれ?
闇に響いたのは、甘い声だ。黄金よりも幼い声。けれど、内面の世界が外の世界と同じということの方が少ないくらいだ。黄金の声なのだろう。
──おきゃくさん? めずらしい。
──こんなむすめに。こんなむすめに。
……少し様子がおかしかった。甘い声は同じなのに、なんだか複数いるように聞こえる。黄金はそういう精神の持ち主だったのだろうか?
──あら、ゆめのこね。
──ゆめのこだわ。かわいらしい。
──なにしにきたのかしら。
──あのこ、はいっちゃだめって、ちゅういしなかったのかしら。
──あいかわらずだめなこね。
──だめなこほど、かわいいわ。
──でも、ずっとだめじゃあ、いけないわ。
幼い声は何重にも聞こえる。囲まれているのか、四方から声がした。月光は、冷や汗が流れるのを感じる。
……これは、黄金では、ない。
しかし、では、誰なのか?
月光は確かに、黄金の意識の表層までは触れた。そこから先、意識の深層に、本人以外の誰が立ち入れるというのだろう。ありえないことだった。
だが現実に、確かに、ここには黄金以外の誰かがいる。
「だ……誰なの……?」
声が震えていた。ここは娘の意識の中。『理』の力を引き出すことはできない。今、何者かに攻撃されたら身を守る術はなかった。
幼い声は、月光の声に応えない。ただ、気配はそのままだ。好奇の視線を感じるが、なにをしてくるわけでもない。
ふいに、声が聞こえてきた。黄金に似た甘い声。だが、黄金ではない侮蔑を含んだ声だった。
──還れ。ここはお前が気安く触れて良い場所ではない。
闇から、白い腕が一本、にょきりと生えた。その手は、やはり黄金の手に似ていた。細い指先が、ちょん、と月光の額をつつく。
それだけで、意識が外の世界に投げ出された。
「…………ッ!」
意識を戻して、慌てて黄金から飛び退いた。黄金は眠ってなどいなかった。慌てた様子の月光に、心配そうな視線を向けている。
『どうかなさったのですか? わたし、まだ眠っていなくて……術は使われなかったのでしょうか?』
「…………」
まじまじと翡翠の瞳を見つめる。怪しい動きもなければ、魔術で操られている様子もない。
「……別に。ただ……アタシの術とアンタって、相性が悪いみたい。入れなかったわ」
『まぁ、そんなことが?』
もちろん、そんなことは今まで一度だってなかった。黄金の意識に触れた上で術を使えば、問題なく眠らせられたはずだ。
月光は、娘の夢にまでたどり着けなかった。
あの、幼い声と白い腕は、一体何者だったのか。
この娘と、一体どんな関係にあるのか。
月光は、あらためて薄寒い予感に襲われた。
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