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黒の魔王と黄金の歌姫   作者: 芝村あおい


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25 庭園の花


「今宵の夢に 月の光が ささやこう

ねむれ ねむれ

花も草も 気高いきみも

ねむれ ねむれ

頭を垂れて」




 月光の呪文が、静かに部屋に広がる。

 『拍』はないが、『音』がある。歌うような魔術だ。窓からは陽が落ちかけた金の光が差し込んで、月光の藍色の瞳をきらめかせている。

 アイネは、これほど魅入られる魔術は生まれてはじめて見た。胸が高鳴って、吐いた吐息が熱いのを自分でも感じる。


『月光さま、なんてお美しい……』

「ありがとう。よく言われる」

『今のは眠りの魔術ですよね? わたしは眠っていませんが……』

「呪文聞いたヤツ全員に影響するような雑な術使わないわよ。アンタたち戦歌姫の中途半端な魔術とはデキが違うんだから!」


 豊かな胸を突き出す姿は、子どもが試験でいい点を採って自慢するような姿で愛らしい。娘はほんわりと温かい気持ちになる。


『今の術で、伝令の足止めができたのですか?』

「大丈夫よ。これから1日は眠ってるはず」


 どういう仕組みか気になるところだが、時間は限られている。動くなら迅速にしなければ。


『わたしの勝利条件は、「ソスランの印象を落とさずに領主が城門を開けて、ソスランの軍を支援すること」です。そのために、領主さまを説得する機会をつくります』

「どうやって?」

『それはこれから考えます』

「行き当たりばったりねえ!」

『だからひとりで来たんですよ』


 月光のツッコミをきれいに流して、アイネは細いあごに指先をあてた。

 あの領主は貴族で、ソスランとも折り合いが悪いと聞く。昔からの知己でもあるようだが、アイネは彼の交友関係を聞いたことがなかった。そもそもソスランは、相手の懐に入るのはうまいくせに、自分のことは語らない男だった。

 ソスランは現実主義者である。黄泉の国など信じないし、死んだ人間の名誉より、今生きている子ども食糧の方が大事な男だ。

 あの領主も悪人ではないと思う。民には税が適切にかけられ、商人が行き交うように街が整えられている。首都に近づくほどに幼子から死ぬような国で、この栄え方は突出していた。

 それでも、言葉の端々には貴族的な表現が感じられる。そういう所が、ソスランと相性の悪い理由だろうか。


『一応は面会申請を出してみますか。それとも、街中でさらに聞き込みをするか……』


 言いかけた娘に、月光が目配せした。月光が窓に視線をやるので、アイネも窓に近づく。窓からは庭園が見えた。

 庭園を囲むように渡り廊下がつくられていて、そこに人影を見つける。

 領主がいた。



/*/



 地下帝国に攻め入ったはずの自軍が、和平を結んで帰還するという──


 個人的には喜ばしい知らせだった。長く続いた戦を終えて、早く戦後復旧にかかりたい。

 自身の領土は王族の目が届きにくく、戦場になりやすい辺境ということもあって自由に差配できた部分もあるが、他領はそうではない。他領や首都から逃げるように移住してくる者も多く、治安維持のため受け入れを厳しく制限していた。領主である自分に、怒りの矛先が向くのも時間の問題だろう。

 領土のこと、保身のこと。考えるほどにソスランに協力した方がいいのはわかっている。だが、ためらわせるものも多かった。

 大きくため息を吐き出し、ふと庭園を見ると、小さな人影があった。

 夕陽の朱金で染められた、花のつかない緑ばかりの庭園を背に、娘が立っていた。艶のある豊かな黒髪と大きな翡翠の瞳がきらめいて、宝石で細工した彫刻のようだと思う。


『領主さま?』


 声はよく通るが、どこかふわりと甘い響きがあった。いつまでも聞いていたくなるような心地になり、魔術かと疑う。

 日中に謁見したソスランからの使者だった。


「……お前、侍女だと言っていたが、戦歌姫だな?」


 娘はあいまいに笑って、ていねいに腰から屈み、頭を下げて礼の形をとる。歌姫が披露する礼だ。


『……黄金の呼び名を、ご存じですね?』


 穏やかに感じるほどの声に、不意に記憶が呼び起こされる。


「……以前、王弟殿下とともに挨拶に来た戦歌姫か……!」


 地下帝国に進軍する際、激励のための宴を催した。そこで名ばかりの司令官だった王弟と、彼に侍っていた戦歌姫。これから戦に赴くとは思えないあまりに醜悪な光景に、領主はあまり彼らを見なかった。これほど印象深い姿の娘を覚えていなかったのはそのせいだろう。


「王弟は死んだと聞くが、お前はよく無事であったな」


 娘はにこりと笑っただけで、なにも言わなかった。それがある男の仕草を思い出させて、領主は眉根を寄せる。


「……ソスランは昔、子どもを拾ったことがあったな。相当に気に入っていたという噂を聞いたことがある。お前か」

『一時はお世話になっていましたが、子飼いの間者、というわけではありません』


 確かに、噂の方も娘を拾ったはいいが、養女の手続きをしている間に娘は飛び出して軍に入ったという話だった。戦歌姫は軍の管轄で誤りではないが、どちらかというと外聞を気にしての公表だろう。


『戦歌姫になったのはわたしの意思ですが、あまり恵まれた生まれでないのは確かです』

「…………」

『ソスランさまは、私のような境遇の者を一人でも減らそうとなさっています。そのために、あの方に協力してはくださいませんか?』


 黄金の言葉に、思わず眉間に皺が寄るのを感じる。


「……あの男、やはり反乱を起こそうとしているのか」


 黄金は曖昧に笑うだけだった。否定も肯定もしない。それが答えだろう。


「……娘。貴族は何のためにあると思う?」

「さぁ……わたしには人々を虐げるためにあるとしか思えませんが」

「お前にとってはそうだろう。事実、そうなってしまった。だが、本来は民を守り、民に尽くす者だった。知識を得て武を磨き、非常時には最前線に立って民が育んだ財産を守護する。その対価として、税の中の幾ばくかを、懐に収めることができる」

「そうなると、今の貴族は働いていないことになりますね」

「その通りだ」


 黄金は辛辣だった。彼女の境遇を思えば、それでもまだ控えめな表現と言えるかもしれない。


「だが、貴族も人間だ。時に道を踏み外すこともある。そのために貴族を束ねる王がいる。王はすべての貴族を束ねる責任を持ち、自らを律する。その姿を見て、貴族は王に忠誠を誓うのだ」

「……では、王が道を踏み外した時、誰が道を正すのですか」

「民だよ。王は民を束ねる代わりに、民に一挙手一投足すべてを見られる。そして、ふさわしくないものは王ではなくなる」

「……お話を聞くと、ソスランさまに協力してくださるように受け取れるのですが……?」


 黄金は小さな頭を傾ける。翡翠の瞳が興味深げにきらめいた。


「……一方で、騎士は主君に忠誠を誓う。どんな状況でも裏切らないという誓いだ。一度誓いを破った騎士は、二度と信頼は得られない。ひととして、死よりも辛いことだ」

「命よりも誇りが大切なのですか?」


 そうだ、と言いかけて口をつぐむ。戦歌姫は、女性としての尊厳を投げうって、命を繋いでいる者たちだ。翡翠の瞳は、心底不思議そうにまたたいている。


「……滑稽かね」

「領主さまの生き方を評する資格は、わたしにはございません。誇りを選んで民とともに戦をすることも、領主さまの自由です」

「そうか」

「自分の道は、自分で決めるものです。領主も民も、それがすべてです。ですから、領主さまの誇りとお付き合いしたい方だけで戦をしていただけると、なおよろしいですね」


 柔らかい声で厳しいことを言われて、領主は息を詰めた。それを言われてしまうと、もう答えはひとつしかない。


「……ソスランが、そう言えときみに言ったのかな?」

「いいえ。ですがソスランさまは昔、わたしにこんなことを言っていました。『私の主は、民である』と」


 ──貴族は民の税で暮らし、有事の際にはすべての責任を負う。俺たちは民に養われているんだ。雇い主が民なら、雇い主の利益を考えて動くもんだろ!


 唐突に、あの男が学生時代にそんなことを言っていたのを思い出した。まだ少年の面影を残した、ずっと若いころの男の面影が脳裏を過ぎる。決定的でも劇的でもない、ただ鮮やかなだけの過去の断片。


「……土地は王家から与えられたものだ」

「耕しているのは民だから、耕さない者は雇い主とは言えない、とも言っていました」

「変わらんな。あいつは」


 剣の腕は、自分の方が上だった。それなのに、いつもあの男には負けたような気になっていた。見ているものがあまりにも違い過ぎて。貴族だとか、剣の勝敗とか、そんなもので自分の価値を測ろうとしていた、まだ若いころから、ずっと。


「……私は昔から、あの男が嫌いでな」

「そういう判断の仕方も、あると思いますよ?」

「……いや、やめておこう」


 領主は苦い笑みを浮かべた。


「……私がどんな感情を抱いているかなど、あの男にはなんの価値もないだろうからな。こだわるだけ無駄だ」



/*/



『月光さま、もう領主さまは去られましたよ』

 娘に声をかけられても、月光は動けなかった。

「……窓から飛び降りるアンタを庇って2階から飛び降りた衝撃でまだ動けないんだけど?」

『まあ、大変』

「なんの感情もこもってない。やり直し」


 月光は庭園の植木の間で、大の字に横たわっていた。

 領主と2人きりで会話できるこの機は逃せない、とアイネが──無謀にも──窓から飛び降りて、それを慌てて抱きしめて庇い、地面との衝突時に咄嗟に領主の聴覚を一瞬だけ麻痺させた。これで落下音には気付かれなかったはずだ。

 ただし、月光の負担は大きかった。体の方は種族的に丈夫とは言え、精密な認識阻害の魔術を行使しながらできるだけ音を立てないよう受け身を取って庭園に降り立つことに、精神的な疲労があった。


『月光さまのおかげでうまくいきましたよ。ありがとうございます』


 にこりと笑う表情はまるで邪気など感じられず、宝石が輝くようだった。月光は宝石が好きなので、悪くないなと思う。どこまで計算ずくでやっているのかまるでわからずに薄寒くさえ思う。


「……さっきの話、本当にアイツから聞いたの?」

『ええ。昔の話ですが』


 娘は笑みを深めて、翡翠の瞳をきらめかせる。すっかり陽が落ちた庭園に、星々がまたたいていた。その星の光に負けないほど、娘は輝いている。


『──でもわたしたちは魔王さまが唯一の主ですから、もっと話は簡単です。人間の世界を征服すれば、ソスランさまも領主さまも難しいことを考えなくてもいいのに』


 楽し気な様子は、脳内で世界征服の絵でも思い描いているのかもしれない。

 女神のようなその姿を見て、月光はただあいまいに笑う。


「……宵闇が過労死するからやめてあげて」

『なるほど。やろうと思えばできると思っていたのですが、そういった事情があったのですね』

「魔王さまはそういうの好みじゃないしね」


 娘は納得したようにうなずいて、月光に手を差し伸べてきた。


『これで、魔王さまも従者さまも喜んでくれるでしょうか』


 期待に綻んだ笑みは、花のない庭園で唯一咲き誇る大輪の百合のようだ。月光でさえ魅入るその姿に、思わず頭痛を感じる。手土産感覚で敵方の城に乗り込んだらしい。相手によれば、謁見の場で首を刎ねられることもあり得ただろうに。


 ──この娘、イカれている。


 月光は苦く笑って、細い手をとって身を起こした。

 



「着地任せた!」をやるのは現代創作者の夢。


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