23 護りの都
『ここが「護りの都」ですよ、月光さま!』
娘の声に、月光も娘と同じ先へ視線を向ける。といっても、泥レンガを積み上げられた壁しか見えない。
高い城壁に囲まれた辺境の街『護りの都』。地下帝国につながる『魔の森』のすぐ側に広がる人間の都だ。城壁より馬で半日も行った場所には『豊かの国』の都市がある。国交の窓口であり、戦になったときは最前線となる場所。当然、魔族との戦時中ということもあって兵の数は多く、雰囲気も物々しい。
月光は城壁を見上げてテンションを上げている娘に視線をやった。
あれからも森ですっ転んだり、獣をうまく捕れずにろくに食料を調達できなかったりと、娘のぽんこつぶりを見せつけられている。魔王とはまた別の意味で他人からの世話が必要な類の人間だった。多分これまで、容姿のおかげで生き残れたのだろう。それくらい生物としては弱かった。
もう放って帰りたい。
月光は心底そう思ったが、目を離したら死ぬという確信もあった。娘を死なせたら魔王と宵闇にそれはもうとんでもなく怒られるに違いない。怒られたらまだいい方で、これから100年薄暗い顔を拝むことになるかもしれない。
「……それで? 入るの?」
『ええ。まずは領主さまがどんな方か、正確なところを知りたいと思います』
「どうやって?」
『街に入れば噂話も聞けるでしょうし、城に入れればもっと手っ取り早いです。あまり時間もありませんから、素直な手順を取りましょう』
そう言うと、娘はこれまで顔を隠すように被っていたフードを下ろして、素顔を晒して門番に近づいた。
「門番さま、わたしたちは『望みの国』遠征軍のソスランさまのお使いで参った戦歌姫でございます」
娘が声をかけた年若い門番は、娘を見た瞬間に呼吸を止めた。魂を抜かれたような表情を浮かべて、次にびしりと姿勢を正す。
「……は! 伝令ご苦労様です! そのっ……お見かけしない歌姫でございますがっ⁈」
「いえ。歌姫はこちらの方で、わたしは侍従でございます」
娘は月光をちらりと見て、瞳を細めた。なるほど。そういう設定らしい。年若い門番は、月光を見て、また惚けたような顔をする。見た目が階級を決めるのは人間社会も同じなのだ。
「なんと……侍従をお連れとは、戦歌姫とは別の身分をお持ちなのでしょうか?」
「いいえ、さる高貴な方に望まれた姫にございます」
そう言うと、門番は納得した表情を浮かべた。どこぞのアホ王族が色狂いなのは皆が知っていることらしい。
「伝令があり、こちらの領主さまにお目通りいただきたいのですが、取り次いでいただけますか?」
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月光と娘は速やかに城へ案内された。先程の門番が城内も先導するのを、娘とともに後から続く。
こじんまりとしているものの、堅牢そうな石造りの城だ。辺境都市の要としての機能は十分ありそうに見える。城内には兵士はもちろん、家令などが行き交っていて、すれ違う度にこちらに礼の姿勢をとってきた。教育は行き届いているらしい。
隣を歩く娘を見ると、平然とした表情をしていた。少しくらい緊張していればまだ可愛げがあるのに。
「よかったの? ソスランの使者なんて言って」
『さあ?』
「アンタねえ」
『ソスランさまは貴族に嫌われていますが、果たしてこちらの領主さまに対して、きちんと説得を試みたことがあったのでしょうか? そもそも、暗殺を拒否するというのが彼らしくありません。彼は目的のために手段は選ばない人間です。人命がかかっていればなおさらです。彼が早く王になることは、それだけ多く人命を救うことにつながる、と少なくとも彼自身が思っているわけですから』
「……作戦の前提条件がそもそも違うってこと?」
『ええ。まあどんな事情があるにしても、この国の貴族は9割方ろくでもない人間ばかりなので、一括りに討伐してしまってもなんら心が痛みませんが』
悪魔か、この女。残り1割は貴族というだけで虐殺されるのか。当然でもなんでもない。ひとの命をなんだと思っているのだ。
『ですが、魔王さまのお望みはそういうやり方ではありません。それなら、領主さまが貴族のうちの1割であることに賭けてみるしかありません。というか、これが一番単純なやり方なんですよ』
「領主が結局、碌でもない方の貴族だったらどうするのよ?」
『逃げます。幸い、月光さまがいらっしゃるので、女2人が逃げるくらいはなんとかなるでしょう』
「……アンタひとりで乗り込んでたら絶対に逃げられなかったと思うんだけど?」
『まぁ、一人ならひとりでどうとでもなる方法はございますし……』
コイツ、最悪でも自分の体を使えばいいとか思っていたのでは?
夢魔である月光ならともかく、ただの人間の身でそんな風に自分の存在を軽んじないでほしい。
娘にちら、と視線をやると、黄金は言いながら微笑みを浮かべていた。笑う余裕があるらしい。精神が世界樹級に太い。
やがて門番は廊下の突き当たりで足を止めた。眼前には大きな扉がある。
「──では、姫君たち。こちらで領主さまがお待ちです」
開けられた扉をくぐると、上座には神経質そうな中年の男が大きな椅子に腰掛けていた。戦時のためか佩剣してはいるが、甲冑は身につけていない。その分、周囲には護衛の騎士が5名ほど控えてこちらを注視している。
「お前たちがソスランの遣いか」
「はい。こちらの戦歌姫はアイネさまと申します」
娘の紹介に続いて、月光は歌うたいを意識して大仰な仕草で礼を取った。アイネ? 黄金の名前か。知りたくなかった。呪われそう。
「はじめまして、領主どの。アタシは皇子殿下の側仕えをしていた歌姫です」
「……ああ、皇子殿下の……」
領主は一瞬、眉をしかめた。あの皇子、どこに行っても鼻つまみ者だったらしい。誰かを殺して「よかった」と思うような精神は持ちたくないが、場合によってはそういうこともあるのかもしれない。
「それで、皇子と軍はどうなった? 先日、補給部隊が通っていったが」
──ソスラン(あいつ)、人間の国に皇子暗殺を報告してないのか!
ちらりと黄金の横顔を盗み見ると、翡翠の瞳が輝いていた。染髪で黄金色を隠しても、その瞳で正体がバレてしまうのではないかと思う。
「……はい、実は皇子は何者かに暗殺されました」
「なに!」
領主は驚きに椅子から立ち上がる。娘はそれに動じず、すらすらと言葉を重ねた。
「今、軍の指揮を執っているのはソスランさまです。ソスランさまは軍を率いて魔王と対峙し、ついに地下帝国と和平を結びました」
「……和平……? 王の命令は『地下帝国の土地を手に入れること』だったはずだが」
「ソスランさまは、これ以上仲間から犠牲を出したくないとお考えなのです。先んじてわたしどもを向かわせたのは、こちらの都市で生き残った軍を受け入れていただけるかどうか確認するためです」
よくもまあ、すらすらと台詞が出てくるものだ。詐欺師の才能もあるんじゃないか?
領主は娘の言葉に、眉間に皺を寄せる。
「……王の命令が果たされていないのに、門を開くわけにはいかん。それに、今生き残っている者を救うために当初の目的を変えるのか? これまで死んでいった者たちには、黄泉でなんと詫びればいい?」
ちなみに、黄泉なんてものはこの世にはない。人間も魔族もどうぶつも、死んだら大地の糧になる。魂は枝のどこかに飛ばされて再利用だ。詫びる場所はない。
死んだ者に詫びれるとすれば、ただひとり。この世界を育んだ我が君だけだ。
「……領主さまのおっしゃることはもっともです。ですが、ソスランさまは魔王の力の一端をご存知です。領主さまも噂は耳にしたことがあるのではありませんか? 魔王と相対して生きて帰ってきた騎士の話を」
「……ソスランはそもそも、魔王を斃す気がなかった、と?」
「無謀だと感じられているのです」
「腰抜けが」
──コイツ、今すぐ殺すか?
世界一お人好しで天然気味な王だが、愛すべき主君だ。たかが40年ほど生きたくらいの人間風情に殺せるなどと、思い上がりも甚だしい。一応隣の娘を見る。
瞳がいっそう強く輝いていた。
細い体に、魔力の高まりを感じる。コイツ、無理やりにでも魔術を発動させようとしていないか? 声を使われては困る、とあわてて会話に割って入った。
「では領主どのは魔王の力を垣間見たことがあるとおっしゃるの?」
「……」
「ソスランどのは見た上で判断されたのです。伝承通りの不死の存在だと。人間が無策で魔王に戦いを挑むのは無謀です」
「……それで和平、と?」
「魔王は不死でも魔族は死にます。現に人間の軍は……地下帝国の軍を圧倒しています」
月光は屈辱に耐えて、その事実を口にした。思えば、よく和平にまで持ち込めたものだと思う。目の前の領主のような者が軍を指揮していれば、魔族の数はもっと減り、そして魔王の逆鱗に触れて人間は死滅していただろう。
──つくり方を間違えたらしい。もう一度はじめからやり直しだ。
我らが王はきっと、悲しそうな顔をしてそんなことを言うのだ。魔王が悲しいのは、月光だって嫌だ。
「……今の状況を覆すだけの力が、魔王にあるのだな」
「少なくとも、ソスランどのはそう判断しているのでしょう」
「……少し考える。貴殿らは城内に留まっていてくれ。部屋を用意する」
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急ぎ用意された部屋は、花も置かれていないそっけないものだったが、広さは十分だった。ベッドもしっかり整えられている。女2人ということもあって、与えられたのはこの部屋だけのようだ。わざわざ分けろとは言えないが、この娘と同衾するのか、と思うと少し嫌な気分になる。
窓は小さなものが2つ。雨風が避けられるように木製の雨戸が備え付けられているが、天気の良い日は遮るものがない。人間の世界で未だ硝子は高価なものなのだ。
窓から下を眺めると、規模が小さいものの庭園が見えた。もっとも、庭園を眺めるには距離がありすぎて、客間でも位が下の部屋とわかる。
『アイネさま』
「なによ、アンタそれ──」
言いかけて、娘が唇に指を当てる。盗聴を警戒しろ、ということらしい。
「……こんな部屋まで?」
『魔族の方には馴染まないでしょうが、堪えてください。人間の世界では常識です』
そうなの? 人間の国にいた宵闇からも、そんな話は聞いたことがない。娘のごく小さな声は、月光にだけようやく届く、という大きさだった。それでも警戒するとは、人間はどんな魔術を使っているのか。
『魔術ではなく、唇を読むのです。覗き見されていれば、ですが』
「うわキッモ」
『──これから、わたしたちの発言の真意を確認するべく城からソスランさまへ使者が出されます。足止めする方法はありますか?』
「殺していい方法? 殺さない方法?」
娘は躊躇わずに口を開いて、一拍してから口を閉じた。
『……殺さない方法で』
この娘、迷わず「殺していい」と言いかけたな。魔王に叱られたことが後を引いているらしい。宵闇やソスランあたりは泣いて喜びそうな成長だ。
「なくはない。陽が落ちるまで待って」
『足止めの機会は多くありません。旅程を考えれば、ソスランさまたちは明日か明後日にでも「魔の森」を抜けて都を目指すでしょう。早馬なら1日半で軍と合流します』
「わかった。……こんな勝手ばかりしてたら、さぞ宵闇はブチ切れるでしょうね?」
『大丈夫ですよ。成果さえあれば、従者さまはわかってくださいます!』
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