22 珍道中
冥道から地上に上がっても、深い森であることは変わらない。
そびえる木々の種類は異なるものの、太い幹と濃い緑は地下と共通していて鬱蒼としている。『魔の森』は長年魔族が管理してきた土地で、人間が使うことはあまり想定されていない。それでも万の兵が通った後で、道はそれなりに歩きやすくなっていた。
そんな森ではあるが、冥道と大きく違う点がある。陽の光だ。数カ月ぶりの朝日を浴びて、娘は瞳を細めている。
『久々の太陽です! こんなに暖かいものだったんですね』
「……………」
明るい声音はいっそ可憐だが、月光は不信感を増して隣の娘にうろんな視線を投げかける。
『……言いたいことがあるならどうぞ?』
「なんで家出? 昨日の宵闇の気遣いまで無碍にするほどの悪魔なワケ?」
『い、家出だなんて……』
と言いつつ、娘は月光から視線を逸らした。それなりに後ろめたいらしい。
よかった。最低限の人間性は持ち合わせているようだ。弟分が久方ぶりに惚れた女が魔族よりひとでなしなんてあんまりだ。
『その。作戦を立てるのに、あまりに情報が足りないのです。情報というのは戦でなにより大事なモノなんですよ?』
「それらしいコト言って、どうせ今魔王さまと顔合わせたら泣いちゃう〜とかが理由でしょ?」
娘はうんざりした表情を浮かべるが、反論はなかった。図星らしい。月光は大袈裟に声を上げた。
「あーあ、宵闇が可哀想!」
『従者さまは説明すればわかってくださいますもの!』
「説明、ね。聞いてくれるほど冷静ならいいわね? アイツ怒るとしつこいし面倒臭いわよ」
『……………』
娘は少し怯んだ。あの超がつくほどのお人好しが怒ることをしてしまったのか、とようやく思い至ったらしい。いやあの夜を経て家出されたらそりゃ怒るでしょ。
けれど娘はなんとか反論してくる。
『……ソスランさまは意図的に情報を伏せています。「護りの都」は一度立ち寄って領主と面会したこともありますが、ソスランさまの説得に応じないような貴族には見えませんでした』
「人間性は良くても、政治信条が違うってコトはあるでしょう」
『それはそうなのですが……』
「……大体アンタ、領主がそういう良い奴そうな人間だってわかってて精神的に追い詰めて監禁しようとしてたワケ?」
『失礼な。具合が悪くなられたら療養していただくつもりだっただけです』
「アンタって、平気な顔して仲間の寝首掻く奴よね」
『魔王さまが悲しまれることは絶対にしませんから、ご安心ください』
宵闇が、なぜこの女を一定信用しているのか、ようやくわかった。魔王に対する妙な執着だけは本物なのだ。
この女は、絶対に魔王を裏切らない。
魔王絶対主義の宵闇が気に入りそうな娘ではある。ただし、信用できるのはそこだけで、ほかの事柄に関する情緒も倫理観も欠如しているらしいが。
呆れて娘を眺めていたら、黒い髪がぴたりと動くのをやめた。
『……少しこのあたりで休憩します』
「? まだ冥道を出たばかりよ? 追手は…まあないと思うけど、念のためにもう少し離れてからの方がいいんじゃない?」
この距離なら激怒した宵闇が追いついてきそうだ。そこまでして連れ戻しにくるかは……兵も率いているし、魔王もいるので微妙か。
娘は周囲で一番太い木の幹の側に腰を下ろした。よく見ると、白い肌に汗がにじんでいて、呼吸が荒い。夜通し歩いたのだ。人間の体力なら疲れるのは当然か。
「……こんな目立つとこで動くのやめたら、魔獣や獣の餌食になるわよ?」
『そのときは月光さまが助けてくださいませ』
「アタシは宵闇と違って、そんなにお人好しじゃない。……アンタには少なからず恨みもある」
戦場で見かけた娘は、数名の護衛を伴って、歌を歌っていた。黄金の長い髪が血煙の中でも輝き、澄み渡る歌声に聴き入れば体は自由を失う。
『黄金の戦歌姫』は、魔族たちにとっての死神だった。魔王が誘拐するか、月光が殺しに向かうか、どちらが早いかという状況だった。
魔族だって戦歌姫の待遇や身分がどんなものかは知っている。不遇で哀れな娘だと思うが、だからと言って殺されてやるほどお人好しではない。
娘は倫理観が欠如しているが、自分がなにをしているのかは理解している。月光を前に苦く笑っていた。
『……それについては、弁明するつもりはありません。お互い、おしごとでしたでしょう?』
「…………そうね」
頭ではわかっている。だからきっと、なにを言われても月光は納得できないのだ。納得などできるわけがない。長く生きる魔族にとっても、命の替えはないのだから。
『それに、わたしは月光さまが好きですよ』
「は?」
『従者さまによく似ていらっしゃいますもの』
ころころと笑う様は、年相応の娘らしい。月光は毒気を抜かれて、娘の隣に腰掛けた。
『従者さまとはご親戚とうかがいましたが』
「人間たちが言う血縁関係はないわ。魔人は人間と違って生殖行為で増えないから」
『えっ?』
娘の動きが固まった。翡翠の瞳が見開いたまま、微動だにしない。月光は唇の端を上げた。
「なによ。知らなかったの? 最近の人間は浅学ねえ」
『……わたしがものを知らないだけの可能性はありますが……えっ? どうやって増えるんですか?』
「アタシたちは魔王さまに魔力を注がれてつくられたか、地下帝国の地脈を通る魔力の塊に意思が宿ったモノよ。アタシは後者で、宵闇は前者。だからアイツにとって魔王さまは親同然なのよ」
娘はまだ無言で目を瞬かせている。
『……なら、どうして魔王さまも従者さまも、生殖行為を理解された言動を……?』
「……ま、食事と同じよ。必要じゃないけど娯楽としての需要はある。むしろ人間は必要なコトまで娯楽化してて、貪欲だと思うわ」
『ああ、そう言われればそうですね……って普通に興味深く聞いてしまいそうですが! ではわたしが魔王さまをいくら誘惑しても、魔王さまにとっては遊び以上のものではない、と?」
「そうかもね?」
『うう〜〜〜!』
娘が悔しそうにうめいている姿に、月光は溜飲を下げた。
実際のところ、あの王は長く生きすぎているので人間だとか魔族だとかいう種族の区別も曖昧だ。なにかを模倣して人間をつくったようだし、魔王自身は生殖能力があるのか、あるいは後付けできるのかもしれない。
まあ、子どもがほしければ自分だけでつくれるのだから、そんな面倒なことをする合理性はないが。ちなみに、彼は子育てはしない。月光は宵闇の姉か親戚かと言っているが、実際は育ての親のようなものだった。
娘に目をやると、立てた膝に顔を埋めて、いまだにうめいている。
『……別に、からかわれていたことくらいは承知していましたし? わたしだって魔王さまの子を産もうなんて畏れ多い野望まで掲げていたわけではありませんし? そんなことでわたしの魔王さまへの愛は変わりませんけど!』
「あっそう……」
『むしろ娯楽なら、給仕くらいの感覚で呼んでいただいてもよかったのでは⁈』
「あっやっぱ倫理観終わってるわコイツ」
『……もしやわたしは、魔王さまの好みではない可能性が……?』
はっと思いついたように顔を上げる。顔色が悪かった。この娘の場合、見た目で殴れば大抵の人間は理性を見失うだろう。「好みではない」とはこれまでの人生で考えもしなかったかもしれない。
もっとも、魔王の好みから外れていることはないだろう。むしろお気に入りだ。容姿以上に、魔族に通じる純粋性に興味を抱いている気がする。うちの魔王さまは相手のいいところを見つける天才だ。
「どうかしらね……っと、ほら。来たわよ」
月光が視線で示した先には、熊がいた。視線をさまよわせているところを見ると餌を探しているに違いない。まだこちらに気がついてはいないようだが、この娘はどうするのか。ちなみに月光は助ける気はない。
娘は、おもむろに立ち上がって木によじ登りはじめた。しかし握力がないのか、妙にもたついていてまるでナメクジがのたうち回っているように見える。まったく上に上がれないまま、ずるずると幹から滑り落ちてくる。
一言で言って、無様だった。
「……………なにしてんの?」
『熊が来たのなら、木の上に登ってやり過ごそうかと』
「……木に登る熊もいるけど?」
月光の指摘に、娘はえっと目を見開いた。
『そうなんですね! わたし、森では生活したことがないんです。子どものころは旅芸人と一緒に移動して街から街へ渡る生活をしていて、その後は戦場を転々としていたので、森にいる機会がなかったんです』
「アンタ森の危険性もわからず軍と別行動したの⁈ 『戦には情報が必要です』じゃないわ! アンタの場合、まず生きるのに情報がいるわ!」
『さすがに森でのサバイバル技法はソスランさまから習いませんでした……』
娘は困ったようにため息を吐き出した。あの中年騎士に一時身を寄せていた時代があったというから、その時にいろいろと教わったらしい。さすがのあの騎士も年端のいかない少女に森で生き抜く術を教えたりはしなかったようだ。
『……仕方がありませんね。少し歌いましょうか』
「ちょっと!」
『だって月光さまはわたしを助けてはくださらないのでしょう? それはそうでしょうとも。月光さまは従者さまに言われて、わたしの護衛兼見張り役のために付いてきただけですもの。わたしの家出のお守りなんてお役目には入っていません。ですから、わたしはひとりで旅するつもりで対処しなくては』
「なにそれ脅しのつもり? 言っておくけど、アタシや宵闇くらいの魔人ともなれば、アンタの歌なんてガラスを引っ掻いた音程度のものなんだからね!」
『それでは、戦場でも響き渡るガラスの引っ掻き音を間近でご堪能くださいませ』
「だーーーーっ! わかったわよ! 命の保障だけはしてあげるわよ!」
ちくしょう、負けた!
娘は満面の笑みを浮かべて、また木の幹に背を預けた。まだ休憩するつもりらしい。
月光は熊に気づかれないように周囲に気配を遮断する魔術をかけてから、改めて娘を見た。膝が震えて、足元は泥だらけだった。とても旅慣れた人間の姿ではない。
「……旅芸人だったんじゃなかったっけ?」
『移動はほとんど馬車でしたし、移動中は寝込んでいることが多かったので案外歩かないものなんですよ。一座が野党に襲われたあとは歌うたいをやって日銭を稼いでいましたし、やっぱり移動は馬車。
ソスランさまと会ってから馬に乗ることを覚えましたけれど、あまり長時間は体力がなくて乗れません。戦歌姫になってからは王族と同じ馬車に乗ることが多かったですし、戦場に出るまでには護衛もついていましたから』
「運動神経と体力がクソ雑魚とか、よく戦場で生き残ってこられたわね?」
『くそザ…………まあ、魔獣はわたしを襲ってきませんからね。ほかの方より無防備なところはあるかもしれません』
「は?」
一度首を傾げて、月光はすぐに思い至った。
魔族は「美しいことは力あること」という価値観が本能に刻まれている。魔人以上の容姿を持つこの娘は、見た目だけで魔獣たちが忌避するらしい。ここまでくると、その容姿は魔術的にも立派な道具のひとつに思える。
「ますます魔王さまがアンタを攫ったことは最善手に思えてくるわね。アタシなら殺してたけれど」
『魔王さまに殺されるならそれも本望でしたが……彼の方は、そういうことはしませんものね』
「……わかった風なコト言ってんじゃないわよ」
けれど、娘の言う通りだった。あの魔王は、戦となれば命を奪うことをためらわないけれど、できるだけ死人は少ない方がいいと考えているようなひとだ。まして同情の余地のある戦歌姫ともなれば、戦場から排除する以上のことは必要ないと考えるに決まっていた。
『……そういうところを、とても、お慕いしているんです』
娘は夢見る少女のような表情で言った。それがあまりに可憐だったので、月光は一瞬だけでも見惚れてしまった。不覚だ。宵闇のような状況には陥りたくない。
「……そんなに魔王さまに執着しているわりに、いろいろと気が多いわね?」
『はい?』
「あのソスランとかいう男と宵闇、アタシが殺した王族の男も、アンタに未練たらったらだったわよ?」
『ノーコメントでお願いします』
「ふぅん?」
否定はしないらしい。この容姿なので、まあいろいろとあるのが普通だろう。とても聞きたい気がしたが、これ以上、娘に深入りするのはなんだか嫌だった。
ミイラ取りがミイラになる、という言葉だってあるのだから。
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