19 面白くないな
「いよいよ明日は冥道を出て地上に上がる」
ソスランが魔王との晩餐の場で、そう切り出した。魔王はソスランの発言に笑みをこぼす。
「楽しみだな。地上に戦い以外で出向くのは5年ぶりだ」
「いや……戦いに行くんだが……」
「お前たちが頑張ればいい。私は観光目的だ」
他愛のない会話の最中にも、娘は夕食のシチューとパンを簡易の食卓に並べていく。食卓には魔王とソスランのほか、従者と月光が座していた。
品数はたったこれだけだが、物資が補給されていないのでこんなものだろう。地下帝国からもいくらか芋は提供したが、もとの人員数が違うので焼け石に水だ。
しかし、人間には香辛料という魔法の粉がある。それで、娘の料理の味は上々に仕上がっていた。皆が一口含んで満足そうな表情を浮かべるので、娘も胸を張る。ひとに自慢できる特技はこれしかなかった。
「それで、いつ国に入るんだ?」
「まだ入りません」
ソスランの率直な回答に、魔王は首を傾げた。
「なぜだ? 兵糧は尽きる寸前だし、お前たちはまだ明確に反旗を翻したわけではない。帰らない理由がないだろう?」
「まあ、なにごとも時勢というのがありますからな」
ソスランが笑って、娘に視線をよこしてくる。はいはい、わかっておりますとも。
『魔王さま、騎士さまはただ国に帰るだけではもったいない、と考えておられるんですよ』
「家路にもったいないとかそうでないとかあるのか?」
『騎士さまは貧乏性なのですね。お可哀想なことです』
「真顔でそういうことを言うな」
「いいからさっさと作戦を話しなさいよ」
月光が呆れた顔で言うので、娘はこほん、と一度喉の調子を整えて、よく通る声で話しはじめた。
『今向かっている「護りの都」は隣国との火種を抱えています。「豊かの国」は理不尽な額の賠償金に疲弊して、国民の「望みの国」に対する悪感情は日に日に高まっている。そこに、都へ地下帝国の軍が近付いていると伝わればどうでしょう?』
「……好機と見て、一緒に都に攻め入ろうとする暴徒もいるだろうな」
従者の言葉に、娘は頷いてみせる。
『はい。ですが、地下帝国が本当に侵入しては国際的にあまりお行儀がよろしくないでしょう。都に入るのは、「豊かの国」の方々だけです』
「……どうやって『豊かの国』は都にしかけるんだ? あそこは砦に囲まれた街だろう?」
『さて。偶然、内側から砦が開いたりするのではないでしょうか?』
娘はにこりと笑って、そんなことを言う。もちろん、どんなことが必要なのかはソスランが心得ているだろう。
『ソスランさまは、暴徒に襲われる都を助けに入ることもあるかもしれません。お付き合いで地下帝国のみなさんも協力することだってあるかも』
「なるほど」
従者はもちろん、魔王も何度か頷いていた。魔王のあれはわかっていない表情ではないだろうか。けれど、彼がわかっていなくとも、周囲がわかっていればいいことだ。娘は最後に、にっこりと笑った。
『──でも、気がついたときには都は壊滅的な打撃を受けているのです』
「──」
一瞬、その場がしん、と静まり返った。ソスランまで表情を固くしたのに違和感を感じながら、それでも娘は先を続ける。
『領主さまも心を痛めて、とても執政などできない状態で……そこでソスランさまが、代理として都の立て直しを図るために執政の先頭に立たれることになるのです。
……どうです、ソスランさま?』
「いや、俺は──」
「──気に食わん」
一言。食卓に低い美声が響いた。どこか拗ねたような口ぶりは魔王からだった。
娘は思わず目をまたたかせる。
「えっ……?」
「気に食わん。それでは都で暮らす者も多く死ぬ」
魔王はそう言って、娘をまっすぐに見つめてくる。まるでなにかを試すような視線だった。地下帝国に来てから一度でも、そんな視線を魔王から向けられたことはない。なにが彼の機嫌を損なってしまったのだろう?
娘は、よく回る頭で必死に考えた。けれど、わからない。
『戦は、そういうものではありませんか』
娘の言葉に、食卓にいた者たちが息を呑んだ気配がした。人間の国にいたころ、娘はよくこんな反応をされていたことを思い出す。地下帝国に来てから、そんなことは一度もなかったのに──
魔王は娘の言葉を聞いて、はあ、と思い切りため息を吐き出した。それから、不機嫌さを隠そうともせずに言い放つ。
「……なんだ、お前。全然面白くないな」
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