16 騎士と英雄
「人間の司令官。調味料を我が侍女に分けてくれたそうだな。礼を言おう」
魔王は上機嫌に笑った。食事のチキンスープとパンが美味だったのだろう。もしくは、森で食事をする、というシチュエーションがピクニックのようでお気に召したのかもしれない。
人間の遠征軍とアイネたちは、まだ冥道の中にいた。大所帯なので地下帝国から地上へ出るだけで5日はかかる予定だ。そこから先も冥道から地上へと続く森が広がっている。『魔の森』と呼ばれる森林地帯を抜けて、ようやく人間の領域に入る。
「……塩味を感じるパン……久々だわ」
呟いたのは月光だ。
魔王の好意により、ソスランの他に従者と月光も食事に同席していた。さすがに、若騎士の従卒と娘は側に控えているだけである。中年騎士の恨めしそうな視線を感じるが、当然アイネは無視をした。
「塩は定期輸入したい。パンもそうだが、イモを旨く食べるにも塩は必須だ。あとは、もう少し牛や山羊も分けてほしい」
「私が王になった暁には、対等な国交をお約束します。対価はそちらで算出される宝石類で十分でしょう」
「うむ。ソスラン、期待している」
中年の容姿になっても、魔王の笑みは相変わらず邪気がなかった。娘はその笑みを脳裏に焼き付けるのに忙しい。
「それで、今向かっている都市は」
「『護りの都』と言われています。地下帝国から地上へ上がり、『魔の森』を抜けて『望みの国』へ入る、入り口の都です」
ソスランが語るのに合わせて、娘は魔王の前に地図を掲げて見せた。
「レンガを使った高い壁が敷地を覆っている、特徴的な街です。そこで兵を休ませて、物資を補給したいと考えています。と言っても、あいにくこの都の領主が貴族なものでして。素直には応じてくれんでしょう」
ソスランは、貴族のくせに貴族に嫌われている妙な騎士だ。地下帝国に進軍中、こっそり反乱の根回しをしていたと言っていたが、この街は取りこぼしたらしい。
「だがお前たちは、今のところ仲間なのだろう? 反乱の狼煙はまだ上げていない。お前たちだけなら、街に入るのは容易いはずだ」
「ええ。とは言え、敵に膨大な量の物資を焼かれているので、領主から散々嫌味を言われるでしょうが」
「見ものだな」
魔王のどこか楽しそうな声に、中年騎士は苦笑した。
「……さっさとその領主、殺しちゃえば? 前も上手くいってるし、アタシなら簡単に近づけるわよ」
月光の発言に、魔王が首を傾げた。
「前?」
「──その件だが。この道中、暗殺などは用いないつもりでいる」
ソスランの発言に、月光と従者、そして娘が目を見開いた。
「なんで?」
「私が騎士だからだ。そして、王位を簒奪するのではなく、譲位していただく、という体裁を取りたい」
中年騎士の言葉に、娘はなるほど、と胸のうちで呟いた。一方で、従者や月光、魔王は首を傾げている。それに気がついたソスランは笑って言葉を重ねた。
「私はもともと、王家の分家の生まれでして。現在の王の親戚筋で、王位継承権も持ち合わせております」
14番目だか15番目だか、といったところのはずだったが、もしかしたら娘の知らないところで継承順位を上げているのかもしれなかった。抜け目のない男である。
「……民は度重なる戦で疲弊し切っており、重税に明日食べるものを心配するような状況です。作物も満足に世話することができず、納税も滞って王家の財政も悪化する一方。それを軍需と敗戦国の賠償金でやり過ごしているうちに、地下帝国の地下資源に注目した。
……ずっとこんなことの繰り返しだ。これは我が国の政治体制の問題で、一度為政者を交代しなければならないと、心ある者は誰もがそう感じている」
魔王が退屈そうな表情をしはじめた。魔王さま頑張って! あと少しで終わります!
「『正義は我にあり』、と言いたいのだな?」
「魔王さまのおっしゃる通り」
「くだらないな。正義なんて主観的なもので政治をするのか?」
「民草はそういうのが好きなんですよ」
「魔族とはずいぶん違う」
「ちなみに、魔族はどんな風に政治をするのですか?」
「力あるものが弱きものを守る。知恵あるものが、もの知らぬものを支える。技持つものが、持たざるものに手を差し伸べる。これでなにも問題はない」
ソスランは、複雑そうな表情を浮かべた。夢物語に聞こえたのかもしれない。だが魔族の純粋性を前にしたら、そんな世界があり得ることに驚愕して膝を地に着くことだろう。
「……少なくとも、我々は民に支持されるために、正当な手段に見えるように王位を移譲してもらう必要があるのです」
「まあ、希望は承知した」
魔王が承知した。ということは、考えるのは従者の役目になる。最終的には娘が考える。
魔王は従者に視線を向けて笑った。
「任せたぞ、宵闇」
/*/
娘は昼食を摂りながら、向かいの丸太に腰掛けたソスランの従卒である若騎士に視線を向ける。彼も娘と食事を摂っていた。
従卒の名はバトラズ。娘はもちろん、宵闇や月光もその名前を聞いたことがあった。
「……まさか人間の英雄サマと、作戦を行うことになるなんてね」
娘の背後にそびえる太い木の枝に腰掛ける月光が、不服そうな表情で言った。バトラズが申し訳なさそうに眉を下げる。
「いえ、私は英雄などとはとても……ソスランさまの従卒として戦場に出ているだけです」
「その鋼の大剣で何人仲間を殺されたか」
「……魔族の方々にとって、我々の同行が気分の良いものではないということはわかります。ですが、私は騎士です。たとえきっかけが我々人間側にあったとしても、目の前の同胞を斬られれば、護るために剣を取らざるを得ません」
月光はなにも言わずに、鼻を鳴らした。そんなことは、きっと彼女もわかっている。戦とはそういうものだ。ただ、なにか言わずにはいられなかっただけだろう。冷めた表情をしていても、人間に対する怒りは消えるわけがない。
凍った空気に、娘はあえて明るい声を上げた。
『バトラズさまの勇名は聞き及んでおります。どうぞ、今回はよろしくお願いしますね』
「こちらこそ! かの黄金さまとこうして肩を並べて戦に赴く機会を得られるとは、光栄です」
バトラズは爽やかな笑みを浮かべた。若くして豪剣の遣い手として名を馳せる剣豪・バトラズ。従者に剣を向けて、生きて帰ってこられたのはまぐれではない。
「……若い騎士よ。まずは敵の情報を教えてほしい」
娘の隣に腰掛けて、茶をすする従者が問いかけた。バトラズはうなずいて、空になったスープの椀を地面に置く。
「『護りの都』は城塞都市です。地下帝国の入り口がある『魔の森』、そして隣国『豊かの国』に面した国境でもあり、軍事面にも力を注いでいます」
「『豊かの国』は、7年前に戦で『望みの国』に負けていたわね」
「はい。彼の国は『望みの国』の属国となり、未だ重い賠償金を支払わされています。いつ国境から暴徒が襲って来ないとも限りません」
娘はパンを噛みながら考えた。
『……ソスランさまは『豊かの国』に使者を送っていますか?』
「さあ……私はなにも聞かされておりませんが……」
バトラズは困ったように眉を下げる。それを見て、娘は優しく微笑んだ。
『では、もしかすると、都合の悪い時分に都が襲われる可能性もあるのですね?』
「私は騎士ですので、そういった可能性はつねに考えています」
『結構。備えあれば憂いなし、ですものね』
娘がにこりと笑い返すのを、月光は不思議そうに眺めていた。
/*/
「ただいま戻りました」
自軍のテントに戻ったバトラズは、上官であるソスランに声をかけた。ソスランは不機嫌そうに簡易椅子に腰掛けている。
「……魔王となにかありましたか?」
「なにもない。なんだ、あの男。ただひたすらうれしそうに世間話をしていたぞ。人間なんて歯牙にもかけていないくせに、やたらめったら人間臭い。相手にしづらくて敵わん」
「なるほど。良い方なんですね」
「相性が悪い。まだあの夜の王の方がマシだ。あっちもあっちで一言多くて腹が立つがな!」
どちらも魔族なのに善人らしい。バトラズは複雑な気持ちになった。これまで多くの魔族を殺してきたのに、その王たちが人間よりもよほど善人だと思うと、胸が痛かった。
「……戦を止められて、本当に良かったです」
「戦はこれからだぞ」
「わかっています」
「わかってない」
バトラズは鋭い視線を若騎士に向ける。その表情は直前までの砕けた印象とはまるで異なっていた。歴戦の戦士の顔つきだった。
「お前は今まで魔族を殺してきた。見目は獣のようなものも多かった。これからお前が殺すのは、人間だ。同じ国に生まれ、同じ釜の飯を食ったかもしれない、かつて仲間だった人間だ」
バトラズは、なんと返事をするか、迷った。覚悟は決まっているつもりだ。けれど、上官は覚悟のことを言っているのではない、ということもわかる。
「……後悔することも、あるかもしれませんが……それでも、自分で決めたことです」
バトラズはそう言って笑った。中年騎士はため息を吐き出して、
「……お前もアイネも、どうして俺の周りの若い奴らは強情ばかりなんだ」
「貴方がそうだからでは?」
「俺はお前たちより、いい加減に生きてきたもんだ」
ソスランはもう一度ため息を吐き出して、もういつもの引き締まった表情に戻った。
「アイネにはどんな情報を渡した?」
「『護りの都』の状況だけお伝えしました」
「なにか質問されたか?」
「そうですね……『豊かの国』に使者を送ったか、と」
若騎士の応えに、ソスランは笑った。
「やはり、話をするなら魔王よりもあの悪魔だな」
「それは、どのようなお話でしょうか?」
「そうだな、お前には話して……」
「そんなことよりも、黄金さまとお話ししなければならないことがあるのでは?」
バトラズの言葉に、ソスランは片眉を上げた。
「……なんのことだ?」
「黄金さまを妻にされるつもりで連れて来られたのでしょう?」
「俺は騎士で、家の都合で生涯不通を誓っている」
「貴方は王になるのです。それなら、そんな誓いは関係なくなるのでは?」
王になれば、必ず世継ぎの話が出る。まだ反乱を起こしてもいないのに気が早いこともわかっているが、ソスランは騎士としてかなり年齢を重ねていた。それなのに、妻子がいない。たとえ王権を奪取できたとしても、次の政争がはじまってしまう。
──という話もあるにはあるが。
「黄金さまのことを愛していらっしゃるのでしょう?」
「あ?」
「愛して」
「いるかたわけ!」
「地下帝国への道中、お知り合いの若い娘さんの話をたくさんしてくださっていましたよね? やれ『生意気』だとか『可愛げがない』とか、『賢さを棍棒のように振り回して全てを破壊し尽くしている』とか。ずいぶん親しい方なのだと思っていましたが、これ、黄金さまのことですよね?」
「…………黙秘する」
「私が黄金さまの話をしても、少しも興味がなさそうにしておられたのに」
「黄金になぞ興味はない」
バトラズは片眉を上げた。少し考えて、ああ、戦歌姫としてのあの方のことには興味がないのか、と気がついた。中年騎士は、ずいぶんと拗らせているらしい。
「少し歳が離れているかもしれませんが、貴族の方々には珍しくもありません。それに、魔族の方が長命なんですから、魔王やあの夜の王よりは黄金さまと歳が近いじゃないですか。大丈夫ですよ!」
「なんでお前に励まされてるんだ……?」
「なにより、黄金さまのような美しくて賢い方が次の王妃なら、きっと民衆も歓迎してくれます」
そう言うと、ソスランはものすごく嫌そうな顔をした。短く刈り込んだ濃茶の髪をがしがしと掻き回す。
「……だから厄介なんだ……」
「? なにが……」
「もうこの話は終わりだ。馬車に乗るぞ」
中年騎士がさっと立ち上がって馬車の方へと歩くので、バトラズは慌てて簡易椅子を片付けてあとを追う。
知っていたけれど、素直じゃないひとだなあ。
ちょっとだけタイトルとあらすじを変えました。
評価・ブクマが燃料です。よろしくお願いします!




