13 望みへ向かう
連載再開です。平日毎朝7時ごろ投稿します。
「アイネは必ず連れて行く。それが、この休戦協定の第一の約定です」
ソスランの発言に、魔王の背後に立っていた従者は思い切り眉をしかめた。
「あんな変態をなにに使う気だ? 人間」
「ほう。夜の王はあの変態の使いどころをご存知ないのですか?」
「使われている、の間違いじゃないのか?」
謁見室から移動した会議室では、魔族と人間が火花を散らしていた。いや、従者の方は物理的にも火花が散っている。相当イライラしているらしい。彼はもともと温厚な魔人なのに、珍しいこともあるものだ。
扉口に立って様子を見ていたアイネは、自分のことなのにどこか他人事のように受け止めていた。なぜこういう時、まずは本人に話を聞かないのか不思議でならない。男は皆阿呆なのだ。
「……お前たち、まずは娘の意見を聞くべきではないのか? 娘の行き先をお前たちがとやかく言う権利はないだろう」
どこか呆れたような美声は、卓上で退屈そうに頬杖をついている魔王からだった。ろうそくの明かりに照らされた美貌が温かく輝いている。阿呆2人も押し黙ったので、娘はしみじみとうなずいた。
「魔王さま、愛しています」
「お前が変態であるのは否定しない。で、お前はどうしたい?」
「魔王さまは、なにがお望みでしょう?」
魔王はそこで、片眉を上げた。頬杖を外して前のめりの姿勢になる。
「……香辛料、豚と牛と鶏。地下でも育つ野菜の苗」
「あら、意外と現金」
「地下でそれらは自然発生しないからな」
「なんなら、地上の一部土地を譲渡してもらえばいいのでは? それなら、地上の自国から食材を運んで来られます」
娘の発言に、魔王が雷に打たれたような顔をした。
「……天才だな!」
「ありがとうございます」
「ではソスラン。娘の貸付料は魔族が出入りできる土地と香辛料、牛、豚、鶏、野菜の苗だ」
「フルセットですか」
「嫌なら帰れ。今から戦争してやろう。次は私も出るぞ」
ソスランの顔から笑みが消えた。この魔王が戦場に出てくれば、人間など何万人いたところで意味などないとわかっていた。大袈裟なほど大きなため息を吐き出す。
「……歴史的に見ても、『魔の森』であれば譲渡するのは難しくないでしょう。あそこは昔から魔族の通り道ですし、戦前は魔獣の棲家でした」
「あそこで農業ができるのか?」
「果樹園はどうです? 果物の木を植えればおいしいジャムがつくれますよ」
「ああ、悪くないな」
魔王はずいぶん機嫌が良さそうだ。おいしいジャムを想像したのかもしれない。休戦協定を結んだからといって、突然砂糖が手に入るものではない。きっと魔王は甘味を久しく口にしていないのだろう。
アイネは、甘いジャムをつくって、それを魔王の口元に運ぶ様を想像した。いけない、動悸で呼吸困難になって倒れたら、あのうるさい2人がさらにうるさくなってしまう。
「では、わたしと魔王さまの甘い未来のために、里帰りいたしましょうか」
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「は? 魔王さまも人間の国に行く?」
あまりのことに素っ頓狂な声を上げてしまった。目の前で昼食のパンを咀嚼していた王の従者が、顔を思い切りしかめる。
「声」
『失礼しました。……なぜ魔王さまが人間の国へ? 正直、ご政務に集中していただきたい時期なのですが』
「私が一番そう思っている」
それはそうだろう。聞くところによると、彼は王の従者というより、政務補佐の立場にいる。娘に政の詳細はわからないが、王が役割を果たさなければ、彼のしごとは滞るばかりだろう。
『なんでまた?』
そう問いかける娘に、従者は半眼を向けた。一瞬言い淀んで、しぶしぶ口を開く。
「………おもちゃが」
『?』
「………おもちゃ遊びが楽しくなってきたころに、気に入っていたおもちゃを手放すのが惜しくなられたんだ」
『──…………!!!!!!』
娘は思わず大きな音を立てて立ち上がった。従者の言わんとするところを理解したのだ。
「じゃあわたしがここに残ります! ずっと魔王さまといちゃいちゃします‼︎」
「声! あとあまりアホなことを言い出すな。お前が人間の国に行き、反乱を手助けするのがあの男との約定だろう」
『今からソスランさまをぶち殺してきたら反故になるのでは⁈』
「お前と王の気まぐれで国際問題を生み出すな」
『みんなで逃げればいいではないですか。従者さまも一緒に逃げましょうよ』
「……お前、ほかの魔族はどうでもいいのか? 星屑はいいのか?」
痛いところを突かれて、娘は唇をとがらせた。あの臆病で愛らしい魔獣が不幸になるのは良くない。
『……では、国には従者さまが残られるのですか?』
「…………」
たしかに、どちらかというとこの魔人が居残って国の再建に努めた方がいいのだろうとは思う。だが、これから人間の軍に同行する魔族を統率する役は必要だった。
魔王は指揮とか指示とか、そうした細々としたことに向いたひとではない。しかし、魔族が人間の娘の命に素直に従うとも思えなかった。娘の言葉を受け入れられる指揮官が必要だった。
『従者さま、そんな人材に心当たりはありますか?』
「…………」
従者は腕を組んだまま考えこんでしまった。いつも以上に難しい顔をしているところを見ると、彼に心当たりはないのかもしれない。
「なんだ、お前たちこんなところにいたのか」
調理場の出入り口に姿を見せたのは、魔王だった。どんな場所に立っていても、夜空の星々のような美貌がきらめいている。
『はい、我が君。なにかご用でしょうか?』
「宵闇。私が人間の国に行く間、この国はどうすればいいと思う?」
「それは……やはり私が残ることになろうかと……」
従者の答えに、魔王の口元がへの字に曲がった。
「なんだ。お前が魔族の中で1番人間の国に詳しいのだから、お前が行くべきだろう」
『まぁ、そうなのですか?』
「戦の直前まで、人間の国に滞在させていたからな。こいつは頭が良いから、地下でも育つ農作物を探してきてほしかった」
初耳だった。思えば、最初から人間の自分に対して異常な敵意や恐怖、無理解による発言がなかった。ただのお人好しだと思っていたが、もともと人間とともに暮らした経験があると言われれば納得できた。
「……数年のことです。すぐに政情が悪化して戻ることになりました。私より年上の方々の方が、人間と暮らした時期は長かったでしょう」
「そいつらは今の人間を好かんからな。余計な波風を立ててしまう。お前が人間の国に行け」
『まぁ……それでは、やはり魔王さまはこの国に残られるのですか?』
娘はがっかりして肩を落とした。せっかく魔王さまと婚前旅行気分を味わえると思ったのに。
「なんだ、私が行かないとお前は寂しいのではないか?」
『それはもうッ……! 今しがた従者さまにも、ソスランさまをぶち殺して約定を反故にできないか相談していたところです!』
「過激だな。気持ちが悪い」
『そこが良かったのでは?』
「いや、全く。……だが、ひさびさに人間の国の料理が食べたくなった」
どうやら食い意地だったらしい。
「お前の料理で、人間とともに過ごしたころのことを思い出した。それに、お前の料理が食べられないのもつまらない。ついでに政務もつまらない」
『まぁ! いくらでもお好きなものをつくりますとも!』
「我が君。少しくらい本音を隠す努力をしてください」
「というわけで、私も行くし、宵闇も行く。今回の娘の貸付料とは別に、『望みの国』との和平協定では香辛料や食材を多く分けてもらえるようにする。金などよりよほど価値があるだろう」
魔王はずいぶん機嫌が良さそうだった。だが問題はなにひとつ解決していない。
『……ほかに、政務が可能な方はいないのでしょうか?』
「ああ、それはちゃんと考えている」
娘の問いに、魔王はやはり機嫌良さそうに応えた。
「私は王だ。この『枝』の管理人だ。だから面倒くさくても、この地を護り育む役割がある。それを蔑ろにする気はない」
『まあ、ご立派です! さすが我が君!』
「一体、どうやって……?」
どうやら従者にも心当たりがないらしい。魔王は軽やかに片目をつむって見せた。あまりの愛おしさに娘が両膝を地面に着いた。
「宵闇にもまだ見せたことがなかったな。ならば出発時までに用意しておくから、楽しみにしておけ」




