9.おかわりはさんはいまで
胡桃が入った焼きたてのパン。ごろごろとした野菜が溶け込んだ熱いスープ。初春とはいえ薪割りで冷えた体には、そんな朝食が何よりもよく身に染みた。知らず凍えてこわばっていた背中が緩やかに軽くなっていくのを感じる。昨日の夕食も悪くなかったけれど、今朝の朝食も身に染み渡る。流石は宿場街と妙なところで感動した。
熱々のベーコンエッグを皿によそいながら、昨日より随分態度が軟化した宿の主人が話しかけてきた。轟々と燃える暖炉の隣、山となった薪が積まれている様にいたく満足したらしい。確かに昨夜より宿全体が暖かい気がする。
「で、騎士の情報を探ってるんだったか?お二人さん」
スープのおかわりをもらいながら女騎士は頷いた。すでに三度目のおかわりである。その様を薄気味悪そうな目でちらりと見て、シランが口を開いた。
「えぇ、何か知ってるんです?」
「大したことは知らん。ガーラの砦に王都から早駆けの馬が昨夜来たらしいって事ぐらいだ」
「へぇ……内容は?」
「獣退治と聞いたが。目的地はヘルゼらしい」
その町の名前に昨夜広げた地図の記憶を浚う。現在地が宿場街イルド。南がガーラの砦。ヘルゼはガーラの西に位置していたはずだ。地図を見た限り平野に位置している田舎町と言った印象だ。のどかだが確かに森に囲まれており、獣が出てもおかしくないのだろうと感じる。けれど、何かが引っかかった。引っかかったままよそわれたベーコンエッグを平らげる。
「主人、パンをもう二個頂いても?」
「どんだけ食うんだあんたは」
「はは、いい食いっぷりだねぇ騎士様!薪の礼だ、たんと食いな!むしろ坊主はそれで足りるのかい?」
「隣の食事量で胸焼けしそうですよ僕は」
シランがパンの半分を口に運んでいく間に、差し出されたパンもスープも次々騎士の口に吸い込まれていく。確かに騎士様は体格いいもんなぁ、と頷く宿屋の主人を一方に、呆れたようにシランはため息をついた。
♢
「昼食まで頂いてしまったな」
「あんだけ食べてりゃそりゃあ気も利かせますって」
あのあと、お弁当まで持たせて宿の主人は快く送り出してくれた。先ほどからぶすくれているシランとしては、言語での交渉に尽力したにも関わらず肉体労働で解決してしまった騎士が羨ましいやら悔しいやらで胸中複雑らしい。どうにでもできることではないので放っておくことにする。
「……で、シラン。気づいたか?」
「何がです?交渉上手な騎士様」
「そう拗ねるな……。王都から早駆けの馬が来て獣退治って話、おかしくないか?ヘルゼの管轄はおそらくガーラの砦だろう。なぜ王都がヘルゼに獣が出たことを知っている?」
「そりゃあ報告をしてるからでしょ」
ああ、と騎士は頷く。先程の主人の話で引っかかった棘を紐解くように、とつ、とつと指先でこめかみを叩く。ああでもない、こうでもないとなんども思考を巡らせて、彼女は思考の海を泳いでいく。
騎士団は街や砦ごとに管轄がある。大きな街であれば駐屯地があるが小さな街や村であればそうはいかない。統括している砦が必ず存在し、基本的に獣退治程度の仕事であれば王都には報告だけあげて砦内で対処をする。
おそらくこれはこれは記憶でも知識でもない。身体にこびりついた経験のような、その血に刻まれた道標のような──
「でも砦は報告だけして討伐に出ていない。冬明けの獣は冬眠の間体力を使い果たして人里で暴れるだけの体力がないからだ。だから砦は討伐の必要がない……するほどの危険がないと判断した。けど王都は、」
「……あー。あーなるほど。それは奇妙ですね。王都はその獣の報告をやけに危険視してるわけだ。だから早駆けを使ってまで砦に連絡を取った。獣退治とは言ってたけどおそらく詳細な調査が主目的でしょうね」
流石子供とはいえ論文を戦わせてきた優秀魔術師である。理解も思考も早い。頼もしく感じながらふと気になった疑問を口に出す。
「あぁ。……時に聞くが、シラン。呪いは獣の姿を取ることは?」
「ありますね。獣型の魔術……妖精魔術だろうと呪術だろうと獣は使役も簡単で初歩中の初歩です。いいですね、じゃあ目的地はヘルゼで決まりってことで」
一度立ち止まって、地図を広げる。イルドからヘルゼに行くには一度ガーラの砦を経由したほうが良さそうだと意見が一致した。途中で情報収集をしておきたいのもあるし、運良く王都の早駆けとやらに遭遇できたら詳しい話を聞けるかもしれないという期待を込めたルートである。ここからなら半日も歩けば砦には着くだろう。
「道、迷わないでくださいね」
「任せろ。地図を読むのは得意なんだ」
ふと振り返ったイルドの街は、ずいぶん小さくなっていた。