6.うわさばなしのいろ
「この辺りの騎士団の詰所?一番近いのはガーラの砦だけど……隊長が消えたって話は知らないわねぇ。入団したばかりの新人は消えたらしいけど」
「隊長かどうかは知らんがそこの宿屋に駆け落ちの騎士と娘がいるらしいぞ。それの迎えか?二人で?」
「ウェンの方から来たけどそっちの詰所で隊長が消えたって話は聞かないな……そっちの坊主は隣国の子だろ?なんで騎士の噂なんて探ってるんだ?」
あれから程なくしてついた村で聞き込みをするものの、大した収穫は得られなかった。新人が消えたのは単純に厳しい訓練についていけなくなったみたいだし駆け落ちには用がない。むしろシランがル・ティーヴァの出身なのを少し怪しまれたくらいだ。生き別れの兄が入団していて行方を探していると嘘をついて乗り切った──嘘をつけなければ乗り切れなかった、とも言う。シランに対する視線がやけに鋭いのに気がついたからだ。
「ル・ティーヴァってあまりいい顔されない?」
「500年じゃ侵攻した歴史と警戒心は拭えないでしょ。ただでさえうちにまつわる噂はきな臭いんだから」
からりと笑ってシランはそう笑う。薄緑の詰襟の装束は左右の腰のあたりで大きくスリットが入っていて歩くたびにひらひら揺れた。下に履いている白いゆったりとしたパンツは動きやすそうであるけれど、オルヴェンではまず見かけないデザインである。なるほどなと頷いて女騎士はそれ以上突っ込むのをやめた。そういう過去があって、ル・ティーヴァに暗い側面があったとしても今はそこまで詳しく講義してもらう時間はない。平然としてはいるが子供に振る話でもないだろう。
いつのまにか陽は随分傾いていて、辺りをオレンジ色に染めていた。今日はもう切り上げて宿で休むことに話がまとまり、村人に紹介された宿屋へ出向く。……そこで、ふと気がついた。
「いらっしゃい、何人お泊り?二人?部屋は空いてるけど……えぇ、金がない?」
そう、二人とも無一文なのである。否、シランはル・ティーヴァの通貨なら多少は持っていると語るものの異国たるオルヴェンで使えるはずもない。明らかに面倒臭そうな顔をして追い出しそうな勢いの店主にどうしたものかと女騎士は視線を彷徨わせた。隣でシランが必死に交渉しているのを聞きながら、ゆっくり視線を滑らせていく。随分冷え込む受付と、暖かそうな食堂。そこそこ年季の入ったソファにどっしりした暖炉で火が轟々と燃えている。その横の薪の在庫は──
「……分かった、主人。薪の調達で宿代にならないだろうか」
「は?」
「えっ」
「見ての通り私は騎士だ。力も体力もあるし木に関しては知識もあるよ。調達から薪割りまで承ろう」
信じられないと言った顔の二人の視線を受けて、騎士はあえて悠然と笑う。交渉は虚勢と余裕で突破するものだ──と脳内で誰かが笑っていた。
結果、集めるのは足りているけれどその条件ならと明朝に薪割りを引き受ける約束を取り付けて、どうにか休む宿を確保したのだった。
♢
「僕の交渉術でどうにかなりそうだったんですけど」
「すまない。聞いてなかった」
「聞いといてくださいよ協力しませんよ?!」
ぶすくれた表情のシランを宥めながら夕食のパンをちぎって口に運ぶ。宿屋の食堂では二人の他にこれから山を越えるらしい商隊の一団が酒で顔を赤くしながら騒いでいる。隅で静かに食事をしている男女は噂に聞いた駆け落ち中の騎士と娘だろうかとそんなことを考えた。
「半分は聞いてたんだ。随分必死だった」
「野宿は嫌だったんで……にしてもよく薪が足りないって分かりましたね」
「冬の終わりだからね」
「言葉が足りないんですよ。冬の終わりと薪の因果関係は?」
拗ねたような口調でそう言われて騎士は目を瞬かせた。少し考えてぽつりぽつりと言葉を溢す。とはいえ自分も魔術師にしか分からない単語を発していたのは棚に上げておくのはいかがなものかと思ったがそれは触れずにおいた。
「……冬支度で薪は倉庫いっぱいに詰めておくんだ。でも食堂はあんなに火を焚いていたのに受付は寒かった。備蓄が切れかけてたんだろう」
「はぁ……。ああー、なんとなく分かりましたけどやっぱり言葉が足りない。恨まれてそう……」
「もう恨まれてる」
「呪われてますもんね」
もくもくと肉を頬張りながら訳知り顔でシランが頷いた。さっきまで機嫌が悪そうだったのが食事か会話の流れか分からないがころりと良くなっているのを見て随分気分屋なのだな、なんて思う。
天才と名乗るこの少年は都合のいいように話したり野菜を残したりしているあたりどうやらまだまだ子供のようだ。こんな子供がどうして、と少年を観察しながら騎士は考えを巡らせる。この国でも子供は働くことはおそらくあるけれど、それでも他国に一人送り出すような真似はしないはずだ。それが探し物なんて果てのないものならなおのこと。
暗闇の中を手探りで、何か指に触れるものがないか探しているような感覚にずきりとこめかみのあたりが軋む。記憶がないのは存外厄介だ。そう思って気づかれないように額を押さえた。