5.りょうしごやをたちて
「うーーん……」
朽ちた猟師小屋に残されたナイフと向き合いながら、女騎士は唸っていた。だいぶ傷んでいるものの多少は輝くその刃物を、鏡代わりにして己の顔を映して見る。鳶色の瞳と煮詰めた蜂蜜のような髪。錆が斑らに浮かんだ鏡面では造形まではよくわからないが、長い金髪を纏めた三つ編みがなかなかに似合っている顔だと思った。
深い青の騎士服の襟は確かに一般市民にしては高級そうで、どうやら飾り襟か何かの装飾が縫い付けられていたような……そんな違和感が見受けられる。そのあたりの布がほつれているのを見るに、身元を辿れそうな手がかりを剥ぎ取ったというところだろう。敵は相当慎重な性格らしい。サイズ的にもお仕着せに見えないから、先のシランの詰所の隊長という推理も頷ける。
「その姿、自害を考えてそうに見えるんでそろそろやめてもらえると助かります」
「考えてないから安心してくれ」
シランとしては自分の首元に刃を当てているようで不安になるようだった。確かに見た目はよろしくない気がする。
そういえば、と女騎士は思い出す。初めてシランと出会った時、自分はとっさに腰に手を伸ばしていた。そこに何もなかったということは武器も奪われていると見て間違い無いのだろう。誰かに命を狙われている以上、呪いなどに対抗できないとはわかっていてもやはり心許なくて武器が欲しいなと考える。しかし目の前のナイフは切れ味も悪そうだし何より彼女には小さすぎる、気がした。少なくとも騎士という身分なら剣を使うのだろうし、ナイフを扱う騎士の話は聞いたことがない。記憶がないから当然だが。
「シラン、私は何の武器を扱ってそうに見える?」
「知りません。僕は魔術師なので」
心の底からどうでも良さげな声だった。いい加減そのナイフを首元から離してくださいよ、という文句には素直に従うことにした。
♢
太陽も中天に登ったお昼時、女騎士とシランは小屋を後にすることにした。暖炉の火とすっかり乾いた服のおかげで寒さはだいぶ和らいでいたけれど、外に出るとやはり寒い。冷たい風に知らず腕をさする。隣のシランも寒そうだ。飛ばされた、と言っていたからここに来たのは本人の意思ではないのだろうし、それもあって雪山は想定外だったのだろう。
「じゃあ、まずは山を降りるってことで」
「あぁ」
「で、この辺りに町とか……ああ、でも記憶ないんでしたっけ。まぁオルヴェンは狭い国ですし歩いていればどこかに着くでしょう」
「だといいけど。……シラン、その辺りは雪解けで地面が緩んでる。歩くならこっちがいい」
足元で踏み砕かれた名残雪が溶けて、降り積もった落ち葉に沁みていく。あちこちに点在するぬかるんだ地面は滑るぞと言外に注意すればシランは少し意外そうにこちらを見た。分かりましたよ、と大人しく歩く道を変えるあたり性根の素直さが見て取れる。
「その様子だと山歩きは慣れてる感じです?騎士団って山も歩くんですかねぇ」
「さぁね。……国境が山にあるのなら、警備に来ることはあるかもしれないけど」
「なるほど」
ちらとシランが視線を後ろにやったところを見るとここは国境が近いようだ。前を向けば葉を落とした木々の隙間からは遠目にぽつぽつと民家が見える。馬車が一輌、走っていくのが見えた──麓に小さな村があるらしい。どれぐらいの規模かはまだ分からないけれど。騎士団の詰所があるといいな、と女騎士は口の中で呟いた。
「そういえば君の魔術で街とか騎士団の詰所は探せない?」
「探せますけど……オルヴェンで石の回復は見込め無さそうなんで節約します」
「回復?」
「魔術は有限ってことです。僕の目的はあくまで探し物であんたを助けるのはついでなんで、妖精石は最後まで温存しとかないと……オルヴェンの竜脈に接続できれば回復できるんですけど」
「魔術師にしか分からない単語を羅列されてもこちらとしては反応に困る……」
「あとは市場とかで屑宝石が手に入れば多少は足しになります」
「話を聞く気がないな?」
──曰く。魔術師は使い捨て、或いは充填する道具で魔術を行使するらしい。シランの場合はそれが妖精石と呼ばれる魔力を込めた宝石で、魔力の満ちた国であるル・ティーヴァではどこでも手に入るが魔術師自体が存在しないオルヴェンでは非常に希少である。その為ここからは手持ちの妖精石でやりくりをしなければならないという話だった。要は旅行で金を節約するのと同じらしい。
まるで講義を受けているかのようだ。隣で訥々と語るシランを見て、そんな感想を抱く。
いつのまにか勾配はなだらかになっていて、遠目に細い街道が見えてきた。ここまで降りてくるともう雪は残っておらず、湿った地面だけが冬の名残を残している。少し傾いて黄色くなった日差しが柔らかく木の隙間から辺りを照らしていた。
「ちなみに竜脈についても詳しく聞きます?」
「陽が落ちる前に村に着くならね」
「あ〜〜どうですかね?知識ゼロの人に教えた事ないんで」
「じゃあ今度にしよう。街道を進んでいけば麓の村に着くと思うけど流石に冷えてきた」
「はいはい。ああ、あれですかね?」
遠目に見えた民家がだんだん近づいてくる。ふと振り返った先、山は既に夜の気配を纏い始めていて猟師小屋はもう見えなくなっていた。