3.さんそうののろい
夢現で声を聴く。今は聞き覚えのない、けれど耳に馴染んだ声がする。
それは繰り返すルーティン。目が覚めて、身支度を整えて、ドアを開ける。そんな当たり前の繰り返しのひとかけら。今にも消えていきそうなそれが、微睡む意識の向こうでリフレインする。
──おはよう、──。今日もよろしく。
──おはよう、
──おはよう、
おはよう、そう返したいのに唇は動かない。ぼうと瞼の裏に声の主が像を結びかける。ほんの少し私より背の高くて、声が低くて、それから、それから──それらが形になる前に、視界は千々に散っていった。
♢
随分とぴかぴかになった猟師小屋の上で、女騎士は目を覚ました。日はもう随分高く登って、白い柱が部屋のあちこちで伸びている。起きたことに気づいたシランがソファを軋ませながら飛び降りた。確固たる足取りで近づいてきてしゃがみ込むのに合わせて体を起こす。ひどく重い。
「お、おはようございます。気分はどうです?」
「……最悪だ」
「ならよかった。反応があったんであんたが寝てる間に一通り調べさせてもらいましたよ。やっぱり呪いみたいですね」
床につく手にはもうさっきのような文字は浮かんでいない。周囲を回っていた星も今は消え失せて、煌めくのは日差しの下で舞い上がった埃くらいなものである。自身の服の泥が落とされてすっかり乾いているのにも気がついた。どうやら随分と気が利く魔術師らしい。
「話聞けそうなら説明していいですか」
「……どうぞ」
「では、遠慮なく。まずあんたにかかってた呪いは三層になってるめんどくさい呪いです。だんだん記憶を奪うのが一つと、命を奪うのが一つ、進行を自覚しないのが一つ。進行を自覚しない方は解呪できましたが、他二つは元凶から解かないと意味がない」
なるほどわからない。眉間に皺を寄せた彼女に気づいてからりと少年は笑う。その反応すら想定内だというように気楽な笑い方だった。質問は後で受け付けますんでとりあえず説明しちゃいますよ、とシランは言葉を続ける。三本立てた指を折ったり開いたりしながら、どこか夢心地でその話を聞いていた。
「進行は目に見えるようにしてあります。進めば進むほどあんたの体に呪いの紋様が現れる。僕の見立てだと持って一週間ですかねぇ……あんたの記憶が消えてるのは第一段階。次は周りの記憶を奪う番。そうしてあんたが生きた証を全部消し去って殺す。これはそういう呪いです」
「つまり、用意周到なんだな」
「そうですね、どんだけ深い恨み買ったんです?」
「知らない」
一週間。さらりと零したその台詞がひどく胸に刺さるのに、そんな余命宣告をした本人はどことなく余裕そうで思わず目をすがめた。こちらの不満げな様子に気づいてまぁまぁなんて宥めてくる余裕すらあるようで、それがまた胸中に溢れた焦りに火をつける。どうやら自分はまだ死にたくはないらしい。
「何もしなかったら、の話ですよ。呪いはようは世界に対する書き換えです。なら書き換えを邪魔しまくればあんたの残り時間は伸びます。邪魔する気はあるでしょう?」
「あ、ああ……。それで余裕そうなのか……」
「まぁだいぶ無駄がない術式なんでそれでも三日伸びるか伸びないかってとこなんですけど。まぁそこは僕の威信をかけて伸ばします、この手の式には覚えがあるというか、慣れてますし……これでもル・ティーヴァでは有名な天才魔術師なんで」
それでも、十日。邪魔をするとシランは簡単にいうけれど、その方法も見当がついていない状態で間に合うかはわからない。そもそも信用できるとは思ったものの、彼のいうことを信じきってしまっていいんだろうか。わからないことが多すぎて、思考がまとまらなくて思わず頭をかき乱したくなった。その様子をじっと見られているのにも気づいているから、下手に取り乱すこともできない。
「ちなみに僕の術式が邪魔して一週間ですよ。何もなかったら五日です」
葛藤に気づいたのかシランがそんな言葉をかけてくる。は、と息を止めた。己の体を、剥き出しの手を見る。星座が皮膚の上を煌めいて滑っていくのが見えた。これがおそらくシランのいう邪魔する術式だろう。その瞬間信頼で揺らいでいた天秤は結論を出して傾いた。
既に尽くせる手を尽くしてくれていて、一週間。この先は──
「……質疑応答の時間でいい?」
「どうぞ」
「私の記憶を奪うのが第一段階で、次は周りの記憶を奪うなら、……それを邪魔すれば伸びる?」
「そうですね。死ぬ方が記憶を消しきったら発動するように書かれてたんで、奪われないようにすれば結果あんたの寿命も伸びます」
「連動してるのか……。じゃあ、つまり、……つまり、」
多分自分は元々頭が良くない気がする。
今の話で彼女が理解できたことなんて一握りである。一週間の余命宣告と、自分次第で伸びるということ。呪いは第二段階に入っていて、余命の伸ばし方は呪いが記憶を奪うのを阻止すればいいこと。即ち、
「……私の記録が残っていそうなところを辿っていけば、呪いを追える?」
「ご名答。ちなみにあんたの身分を考えたら騎士団の詰所とかで隊長が消えたとか……そういう噂を探ってった方がいいと思います。その服で一般市民はなさそうなんで」
「そんなに騎士然としてるの?」
「なかなか高貴そうですよ、髪も相まって」
ぱちぱち、と手を叩きながらシランはまた笑った。道がほんの少し見えたことに、安堵して彼女は息を吐いた。
シランを喋らせると延々と続くので切る場所に迷います