1.めざめのあさに
視界が金色に染まっている。
陽光に乱反射する小川の色。豊かに実った小麦畑。編み込まれた金色の髪。異国から運ばれた小瓶の香油。連想するのはそんなモノ。
耳鳴りがして、頭が痛い。視界中で輝く金色が瞳を刺す。上下左右どこを見ているかわからないほどの輝きに、今自分が目を覚ましているのか閉じているのかすら分からない。
不意に、懐かしい声を聞いた。
――ねぇ、――。これは絶対、内緒よ。
――誰にも内緒、これは貴方を――
不意に声が、視界が、崩れていく。まるで花が散っていくように、視界の輝きは闇に染まっていく。何も分からないまま、輝きは崩れ蝕まれ――忘れ物のようにひとひらだけ残して、そこで意識は暗転した。
♢
視界が金色に染まっている。
それがあまりにも眩しくて、何度か瞳を瞬かせた。少し視線をずらせば、沁みるその色がどうやら朝日のようだと気づく。夜の名残を残した白い空が、少しずつ青に色を変えていった。春待ちの夜明けはひどく冷えていて、芽吹きを纏わせた木々は少し赤っぽい陽光を浴びて沈黙している。春待ち、そう、春の気配を帯びてきたものの季節はまだ冬だ。あちこちに残る白い雪が、一層朝日を反射して瞳を刺すものだから、呻き声をあげて寝返りを打った。
そこで、自分が倒れている事実に気がついた。
地面に触れていた半身がじっとりと濡れて冷たい。いつからここに寝転んでいたのか、体の芯まで冷え切って痛い。かじかんだ体を無理やりに動かして体を起こせば、そこは山の中だった。辺りをぼんやりと見渡した――朽ちた猟師小屋、ぼろぼろの斧、小さな芽を出している切り株――どれも見覚えのない景色である。
「……どこ……ここ……」
掠れた声が己の耳朶をうつ。聞き覚えがいまいちないけれど、おそらくこれは自分の声だ。地面に両手をついて立ちあがろうとすれば、背中からだらりと金色の縄がずり落ちて視界を彩った。否、これは頭に繋がっている――自分の髪の毛だ。きっちりと固く編まれた金髪は、朝日の中でも眩しいほど色が濃い。
ここまで来て、彼女はようやく気がついた。初めて聞くような声と、初めて目にしたような髪の色。自分と繋がっているはずのそれに見覚えがなくて、なによりここにいる理由も分からない。
「……私、誰だ?」
しんと静まり返った冬の山に、問いに答えるものはいない。
♢
寒さで強張る体を無理矢理なんとか動かしながら、まず体を暖めようと猟師小屋へ足を向ける。何度かノックをして返事がないことを確認してから扉を上げた。中の荒れ果てた家具の具合から見るに、やはり捨てられた小屋らしい。
「……邪魔をする」
咄嗟に出た言葉は身に染みていた習慣からか、それとも。そんなことを考えながら埃を被った室内を進む。座っただけで崩れ落ちそうな椅子、足の折れたテーブル、ごわごわに固まった絨毯。その中央に鎮座する暖炉は石造りなおかげか劣化には耐えていたようだった。そこに転がっていた家具の足やらかけらを放り込んで、火の元がないか辺りを見渡す。放置された引き出しを開けてみれば入っているのは虫の死骸ばかりで、思わず眉を顰めた。さて、と考える。外から石でも見繕ってくるべきか、それとも――
「……火をつける前に凍え死ななきゃいいけど、」
「火をつければいいんです?」
そんな声がしたのはその時で、咄嗟に腰に手を伸ばしてそちらに向き直った。部屋の奥、スプリングの飛び出たクッションの上に誰かがいる。彼女が視線を向けたのに気づいたのか、誰かはゆっくり立ち上がってこちらに向かって歩き出した。すっかり登った朝日が窓から差し込んで、その顔を白く照らす。
黒い髪、赤い瞳、まだ声変わりが過ぎたばかりの、幼さの色を残す少年。纏っている衣服はこの国のものではなくて、おそらく隣国のものだろう。彼が座っていたクッションはスプリングが飛び出てこそはしているが、上に積もっていただろう埃や死骸は綺麗に取り払われていて、綺麗好きそうな性分が見てとれた。実際彼の歩いた通り道は比較的埃が少ない。
警戒を向ける彼女に少年はいかにも人が良さそうに作り笑う。そして暖炉の前まで来ると小指の爪ほどの小さな宝石を取り出して投げ入れた。そうして小さな声で呟く。
「“burn”」
その瞬間ぼうっと暖炉に火が灯った。目を丸くしつつ警戒を解かない彼女に一層笑みを浮かべながら、少年はまた向き直る。ピリピリとした警戒心をその身に受けながら、平然と受け流すように彼は口を開いて、
「はじめまして、オルヴェンの騎士様。困ってるのはあんたでいいんです?」
そんなコトを口にした。