知りたかった感情は、 (赤眼ゾンビ)
一応このお話も赤眼ゾンビ本編とは世界線が違います。どうぞ気楽に読んでください!
きらきら光る金髪が、不意に動いた。
「……海音か。どうした?」
振り向いた翡翠色の目が暗がりに私を見つめる。私は凍ったような指先を擦りながら、おずおずと彼に近づいた。
「すみません、寒くて……眠れなくて」
は、と彼の目が見開かれた。
「すまん。眠れていないんだろうとは思っていたんだが」
気を遣わせてしまって、慌てて首を横に振る。眠れていないことに気付かれていたのも少し恥ずかしかった。
寒さがこたえて眠れなくなったのは雪がチラついた後からだった。どれだけ寝返りを打とうが、ストレッチをしようが、冷えた足先は温まらず、寝具も冷たく体を覆うだけだった。これまでこんな事は無かったのに、と寝不足のせいで思考はネガティブに振れそうだった。
だから助けを求めるように、彼の元へ来てしまった。
「……海音、こっち来い」
続く言葉が見当たらず立ち尽くす私に、彼は束の間思案した後、私を手招きする。
おずおずと近づくと、今度はソファをぽんと叩いた。
座れ、ということらしい。躊躇いながらもソファに腰を下ろす。
と、彼の方から身を寄せられた。とん、と腕が触れ合う。
「ジェイドさん、」
その距離感に驚いて彼を見上げると、ふわりと毛布を掛けられた。それはさっきまで彼がくるまっていたもので、当然まだ暖かい。
「これで少しはマシか」
ジェイドさんが目を細める。私はぱちりと瞬いた。毛布の微かな暖かさは、それでも冷え切った体には充分だった。
それに。
「……はい。あったかい、です」
じわりと熱を持った頬を隠すように俯く。今は彼の目を見れそうになかった。毛布がずれないようにそっと掴む。
「――弟とも」
懐かしむような、穏やかな声。前を向いて話しているのだろうと、ようやく彼の顔を見る。
「寒い日はこんな風にして毛布にくるまってた」
灯りに照らされた翡翠色の瞳はどこまでも優しくて、それを囲うまつ毛はキラキラと光を通していて。
「クワルツさん、でしたっけ」
随分と前に不意に出た名前だ。ジェイドさんとはあまり似ていないらしいけれど、同じ翠色の瞳をしているらしい。
「小さい時のお話ですか」
「かなりな」
幼い二人が仲良く毛布に収まっているところを想像すると、なんだか可愛らしくて笑ってしまった。
「いいなぁ。私は一人っ子でしたから」
上でも下でも、どちらでも良いからきょうだいが欲しかった。
羨ましさを滲ませると、ジェイドさんは苦笑した。
「弟なんていても面倒臭いだけだぞ」
「それは、そうかもしれませんけど」
でも喧嘩したりする相手が居て、小さい頃を共有できるのはきょうだいだけだ。
「……けど一人だったら俺も、耐えられなかったかもしれないな」
ぽつりと零された言葉に私は目を瞬かせる。
一瞬翳ったその瞳の理由を、私は知らない。それどころかクワルツさんのことだって、ジェイドさん自身のことも何も知らない。
その事実を再確認して、なぜだかぎゅっと胸が痛くなった。いつ終わるとも知れないこの関係が、お互いに何も知らないままだというのは寂しい気がした。
「ジェイドさん」
堪らず彼の名前を呼ぶ。けれど私に向けられた瞳はまた優しく、いつもの彼だった。
「ジェイドさんのこと、もっと教えてください」
虚をつかれたように、彼の目が見開かれる。
「私、ジェイドさんのこと全然知りませんでした。だから、もっと知りたいです」
身を乗り出せば、その拍子に毛布が滑り落ちてしまった。私は慌てて振り返って毛布を追う。
「……そうだな」
低い、落ち着いた声が何故か近くに聞こえて、少し動揺する。横から伸びてきた腕が毛布の端を捉えた。
「こんなに一緒に居るしな」
く、と毛布を引っ張られたから、私は大人しく体勢を正して小さくなる。
「……俺は、八つのときに日本に来たんだ」
何から話すか迷っているような、ゆっくりとした口ぶりだった。
「日本語はどうにも、難しいな。学校に通えるまではしばらくあったんだが、ひらがなとカタカナを覚えるので精一杯だった。文字を覚えるのも、発音も、弟のほうが俺より先に上手くなっていったんだ」
アルファベットは確か、二十五文字程度だっただろうか。小文字を合わせても五十文字少しだ。
それが日本語は、ひらがなカタカナだけで百文字。それに漢字まで。
「なんというか……ハードルが違いますね」
ジェイドさんの立場になってみて、私は思わず遠い目をする。漢字だって中学生になってからもたくさん覚えなければいけない。
「だろう? だから漢字テストなんかはいつまで経っても嫌いだったよ」
学校で漢字テストを受けるジェイドさんを想像して、くすりと笑う。何でもできるイメージを勝手に持っていたけれど、私と同じように勉強で悩むところがあるのだ。
「私も、英単語のテストは苦手です。ジェイドさんは簡単でしたか」
長い綴りの単語を覚えるのには、随分と苦戦した。彼を見れば、淡い苦笑を浮かべる。
「そんなこともなかった。中学はともかく、高校になると知らない単語もあったからな」
緩やかな雰囲気は、暖かく。もう戻ることのない過去を話しているのに、何故だか少しも悲しくなかった。
体の右側が、ぽかぽかと暖かい。
「ジェイドさん」
しばらく感じていなかった心地よい眠気にひかれながらも、私は彼に向かって口を開いた。
「ジェイドさんはどうして、自衛隊になったんですか」
優しい貴方は、今まですごく苦しかったのでしょう。
それでも自衛隊だからという理由で私を助けてくれて。
その辛ささえも乗り越えてしまえる理由はいったい何なんだろう。
今この雰囲気じゃないときっと聞けないと思った。
微かに見開かれた彼の翠眼は、透き通って湖のようだった。
全身が暖かい。手先の感覚もふにゃふにゃと頼りなく、まぶたが重かった。
「……もう眠いんだろう」
「ねむ……くないです」
ゆっくりと瞬きをする。一度閉じてしまえばきっとすぐにでも眠りに就いてしまう。だから、起きているうちに早く教えて。
「私を助けてくれたジェイドさんは、自衛隊だから……私、自衛隊になろうと思ったジェイドさんにありがとうって、言いたくて……」
もはや自分の声も遠く聞こえる。
「そのきっかけも、しりたいんです」
全部全部、知りたいの。この熱の正体も、きっと貴方がここまで優しいからだ。その優しさはどこからくるんだろう。
瞼が落ちて視界が暗くなるのが鬱陶しい。瞳を閉じないように瞬きも堪えようとするけれど、それすら心地よい睡魔には勝てない。
彼が淡く苦笑する気配。
「また今度、教えてやるから」
む、と唇をとがらせる。それは教えてくれない人の言い方ではないか。
「全く、強情な奴だな」
頑なにまぶたを下ろさないようにしていると、毛布が頭からかけられた。彼は背中に腕を回すと、そっと私を引き寄せた。そのままとんとんと小さい子にするように腕のあたりを叩く。
先程よりも伝わってくる暖かさに、一気に気が緩んだ。
それはずるい、と抗議する間もなく、私の意識は深い眠りに落ちていった。
ふっと彼女の体から力が抜けた。肩にもたれ掛かる重さに、少しだけ微笑む。
そっと手を離し、彼女の眠りが深くなるまで、身動ぎせずにライトの灯りを見つめる。その間考えるのは、彼女が最後に聞きたがっていた、自衛隊に入った理由だ。
頑なに聞きたがっていたが、言えるはずもない。
お前のために、なんて歯の浮くような台詞、現実で言えるわけないだろう。たとえ相手が子どもでも、クワルツが聞けば大笑いするような言葉だ。言えない。
俺は立ち上がって海音を抱えあげた。力の抜けた体は、ちゃんと暖かい。
知りたいと請われて、教えれば楽しそうに俺の過去を聞いて。
嬉しくなかったと言えば嘘になる。
小さな寝息に、束の間まぶたを閉じた。出会ったのがこんな世界でなければ良かったのにと何度思った事か。
そっと彼女をベッドに下ろす。掛け布団と一緒に毛布をそのままかけてやれば暖かいまま眠れるはずだ。
穏やかなその寝顔を見ていると、不意にまた記憶が蘇った。
――私の宝物が、悪い夢を見ませんように。
眠る前、母はいつも俺とクワルツにそう言って、額にキスをした。
あぁ、と俺は納得する。今まで分からなかったこの感情は、母と同じものなのだろう。
ベッドのそばに膝をつき、俺は彼女の額にかかる髪をそっと払う。
『――悪い夢を見ませんように。おやすみ、海音』




