フォトから視えたみっつのお話
作中に使用しております、フェルトアートの写真は、天理妙我様からお借りしております。
夕の空に浮かんだ気球がひとつ。
褐色の髪を二つに括り三編みにし、小麦色に焼けた顔にはそばかすが散った少女がひとり。畑に植えられた穀物が風に吹かれ、ザワザワ。揺れて音を立てる中で、巣に帰る鳥の姿を羨ましげに追っていると、目に飛び込んできた気球。
畑に入り込んだ青い花。腕に抱える花。世話になる家の主から穀物に害をなすそれを、種がつかぬ間に、全て摘み取れと言いつけられた彼女。広いひろい畑。
青い、あおい、畑の穀物を喰うように広がる花。ひとつひとつ摘んで腕に抱えて外に出し。また畑に入って摘んで抱えて。懸命になっていると、知らぬ間に日暮れを迎えていた。
空と地が混じる場所には金色の雲。
夕の空にぽつんと浮かぶ気球がひとつ。
少女はそれを眺めて、育った村の祭の日を思い出す。
青い花が咲く頃、村の祭りの日には、領主が操縦士と共に呼ぶ気球に、前もって村娘たちが摘んで集めた、とりどりの花を祭りの朝、司祭が厳かに祝福を与えると、晴れ渡る午後の陽射しの中、気球に載せる。
響く太鼓の音。燃やされる空気。ふわりと飛び立ち、ゆらゆら昇る気球。晴れ着姿の見上げる人々。そして。
青い、あおい空からふるふる、数々の花、花、花びら。
地につく迄に、それを手に掴む事が出来れば、先の一年、無病息災で過ごせるという。
赤、白、黄色、桃色、畑に咲いてる青い花。
くるくる回って落ちる花、花。色、色。
この日の為に練習をした村の楽団、ドンドンシャンシャン、パパパラパァァァ!素朴な音色が華やぎを添える。
少女は裾に鮮やかな色糸で刺繍を刺した、白いエプロンの裾を持ち、椀のように広げる。足腰が弱り、広場に来る事なく家で留守居をしている、祖母の花を手に入れるため。
働き者の両親と、編み物が上手い祖母と小さな家で暮らす少女。戻れば、はれの日のご馳走の皿が並ぶテーブル。焼いた肉には、果物のソースが、壺には透き通った匂いの葉を漬け込んだ甘い酒、バター付きパン、チーズの塊。赤と黄色のイチゴのパイ。香草と塩漬け茸のスープは、祭の日だけ。
手の内に入った花を持って帰り、祝い事に使う、小綺麗な硝子の器に水をはりその上に願いを込め、そろりと浮かべる祭の日。占いをする。
昔むかしは、広場の高い木の上から、花を撒いたのだよ。手渡された黄色の花を浮かべつつ、祖母が少女に教える。
ひと夜明け、花が浮かんでいると、望みが叶えられ、半分沈んでいると、半分望みが叶い、沈んでいると、いい人に出逢える。
ときめかせて、朝を待つ特別な夜。
今はどこにも無い、焼けて滅んだ村での思い出。
遠く、とおく、ちいさくなり去っていく気球。
靑い、あおい、花を腕いっぱいに抱える少女。
夕暮れ色に変わる空。湿気った夜風が畑を揺らす。
目の前に広がる、摘みきれぬ青い花。
真っ暗になったら。
人攫いが来るかもしれない。しゃがんで隠れても、森から狼が這い出て来て、私を喰いに此処まで来るも知れない。
ぽろぽろ。涙が筋引くと。頬かひりりと痛む。顔も、手の甲も、ツンツン尖った穀物の葉っぱで、細かく切れている。
見えなくなった気球。目元をゴシゴシ拭っていると。
「やっぱりまだ居た。ほらほら、暮れたら何も見えないだろう。危ないし。後は明日でいいから、帰るよ!」
共に屋敷で下働きをしている年上の、彼女の声。
腕いっぱいに青い花を抱きしめ、ガサガサ。畑から少女は出ていく。
カサ、ガサガサ、カサササ。
穀物畑で住まう、鼠の番がチョロチョロ株間を走る。
薄いピンク色した背景に可愛い気球がひとつ。
降りているのか、これから飛び立とうとしているのか。
その日の気分によって、違って見えるそれ。
お嬢様。また、それをご覧になられて。メイドのマリが口うるさく言う。
「素敵でしょ。街に出た時、買ったのよ」
「はいはい、存じ上げておりますとも。路上で売られていた写真でございます」
そう。何処かの誰かが作ったソレを、写真に撮ったいちまい。橋の上だったかしら。鳥、気球、ドラゴン。大きな板に無造作に貼られて売られていた、沢山の写真達。
コレはその中のいちまい。
「可愛いわね」
手に入れてから、くしゃくしゃにならないよう、フォトスタンドに入れて楽しんでいるわたくし。
「ねぇ、あのお爺さん。覚えていて?マリ」
それを手にしてストールに座る私の後ろに周り、髪を梳くメイドに問いかけた。
「覚えております。胡散臭い、インチキ爺さんでしたわね」
辛辣な言葉に苦笑する。
「そのような写真一枚に、金貨一枚とは!ぼったくりもいいところです!お嬢様が世間知らずだと思って、足元みたのですわ!きっと!」
「そうかも知れないけれど、この写真には不思議な力があるよと、お爺さんはお話しをしたわ」
「ええ!ええ!困った時には枕の下に忍ばせて眠ると、夢の国へ連れ出してくれるとか?子供だましもいいところです!」
ブラシで、金の巻毛を幾度も梳くマリ。
「お嬢様、お嬢様はもうすぐ嫁がれるのですよ。眉唾物を信じてはいけません。公爵様から、子どもじみてると、お叱りをうけますよ」
公爵様。わたくしの胸の中がかたく固く。石になる。ザラリとした砂が口の中に広がる様。
デビュタントを終えたばかりのわたくし。
ある夜会で、みそめられたわたくし。
親よりもうんと年上の人との婚姻。
こわいわ。結婚の申し出をお受けしたと、お父様からお聴きし、フラフラとしながら部屋に戻り、マリに告げると、怪訝な顔をされたわたくし。
玉の輿だと誰もが言う。何故に貴方が?お姉様が悔しそうに言われる。
先行き短い夫。その後は、羨ましいと誰もが言う。
「さっ、出来ましたよ。お嬢様、お肌の為にもお早くお休みなさいませ」
「マリ、わたくしは、まだ何処にも嫁ぎたくないの。それに、お姉様を差し置いてなんて。嫌だわ」
何を仰るのですか!と呆れた顔をされる。
誰もが、わたくしの幸せの絵地図を描いて話すけれど。
誰もわたくしの幸せを、真剣に考えている様子は、無いように感じてしまう。
枕の下に、この写真を忍ばせて、裏に書いてある不思議な言葉を唱えてみようかしら。
薄いピンク色の背景に可愛い気球の写真。裏には、走り書きで呪文の様な言葉が記されている。
明けの空に気球がひとつ。
煎じて飲めば不老不死を得るという、霊峰の頂きにひっそり花開く草を、王の命により求めている勇者がひとり。遠くにぽつんと浮かぶそれを見下ろす。
朝が来た。ひと眠りするとしよう。今日は終わった。
夜、真っ当な人間が眠る時間、道を進む彼。まるで魔物の様だと、流れ行く気球を見送りながら苦笑する。
頂きから見下ろし見送る気球。明けの空。金の光が現れる。
何処に向かうのか。冒険の旅なのか。それとも遠くの街に、急ぎの荷物を運ぶのか。それとも。
小さくなる気球に他愛のない事を考えた彼。
空を旅したら、面倒に巻き込まれないかな。
誂えた装備、雇われた国から手渡された金貨の袋、狩った魔物から取り出した石。盗人の標的にされるのは至極当然。
動くのは夜が良い。頼まれる魔物退治も、その時間になる。日中は奴等は地に潜り眠り、動かないのだから。
ひりりと手のひらが引きつる男。後ろを振り向けば、ここに住まい、彼を敵とみなして襲ってきた、爪あるモノの骸が累々と転がっている。
空にも空賊やら、怪鳥やらがいるからな。地を行こうと空を進もうと、所詮変わりはない。か。
再び気球の姿を追ったが、その時はもう、昇る朝日に照らされ、小さな気球の姿は何処にも見えなかった。
終。