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バウンド bound  作者: はねとり 諒
9/28

9 トリィア

「後で散歩にでも行こうかしら…」


 しかし、今は静寂に飢えていたウレイアの元に招かれざる訪問者がやって来る。彼は部屋の前を通り過ぎること無く、ドアの前で足を止めた。


(っ!、はあ……)


 コンコン…


「どうぞ」


 ドアを開けずとも訪問者が誰かはウレイアには分かっていたが、顔を見せたのは執事長のグリムスだ。


「おくつろぎの所失礼致します。旦那様がベオリア様との歓談を希望しておられるのですが、いかがでしょうか?」


 歓談、とは?


「今、ですか?」


「はい」


 ウレイアは仕方なく、上げたくもない重い腰を持ち上げた。


「分かりました、伺います」


「ありがとうございます。では書斎へご案内致します」


 歓談と言っておいて書斎とは、ウレイアにとっては楽しいものではなさそうだ。






「ベオリア様をお連れしました」


 女性を個室に招くなら当然だが、開け放されたドアからグリムスが声をかける。なるほど、書斎とは言ってもこの屋敷で一般的な書斎を想像していたウレイアがうかつであった。広く贅沢な応接室に多くの書籍と装飾品、その中にデスクが置かれ展示室という趣きである。


「ああ、すまないねグリムス」


 ウレイアの姿を見るとネストールが立ち上がった。


「応じてくれてありがとう。どうぞ、ソファーに」


「歓談、と伺いましたが?」


「お酒とお茶と…どちらがいいかな?」


「ではワインの白を」


 その言葉を聞くとグリムスは部屋を出た。


 ネストールはその姿を見送りながら意を決して話し始める。


「私に取っては喜ばしい事なのだが、今は…不安でね。失礼するよ」


 そして遠慮がちにウレイアの前に座った。


「そう……初めてオリビエに出会った時…まあ、商人の私に取ってはお客様だったのだが、彼女はまるで、私とは違う存在だと思ったものだよ。それは今でも変わることはないが、母の様でもあり、姉や妹、子供の様にも思えたし、なにより女そのものにも思えた。しかも賢人で超上な存在だと感じた次の瞬間には最も人間らしく見える。計りきれない彼女の存在に私はすぐに魅了されてしまった……私は何とか気を引こうと思ったものだが……そんなことは彼女を前に無駄な事だとすぐに気が付いたし、結局は自分らしく接することしか出来なかった……」


 慧眼、ものの本質を見抜く能力を確かにこの男は持っているようだ。それはマリエスタ家の遺産だろうし、ケールが王として選んだ理由なのかもしれない。


 グリムスがワインを持って来ると、邪魔にならぬ様に静かにグラスをテーブルに並べてワインを注ぐ。ウレイアが会釈をすると僅かに微笑んで会釈を返した。


 注ぎ終わると、なるべく存在を感じさせぬよう、部屋の隅に身を潜めた。


「その賢女が機会のある度に自分以上と褒めていたのがミス・ベオリア、君だったのだが…正直、私には信じ難いことだったのだ。育てた親の欲目ではと思っていた、何しろ彼女以上の存在を私は想像できなかったのだから……」


 少しずつエルセーのことを語るうちに、ウレイアにもネストールの本性が見えてくる。


 どうやら、この男がエルセーに求めているのは対等の愛では無い。本人自身気が付いていないが、求めているのはエルセーへの従属。自身より高位な者に対する敬愛の念だ。


「だが妻の言っていたことは嘘では無かったようだね?……大変失礼な言いようだが正直に言わせていただけば彼女とはまた違った、特別な超越性を感じています。それが一体何なのか?私程度では推し量ることも出来ないのだが………実は、妻の話を聞くにつけ君達に会うことが叶った時には、当家に養女として入って欲しいと頼むつもりだった」


「!?」


 とんでもないことを言い始めたが、ネストールの話をウレイアは黙って聞き続けた。


「知っての通り私には子供がいない。妻のせいでは無い、恥をさらすが…どうしても私のモノが役に立たなかったのだ」


 え……?無表情に聞く中で、さすがにウレイアの眉がぴくりと動いた。


「いや、すまない、こんな事を淑女の君に打ち明けるべきでは無いかもしれないが、彼女のせいには…したく無いのでね。とにかく、それならば彼女が育て、彼女が愛する君に是非、当家に入って貰いたいと思っていたのだ」


 ウレイアはネストールの勝手な言い分が少し気に入らなかった。


「ネストール様は私に何をお求めなのですか?家族に名を連ねればよろしいのですか?」


「それで構わない。しかし、オリビエと同じく、君ほどの才女がそれでは満足出来ないだろう?全ては君次第で構わない」


「私次第?お会いしたばかりの私に?」


「確かにおかしな事を言っているかも知れない、でも分かるのだよ……私が君を養女になどとおこがましいことを言っている事さえ……」


 彼はワインを飲み込んだ。


「ミス・ベオリア、私程度で解る事で言えば、君は本当に稀有な存在だ。なんというか、独立した存在として確立しているというのかな?」


「そうですか?」


「どんな立場であっても、人間も動物と同じでコミュニティを作るか、そこに属さなければ生きていくのは難しい。それは君も同じかもしれないが、そこに生まれる精神的な依存が感じられない。口では言えるがこれは物凄く難しいことだ。あらゆる事を中立に観察しているし、達観出来る。賢人の域だ、と言っても言い過ぎでは無いと思う。まあ、たまにそれを気取る者はいるがね…」


 たしかにウレイアは社会の中で生活ごっこを楽しんでいる。しかし善良な彼は欲しいものを奪って生きることを想像できない。


「私が不安に思ったのはそこでね、君が欲するものは非常に少ないだろう?私には王家の遺産と、少しは自慢できるマリエスタ商会と子会社がいくつかある。話に聞いていた才女であるならこの環境に興味を持ってくれるとタカを括っていたのだ。だが君と会ってそれらが交渉材料にはならないかもと思い知らされた。となると…あとは君のオリビエに対する愛情に期待するしかない、のだが……これはまた、あまりフェアとは言いがたい」


 当然だがネストールには彼女達が生きている環境、いや世界が分かるはずもない。目立たぬように生活し、目的の為には暗躍し、おびやかされたら躊躇なく葬る。


 もちろんエルセーのように力を使わずに生きることは出来るだろう。それでもいつか、自分達を無条件に見破り、遥かに凌ぐ力でウレイアや周りの者を根絶やしに出来る者が現れるかもしれない。


 結局は常に仮想の敵を恐れ戦い続けているのだ。安寧は見えないほど遥か遠くにしか無い。


「ネストール様、浅薄な私の考えですが、一家、一社、そして一国の『あるじ』も根本は同じです。しかし領民は…家族や家臣とは違い、『あるじ』がすべき事は従えるのでは無く、道を示す事でしょう、私はそのような者にはなれません。それに、跡を継ぐ者ならば男を養子にされた方がよろしいのではないですか?」


 ウレイアの言葉にネストールは目を見張った。


「やはり……驚くのはそのようなことを語っている君に全くの違和感が無いことだ。そしてそれも君次第で構わない、先程君が言った様に名前を連ねてくれるだけでも私は嬉しいのだ。幸い時間はまだある……考えるだけでもお願いしたい」


 はるかに若いと思われるウレイアにネストールは頭を下げた。その姿を…敬意を示されてはウレイアもむげには出来ない。


「分かりました、考えさせていただきます。でも期待はなさらないで下さい」


 とても歓談とはいかなかった。そもそも今は彼の言葉に応じる気も無かった。


 それよりもであるっ、重要なのは彼が不能だったという事実の方だ。慧眼故のことなのか、やはり彼にとってエルセーは崇める対象ということだろう。そしてそんな事を彼女が気が付かない筈が無い…となると、彼女のいくつかの言葉を疑わなければならなくなる。


 書斎を出た後、ウレイアはその足でエルセーの部屋を訪ねると、こちらではトリーがエルセーとの歓談を楽しんでいた。


「あーっ、お姉様どちらにいらしていたのですか?」


「厄介ごとですっ」


 ウレイアは言葉を投げ捨てる。


「あの人に誘われた?」


「その通りです」


 少し不機嫌な顔で椅子に座った。


「お誘い?何のですか?」


「あなた、エルセーの娘になる?」


「はい……?」






 前日の夜に死屍累々となった現場は死体も処分され、凄惨な血の跡と死の臭いだけを残して静まり返っていた。


 その現場を確かめにやって来たのは8名の騎兵と1台の馬車。馬具や馬車には、丸を上下に2つに分け上が金、下が黒に塗られたエクサパティシ聖道教会のシンボルがあった。


 上の金色は天上界、下の黒色が冥界、そしてこの二界を分ける細く白い線が現界を表している。このレリーフを胸に抱く兵士が教会直轄の神兵である。


 騎兵の4名が馬を降りると2人一組となって建物の中に入って行った。2名は馬に乗ったまま付近を探索して回り、2名は馬車の前で辺りを見回している。


 すると馬車の扉が開き、降りてきたのは幼さの残る顔立ちの1人の少女だ。白い肌に白銀の髪、身には白いシンプルなドレスを着ている。


「お気を付けを」


 1人の兵士が少女に声をかける。


「大丈夫です…私達以外辺りには誰も居ません」


 鍛え上げた体躯の優れた兵士が一様に幼い彼女を敬い気遣っている。兵士によってはまるで彼女を恐れているようにも見えた。少女は何かを探すように辺りを歩いては注意深く観察している。まだ新しい血溜まりの跡など意にもかいさず、まるで花でも探して散歩しているようにも見えた。


 やがて兵達はそれぞれが少女の所に報告を持ってくる。


「剣で斬り合ったのなら剣による飛沫が少なすぎるかと」


「争った形跡があまり見受けられません。おそらくは一方的に殺されたかと」


「殺した者は暗殺者かそれに近い能力を持つ者かと」


「テーミス様、恐れ入りますが2階にご覧いただきたいものが……」


「分かりました」


 少女を連れ立って兵士が2階のあの部屋に入る。そこには人型に白く炭化した床があった。


 それを目にした途端、少女はにいっと嬉しそうに笑顔を作った。


「ネズミがちょろちょろしているようですね?もう…戻りましょう」


 テーミスが馬車まで戻ると先程の隊長らしき男が声を掛けた。


「何かお分かりになりましたか?」


「いいえ、なかなか尻尾を掴ませてくれません。でも痕跡を辿ればその内巣穴が見つかるでしょう。その時が楽しみです。神も焦らすのがお好きなのね…」


 彼女は馬車に乗る際にひとつ命令を残した。


「あと、駆けつけた自警団にも話を聞いておいて下さい。もしも私達を前に偽っているそぶりを見せたら……容赦をしてはいけませんよ?神を畏れることを教えてあげるのです、これは、徹底してくださいね……?」


 その顔に男の体から冷や汗が吹き出した。その場にいなければその冷たい視線と言葉を実感することはできないだろう。






 ネストールとの『歓談?』の内容にトリーは当然『え?』と驚き無言になった。エルセーは想像通りだったのか、反応も無く無言のまま。


「どの道、こちらが都合の良い返事をすれば良いのだから問題という程でも無いのだけれどね」


「私は、お姉様にお任せします。お姉様と一緒ならばどこでも同じですから」


 もちろんトリーはそう言うだろう。


「でもほらあ、勿体ないわよ?しかももれなくお母さんとして私が……んん?……それはなんか…ワタシが納得出来ないわねえ……」


 そしてエルセーはいやらしいことを言う。


 でも今は養子縁組の話などどうでもいいわけで、ウレイアにとっての重大事はやっぱり


「私は迷っているわけではありません。どう話したものかと悩んでいたいのです。さて、エルセー様!」


「は、はい?」


「ご主人とは肉体関係は無いそうですが?」


 エルセーの頰がぴくりとはねた。


「あ、あなたもしかして、ネストールに強制力を使ったの?」


「いえ、あなたをかばって恥をしのんで自発的に話してくれました」


「あらぁ、あの人はまた余計なことを……」


 ウレイアはひと段落挟んで今までの疑問を問いはじめる。


「まさかとは思いますが……あの石碑の事といい、この婚姻は私の為では無いですよね?」


「お…ほほほほ、そうねぇ……もう遠からず解ってしまうかしら?」


「ほ?お姉様の為とは何のことですか?」


 それはトリーも知らない昔の話である。


「え?うーん、でもいいのかしら、レイ……?」


「私が切り出した事ですから、どうぞ」


「そう?そうねぇ、ちょっと昔の話になるけど……」


 エルセーはひとつ息を吐いてから


「レイが、命の境界を越えた頃は……まあ、ケールの失敗となったカタストレが撒いた種によって、同族全てが悪しき者にされてしまった頃なの。教会は魔女狩りと称して私達を追い立て、日増しにそれは苛烈になり、それが原因でレイはこちら側に来たと言えるわねえ……」


 トリーがウレイアの顔を見つめる。その話にも興味があるのだろう。


「その頃には私は、人間の中に上手くとけ込んでいて、レイにもまずはその術を教えることから始めたわ。でもね、同族があちらこちらで殺されていくのを見続けて、この子はこう言ったの……『だったら私が同族だけの国を創る。誰にも侵され無い強い国を』ってね」


 と、ここでウレイアは注釈を入れた。


「それは、まだ幼い頃に言ったたわ事です。あの頃は皆が誰かに師事して育ててもらうのが普通だと思っていたのですから」


 時代が変わって少しは状況も変わってきているかも知れないが、今でも同族同士が助け合う事などかなり異例な事なのだ。ましてや国や集団としてまとまる事などまるで想像が出来ない。


「でもお姉様、それはもし実現したら素晴らしい事だと思います」


 エルセーがうなずく。


「でも確かに…夢物語よね?でも私達だけの国は非現実的だとしても、他の人間と一緒でも上手くとけ込める様助け合えるコミュニティがある場所があったら?逆に紛れ込む事で発見され難く出来るのではなくて?しかもその国のあるじが同族であったら……?」


「それで、マリエスタ家とあの町に目を付けたと言う事ですか?」


「あの人のことは好きよ。でも頭を撫でてあげるだけで満足している様ではねえ……あなたも気が付いたのでしょう?」


「はい」


 そこまでの器では無いのだ。それを言ってはネストールがかわいそうと言うものだ、自分の主人を見つけることは伴侶を得るのと同じくらい喜ばしい事に違いない。


「幼なかったあなたの言葉を思い出したのも本当だしマリエスタ家とあの町の境涯に興味が湧いたのも本当、そしてケールの足跡を発見した時、試したいと思ってしまったのも……本当。人間は簡単に騙せる、騙せない者には力を使えばいいこと。警戒することは裏切りと、自分の出自を勘違いして今では『天使』などと呼ばれている愚か者だけ、でしょう?」


 初めて耳にする『天使』という言葉にトリーの耳はぴょこりと反応する、そしてウレイアを見た。


「あのー、すいません、『天使』とは?」


「『天使』とは?そうね…私は遭ったことも無いけど、過去に何人か存在していたのは確かのようね。おそらく同族、でも私達とは真逆の存在とも言えるかしら?」


「同族なのに…まぎゃく?」


 自分達の真逆…その理由とは?


「そう、おそらく私達は『痛み』を積み立てることで死の境界を越えて帰って来た。そして世界には必ず表と裏があるように、逆に『幸福』だけを積み立てたのが『天使』のようなの」


「『幸福』…ですか?でもそれが何故、分かるのですか?」


「なんでも彼女達は自慢気に語るらしいわよ?自分の徳と幸福と神の代行者となったいきさつをね……」


 それは……


 産まれた時から人を疑わず


 善を疑わず


 自分の幸福を疑わず


 神と教義を疑わず


 痛みや悲しみ


 怒りや不安


 負のすべての感情を知らず


 幸福の内に死を迎えた時


 稀に、本当にごく稀に『天使』が生まれる。


「不安すら知らない?そんな奇跡みたいな人生って、もしあり得るのなら素晴らしいじゃないですかっ?」


 トリーは羨ましそうに胸の前で手を組んだ。


「それをはたして幸福と言えるのかどうか……?でもだから本当に稀なことなの、ひとかけらの不満も抱かずに生きることが人間にできて?それは異常なことだし想像してみて……?そんな人間が奇跡によって復活を成し、人智を超える力を持っていると理解したら、自分は何者に成ったと思うかしら?」


 ウレイアの問いを茶化すように手を組み天を仰いでエルセーが答える。


「神様の聖なる奇跡によって新たな生命と力を授かった私は、神の手足となって働かなければ………と言うところでしょうねぇ?」


「でも心は幼く、人としての痛みを全く知らない人間がどれ程残酷になれるか分かるかしら?おまけに神を盲信して疑わない力は絶大だもの、出来ると思ったことは全てが可能、なはずだけど……自分が『神の力』をどこまで奮うことを許されるのか?要は、神に対してどれだけ謙虚であるかが問題ね」


 そしてトリーが話から描き出した天使像とは…


「はあ、ようするに…危ない人なのですね?」


「危ないし、危ういわね。言ってみれば刃物を振り回すわがままな駄々っ子ね!おまけに力はどんな屈強な男でも敵わない……」


 すると今度はたしなめる様にエルセーが釘を刺す。


「例えは可愛らしいけれど、相手にすると厄介でしょうねえ?」


「なんかとにかく会いたいとは思いませんねー?怖い…と言うかめんどくさい?そんなイメージばかりが浮かんできますねー?でも……お話しからすると、過去に存在した『天使』はどうなったのですか?」


 ウレイアはエルセーを見た。なぜなら彼女は遥か前にその存在に触れているのだ。


「1人はねえ…250年程前かしら?私が、まだオネイロの元で世話になっていた頃にねえ…既に噂に聞いていた『天使』が側までやって来ている事を知ったのよ。当時はまだ忍んで生きていた訳でも無かったから少し聞いて回れば、私達を見つけることも簡単だったでしょう。そうやって移動しながらしらみつぶしに同族を殺していた『天使』がいてね……」


「たっ、タチが悪いですね…?」


「慎重なオネイロはオイジュと2人で迎え撃つと言って出て行ったの、助け合うことはなかったけれど利害は一致するでしようからねぇ。私は未熟だからと置いていかれたのだけど……オネイロはそれから5日間も帰って来なかった。なんでも時間をかけて始末はしたものの…2人とも深手を負ってしばらく動けなくなってしまってねえ、手負いでは帰るわけにもいかず隠れていたらしいの」


「なるほど!他に追っ手がいたら大変ですものねっ?でも倒せるのですね…?私はもっと、手に負えないバケモノの様な存在かと思ってました」


 バケモノ…それはそのまま自分達に返ってくる言葉だ。ただの人を基準に据えればの話だが、実際には出所の分からない力を奮っている彼女達は、自分達が何者なのかを説明することさえ出来ないのだから……


「それは対峙してみないと分からないし、解らないまま何もさせずに倒してしまうのが正解ね。全てエルセーから聞いた話だけだから私も何も分からないし」


 『天使』に関してはエルセーも冗談を言わない。それだけでもその存在が危険なものだということが伝わってくる。


「まあねえ…『天使』が必ずそうなると決まっているわけでも無いのでしょう?けれど歪んでしまった正義に偏執する狂信者、それが『天使』…と思っていいのじゃないかしら?まぁとにかく、同族に教会に天使、常に警戒をすることっ。でも、もし『天使』に狙われたら…」


 ウレイア達を想う故に口が滑ったのか?まったく彼女らしからぬ自白にウレイアは容赦無く付け込んだ。


「狙われたら……何ですか?エルセー」


「はぁ、もういいわ…もし『天使』に狙われたらね?私を呼ぶか、ここにいらっしゃい。力自慢でも未熟で幼い相手なら、私の方が得意でしょうから」


「ではやはり、貴女の力は健在と言う事でよろしいですね?」


 エルセーは口を尖らせて口惜しそうな顔を見せると、ついに観念した。


「はい、そうですっ!」


 その師の告白を聞いて最もショックを受けたのはトリーのようだった。


「お、大お姉様…なぜ私達に嘘を?」


 悲嘆な眼差しでトリーに見つめられると、エルセーは堪らずトリーを抱きしめて赦しをこう。


「ごめんなさいねぇ、もちろん悪気はないのよっ。あわよくばこの先、ちょっとしたサプライズになるかなあ、なんて?それにレイが優しくしてくれるような気がし、て…ねえ?」


 横目でエルセーはウレイアの顔色を伺っているが、別にウレイアは彼女らしいと思うだけで、彼女に対しては何と言うか、とうの昔にあきらめていた。ただこれからの対応は多少厳しくなるかもしれない。


 むしろ存分に同情をしていたトリーをかわいそうに思っていると、トリーは更なる矛盾に気が付いた。


「あれ……?待ってくださいっ、では、もしかしてそのお姿も…っ?!」


「ま、まあねぇ、実際とは違うけれど、でもこれはちょっと簡単に元には戻れない事情がねぇ…」 


「完璧ですよ?どういう仕組みなのか教えて欲しいくらいです」


 ウレイアは皮肉たっぷりに褒めるが教えて欲しいと言ったのは本心である。


「大お姉様、私……本当の大お姉様にお会いしたかったです」


「ごめんなさいねえトリーちゃん、でもあなた達への想いは本当ですよ!」


 ウレイアはため息をつきながらエルセーのワインを奪うと飲み干した。


 それで結局、何の決着が付いたのかと言うと、それぞれの気持ちが適当な場所に落ち着いた……と言ったところだろう。


 しかし、一応の謎解きが終わると、今度は先程のエルセーの言葉が思い出された。力自慢で未熟…まだ記憶に新しいキーワードがウレイアの心に影を落とす。


 詮索するか放置か…見つめられていることに気が付いてエルセーを見ると、小さく首を振っている。


 ならば今は彼女に一任することにしよう。


「それでは、私は自室に下がらせてもらいます」


「あっ、お姉様ちょっと…では私も失礼します、大お姉様」


「まぁ、もう行ってしまうの……?」


 エルセーに手を振りながらウレイアの後をトリーが追ってくる。


「ねぇお姉様、お散歩でもしませんか?」


「!、そうねえ、でも、あんな事件の後だから夜は控えましょう?」


 ここにいる間は夜の外出は控えた方が良さそうだ、もうこれ以上の面倒ごとは願い下げである。



 翌日のディナーも全員が揃ったが、気を遣ってなのか、ネストールが養子縁組の話を持ち出す事はなかった。まあ多少の売り込みに目をつぶればだが。


 彼はもう明日の早朝には次の商談のために、数日の間家を空けるらしい。エルセーはまたかと悲しい顔を見せていたが、果たしてそれが演技なのか本心なのかウレイアにも分からず、感心するばかりだった。






 まだ薄暗い早朝、ウレイアはエルセーと共にネストールを見送りに出た。


「これは嬉しいな、ミス・ベオリオ。こんな時間だと言うのに……もちろんオリビエにもいつも感謝しているよ」


「分かっているわ。気を付けて行ってらしてね?」


 エルセーの手を握ることはしても頰にキスをする事すらしない。意識はしていないようだが、やはり彼にとってエルセーは遥か高みに存在しているのだろう。


「ミス・ベオリア、まさか…例の話を断るために見送りに来てくれたのかな?」


「いいえ、しばらくは考えさせていただきます」


 そう答えるとネストールは安堵した。


「良かった。実はすぐに断られるのではないかとヒヤヒヤしていてね。こんなに厳しい交渉は初めてかも知れないな?」


 するとすぐにエルセーがあげ足を取って


「あらあら、私との交渉はもっと易かったのかしら?」


「いや、これは大変な失言をしてしまった。まあ、とにかく前向きに検討して欲しい」


 それだけ言うと彼は出かけて行った。


「さあ、今日は何をしましょうか?」


 それからの3日間はゆっくりと時間が流れた。そろそろ頃合いである、トリーに里心がつく前に引き揚げた方が良いだろう。朝食の後、ウレイアはエルセーに明日帰ることを告げた。


「ええっ?ここに住むのではなくて?」


「ええ、すみません(住みません)」


 日増しにこのような掛け合いが自然になってきているのは、次第にウレイアの心持ちも過去に戻ってきているからだ。


「もう帰ってしまうなんて、ねぇトリーちゃん?」


「すみませんっ、大お姉様!お姉様がそう仰るなら…私は、わたしはお姉様に逆らうわけにはいかないのです……っ!」


 すでにトリーにまで悪い影響が出始めている。


「でも大お姉様?よろしければこちらにも遊びに来てください」


 また余計なことを…ウレイアは片目をひそめた。


「トリー?メイド無し、温かいお風呂無しの環境にエルセーを呼ぶわけにはいかないでしょう?」


「それはリードを連れて行きますから問題ありませんよ?」


「我が家はそれほど広くはありませんっ!」


 実はここのお風呂に浸かっているときに思い付いた事があった。ここでは底の一部を鉄板にして、その下で薪を燃やしているようだが……水の対流運動を利用すれば、もっと小さな鉄の箱でバスタブのお湯を安全に沸かせるのではないのか?


 そんなつまらない事を真面目に考える度、実は実母の顔を思い出す。自分の好奇心や探究心は、産んでくれた母から受け継いだものだと思っているからだ。






 そして翌日の朝のエルセーはひどく落ち込んでいた。


「本当に帰ってしまうの?」


「大変お世話になりました、大お姉様。私も寂しいですけど、またお会い出来ますから」


 こういった時、トリーは割と冷ややかな対応をすることが多い。それは日常に満足しているからなのか?単に無関心なだけのようにも思える。


「そう…ならば」


 エルセーは重そうな小袋をウレイアに手渡した。じゃらりとした重い感触が伝わってくる。


「?、これで、何をしろと言うのですか?」


 中には貿易用の共通金貨が200枚ほど入っている。


「あなたの家の側で良さそうな家を買っておいてね?」


「は?」


「狭くても構わないから、寝室が4つとバスルーム、馬車と馬が置ける敷地が必要ねぇ。そのお金で足りるかしら?」


 さすがに住むつもりでは無いだろう。が、いやしかし、この人の行動は読み切れない意外性が多分にある。何にせよ本当に理性的だが奔放な人なのだ。


 ウレイアは取り敢えず呆れながら少し考えると


「…では、古い屋敷を改装されては?」


「あら、その口ぶりだと、あてがあるのかしら?」


「まあ、そうですね。それにもう、今となっては反対もしません」


 彼女の力が未だ健在であるならば反対する理由も無かった。


「建物は手配します。ただし、良い屋敷が見つかったら連絡するので、誰か寄こして下さい。そして改装の面倒はその方に全てしてもらって下さい」


「分かったわ。これで楽しみが増えるわね?ねぇトリーちゃん」


「はい、今度は私が大お姉様をご案内します。楽しみですっ!」


「でも…本当に寂しいわねぇ?もうあの頃の気持ちに戻っていたもの」


 エルセーはなごりを惜しむ様にウレイアを抱きしめウレイアはそれに応える。そして、耳元で囁いた。


「エルセー、トリーが本当の貴女の顔に『触れたい』と言っています」


「あら…そうなの?んん…まぁ、しようがないわね」


「いらっしゃい、トリー」


 いつ呼ばれるかと待ち構えていたトリーにウレイアが手を差し伸べる。


「はい!」


 3人は円の様にぴたりと寄り添って手を握り合う。


 エルセーはトリーに向かって微笑んで言った。


「はい、どうぞ」


「ええと、失礼します」


 トリーは目を閉じて握った手から徐々に身体の表面を探っていく。身体が接触した状態、つまりゼロ距離での走査を試みている。


 腕を登って肩へ、肩から首、そして顔へ。色は無いが鮮明な3次元の顔が頭の中に浮かび上がる。


「初めまして、大お姉様…」


 初めてエルセーの顔を触れて感じ、少し顔を紅潮させて呟いた。そしてついでに……


「うふ、うふふふ…」


「あらら、トリーちゃん?くすくす、妙齢だものねぇ…くすぐったい」


 エルセーはトリーの頭に自分の頭をコツンと当てる。


 ウレイアはすぐにトリーの不行儀に気づいた。


「あなた…何をしているの?トリー…!?」


 勢いに任せて今度はウレイアの身体を『触り』だすトリー。


「!、私の身体まで撫で回す必要があるのかしら?」


「年頃だものねえ?ちゃんと相手をしてあげなさい……?これもやはり、あなたにしか出来ない事よ、レイ?」


 こそこそ、くすくすと、そんな光景を使用人達は静かに見ぬふりをしていたり、快美なものを見るように眺めていた。






「では、気をつけてね。次はそちらで会いましょう?」


「はい、大お姉様。楽しみにしてます」


「オリビエ様、お世話になりました。皆様にも……」


 使用人達にも一礼する。


 2人は拝借した馬車に乗り込むと、もう一度軽く会釈をしてから出発させる。トリーは馬車の後ろからエルセーの姿が見えなくなるまで手を振っていた。


 これからまた3日間、いや、彼女達だけならば2日の馬車の旅となる。


 トリーはウレイアの隣に落ち着くとエルセーから贈られた金貨のペンダントを触れて眺めていた。


「大お姉様にいただいたペンダント、触れていると、何か見守られているような気がしますね?不思議です」


「私達を護りたいという気持ちが込められているなら、不思議では無いかもね?」


「あの、お姉様?ひとつ、おねだりしても良いでしょうか?」


 少しウレイアの腰がひけた……おねだりなどいつもの事なのに、丁寧にかしこまるなど一体どれほどの物をねだられるのだろう。


「一体、何かしら?」


「ええとですね、実はルビーを1つ分けていただきたいのですが?」


「くす、良いわよ、帰ったらあげるわね」


 ウレイアは理由も聞かず、約束した。


「ありがとうございます」


「それよりどうだったの?エルセーの姿を視ることが出来たのでしょう?ついでに私の身体も……」


「ああ…素敵でした、お姉様のカラダ…では無くてですねっ、やはり、お綺麗でお優しそうな方でした。少し目尻が下がってらして艶美な感じが…」 


 奔放不覊なところはこの子もエルセーに負けていないかもしれない。と言うよりもやはり2人は似た者同士なのか…?とにかく抑圧されてこの子が歪んでしまわないように、トリーの欲求に応える必要があるのかもしれない。


 ウレイアは頭を悩ませていた。


(?、何を考えているのかしら…まるで母親ね?)


「どうしたのですか?お姉様。変な顔をされて」


 顔を覗くトリーの頭を抱き寄せた。


「お?お姉様…?」


「何でもありませんよ、トリィア…」


「はあ……えっ!?トリィアっ?」


「貴女の新しい名前よ。古い神話の女神の名前なのだけど、いやかしら?」


「っっ!?…………!」


 驚いて瞬きもせずウレイアを見つめるトリーの目はすぐに涙で一杯になって、すぐにぽろぽろと頰をこぼれ落ちていった。


「いいえ…いいえ……おねえ、さま…だいすきです…」


 馬車の行方を見ていたウレイアは不意に顔を引き寄せられてトリィアに優しくキスをされた。


 そしてトリィアはしばらくの間じっとウレイアの胸に顔を伏せていた。


「おねえさま…」


「何?トリィア」


「!!!!……っ」


 トリィアは名前を呼ばれると、身体をぶるっと震わせて喜びを噛み締めている。


「何かしら?トリィア?」


「!!!っ。嬉しすぎて慣れるのが大変そうです……えと、神話なら女神のトリィア様にもお話があるのですか?」


「もちろんあるわよ。女神トリィアは神界の3神の1人、現界を統べるアストライオスの3姉妹の末っ子でね…姉妹はそれぞれ、動物、植物、人を統べるよう父親に言いつけられていたの。そして人を任されていたのが女神トリィア……彼女は3人の中でもとりわけ慈愛に満ちた女神で……」


 長い帰路の間、トリィアには沢山の物語を聞かせることになりそうだ……


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