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バウンド bound  作者: はねとり 諒
4/28

4 旅をするには

「うっふふーん、ふふーん……」


 2階からは上機嫌なトリーの鼻歌が聞こえて来る。『思い立ったが』とばかりにトリーに急かされてエルセーに手紙を送ったのが3週間前、還ってきた手紙には『愛しい娘へ』という頭語の後に『今すぐに出立しなさい』という文頭、その後にはウレイアを急かす内容の文章が綿々と綴られていた。


 ため息をつきながらすぐに出発日をしたため送り返すと、その6日後には『既に迎える用意は整った』と還って来る。この6日間というのはエルセーが住んでいる場所を考えると最短であった、いや、受け取って返事を書くことを考えると1日が何処かに消えている、呆れたことにせっかちが限界を超えたのだ。


 ウレイアは用事を片付け、乗り合い馬車の手配りをし、慌ただしく明日の出発を迎える。トリーはその支度の真っ最中というわけである。


 この家の2階には30平米程の寝室が3つ、それから階段を登るとすぐに10平米程のクローゼットがある。ウレイアはトリーを連れ帰ってから空き部屋に自分と同じベッドを置き、デスクとワードローブ、ドレッサーまで自室と全く同じ家具を納めてトリーに与えた。


「トリー、入るわよ?」


「おっ?お姉様?」


 普段あまり立ち入らないトリーの部屋を覗くと、ウレイアの想像通り部屋の中は旅の支度でごった返しになっている。


(やっぱり……)


「どうされたのですかお姉様?私の部屋に来てくださるなんてっ?とにかくどうぞどうぞ、早く入って下さいっ」


 トリーは取り逃がすまいとウレイアの二の腕を掴んでグイグイと自室に引きずり込んだ。所狭しとベッドの上に散乱していた服をぐいっと押し退けると、ウレイアを座らせてから身体を寄せて自分も腰掛ける。


「…………」


 そして何か期待を込めた眼差しでウレイアを見上げた。


「ああ…私が来たのはね……」


「はい…っ」


「昨日私が、『今回は乗り合いの馬車で行くから』と言ったのはね…?」


「はい?ええ、おっしゃってました」


「乗り合いの馬車はスペースが限られているから、荷物は絞って少な目にしないと……という意味も含まれていてね」


 そう言いながらウレイアは部屋の中に広げられた『荷物候補』を眺めていた。


「!!…もっもちろん、分かってますよっ、だからほら、ど、どれを持って行こうかなーって取り敢えず出してみてですね……」


 そう言うトリーの後ろには、荷物がぱんぱんに詰まったソーセージの様なバッグがひとつ、既に転がっている。


「寝間着にお出かけ用にディナー用に…もしかしたら乗馬服もいるし、ええと……ううむー、もう持っていきたいものがいっぱいで……」


「困っている割には楽しそうね?」


「それは当然です!お姉様との旅が楽しくない筈がありません。しかもお姉様のお姉様にお会いできるのですから!失礼の無いように考えるともう……」


 ウレイアの育ての親であるエルセーのことを思うと期待と喜びと緊張で、居ても立っても居られない数日を過ごしていた。


「エルセーは寛容な人よ、それに人の内面を見抜くのも得意な人だから着飾っても無意味なの。ありのままのあなたを見せれば良いのよ、それで十分」


「ありのままって、こんなまま?」


「そんなままよ…」


「そんなままって?こんなままをありのままにお姉様のお姉様に?お姉様はお姉様のお姉様にありのままをそのまま見られてもお姉様のお姉様は愛しいお姉様を可愛いと思ってくれるかもしれないですが私はお姉様のお姉様にこのままありのままをお姉様のお姉様に………うにゅっ?!」


 ウレイアがトリーの口を摘み上げる。


「あたたた…ほ姉さみゃ……?」


「誰も頭の中で早口言葉に挑戦したいとは思いませんっ」


「す、すいません…これからは『エルセー様』で…」

 

「あなたらしく無いわよ、トリー?とにかく必要な物は向こうで揃えることも出来るし、あなたも旅には慣れているのだから何が入り用かは分かるでしょう?」


 2人はウレイアの生業の都合もあって他の土地に足を運ぶことも多かった。長い旅は『冒険』と言った方が良い、ただ2、3日の移動くらいは日常の範ちゅうで、定期的に馬車が行き交う範囲で時間を選べば野盗に狙われることもあまり無い。もっとも特別な『力』を持つ彼女達にとっては、人の多い街なかを散歩するよりも『冒険』の方が余程気楽なものだった。


「でも今回はやっぱり特別です、エルセー様にお会いしたいとは言いましたが私を気に入っていただけるかどうか……」


「そんなもの関係ありません、エルセーが気に入ろうと入るまいとあなたは私の弟子です。気にすることではありませんよ?」


「お姉様……」


 トリーは軽くウレイアにもたれると傍にあった服を取った。


「この服も、このベッドも…ここに有る物全ては、お姉様が私を想って与えて下さったもの……お姉様の愛にあふれたこの部屋で過ごせる私は、幸せ者です……」


「そう…そう思ってくれるのなら私も嬉しいわ………でもねトリー、その服は初めの頃に買って上げた物でしょう?もう小さいでしょうしいくら何でもお捨てなさいな?他にも古いものがいくつも……」


「だっダメです!どれも私の宝物なのですっ、こ、こればかりはお姉様のお言いつけでも…」


 慌てて守るように服を抱えるとトリーは縮こまる。そんな姿を見せられてはウレイアにもなす術も無く、そっとトリーの頭に手を置いた。


「そう……全てあなたの物だもの、好きになさい」


「わたしの…」


 そう呟くとウレイアに抱きついて黙りこんだ。ウレイアは子供をあやすようにトリーの頭を撫でた。


「………さて、私は何かエルセーに持っていける物がないか買い物に行くけれど、あなたも一緒に行く?」


「買い物?」


 ぴょこっと顔を起こしてウレイアを見た。


「行く行くっ、行きましょう、お買い物!あ…でも……」


 2人の周りには変わらずに物が散らばっている。


「戻ってからにしなさいな?」


「ええと、お姉様のお言いつけとあれば、仕方がないですね?では……」






 見渡す限りの草原、どこまでも続く丘陵地帯。隣国ハルムスタッドの広大な領地の殆どは緩やかな丘の続く平野がただ延々と広がっている。


 ペンズベリー王国領との境には沿岸部を除いて低い山脈が連なっており、その山脈の南端、国境にほど近いなだらかな裾野にポツンと、しかし2階建ての豪壮な邸宅がある。


 北に山を背負って南にどこまでも裾野を望む大きな屋敷で、蜜色の石で統一された外装はよく見れば繊細な彫刻があしらわれ、豪華で慎ましいという相反する佇まいを見せる。


「オリビエ様」


 境など分からない庭園のベンチに腰掛ける女性に身なりの整った中年の男が声をかける。


「3日後のクルグスに馬車の手配をいたしました」


「朝ですか?」


「はい」


「ありがとう、リード」


 女性は握っていた2枚の小さいコインを傍らに置くと、目を細めてカッシミウの方に目を向けた。






 翌日の朝、陽が登るとすぐに出発する馬車に合わせて、ウレイア達は暗いうちに家を出なければならない。しっかりと身支度は済ませた、昨日詰め込んだ荷物は玄関に置いてある、結局トリーの皮袋はパンパンのソーセージのままだ。さてそろそろ


「トリーっ行くわよ、そろそろ下りてらっしゃい」


「はいはい……っ、お待たせしてすいません」


 ぱたぱたとトリーが階段を下りてくる。


「あら?あなた外套は?」


「あっ、いっけない…すいません、すぐ持ってきますっ」


 旅をする時の服装として、『外套』はとても便利なものだ。厚いウールの外套は雨風や寒さを防ぎ、体を休める時には敷物にも毛布がわりにもなる。なにより女の身では姿を覆って隠せる服装は大切だった。


「お待たせしました。さあ、早くエルセー様にお会いしに行きましょう」


 袋小路から出て適当に小路を右に曲がって少し歩くと、広場へと真っ直ぐ続く通りに出る。その交差点を左へ、しばらく進み警備詰所を過ぎた辺りで広場を遠くに見ることができる。


 広場は旅の出発点であり、早朝から客を待つ馬車やその客を見込んで色々な露店や売り子が賑やかに声を上げていた。


「お姉様これはっ?!今日はまた馬車がいっぱいでどの馬車か分かりませんね?」


「あの紫色の旗が立っている馬車ですよ」


 馬車の各業社は客が迷わないように、それぞれの色の旗を馬車に掲げている。馬車を見つけた乗客はその前に立っている御者に確認して、代金を支払った証明書を見せれば乗ることが出来るという仕組みだ。


「おお…!大きな馬車ですよ?お姉様っ」


 2人が乗る馬車は5頭引きの大きなもので、荷を入れることが出来るベンチがゆったりとしたスペースで4列据え付けられている。御者は2人、侍女が1人、そのうえ食事と用心棒まで付いて安い馬車と馬を貸りるよりも贅沢な料金となっていた。


「これは、随分と楽できそうです……」


「帰りは日取りを決めていないから、こうはいきませんよ?」


「はい、こんな旅も素敵ですけど、本当は2人だけの旅が一番好きです。帰りは2人でのんびり戻りましょう?」


「でも女の2人旅なんてあまりに目を引くもの。噂になっても面倒だからたまにはこんな旅もしないと…」


 苦笑いをしながらウレイアはため息をついた。誰でも無い、ウレイア自身が乗り合いの馬車は面倒で好きでは無いからだ。


「はあ…2人だけの方がよほど安全なのだけど……」


 言っているそばから2人に御者が近づいて来る。


「皆さんお揃いになりましたので、ご乗車次第出発いたします」


「わかりました。乗るわよ、トリー」


「面白くなりそうですね、お姉様?」


「あなたのような性格が羨ましいわ」


 馬車は12人乗ることが出来ると聞いていたが乗客の数は7人、2人は最後列に座ることにした。


「見てくださいお姉様、面白いですね?」


 2人の後ろにはスペースが設けてあり、侍女の椅子と小さな火鉢が備えられていて、お茶程度であればいつでも淹れられるようになっているようだった。


「それではお座りください。出発いたします」


 手綱を持たない御者の言葉に合わせて馬が歩き出すと、馬車はギシギシきしむ音と共にゆっくりと動きだした。


「乗り合いの馬車もたまには乗っているのに…少しどきどきしますね?」


「わくわくでしょう?」


 トリーは少し興奮気味に言った。ウレイアはまだ楽しめるほど余裕はない。乗客の中に怪しい者はいないようだが、それでもしばらくは監視の為に気を抜くわけにはいかないだろう。すると声を潜めてトリーが言った


「私もお手伝いしますから、お姉様も少し楽にして下さい」


 『監視』している事に気付いた頼もしいトリーの言葉に、ウレイアは彼女の頭を撫でた。






 街を出てモーブレイへ続く街道に入ると、侍女が慣れた様子で屋根に張られたロープを使って前に出た。


「皆様、私はモーリーと申します。皆様のお世話を仰せつかっております。なにぶん車上ですので十分には致しかねますが、お茶のご用意もございますのでお声をお掛けください」


 モーリーは軽く頭を下げるとこちらに戻って来る。今にも声を掛けたそうにしているトリーだが、踏み切る事が出来ず自身にがっかりしていると


「お嬢さん方、ドライフルーツはいかが?」


 また唐突に、前に座っていた老夫人が蝋紙に包まれたドライフルーツ…乾燥したイチヂクを差し出してきた。


「うわー、すいません。では…ここに2つ頂けますか?」


 軽く驚いたフリをしてからトリーは手の上にハンカチを広げて見せた。


「まあ、礼儀正しいのね?じゃあ、どうぞ」


 夫人は手でひとつずつ、トリーのハンカチの上にイチヂクを乗せる。


 礼儀正しいと夫人には褒められたが、実はトリーがハンカチを出したのには、敬意を示す以外にも大切な意味がある。


 それはまず、他人から差し出された物は相手に直に触れてもらう。そして相手が触れた物ならとりあえずは自分が触れても良い。この条件を満たすようにウレイアが教えてあるからだ。


「ありがとうございます」


 トリーはひとつを取り上げるとウレイアに見せた。もちろんつまんだ時に不審な所がないか丁寧に確認している。ウレイアが手を出すと、そのひとつを手の上に置いた、確かに危険は無かったようだ、トリーを褒める意味でウレイアは頷いた。


「ありがとうございます」


 ウレイアも老夫人に礼をつくす、まあ、かたちの上でだけだが。


「それにしてもなんて可愛らしいご姉妹なのかしら?カッシミウでも評判なんでしょうねえ、ねえ、あなた?」


「ああ、そうだな…」


 無愛想な夫が面倒そうに相槌を打つ、乗客はこの老夫婦と、その前に太った中年の男、最前列には女が2人、おそらく親娘だろう。そして御者が2人と侍女が1人……それから馬で付いて来る用心棒が2人。


 御者と太った男は短剣を持っているが、護身用だろう。侍女の傍らに置かれた木箱の中にはキッチンナイフが1本、あとは御者の上、屋根の物入れの中に長剣が2本隠してある、まあそれも用心棒と同じで野盗対策だと思われた。


「すごく甘くて美味しいです」


 トリーはイチヂクを割って少しずつ噛んだ。


「甘いものはチカラになるものねえ?」


「はい、ところで…ご夫婦でご旅行ですか?」


「ええと、ちょっと違うのかしら……?私達はサンデルノに住んでいるのだけど、娘がハルムスタッドに嫁いでねえ。もうこの歳だし、長旅が出来るうちに会いに行こうと言う話になったのよ……」


「娘さんが他国に?大変ですね…」


 家族が他国に『国替え』をするのは相当な覚悟が必要だった。このように大切な家族と会うことも一苦労となるが、国交が良好ならばまだ問題は無い。しかしこんな不安定な時代では突然国同士の関係がこじれたり、ともすれば戦争にまで発展することも珍しいことでは無い。そうなると敵国に身内がいる者は途端に互いの国内での立場が危うくなった。周りからはスパイ扱いされ、国からは全てを没収された上に国外退去を命じられる事さえあった。


「まあハルムスタッドは長いこと友好的な関係ですからねえ、娘の望みを叶えてあげたくて移民を許したのだけど…」


 夫人は不安そうな顔をして一瞬言葉を飲み込むと、主人が会話をさえぎった。


「おいっ、よその方にそんな話しをするものでは無い」


 その言葉を聞くと、トリーはくっとあごを引いて言葉に力を込めた。


「内々のお話しとは思いますが、是非〝聞かせていただけませんか?〟」


 トリーの言葉を聞くと、老夫婦の眼から意思の光が消えた。これは彼女達が持つ力、『強制力』が働いている、しかもかなりの強度で。


 『gebannan』と古い言葉で呼ぶこの力も『強制力』と言い換えるが、これは暴力的なまでに強くされた『命令』である。心の防壁を持たない、あるいは弱い者は、相手の意思というフィルターを粉砕して脳に直接届くこの言葉に逆らうことはできない。それはただの人間、それから力で劣る同族も同じである。


 その『強制力』を軽やかに使うトリーの姿を見てウレイアは嬉しく、そして誇らしいと感じたのだが……その時同時に自分の感情に違和感を覚えた。


(誇らしい…とは?)


 ウレイアは過去にも2人の弟子を育てている。その成長を見ていて、満足感はあったが他人に自慢したいような『誇らしい』などという気持ちは経験した事が無い。彼女はこの感情の出どころが分からないことに戸惑った。


 トリーの言葉に逆らえない夫人は、独り言のように口を開く。


「私にはよく分からないのだけど……ハルムスタッドでは最近教会の権威が増しているらしいの。それで内政が不安定になっていると娘がひどく不安がっているのよ」


「うーん、教会が政権を奪おうとする…なんてことは無いですよね?お姉様……」


「そうね、考えづらいわね」


「私もそう思うのだけど、娘の手紙はやけに深刻そうでねえ」


「〝娘さんは、その話をどこから聞いたのでしょうか?〟」


「娘が嫁いだ先はお城の、しかも近衛兵を務めている家系でねえ、家の中では色んな話が洩れ聞こえてくるらしいの」


 ウレイアの教会に対する認識も、政策に関わる事はあっても国を持とうとは思わないはずだった。


(ハルムスタッドは教会と関係が深いはず、その中から不満が洩れてくるということは……おもしろい、ハルムスタッドは当然だとしても、教会も一枚岩では無いかもね…)


「無理にお聞きしてすいませんでした」


 トリーがそう言うと人形のようだった夫人は人に戻った。


「あら、私ったらなぜかしら?変な話をしてごめんなさいねえ」


「いいえ、ご心配されているのに興味本位で聞いてしまって、すいませんでした」


 と、振り向いてウレイアに見せた顔はドヤ顔であった。ウレイアは自慢気なトリーの頬を撫でた。トリーは理屈よりも感覚で自信を得るタイプだ、それは分かってはいたが最近の成長には目を見張ることがあった。


 ずっと貯めていた経験がついに器から溢れ出したのか?あるいはあの夜の様なきっかけを得ることでその器を割ることが出来るのか?


「すいません、モーリーさん」


 トリーは褒められた勢いでモーリーに話し掛けた。


「何でしょうか?」


「もうすぐモーブレイですよね。休憩時間はあるのですか?」


「はい、お食事も取っていただきたいので、短いですが1時間ほど停車いたします」


「どうしますかお姉様?何か召し上がりますか?」


「そうねえ、少し街を見てかるくお茶でもしましょうか?」


 馬車はモーブレイに続く橋に近づいていた。バマー公爵が転落して流されたあの橋だ。ゆっくりと馬車が進んで行くと、破壊された高欄は当然綺麗に修理が終わっている。


 最前列の親娘が修理された高欄を見ると胸に手を当てて祈りを捧げているようだった。


 顔に手を当ててわずかに肩を震わせている娘を母親が肩を抱いて引き寄せた。ウレイアの中の好奇心の怪物が、もぞもぞと今にも目を覚ましそうだ。


 馬車は街に入ると東側の広場で止まった。


「では、次の鐘が鳴るまで休憩となります。なるべくこちらで何か召し上がっておいて下さい。この後はハウィックの中間辺りでの休憩となりますので」


 モーリーの説明が終わると、客はばらばらと馬車を降り始める。


「鐘が鳴りましたらお集まりください」


 降りて行く客にモーリーは念を押して送り出す。ウレイアは馬車を降りて辺りを見回しながら


「お姉様、どうなさいました?」


 例の親娘を目で追っていたところをトリーに気づかれてしまった。


「ふむ…ちょっと気になることがあるから散歩に付き合ってくれるかしら?」


「お姉様…置いていこうとしても逃がしませんよ?」


 悪戯っぽくトリーが笑った。


 親娘は馬車乗り場から2、3度路地を曲がった所で、背後から男に呼び止められた。様子からすると示し合わせていたようで、しばらく会話をした後に手紙らしい物を母親が受け取っている。


 ウレイア達は路地を2本ほど離れてその様子をうかがった。もちろん目ではなくて『監視』の能力を使っている。


「皆さん何者でしょうねえ?」


 手紙を渡して少し話しをすると男は離れて行く、それを確認すると


「トリー、少しここで待っていて」


「えー?もう…分かりましたぁ」


 不満そうなトリーを置いて、ウレイアは男の後を追う、追うと言うよりは先回りをして、曲がり角で出会う物語を演出してみた。


 角の手前で立ち止まると周りを見回しながら男が現れるのを待つ。


「もし、お急ぎのところすいません。ここから一番近い書店はどちらでしょうか?」


 怪しまれる事を嫌って、当然男は応対するしかない、ましてや正面から現れた女1人を不審に思えるわけもないだろう。


「書店ですか?大通りに戻って城に向かって少し行くと看板が出てますから、そこを左に曲がるとすぐですよ」


「ご丁寧にありがとうございます。ところで…」


 ウレイアはトリーを真似て男に喋らせる。もちろんウレイアが本家本元である、その『強制力』の強さは相手の行動さえも支配する。


「〝あなたは誰?〟」


「あっ…わ、私は、カレンベルク家に仕えております、アベル・クランマーと申します」


「〝先ほどの親娘は誰なの?〟」


「ヴィンセント・バマー公爵のご婦人とご息女です」


「やはり…渡していた手紙はカレンベルク子爵、もしくは伯爵からの手紙ね…?〝内容は?〟」


「確かに伯爵様に仰せつかりました。内容は存じません」


「でしょうね、いいわ。〝道を尋ねられた事以外は忘れなさい、いいわね?〟」


「かしこまりました」


(密会にしてもなぜ乗り合いの馬車で?しかも娘同伴で婦人自ら……)


 ウレイアは男をそのままにして、トリーの元へ戻って行った。


「いかがでしたか?お姉様…」


「以外にもカレンベルクの名前が出てきたわ。あの子爵、思ったよりしたたかだったようよ?…いえ、父親の方かしら?まあ、あくまで推測だけど…面白いことになっていそうね」


「あとで教えてくださいね?」


 人の背中を透かし見る時の顔は師弟揃ってそっくりであった。


「まだ時間はあるわね、ちょっと本を見て、お茶でもしましょうか?」


「まーたご本ですかあ?本当にお好きですね?」


「生き残るためですよ。食事みたいなものかしらね」


「そんなに食べたら太っちゃいそうです」


 ついでに長い馬車の時間を有効に使う理由もある。


 結局はトリーが色々な店に目移りしていたおかげで、あまり本を物色することも出来ずに2人はそのまま馬車に戻ることにした。馬車に戻って間もなく、街に鐘の音が響くと、モーリーが現れて客を待ち構えた。もっともこの時点で戻っていなかったのは1人で乗っていた男だけだが。


「今日はどのようなご本をお買いになったのですか?お姉様」


「新自然科学」


「は、はあ…」


 別に本には興味が無い、ただウレイアが手に取ったモノを知りたいだけである。


 すると突然背後でモーリーが声を上げた。


「お急ぎにならなくても大丈夫ですよっ」


 見ると男が早足でこちらに向かってくる。


「はあ、はあ、おお…私が最後でしたか…?」


 軽く息を切らせて男は戻ると、申し訳なさそうな仕草をして席に着いた。


「それではお揃いになりましたので、出発いたします」


 再び馬車が走り出すと、トリーはウレイアの手に自分の手を重ねて顔を覗き込んだ。


「お姉様、先ほどはお茶も出来ませんでしたので、モーリーさんにお願いしてはいかがでしょうか?」


「別に気にすることは無いわよ?でもそれであなたの気がすむのならお願いしなさい」


「モーリーさん…」


 振り向くよりも早くトリーはモーリーを呼んだ。そして呼ばれるよりも先に2人の話しが耳に届いていたモーリーも


「はい、お茶ですね?承りました」


 言うが速いか木箱に手を伸ばしていた。


 モーリーは木箱を開けて蓋を裏返すと、先ずはその上にお茶のセットを手際良く並べていく。ティーソーサー、カップ、茶こし、さらにティーポットに茶葉と、まるで魔法の箱のように茶道具を取り出していく。


「すごいですよ?お姉様。見ていて気持ちがいいです」


「そう…」


 揺れる馬車にもかかわらず茶器を鳴らさぬモーリーの素早い動きはまるで『魔法』のようだった。その手際の良さで、ガタガタと揺れる馬車の上で器用にティーポットにお湯を入れて全てをトレーに整えて来ると、ティーソーサーに空のカップを乗せて手渡された。


「では失礼します。カップを少しこちらにお願い出来ますか?」


「はい!」


 横に立ったモーリーにトリーがカップを差し出すと、また器用に馬車の揺れに合わせてカップにお茶を注いでくれる。


「少な目に注いでおきますから…おかわりはまたおっしゃって下さい」


「はーい。どうぞ、お姉様」


「ありがとう、トリー」


 トリーはウレイアとカップを差し替えると、空のカップをまたモーリーに差し出した。


「でもモーリーさんは器用ですね?」


「いいえ、慣れているだけです。結構長いんですよ、この仕事」


「いえいえ、『そういうのを技術と言うのですよ』」


 ウレイアはトリーの頭をコンとたたいた。


「って、お姉様が言ってましたっ、すいません……」


「でも、その通りよ」


「そうでしょうか?そんなことを言われたのは初めてです。ありがとうございます」


「うん、お茶も美味しいです。『一芸は多芸に通ず』これもお姉様の受け売りですっ」


 そんなやり取りが他の客の興味を引いたらしく、こっちもこっちもとモーリーは急に人気者になってしまった。だがトリーはモーリーの手際と身のこなしを見る事が出来ることに満足のようだ。






 モーブレイを出てしまうと目に写るのは果てしの無い草原である。街道を進んでいればチラホラと他の旅人とすれ違うこともあるが、旅を共にする者もいなければ五感に伝わってくるものは全てこの自然界の在りようだけである。


 その世界に身を投げ出して黙って進んでいると、この世界では自分は小さく少しも異質では無い、自分の存在をそんなふうに感じることが出来る。それでも世界を覆いつくそうと拡がっていく自分の心を感じることが心地良かった。


 もっとも乗り合いの馬車に身を置いている今回は色んな雑音を覚悟しなければならないのである。

 

 馬車は今日の宿泊地であるハウィックに向かっているが、そこまではまだたっぷりと半日以上ある。こういった長旅の秘訣はどれだけ上手に暇を潰せるか、もしくは上手に呆けられるかだろう。


 トリーはすっかりうち解けたモーリーとの会話に夢中になっているが、ウレイアは今回の場合でも本だ。彼女は本が好きなのでは無く、そこに込められている知識が必要なのだ。


 彼女達の能力は想像力に強く左右される。後は単純に『出来る』ということを疑わないこと…消極的な言いようだが、『信じる』では無く、『疑わない』と言うのが一番正しいと思う。


 言ってみれば心の中にある力を自分の意思で顕現させるというのがウレイアの認識なのだが、もしも自分の能力に不安や疑問を感じると、その効果は著しく低下したり、場合によっては発現も危うくなってしまう。また一度その状況に陥ってしまうと元に戻るのは容易な事では無い。だからこその『疑わない』ということになるのだ。


 基本的には強く願うだけでも効果はある。それは只の人間達も自然に行っていることだが、あまりに小さくて不安定な奇跡は偶然で結論が着いてしまうものだ。


 彼女達は蘇ってからしばらく、相次ぐそんな偶然を体験することで自分の能力を認識することになる。


 だが1人きりでは弛まぬ探究心を持ち続けるのも難しく、すぐに壁にぶつかり、後先を考えずに中途半端な能力を奮った結果、誰かに殺されるのが大体なのも当然の結末だった。


 しかし幸運なことにトリーにはウレイアが、ウレイアにはエルセーという最も得難い師がいた。自分を庇護し、必死に向き合って得られる100年分の経験を10年で与えてくれた。


 そしてどうやって強く安定した力を得るかと言うと、あくまで理屈っぽいウレイアの話しに戻れば、彼女はなぜ火が燃えるのか?なぜ音が伝わるのか?木はどのように腐るのか?あるいは心臓はどうやって動いているのかを自分なりに理解すれば、止める方法とそのイメージは強く疑いようの無いものになる、とウレイアは考えている。


 その為の知識をウレイアは本に求めてきた。彼女の弱さを補ってくれるのは知識であり、知識を深めることで今も強くなり続けていることを彼女は『疑わない』。


 もっとも、あなたは知識を得て強くなりなさい、そう教えてくれたのはウレイアを育てたエルセーに他ならない。


「お姉様っ、モーリーさんがお食事も用意してくれるらしいですよ?」


「何?ごめんなさい、聞いていなかったわ」


 トリーの場合は危険で効率も悪いのだが、様々な実体験から学び取っていくタイプのようだった。


「あれ、お珍しいですね……?ええと、もうしばらく行った所で休憩のために停車するそうなんですが、お願いすれば簡単なお食事を用意していただけるらしいですよ?」


「ああ、まあ…もともと食事付きのチケットですからね」


「いえいえ、違いますよ、そう言う意味では無くて、モーリーさんが作ってくれるお料理に興味があるのですっ」


「そう…なら、お願いしておきなさい」


 ウレイアがそう答えるとモーリーはトリーの注文の手間をはぶいた。


「それでしたら停車して直ぐに召し上がっていただけるように準備させていただきます。お2人分ですね?」


「いえ、私はいらないから1人分にしてちょうだい」


「はい、お1人分ですね」


 そう言うとモーリーは魔法の箱の下に設けられた引き出しに手を掛ける。もちろんトリーはそれを見逃すまいと身体を捻りあげた。


 今日の宿泊地であるハウィックに向かう馬車は残り30キロ程手前にある小さな村に立ち寄る。


 この時代、街道と言っても大きな街から離れれば何も敷設していないのは当たり前、人が移動しやすい地形を選んで往来しているうちに下草は擦り切れ、土が踏み固められ、やがてそれが『街道』となる、まるでどこかで見た人生訓のように……さらにより安心して旅が出来るようにと、2〜30キロ置きに身体を休める事の出来る村が点在するようになった。


 しかし村と呼ぶにも格好のつかないのが本当で、大体は10軒前後の建物しかない部落といった所がほとんどである。当然整然とした区画整理も無く、馬車は適当な場所に停車した。


 モーリーは停車してトリーが降りるとすぐに料理を乗せたお皿を差し出した。皿の上には小ぶりな鶏肉のソテーと野菜、一切れのパンが載せられている。ちなみに旅の休憩所なのだから宿も食堂もあるにはある…がしかし、おそらくこのモーリーの手料理に勝るものは出てこないと容易に想像できる。


「この程度の簡単なものしかお作りできませんが、どうぞ召し上がってください」


「いいえ、とても美味しそうです。ありがとうございます」


 トリーは受け取った皿を持ったまま辺りを見回した。


「お姉様、あちらの見晴らしの良い所で休みましょう?」


 村は南向きの傾斜地に造られていて、日に向かって緩やかな斜面をどこまでも見下ろせる立地だった。


「すみません、ちょっとだけ持っていてくださいますか?」


 ウレイアに皿を渡すと、トリーが脇に抱えていたブランケットがふわっと草の上に広がる。


「どうぞ、こちらに。お姉様……」


 ウレイアは皿を返すと促されるままブランケットの上に腰を下ろした。


 合わせる焦点も無い景色を漠然と受け入れてみると、目の前の繰り返し隆起している草原は見渡す限りの海原の様で、風にそよいでぶつかる小さな森は遠くに浮かぶ小島に見える。時おり強い風が長いウレイアの髪ももてあそんでいくが、陽射しは暖かく耳障りなものも目障りなものも無く、心の内も自然と凪いでいった。


「ふうん、なかなか気持ちが良いわね…」


「そうですね。しかもかわいい愛弟子からはー、はい」」


 手を添えて控えめに差し出された鶏肉のソテーにウレイアは仕方なくひと口だけ付き合った。


「!、あら、なかなか…」


「そうですよねっ?マリネしてあった鶏肉をソテーしただけなんです。保存と調理の手間を考えた旅にぴったりのメニューですよね?」


 さらには新鮮な空気が料理の味をより美味しく仕上げているのは間違いない。


「ところで…エルセー様はどのような場所にお住まいなんですか?」


 そう聞かれてウレイアは意識を遠くへやるような目をした。


「……知らないわ。最後に会ったのは20年以上前かしら……その後に結婚相手の家に移り住んでいる筈ですよ?」


「そうなんですか……はあっ?!えっぇええええええっ??結婚っ?、結婚っておっしゃいましたかっ?!」


 皿をひっくり返しそうな程の衝撃を受けたトリーはウレイアでも記憶にない様な顔をした。


「そうよ」


「そ、そ、そ、それはっ、だんっ……!」


 慌ててトリーは声を絞る。


「それは…人間の男性と言うことですよね?」


「そうよ」


「?……!…?…?!?」


 困惑と嫌悪の入り混じった感情と、ウレイアの育ての親に対する尊敬を全て足して割ると答えはどうなるのか?トリーは懸命に考えた。


「そんなことあるのですか?」


「んー、話しに聞いた程度ならあるかしら……長く生きているとそんな事もあるのかしらね?なぜかそれも彼女らしいと思ったりもしたけど…」


「でも、男性となんてっ…それにそうなると……そのお相手にもお会いするという事ですよね?」


「そうね」


 途端にトリーは不安で表情を曇らせる。


「まあ、私達が居づらくなる様な事をする人では無いから安心なさい」


「は、はい…でも驚きました。確かにそれが本来あるべき姿とは思いますが……自分でも最近特に感じるんです。普通の人?…と自分の間のすごく深い隔たりみたいなものを」


 自分の特別とも言える『力』を頭での理解も超え魂にまで刻まれる頃になると、生物としてそれはごく自然な感覚として感じられるようになる。そして『人間』に対する感情は徐々に希薄なものになり、動物どころか物を見るような自分にふと気が付くようになる。


「それは自然なことよ。良い事なのかは分からないけれど」


「だから…尚更驚いたんです」


「でしょうね……まあでも、私やあなたの知見の広さなんて、世界に比べればここから見える景色程度でしょう。だからエルセー以外にもいるかもしれないし、それが当然な国もあるかもしれない。世界は広いのよ?トリー」


「まあ…そうかもしれないですけれど……お姉様は世界を隅々まで見たいのですか?」


「え?ふうむ、どうなのかしらね?」


「世界の端まで行くと何があるのですか?」


「答えてあげられないわね、行って来た人がいないのだもの」


「うーん、じゃあ…エルセー様にお会いした後は、そのままどこまでも行ってみますか?」


「!、面白いことを言うわね?」


「お姉様が居て下されば、どこでも一緒ですから」


「そう…」


 トリーの無垢な笑顔にウレイアは微笑んだ。


「まあ、まずはエルセーの所ね。そろそろ馬車に戻りましょうか?」


「はい、お姉様」


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