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バウンド bound  作者: はねとり 諒
15/28

15 ヘビは這う

 怪我人はおろか目撃者もおらず持ち去るものは価値の無い物ばかり。そんな謎めいたカッシミウの怪盗はあっという間に街の噂の中心となっていた。


 誰にも捕まえられない怪盗は、実は精霊の悪戯ではないか?という噂まで尾ひれが付いて、盗みに入られた家には幸運がおとずれる……などと、妙な事になっているようである。


 随分と前だがいつの間にか終息した子供ばかりの失踪事件、その次は精霊の悪戯による窃盗事件と、こちらを無視するかのような謎めいた事件ばかりで、新人警備兵のカイルは想像していた実務とのギャップに目を回していた。何故ならば……


「初めは皆んな躍起になっていたんですが、大した被害が無いからと上からは通常警備を言い渡されるし、精霊の噂は立つしで、何かもう馬鹿馬鹿しくなってますよ」


 警備隊のカイルが詰所の前でトリィアに愚痴をこぼしていた。


「挙句に精霊を見れば凄い幸運があるに違いないなんて…違う方向で詰所まで盛り上がっちゃって」


「うふふふ、確かにそれじゃあどうすれば良いのか分かりませんねえ?うーん、突然現れた精霊かー、見てみたいなー」


「でもこの精霊、ここへ来る前はモーブレイで出ていたらしいですよ?」


「そうなんですか?」


「あっちはここよりもずっと警備が厳しいですからね、それでも全く手がかりを掴めなかったらしくて。隊長も凄くデキる人なんですけどね?」


(ん?それはもしや…あのかわいそうなひとかな?)


 トリィアが覚えているパーソンズの印象と言えば、ウレイアにいじめられて意気消沈していた『かわいそうな人』だった。


「本当に会ってみたいですねえ、まあ、ウチみたいな小さな家には興味も無いでしょうけれど」


「ダメですよ?やはり只の盗賊でしょうから、十分注意をして下さいね」


「分かりましたー」






「…なんてことをおっしゃってました」


「ありがとう、トリィア」


「いえいえ、おかげで美味しいお菓子も買えましたし。さあさあ、お姉様もご一緒に!」


「ん?え、ええ……」


 トリィアは大量のお菓子と中々良い情報を仕入れてきてくれた。


「それで、どうなさるおつもりですか?」


「そうね…その精霊と話をしてみたいわね」


 お菓子を並べていたトリィアの手がぴたりと止まった。


「それは危険な事ですよね、お姉様?今回の件はやり過ごすとおっしゃっていたじゃないですか?たしかに情報は期待出来るかもしれません、けど…やぶ蛇になる可能性の方が…」


 トリィアは言いかけて、その言葉を呑み込んだ。


「すいません、お姉様のお言葉には逆らわないと決めているのに…」


「かまわないのよ、トリィア。あなたの言う通りだもの。囮が敵だった場合の対応が思い浮かばなくてね、手を出しあぐねているのよ」


「では、それでは軽々に首を突っこむおつもりは無いのですね?」


「ええ、あなたにお許しをいただくまでは、ね?」


 ウレイアはクッキーをひとつトリィアの口に押し込んだ。


「んく、もうっ、そんないじわるをおっしゃらないで下さい」


「本心よ。あなたにも関係してくることだもの、無茶なことはしないわ」


 トリィアは嬉しそうに、でも口角が上がるのをぐっとこらえると、


「生意気なことを言ってすいませんでした。私はお姉様のなさる事に反対するつもりは本当に無いんです。でも、その結果でお姉様に危険が及ぶことを考えるとどうしても…」


「そうね、私も同じよ。お互い、痛し痒しと言ったところね?」


「でも…お姉様の足を引っ張るようなことは……」


 考えていたトリィアはウレイアの顔を見上げるとこんなことを言った。


「私も一緒に行きますっ。もし、悪い結果になってしまったら、セレは大お姉様に預けて一旦この街を離れるんです。そうすればやり直せます…」


「そうねえ……でも、もうこの話はよしましょう」


 悪い結果とは、囮が味方、もしくは寝返らなかった場合以外の全てということになる。


 自分達の存在を知られれば、その後に大勢の神兵、もしくはテーミスが登場となるのだろう、かなり分の悪い賭けになるのは分かっている。しかし今はまだ、取り返しのつかない選択を無理にするほど追い詰められてはいない。


 ただの気持ちの問題で、後手にまわることと、自分と、自分のまわりの者をその爪に引っ掛けようとつけ狙っている者の存在が許せないだけだ。


 それがどれほど愚かな行為なのかを今すぐにでも後悔させ、償わさせなければ気が済まないのだ。でもそれはウレイア個人の感情であって、トリィア達の安全を天秤にかけるようなことは出来ないし、たとえ天秤に乗せても今のウレイアにとってどちらが重いかなど…分かりきっていた。


「うーん、ワインでもいただいて頭のネジを締め直すわ」


「えー?普通はゆるむのでは?……あ、ではお供にエッグトルテなどいかがですかっ?」


「えっ?うーん……」






 ウレイア達を悩ませている張本人は本来は敵である神兵と行動を共にしていた。彼女の名はエキドナ、魔女と呼ばれている。


「おい待て、魔女!」


「あー?また付いてくるつもりかよ、どうせ出た瞬間に見失うんだから理解しろよっ無駄だって。ちゃんと仕事はしてんだから酒でも飲んで待ってろよ…いや待つ必要もないわ、寝てろっ」


「ぐっ、愚弄しおって…」


 エキドナは足を止めると、振り返って男を見据えた。


「おい、そう言う台詞は一丁前の人間が言う言葉だ。自分のことも知らないヤツが言っていいと思ってんのか?少しは学べよ、理解しろよっ?」


「き、きさま」


「じゃあな、ガキは早く寝ろよ?」


 昼間はカゴの鳥に甘んじているが、街が寝静まると蠢きだす蛇……エキドナが這いずり出てきたのは教会の裏口だった。


「フッフーン、さあて、どんなヤツかな?」






 ウレイアが本を読みながら考え事をする時は、頭の中の必要以外の領域を空っぽにする為で、はっきり言ってしまえば文字なら何でも構わないらしい。アイデアを欲する時には、こうして空っぽの領域に適当な言葉を放り込むことで、今まで気にもしなかった情報が目的と結び付くことがあるらしい。


 目的とは同族相手に気付かれること無く目的を探り出す方法……おそらく彼女自身しか知らないその目的を気付かれずにどうやって聞き出すのか?または何かのカタチで示させればいい、わざわざ言葉に出させる必要はない。


 しかしこの難題の答えは簡単にはたどり着きそうになかった。


「ふう……今何時頃かしら?」


 長く集中していたせいで外の時間とズレてしまったようだ。本を30回くらいは往復していたが。


(さすがにちょっと…)


 そのまま長椅子に身体を預けると、たゆたうままに任せて暖炉の火の音色を聞いていた。外は静かで、雪の中で野良犬が辺りを嗅ぎ回っている。


(また野良犬?冬で餌がないのかしら、最近多いわね…確か昨日も…その前は3日前…)


「!」


(前回も、今回もウチの周りだけ嗅ぎ回って行っている?その前は……そうっ、他の家も嗅ぎ回っていた!)


 ウレイアは跳ね起きると野良犬に集中しようとしたが、もう姿が消えていた。監視の網を広げてみても見つけることが出来ない。


(今の短時間で犬が数百メートルも移動するはずがない…!)


 玄関に歩み寄って手を触れる前に外側を探って確かめる。犬は消える直前に玄関を嗅ぎ回っていた、何かを仕掛けられたかもしれない。


(紙?)


 ドアの下に、1枚の紙が…飛ばないように石が置かれている。ドアを開けて置かれた紙を見下ろすと、大きな文字で何か書かれている。


(ここを見つけた…でも何かを仕掛けた様子は無い。普段は加減をしているけれど、私の『眼』を欺けるなんて……)


 ウレイアは手紙を摘み上げる。


「何事ですかっ?お姉様!」


 手続きを踏まずにドアが開けられたことに気付いたトリィアが転げるように下りてきた。


「トリィア…下りてくる時にちゃんと一階を確認した?」


「いえっ下にはお姉様が……お姉様それはっ!?」


「メッセージよ、私達は見つかった」


「え?ええっ!?まさか……っ?」


 メッセージをトリィアに手渡した。


「『1時間後に裏の森で』ですって、何の用かしら?」


「何の用って、それはっ……何でしょう?」


 ウレイアはリビングのチェストから石の入った袋を取り出すと、上着のポケットに押し込んだ。


「あっ、私もすぐにっ」


「ああ、トリィア…」


「いやですっ!」


 あのトリィアが珍しく声を上げて強く反発した。


「トリィア……相手は多分エキドナで戦いになる可能性は低いし…けれど読みきれないから取り敢えずあなたは存在を隠して…」


「意味ないですよね?」


「え?」


「誰と住んでいたかなんて調べればすぐに分かることですよね?それに…もっと沢山の経験を積まなければいつまでも私は強くなれないじゃないですか……?」


 トリィアは祈るように近づきながらウレイアに懇願する。


「お姉様が私を危険から遠ざけてくれるのは嬉しいです。でも私はお姉様と一緒に生きたい、お姉様と戦いたいんです。そしていつかは、お姉様の隣に…」


(……?)


 ふと、トリィアの姿にウレイアは違和感を感じた、いや、自身の考えていることに疑問が浮かんだ。


(未熟な弟子を予測できない危険から遠ざけるのは当然の…こと、よね?)


 しかし頭の中ではそれを否定する声が響く。おまえは間違っている、と。


(トリィアが未熟なのでは無くて、私のせいで未熟のままなの?いえ、でも……トリィアは決して弱くは無い。ただ相手を無力化するような技の習熟度があまり高くは無いのだから…だから?)


 そんな理由を探しながらウレイアは無意識のうちにトリィアを危険から遠ざけていたのだろうか?そんな危険からは自分がフォローをして退ければ良い話ではないのか?


「お姉様?」


 前の2人の弟子達にはこんなごまかす様な教え方はしていなかった。それに、トリィアの言っていることの方がスジが通っている。いや、こんなことには前から気付いていたはずだ。


 甘えていたのはトリィアでは無い、ウレイア自身ではないのか……?そもそも弟子の不出来を本人のせいにして誤魔化す師などに価値はあるのか……?


 そしてその誤魔化しは誰のためなのか?


「弱い自分の為ね……」


「え…?」


「え、ええ、やっと解ったわ……ごめんねトリィア、今あなたを苦しめているのは私ね、私の業ね」


「お姉、様?」


(でもこれは、懐かしい感情……あの子達に試練を与えていた頃はいつも感じていた不安。2人にはいつもハラハラさせられたと思っていたけれど……守りきる自信があれば不安など感じるはずが無い、未熟だったのは私の方ね…アーニス、レイス、私を許してね?)


 2人を失ったトラウマだったのか?元々トリィアのことは弟子では無く家族として育ててきたからなのか?しかもここに至ってもウレイアの心は、感情がトリィアを連れて行くことをまだ拒絶している。


「あ、あなたは常に私の後ろで全てを見てサポートをして。それから私の言うことには必ず従うこと。下がれと言ったら下がって、逃げろと言ったら自分の身を守りながら逃げるのよ。いい?」


「は、はい」


「このメッセージを残した相手は私達の眼を騙す技術を持っているわ、多分あなたには見破れない。でも、わざわざこちらに準備する時間を与えたことを考えると、戦う意志がないのか余程の自信家でしょう。裏の森は熟知しているけど、これから行って迎え撃つ準備をしておきます。だからあなたも動きやすい服に着替えてきて、黒い服よ……」


「はい、はいっ」


 自分の不安を振り払うように、ウレイアはひたすら指示を出していた。


(ごめんなさいね、トリィア。私は自分を甘やかしていた。あなたを人形のように扱って都合の悪いことは無視していたのね?あなたに必要なことでさえ)


 しかし、力を抑えていたとは言え、エキドナはウレイアの監視に対して欺く術を持っていた。もちろん不思議では無いし、同じ技を使う同族もいるだろう。ただこの事実で、エキドナをより警戒しなければいけない相手だと改めなければならなくなった。






 ウレイアが今の家に移り住んだ理由にはこの森の存在があった。


 家が襲撃された時にも姿をくらませやすいこと、そして敵を誘い込むにも都合が良いからだ。だから家の防備を固めた後に、この森にも色々な仕掛けを施してある。主には侵入者を感知する為のものだが、要所には敵を迷わせ誘い込む為の罠も仕掛けておいた。当然無関係な者も入り込んでくるため、攻撃用の罠は仕掛けていないが。


 だが今回は仕掛けておいたものに足して攻撃用の罠も仕掛けておくことにした。相手の動きを見て自分で発動させる罠だ。ウレイアは望ましい場所に陣取ると、幾つかの罠を増やしていく。


「見た目では分かりませんが、この水晶はどうなるのですか?」


「これは、細かく砕けて高温の何十というかけらが一方向に飛んでいくの。他には、これは良く使うけどもっと高温の黄色い炎…」


「あのー、前から思っていましたが、お姉様は熱いのがお好きですよね?」


「まあね……基本でもあるし、火というよりも熱は相手の動きを止めるには一番効率がいいのよ。どんなに屈強な相手でも筋肉を焼かれると動くことは出来ないし、恐怖を煽るにも効果的なのよ?」


「うえー、おっかないですー」


「ふふ、他にも風を生むことも出来るし、空気を揺らしたり、水も使えば蒸気を出すことも出来るでしょう?水でも空気でも、熱の膨張を利用することも出来る……」


「ふむふむ……」


「でも火だけでは無いわよ。空気や水そのものを操ることが出来るでしょう?イメージしずらいから少し難しいけれど。って、随分前にも同じことを話したと思うけど?」


「いえーあはは、レベルが低かった頃と今では理解度が違うというか…関心度が違うというか………」


「ほら……」


 トリィアの目の前にある石の上に小さな水晶を置いた。火が点ったかと思うと、空気が渦を巻きゆっくりと赤から黄色へと姿を変える。


「空気と火を組み合わせることで何倍も熱くなる。この温度で肌が触れればあっという間に下の筋肉まで焼かれることになる。耐えがたい痛みを伴ってね」


 小さな炎でありながら顔が焼けるほどの熱が伝わってくる。トリィアが目を細めて炎を見つめていると、突然視界がぼやけて顔に当たっていた熱が弱くなった。


「その熱はやはり、空気を使って伝わり難くも出来る」


「ほおー」


「と、今はここまでよ、そろそろ時間でしょう。罠の場所は覚えてる?」


「ばっちりですっ。ええと、たぶん……」


 トリィアの目は周りを見回しながらも焦点は定まらない様子である。


「……じゃあ、私の前には出ないで、絶対にね」


「わかりましたっ」


「ふう…」


 トリィアの気配を背中に感じながら、ウレイアはひとつ息を吐いた。


(自分で分かるわ、今私は緊張して神経が過敏になっている。あのエルセーに叱られていてもこうはならなかったのにね…)


 ウレイアは自分の心をなだめた。






 深夜の森も昼間と同様に生命とその息吹に満ちている。闇に紛れて獲物を狙う獣のようにウレイア達はクモの巣を張り、罠を仕掛けて獲物を待つ。


 こうなると解っていながらのこのことやって来る同族は愚か者と言わざるを得ないが、だからこそウレイアの期待は高まった。


 !

 !


「お姉様…」


「ええ、私達を見つけたわね」


 混み合った立木を選んで身を潜める。こちらの位置は確認しただろう、カモフラージュしてそれぞれで位置を変えた。しかし訪問者はなかなか姿を見せない。木々の向こう側30メートル程の距離からこちらを観察している。


 もしエキドナがカモフラージュして姿を消せても、


(今度は手加減しないわよ、今私が視ているのは、間違いなくあなた……)


 やがて女は徐々にこちらに近づいて来る。慎重に観察し、慎重にぬるぬると動いている。まるで一歩づつ逃げ道を確認しながら進んでいるように、その動きは過剰なほどゆっくりしていた。


 それでも、どんなにゆっくり進んでも行き止まりはやってくる。巧みに姿をさらさないように女は、罠の境界線の直前まで来ていた。


 もう、すぐ目の前の木の影に身を隠している。しかしそこからまた、動かなくなった。


(今度はこちらの番というわけ?そう)


「夜の散歩にしては随分変わった散歩道ね。まあ、お互いさまだけど」


 ウレイアは姿を見せずに声をかける。


(ごくり…)


 そしてトリィアはその場で息を飲んだ。


「あなたが誘ったのよ。姿を見せたら?」


 『強制』はしていない。だがウレイアの言葉を聞いて女は覚悟を決めたようだ。姿は見せた、だが一線は越えてこない。


 そしてこの状況でもウレイアと同じ『監視』を使わない。ではどこかで誰かに使われて経験したのか?もしくは出し惜しみをしているのか…


「俺の招待に応じてくれてありがとう。こちらに害意は無い、そのままで構わないから話をしたいんだけど」


「どうかしら?残念ながらそれを証明することはあなたにも私にも出来ないものね?」


「それはそうだ…んーじゃあ、これはどうだ?」


 女は片足を上げると意を決して罠に踏み込んだ。顔を引きつらせながら後ろ足も引き寄せると、何も起こらなかったことに安堵して大きく息を吐き出した。


「馬鹿ね、自律した罠だったらどうするの?」


「いーや、あんたは問答無用で俺を殺すほど馬鹿でも小物でも無いだろう?あんな家は初めて見たし、犬に化けていたのを見破られたのも初めてだったからなあ。しかもここに来てからは『騙し』も全く通じてないよな?でもまあ、ビビった……」


(!、ちょっとお姉様?)


 ウレイアは姿を消したまま彼女の前に立った。


「んん?」


 何か違和感に目を凝らしているが、どうやらウレイアの『カゲ』は見えないようだ、芝居でなければだが……


 カサ……ッ


 突然の背後の音に女の視線がそちらへ走る。それは仕掛けておいた陽動のための罠だ。


 『透明化』を悟らせず姿を現すために発動させた。視線を戻せば突然ウレイアが現れたように見えるはずだ。そうは言っても、簡単に顔をさらすことは出来ない。フードをかぶり偽装しての対面となった。


「おお?っと、驚いた…」


「それで?さっそく用向きを聞きたいところだけど……まずその手に持っているハンドベルは何?武器なの?」


 何故かその手にはハンドベルが握られていた。


「あ、いや、なんか精霊さんへと書かれて置いてあったから持ってきた。いるか?」


「いらないわよっ。それはおそらくプレゼントでは無くて、鳴らして欲しくて置かれていたと思うけど?ベルは幸運を呼ぶともいうでしょう?」


「!、ハッハッハ…そうなのか?それは…悪いことをしたな?」


 パーソンズから聞いていたエキドナのイメージ通りの人物だが、簡単に名前を聞いたり、確かめるわけにもいかない。


「まあいいわ、それじゃあ仕切り直しましょう。何の用かしら精霊さん?…家を暴かれて無事に帰すだけの理由があれば良いけど?」


「!、まったく、毎回苦労するなあ…その理由になればいいが……それじゃあ、いきなりだが…今、教会には少し頭がおかしい女がいてな」


「!」


「多分俺達と同類なんだが、『天使さま』なんて呼ばれてかなりの実権を握っているんだ…で、そいつがご執心になっているのが俺達をあぶり出して狩ることなんだが……」


「説明が下手ね。あなた今、自分を追い詰めているわよ?」


「ああそうかもな、まあ、自慢にしてるよ」


 異常なまでの慎重な行動と、粗略な会話がかみ合わない。そう見せているのか?面白いがとにかくアンバランスな印象だ。


「それで?あなたがこんな事をしているワケは教えてくれるのかしら?」


「もちろんだ。ところでこいつは何に見える?」


(お姉様!)


 女がそう言うと背中の影からこちらを睨んで首をもたげるモノがあった。


「ヘビ、と言ってあげたいけれど、ムチね、先に小剣の付いた」


 それは細く編み上げた鞭に5センチ程の小さな両刃の剣が付いた武器、身体に巻きつけた長さを考えると間合いは3メートルくらいとみていた。ウレイアの鋼糸と同じような発想だが、実は軽過ぎる鋼糸で首を落とせる程強く、速く疾らせるにはより高度な『技』とより強い『力』が必要になる。


「やっぱり騙せないか…なら、俺と向い合って分かると思うが、俺はお世辞にも強いとは思えないだろう?昔はもっと弱くて同類と出会わないようにびくびく生きていたし、出会ってしまった時には思い付くあらゆる方法で生き抜いてきた……」


 何やら急に自分のエピソードを語り始める。


「おかげで色んな事に気付くことができたのだと思う。他のヤツらより遠く正確に見通したり、相手の目や感覚を欺く方法も身に付けた。憶病な性格も自分の理解と使い方次第で役に立つというわけだ……」


(いつになったら手先になっている理由が聞けるのかしら?これで自分のペースに持ちこもうとしているなら、浅はかとしかいえないけれど……いえ、もしかしたら狙いは…)


「そうやって生き抜いていると、いつの間にか俺より強いヤツに出会わなくなったよ。…いや違うな、強いヤツに勝つ方法が身に付いていたんだよ。力だけが強さじゃ無いことを実感したよ。それから俺は……おっ?」


「この方を馬鹿にしているのですかっ?わざとらしく話を延ばして時間を稼いで…」


 知りたい核心がなかなか語られず、たまらずトリィアが飛び出して来てしまった。


「よ、よお、せめて場所だけでも確かめたかっただけなんだが、まさか出て来てくれるとは……」


「……?」


 トリィアには女に警戒させるためにもじっと隠れていて欲しかったが、まあ仕方がないとウレイアはため息をついた。


「ふう…あなたは誘き出されたのよ?それに……あなたは会話に焦れて飛び出したのでは無くて、自分自身の緊張感に耐えられなくなっただけじゃない……?」


「は?ああっ……!」


「この子に勉強させてもらって…感謝するべきかしら?」


 自分の浅はかさにトリィアは震えた。


「なんか逆に悪いことをしたな、謝るよ」


「これで先に進めてもらえるわね?これ以上は…」


 ウレイアの殺意で一気に緊張感が場を満たす。


「分かったよ。ちなみにぐだくだと話したことは全部本当だ、その俺が捕まったんだよ……ミスったのは確かだが、教会の兵隊に囲まれて遊んでやっていた時だ、想定外の距離から攻撃された…兵隊共々巻き込んでな」


「ふうん…」


「俺はかろうじて凌いだが、もう逃げられない状況だった、たったひとりにな。あの時の勝ち誇った冷たいニヤケ面は忘れないぜ。しかも、こともあろうに俺に飼い犬になれと言いやがって……俺はヘビだってんだっ」


「分かりやすくて助かるわ。でもヘビは置いておいて」


「ん?ああ、まあ腹は立ったが生き残るには必要なことだったんだ。当然、従うフリをして適当な所でばっくれるつもりだったが…そこで面白いことを思いついた」


 女Aはにやりと得意顔で笑った。その理由をウレイアが代わりに説明をする。


「見つけた『同類』も狙われている立ち場は一緒だから…手を組んでその頭のおかしい女を葬ろうとしたの?でもそれなら、あなたひとりでも捜せるでしょう?教会に留まっている理由は何?」


「俺もあの女がくっついてきたなら隙を見てすぐにでも逃げだすさ。だが猟犬はどうも俺ひとりじゃ無いようだな、そしてアイツは動かない。今も多分…ボーデヨールの教会にいるはずだ」


(!、ボーデヨール?)


「兵隊だけならどうにでもなる。なら教会公認で大っぴらに仲間を捜せるんだ、利用しない手はないだろう?でも…分かっていたがやはり難しいな、お互い心を許せないんだから一緒に戦える奴なんか見つからないよな…?でもアイツの存在を広めて警告出来るだけでもやる価値はあるだろ?」


 ボーデヨール?自ら見張らないとは自惚れか?部下が殺されて逃げられると考えないのか?そこまで期待していないのか?


(そう見せかけて見張っているのか?だとすれば最悪かしら……)


 いや、何にしても結果は悪い。ボーデヨールにいるならエルセーはその教会に潜り込んだ可能性が高い。


「あなた、さっき『毎回』と言ったわね、一体何人とこんな話をしてきたのかしら?」


「んん、あんたを入れて5人と話して、2人とはもめて…」


「殺した?」


「ああ、俺たちはそれが基本だろ?それに今は猟犬の立場を守るためにな。ヤツらに差し出すことはしたくないから、せめて俺の手で殺してやることしか出来なかった…それでも何とか3人とは話ができたというわけだ」


「そして、あわよくば包囲網を築けると?あまりに儚くておぼろげだけど……まあ、乗ってくる者はいたとしても共闘は無いわね」


「でも1人じゃ勝てないぜっ?アイツは俺から見れば化け物だ。バラけていたら、いつか全員殺られちまうぜ?」


 するとここまで黙っていたトリィアが女の言葉を怒りで否定した。


「ふ、ふざけないで下さい。私の…えーと…こ、この方が負けることなど有り得ません!」


「お?おお…くく、仲良いんだな、あんたら。羨ましいよ、ホントに…」


 これには差別無く、時には自分でさえも疑うことで生き延びてきた者にとって、無条件な信頼で結ばれた同腹を得ることはどのような財物よりも価値があるものだ。


 女はトリィアがあまりにも眩しく、切ない思いで目線を落とした。


「そりゃな、『私のこの方』は強いだろうな?力も強いし頭も良さそうだし、凄みを感じるよ。でもアレは…アイツとの差は俺たちとただの人間くらいに感じたぜ?まあ、あくまで想像だけどな……そうなるとな、俺が思いついたのはひとつだけ…神兵のマネをすることだけだ」


「盾役と剣役ということ?そうなると、一体誰が盾役を志願するのかしらね?あなた?でもその時、相棒は確実にその頭のおかしい天使様を仕留めてくれるかしら?」


「だよな…」


 彼女達、つまり同族全てが生きる術として磨いてきたさい疑心は他人を常に拒み続ける。そんな彼女達が命を預けて共に戦い、ましてや誰かの盾になることなど考えもしないのだ。


 度々エルセーに甘いと言われるウレイアも、この場でエキドナと思われるこの女Aの言葉を信じることはできない。


「ところで、肝心なことを聞いていなかったけれど、その女にも名前くらいあるのでしょう?」


「ああ、そういえば言ってなかったな。アイツの名前はテーミスだっ」


「!、テーミス…そう、嘘ではないわね?」


「ああ」


 この質問の答えに意味は無い。既に答えを知っている質問をすることで、本当のことを言った時と、嘘をついた時の身体の反応と仕草を観察したかったのだ。


 それぞれに集中して、声の抑揚、目や口、頰の動きや身体の反応を観察する。


 そして、同じように観察していた今までの会話を思い返してみたが、たしかに嘘をついていたようには思えなかった、が……


「あなたの提案には興味もあるし貴重なことだけど、もし、私達にテーミスのその手が及んだとしたら、その時は私が……っ!?」


 すぐに後ろからトリィアの怒気が伝わってきた。


「…『私達』でなんとかするわ」


「……そうか、だろうなあ。ううん、それでも一応、俺の目的は達したわけだし、それじゃあ、あとはここからの脱出なわけだが……このまま帰してもらえるのかな?」


 女Aは良い返答を期待してウレイアを見つめた。


「たとえば……あなたが敵ならばここであなたを消しても教会とテーミスがやってくるのでしょう?私達のことを報告する時間もあったわけだし…つまりリスクはあまり変わらない。あとは腹いせに八つに裂くかだけよね……?ではあなたが敵では無いとしても……私達のことが教会に伝わることを阻止したい、追い詰められればあなたは喋るでしょう?」


 分が悪い賭けに女Aは固唾を飲んだ。


「私はあなたを疑っているわ、半信半疑なんて虫の良い言葉は好きではないから使わない、たとえ一片でも疑っているなら信じるなんて言葉は使うべきではないと思っているから」


 そこまで話すと、ウレイアは言葉を緩めた。


「でも偽り無くあなたの気概でこんな行動をしているなら…私はあなたを尊敬するわ」


「っ!……そ、そうか…?」


「だからあなたは殺さない、期待しているから」


 女Aの心と体から緊張と力が抜け落ちていった。


「まいった……」


「そうそう、教えてほしいのだけど、どうしてウチに目を付けたのかしら?」


「あー、それは…ホントにたまたまなんだが、昼間や月の出てる明るい夜ならまだしも、雲が出て真っ暗なのにガラスに外の景色がはっきり写っているのは不自然だろ?」


「!、そう、やはり…」


「いやでもなー、この街を一体何周したと思ってんだよ?そろそろ次の町に移動しようかと思ってたんだぜ。それでも気付けたのは本当に偶然、いや神さんのはかりごと、かな?」


 ウレイアは中を覗かれないように常に外の景色が映り込んで見えるように細工をしていたのだが、他に良い案も浮かばず、欠点を知りつつも仕方がないと、とりあえず放置していた。


「そう、分かったわ。縁があったらまた会いましょう、良い縁がね?もうハンドベルを持って戻りなさいな」


「…俺の名はエキドナだ」


「?」


「それに言い忘れていたが、テーミスの武器は炎だぜ、基本中の基本な!ただし、でたらめな程でかい炎だ。あとは…やっぱりこれも単純な…『ことば』だな、意識ごと刈り取られるような……まあ、俺とは力に差がありすぎるのかも知れないが、ある意味では一番厄介だろう?多分それで十分だったんだろうな、俺ら程度を相手にするなら……悔しいが実際そうだっ!だから、俺はもうアイツと会うわけにはいかないんだ……あとは、俺にも分からないな」


「そう、ありがとうエキドナ、助かるわ」


 ウレイアはエキドナに微笑んだ。


「い、いやあ…それじゃあ俺は戻るよ」


 2人を少し気にする素振りを見せながら、エキドナは森の闇に溶けて消えた。


 それでもしばらくはウレイアの『監視』から逃げることが出来ず、相対した時の緊張と相まって鳥肌と冷や汗を同時に経験していた。


(とんでもないヤツがいたもんだっ。テーミスを除けば俺が知った中じゃダントツのバケモノだ!まるで底が見えなかったぜ……それでもテーミスと比べちまうと……出来ればもっと知り合いたかったな、それに何だか、嬉しくなっちまった)


 ウレイアは適当な距離を威嚇してからエキドナを解放した。


 願わくば、少なくとも人より長く生きてきた彼女の人生がこれからも続くようにウレイアは祈った。そして彼女に嘘が無ければ期待以上の情報な得られた。何かの意思を疑うほどタイミングが良すぎてエキドナの言葉を思い出してしまったが、結果勝負がついた時に、これを『勝負のアヤ』とでも言うことができるのかもしれない。


 目一杯ため息を吐き出してトリィアが力を抜くと、


「はぁーー、、いえもう、ひやひやしましたー」


「そう?大方予想していた通りだったでしょう?」


 この時ウレイアは平静を装ってはいたが、予想外のことが起こらず安堵していたのは、彼女自身の方だった。


「違いますっ最後にまたセレの時みたいな事にならないかひやひやしていたんです。さすがに解りました、お姉様は本当に同族たらしですねっ?」


「同族たらし?何、それ?」


 トリィアにそんな事を言われながら、ウレイアは罠に使った石を残らず回収すると、辺りの様子に注意しながら家に戻った。


「エキドナのことを信用できればね……連絡を取れるようにしておきたかったわね」


「ええっ?まったもうっ!お・ね・え・さ・まーっ」


 トリィアの眉尻がぴくぴくと踊っている。


「ちょっと、何を勘違いしているの?」


「だって…お姉様ったらすぐにもう…」


「あのね、もしテーミスを何とかしなければならないのなら…エキドナを味方にしておけば、好きな場所におびき出せるかもしれないのよ?」


「んー、まあなるほど……そうかもしれませんけど?」


 とりあえず今夜は、ウレイア達に腰を落ち着ける暇は無い。


「さて、夜が明ける前にあっちの家に移りましょうか?」


「あー、ですよねー?でもあちらは狭くて寒いですよねー?」


 トリィアが大袈裟に身をすくめた。それも仕方がなく、このような事態に備えていた仮の家は普段ひと気も無く冷えきっているし、最低限の家具しか置いていない。


 トリィアはおそらく家の中をちゃんと見たことも無いだろう。


「そうね、意外と、あっちに泊まるのは初めてよね?そうなのよ…家が狭いものだから、とりあえずベッドも1つしか置いていなくてね……」


「な?そ、それはっ、大変ですっ!早く行ってベッドを…いっ家を温めておかないとっ!ちょっと、先に暖炉に火を入れてきますねっ」


「くす、監視には十分注意してね?」


「はいーっお姉様!」


 さて、念の為にしばらくこの家には戻れないかもしれない。それならばいっそのこと、エルセーの側に隠れているのも良いかもしれないが。


 まず見極めなければならないのは、時間の猶予、それから今後の展開を予想しなければならない。幸い最低限の情報はあると思う、あとは


(自己選択と自己責任か…)


「はあ、肩がこるわね…」


 久しぶりに感じた緊張感にウレイアは思わず肩に手を乗せた。


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