14 手紙
一般的に…
商取引や個人のあらゆる契約の多くは、年末に決済されることが通常となっている。そうなると、年末の財産の整理や売買に伴って、ウレイアへの依頼も年明けからずっと、1週間と間の空くことが無い状況が続いていた。
1週間で1、2件かよっ?と思われるかもしれない。しかし実益は大切だがそもそもは世を忍ぶカモフラージュの為に始めた鑑定士である。されどカモフラージュとは思ってみても自分の時間をあまり圧迫されるとストレスを感じるのであった。
そして今日も、ウィットンの紹介を受けて小さな仕事をこなしている。
「さすがウイットンが信頼を寄せるだけはありますな?その若さでこれ程の博識、また是非、お願いしますよ?」
「どうも…幸い見た目が若いので……では」
数人の顧客とその紹介だけでも3日ペースでの仕事。それも小粒な鑑定品が数ばかり押し寄せてこようものなら、そのひとつひとつを鑑定し、リストを作り、その理由を丁寧に説明するだけの時間が必要になった。そんなふうに他人の都合に合わせて動かされていると、いささか舌打ちでもしたくなってくる。
(ふう…もう一件まわってしまえば、少し長く休めるかしら?)
本当は旅する気分を味わえる遠方の仕事の方が好きなのだが、時間のかかる遠出の仕事はどうしても後回しになってしまうのだ。とは言え全ては自分勝手なわがままなのだが。
まあ、次は馴染みのある宝石店の仕事だし、目の保養にもなるだろう。この宝石店の主人は中々に信頼できる職人でもあって、ウレイアからも今まで何度も仕事を頼んでいる。しかし店を訪れてみると今日はいつもと雰囲気が違っていた。
「どうかしましたか?」
店に入ると店主と店員が困惑した様子で話しをしている。
「これはベオリア様、いや…お見苦しいところをお見せしてしまいました」
「何かあった様子ですが?」
すると一緒にいた店員と目を合わせてから
「はい……実は、昨晩どうやら賊が入り込んだようで」
「ん?…『どうやら』ですか?」
「はい……と申しますのは、盗まれたのは後ろの棚から小さなトパーズがひとつだけでして……」
「ひとつだけ?」
「はい。警備詰め所に被害の報告をした時にも勘違いと疑われる始末でしたが…それはありえません。入り口は開錠されており、そこの棚の扉は開けっ放し。しかも同じ棚の宝石を入れた封筒の中をわざわざ確認しておいて、一番安い石を持ち去っております」
高額な商品を取り扱うこのような店の扉は、当然だが一般のものより造りが頑丈に出来ていて、この店では3重に鍵を掛ける。
おまけに2階には最低1人が寝泊まりして、賊が侵入した場合には、抵抗はしないものの窓から騒いで助けを呼ぶようになっていたはずだ。しかも詰め所がほど近い。
「確かに妙な泥棒ですね……?それでは私の仕事はまた後日にしましょうか?」
「あーいえいえ、それには及びません。実はダイヤを預かったのですが少し色が……」
盗賊の目的が金目当てでは無いのなら、目的はその存在を誇示することなのか?しかもわざわざ困難な状況を選んでいるように見える。
一体誰に、何のゲームを仕掛けているのか?もっとも謎ときが好きなウレイアの勘ぐり過ぎかもしれない。個人的な脅しや怨恨の方が余程わかりやすいのだから。
仕事を片付け、ウレイアはこれでまた数日は煩わされずに済むと思うとほっとした。
どんな力を振るうことが出来たとしても、彼女達もやはり、人間という枠からは出られないのだろう。ただ、その大きな枠組みの中には自由には行き来の出来ない境界があるようだが……
「お帰りなさいませっ、お姉様」
「お帰り、お師さま!」
(くっ…)
家の中には小悪魔2人がいた……
「セレーネ、仕事はいいの?」
「うん、今日の午後は非番なんだ。それより昨日の夜にね、やっと海まで視ることができたよ?」
「そう、よく出来たわね。では次ね?」
セレーネには当分複雑なことは教えないと決めていた。よちよち歩きの今は自分の手足のように力をコントロール出来るように基本的な技を条件を変えながら反復させていた。
「私は少しくつろぎたいからリビングで本を読ませてもらうわ」
「うっ…それではっ、お、お邪魔はいたしません…かもしれません」
なにやらトリィアはウレイアのことを待ち構えていたようだ。
「…ふう、なに?いいわよ、少しくらいなら」
どの道静かにはならないだろう。ウレイアがあきらめたその途端、トリィアが詰め寄ってくる。
「お姉様聞いてくださいっ、セレったら本当に可愛げの無い子で…」
「セレ?」
「あ、はい。可愛いでしょう?呼びやすいし」
「それがイヤなんだ。お師さまに貰った名前なのにっ!姉さんだってトリィアを縮められたらイヤだろう?」
「いいえっ、トリーだってお姉様にいただいた大切な名前です」
「それじゃあ『ト』だ、『ト』!どうだ?嫌だろう?」
(はあ……この言い争いに私は必要なのかしら?2人の声は音楽だとでも思って本を読もう…)
しかし少しでも気をそらすと2人の矛先はウレイアに向くのであった。
「お姉様っ?」
「お師さま!」
それから4日後、今度はモーブレイへ日帰りの仕事をするために早朝の出発となった。そしてその隣にはトリィアがくっついている。
「ついてくるのはかまわないけれど、昼過ぎには帰りますよ?」
「遊びに行くわけではないですよお、私はお姉様の助手ですから……」
「また都合の良いことを言って…」
そろそろトリィアにも何か仕事を探させた方が良いだろうか?そんなことをウレイアも考えるのだが……しかし、ウレイアには自分が勝手に連れ去ってきた負い目と、するべき事は自分で選択するという生き方を教えてきたこともあって、何かを強制することは本意では無かった。
そしてチャチャっと仕事を済ませて時間を確認してからウレイアがむかったのは
「うーん、お姉様?死にはしませんが、なぜ風当たりの強い広場のテーブルに座っているのでしょうか?」
ウレイアはある意図が有ってわざと目立つ様に中央広場にあるパブの外のテーブルに座っていた。
「ええっ?お、お姉様っ?、さっきまで湯気の立っていたお茶に薄らと氷がっ!」
「そう…」
「えー?それだけっ?」
「ほら、来たわよ」
「はあ?一体誰が…?」
ウレイア達に気づいた男は辺りに目を配りながらこちらに近づいて来る。
「あの人は……この間会った兵隊さんじゃないですか?」
「ええ、ちょっと聞きたいことがあってね」
「!、例の怪盗の事ですか?」
5日前、仕事で訪れたあの宝石店で起こった窃盗事件だが、実は同じような事件が昨日までの毎晩起こっていて、謎の怪盗事件として街で噂となっていた。
「お姉様はセレの時のように同族の仕業と考えてらっしゃるのですね?」
「いえ、まだよ。行きましょうか?」
「え?」
ウレイアは顔が見える距離まで近づいたところで立ち上がり、パーソンズと合わせた視線を引きちぎるように微笑んで振り返ると、そのまま歩きはじめて街の裏へ誘い込む。
「トリィア、集中していなさい…」
「はい、お姉様」
彼女達が集中するとはどういうことなのか?基本的には普通の人間と効果は変わらない。雑念を払って脳の能力を限定した対象に向けることで、判断能力と思考速度を上げることが『集中』と言うものだ。普通ならそれで、1割か2割、極限で5割といったところだろうが、彼女達が同じことをすれば、2倍4倍、いや、数十倍に認識と思考速度を上げることが出来る。
無論、意識と経験が重要になるが、それが普通の人間との決定的な違いのひとつだろう。
では脳の使い方が優れているとどうなるのか?身体の能力の限界を使いこなし、相手がひとつ考えている間に百の認識と思考をし、達すれば時間が止まったように感じることさえある。当然自分の身体がついてくることは出来ず、歯痒さを感じるが、相手からすれば心を読まれたのか予知されていると感じるはずだ。
それが絶対的な強さの差として敵対する者には恐怖を与える。
ウレイアがあえて注意を与えたのは、僅かながらに戦闘に至る可能性と、相手が相当に鍛錬された人間であるからだ。
そのパーソンズは変に構えることも無く、あらためて対峙したウレイアに、まずの疑問を口にした。
「何故、こんなところに誘い込まれたのかな?」
「何故、のこのこと誘いに乗ったのかしら?少し警戒心が無さ過ぎるのではなくて?…まあ、貴方が女2人とテーブルに腰掛けて話をしていたら、同僚達への言い訳が面倒だろうと思って」
「ああ、確かにな……部下に後から何を言われるか分かったもんじゃないな?」
「それで?私に何か聞きたいことでもあったのかしら?」
ウレイアは気遣い上手の淑女を演じて誘い受けをぼやかした。
「ううむ…」
パーソンズの質問の内容は当然、
「この際、怒りを買うことを承知で聞こう、貴女は魔女か?」
「くす、率直ね…でもその呼ばれ方は好きでは無いわね」
「ん?、つまり、私の問いは否定しないということか?」
ウレイアは目を細めてパーソンズを推し測るように見る。
「では逆に聞くけれど……あなたは私達を悪魔や忌み物のようには思わないのかしら?」
ウレイアの質問にパーソンズは浅く眉間にシワを作った。
「悲しいがそんな者は俺の周りにも沢山いるさ、そいつらの方が余程タチが悪いと思っている。それに…俺の基本的な生き方は『疑う』だからな」
「疑う?」
「もちろん君のことも疑っている。人も魔女も国も教会も、たとえ神でも会ってみたら気に喰わないヤツかもしれないだろう?誰かの正体なんて…会ってみてから自分で決めるもんだ」
(『君達』では無く『君』か。この男の評価は常に『全』では無く『個』ということね)
面白い……表情を変えることはないがウレイアは腹の中でニヤリと笑った。
「見たこともないものを物知り顔で語るヤツは嫌いでね。俺は自分で触れて、感じたことしか信じ無いことにしている」
「『見た』ことでは無くて『感じた』こと…ねぇ。あなた、独り者でしょう?」
「は?な、なんで…?」
「理解されづらそうだものね。私は嫌いではないわよ」
それはウレイアの正直な感想である。そして、大勢多数に同調しない生き方はけして楽ではなかったはずだ。
「そう言って貰えるのは嬉しいが、だからといって他人を否定するつもりも無いし、強要出来るほど強くもなくてね」
「そんな貴方がエキドナという女を好きになってしまったのかしら?」
見透かされているような矢継ぎ早の質問の流れに乗せられてしまったが、パーソンズは急に息継ぎをしたくなって冷静では無い今の自分に気付く。
(何だこの女?話しの流れが早すぎる…いや、急すぎるっ)
それはウレイアにとっては質問と言うよりは確認だからだ。
「!、い、いや、どうだろうな?会って話したのも僅かな時間だったしな」
「僅かでも……それは十分な時間だったのでしょう?」
「ううむ、何だろうな?お袋とでも話している気分がしてきたな」
彼女はくすっと笑った。彼は良い人間だ、それでも聞かねばならない。
懐柔し操って、欲しい情報を引き出さねばならない。話した罪悪感が残らないように、せめて強引な強制力は使わないようにしたい。
「あら、少し傷ついたわ。でもあなたとエキドナには凄く興味が湧いてきたわ、同類だからかしら……それで?〝彼女とは一体どこで出会ったの?〟」
「!…それは……」
「そう…それじゃあ、彼女は〝あなたのことをなんて言っていたの?〟」
「面白いヤツだと言われたよ。また、会いたいとも言っていたが……どうやら街を離れたようだ」
彼は苦笑した。
「出て行った…それは残念ね。でももちろん1人でしょう?まさか〝パートナーがいたとか?〟」
軽く、なんども重ねて、気易さから自然に口にしたように思わせる。
「いや、教会の連中と一緒だ。おそらく教会の兵士だろう」
「!、それは聞き捨てならないわね。もし捕まってしまったなら何をされるかわからない。〝助けが必要かしら?〟」
「それが捕まっているようには見えなかったな。呪われているなどと変なことを言っていたが」
(呪われている?)
話の内容からはエキドナに会ったのは1度きり。それで捕まった様子ではないと言えるのは…
「まさか、〝出会ったのは教会の中でなの?〟」
「あ!?ああ、そうだ。ちょっとわけがあってな」
「わけ?…ああ、それはあなたが抱えていた何かね?」
「んっ、んんっ」
パーソンズはバツが悪そうに咳払いした。
「ふふ、でもなぜ、あなたはエキドナがその…〝魔女だと思ったのかしら?〟私達は当然それを隠しているのに」
「そうだよな?しかし彼女は隠すつもりも無かったようだが……ありえない姿の現し方をしたしな、それに説明は出来ないが人とは違う何かを見たような気がした。まあ、魔女かと聞いても認めはしなかったな、一応は……」
「そう、それだけ?一体エキドナが気になったのはなぜなの?」
パーソンズは頭を掻きながら改めて自分の頭の中を整理してみた。
「ううむ…あそこまですこんと抜け出た人間は珍しいのかな?とにかく裏表が無いというのか…」
「ああ、まあ、私達は良くも悪くも大体はそのような者が多いけど。その上美人だったのでしょう?」
「ま、まあ、そうだな。だがあれは内面からにじみ出ているものだろうなあ……あ、いや、すまない」
ここまで来れば隠す気など何も無いだろう。もう少しエキドナとの付き合いが長ければもっと情報があったかもしれないが、1度きりのすれ違ったような出逢いでは十分だと思わなければ。
「ふふ…それで好きかどうか分からないと言われてもね。と言うか、他にも私に会う理由があったのではなくて?」
「話している内に何となく分かったような気がするよ。ところで、あなた達は長生きなのか?」
ウレイアは眉をしかめた。
「あら、女に歳を聞く気かしら?」
「ああ…それはそうだな、失礼…エキドナは俺の3倍は生きていると言っていたものでね」
「そう…そう、ねえ……まあ、長生きだとは思うわよ。それでも彼女が好きなのね?」
彼は唸りながら腕を組んだ。
「ううん、分からん」
「そう…そんなあなたに忠告しておくわ。大昔、私達は神と崇められていたこともあった……それが魔女と嫌われたのには理由があるし、目の仇にされるだけのことをする者も多いのよ?だからあなたが必要と思う以上に相手をよく『感じて』確かめることね?再会できればだけど……」
「神?か……確かにそうかもな。だがしかしな、やはり我々と何も変わらないのだな…納得させてもらった」
短い会話の中で彼は彼なりにウレイアとは十分に『触れ合った』のだろう、ウレイアもそれだけのものは与えたつもりだ。そして彼女も可能なだけの情報は得られた。
「時間を割いて貰ってすまなかった、これで失礼する」
パーソンズは振り返ってその場から離れようとした。
「お待ちなさい」
「ん?」
「話をしている間も腰の剣を気にしてよく触れていたけれど…この間はしなかったその仕草、試してみたいのではなくて?」
「!、待って下さいっおね…いえ、それはっ」
黙って成り行きを見守っていたトリィアもさすがに声を上げた。黙っていたのは今の様な失言を自分で恐れていたせいだろう。
「どうする?もしかしたら命に関わるかもしれないけれど?それは剣士としての純粋な欲求なのでしょう?」
「しかし、あなたと斬り合う理由が無い。いや、剣や武器を持たないあなたとは、まず勝負が成立しない」
「あら、あなたの知らない武器を持っているであろうことくらい、当然分かっているのでしょう?」
「………」
パーソンズは自分の欲求以外にウレイアに対して剣を抜く理由を探した。体制側の人間としては相手が魔物であるだけで攻撃の理由にはなるが、彼の基準ではそれは理由にならない。
互いが納得の上で優劣を付ける為ならまだしも、自分の欲求だけで人に剣を向けることは、彼の剣士の教示に反するものだ。だが
「上からものを言ってごめんなさい、ではこう言っておきましょう。貴方の剣は当たらない、絶対に…それに、もしもエキドナを追う決心をした時は、あなたにはこの経験が必要になるのではなくて?」
「!………」
「これはね…同族に純粋な好意を持ってくれたあなたへの感謝の気持ちでもあるのよ」
ウレイアは偽らざる微笑を見せた。
「互いに敬意と感謝をもって立ちあうというのか?………ならば、お願いしたい」
一体何の成り行きで?
そう問われたら彼女は只の遊びと答えるだろう。パーソンズは遊び相手には丁度良い。たまには一対一の尋常な勝負も楽しいじゃないか。
「ところで言っておくけれど、あなたを誘い込んでから今まで、何度殺せたかもう数えきれないけれど、こんなふうに正対して応じる同族はまずいないと覚えておいた方がいいわよ?」
「そう…か、そうだろうな?それは戦術と言うものだ、卑怯などとは言わないさ」
「くすくす、あなた、本当に面白いわね?エキドナとか言う女に気に入られた理由が、少し解るわ」
パーソンズはあと一歩で間合いという位置に真っ直ぐ立ち、右を前に半身になった。
つまり直立した状態から右足をそのまま踏み込むと、切っ先がウレイアに届くというわけだ。何気なく立っている様に見えるだろうが、攻撃力と速度を最大にする為の立ち位置に陣取った。
つまり勝負はとっくに始まっていたのだ。
彼は少し前からウレイアの瞬きのリズムと呼吸のタイミングを測りながら、既に何度も頭の中で戦っているようだ。なので、わざとリズムを変えたり止めたりとウレイアも楽しく遊んでいた。
パーソンズの雰囲気もガラリと変わって伏せ目がちに集中し始めてからはぼんやりと意識を拡げているようで、既にあらゆる感情を排除して無心に近い境地を会得しているようだ。
それと察したウレイアの期待はますます高まり、そして……ウズウズと彼女の口角が僅かに上がったその時、予備動作も無く彼の体が沈みこんでいく。
(あら、早いじゃない?)
しかし集中し始めていたウレイアの目には、彼の筋肉の動きまでよく見えている。今、柄を握った腕の筋肉の動きからは…
(下から切り上げる?まあそうでしょうね、殺傷力は落ちるけれど、最速、最短で剣を振り抜けるものね?)
剣を抜く前からウレイアは既に右へかわし始めているが彼はまだ気付いてもいない。念の為に半分ほど解いた鋼糸が、彼女の首のまわりで幾重かの輪を作った。
ウレイアからは彼の首ががら空きに見えて、どの様にでも斬り落とすことが出来たが、それは頭の中だけにとどめておいた。彼の剣をかわして見せたかったからだ。
しかし勝負はパーソンズが十分な体制になり、剣を抜きかけたところで、彼自身が動きを止めたことで終わった。ウレイアは体を半分、左に捻った姿で止まり、鋼糸をそのまま肩に乗せて置く。
「どうかしたの?」
「こいつを抜く前に…俺の剣はかわされ、首が落とされた。そうだろう?…ただ、本当に落とす気は無かったようだが……」
「!、ええ…そうね、気に障ったかしら?でも、あなたは殺せないわね。今はね……」
「『1人では立ち向かうな』そんな話は聞いていたが…凄まじいな、自分が10人いても勝てる気がしないな…貴女に対しては……」
握っていた柄を引き剥がすように手離すと、逆手に持ち替えてゆっくりと剣を引き出した。それをウレイアの前にだらりと下げて見せると、
「情けなくも剣を見せることも出来なかった。もし、次の機会があるならば、少しでもあなたの期待に応えられるよう努力しよう」
「そう…でも気を落とす必要はまるで無いわよ?あなたはそれほどに強い。でもこれで、またひとつ私達を理解できたでしょう?」
「ああ、十分に。しかし何だろうな?剣も持たない相手に斬られたのは人生初の体験だな。だが確かに良い経験をさせてもらった、俺は…これで失礼するよ」
パーソンズは苦い笑いを見せて、力無くその場から去って行った。押し潰されそうな敗北感を引きずって歩く後ろ姿をウレイアは期待を込めて見送った。
しかし彼はこの後、目で追えないほどの剣撃をあみ出しその名を馳せる。そして『雷神』の二つ名は、誉と共に長く語られこととなるのだ。
「お、ね、え、さ、まぁー?なぜあんな危険な、いえ、手の内を見せるようなことをされたのですかっ?」
最後の手合わせにトリィアは怒っていた。万が一などあり得ない勝負でも、後々のことを考えれば僅かな情報でも他人に漏らすことは利口とは言えない。ましてや正体を明かしておいて何の漏洩防止策も無しに見送るなど危険に思えた。
「ん?手の内は見せていないし、彼が他言することも無いでしょう。なぜかと言われれば、いくつかあるけれど…あなたにも見せたかったからよ?」
「え?斬り合いをですか?」
「あの男の太刀筋をね。腕の立ちそうな剣士だったから出来れば剣を奮って欲しかったのだけど、予想以上だったようね、逆に斬り合いにならなかったわ」
「私の為ですか?」
「当然です。それであなたは、あの男を倒すことはできたの?」
「もちろんですよ。そりゃあお姉様よりは動き出しは遅くなったと思いますけれど。それに正面きって勝負することなんて、まず無いと思います。それより…いくつかある他の理由は何ですか?」
あなたの為…今まではそう言えば大概のことは誤魔化せたものだが、そろそろこの手も使い古されてきたようだ。
「わかったわ、たまには斬り結んでみたかったのよ。結果的に色々と、都合の良い相手だったから」
「やっぱり!もう、危険な事は無しですよ?でも、ありがとうございます。都合の良い理由の中には本当に私のことが含まれていたのですよね?」
「ええ」
「まったくもう、お姉様は結構な戦闘狂ですよね?」
「そう?…かもね」
ウレイアは中々の結果に満足してモーブレイを後にした。
カッシミウの街では例の怪盗騒ぎが依然として続いていたが、今回の騒ぎにウレイアは首を突っ込むつもりは無かった。念の為にセレーネにも良いと言うまで力を使わないように注意をしてある。
「お姉様、大お姉様からお手紙が届いてました」
「あらそう、ありがとうトリィア。ついでに読んでくれる?」
「あ、はい」
トリィアはソファーに落ち着くと、封筒から手紙を取り出した。1枚だけの短い内容のようだ。
親愛なるベオリア様
その節は色々と面倒をかけましたね。その後、いかがお過ごしでしょうか。
当家は無事に新年を迎え、今年も皆と共に良き年となるよう、家人全員で過ごしてまいります。
月並みですがそのような願いに都合良く、先日、仕事で町を訪れた折に久し振りに教会を訪ねることにしました。皆の無事を祈りに訪れましたが、幸にして神父様のお話しを聞ける機会に恵まれ、しばらくの時間、色々と為になるお話しをうかがいましたが、その中で特に興味を惹かれたのは聖人のお話でした。
稀な行いにより聖人と成られた方々の中にはその存在が不確かなものとされている方もいらっしゃいますが、教会の記録の中には確かに存在し、多くの人々を厄災から救っていると、神父様は確信を持って語っておられました。そしてそれこそを手本として、万民を愛する事で神に御近づきになれるのだと、そうおっしゃっておりました。
しかし、私はそれ程の大業を成すことは出来ません。でも、少しでも周りの者が幸福でいられるよう努力したいと思います、
これからも度々教会に足を運び、お話しを聞きたいと思います。
人によって幸福のかたちは違いますが、いいですかベオリア、決して無理をしてはいけませんよ。あなたの無事と幸福だけを祈っています。
愛をこめて オリビエより
「大お姉様が教会なんかに?これってっ、お姉様っ?」
「エルセー、危険なことを…」
内容は当然第三者に読まれても問題の無いように書かれているが、その中に含まれているモノ、それは彼女達にとって災厄と言えるモノだった。
「去年エルセーの屋敷に行った時、いえ着く直前から、おかしな事があったでしょう?」
「あっ!覗き魔ですね?分からず仕舞いに終わった…」
「あの一件では、実はある懸念があったの」
「まさか、ここに書かれている聖人というのは?」
トリィアは握ったエルセーからの手紙を緊張した顔で読み返した。
「ええ、『天使』のことね」
「て、てんし…」
ずっと嫌な予感はしていた。数年前から強まっていた教会の力、季節外れの枢機卿の来訪、疑いが増していたところにエキドナの一件。
取り越し苦労であってほしいと願っていたが、ウレイアの中では全てが繋がってしまった。
「間違いないのでしょうか?」
「あの人が確信も無しにそんな手紙は寄越さないわ。文面からもかなり思いきった行動がわかるわね。まあ、あの人のことだから心配はいらないと思うけれど……それよりも、隠した文字は?」
「あ、そうでしたっ、待って下さい。最初に『その節』と書かれているので改行毎で、最初の頭が『ツ』ですが一文字送りで『テ』。次は2行改行ですから長音符。次が『マ』ですから『ミ』、次は『ス』になって、点の書き間違いがあるからそこまでですね。それを繋げると、テー…」
「『テーミス』…きっと、天使の名はテーミス」
名前まで分かっているなら確定的である。間違いの可能性があるなら教会の勘違い、もしくは同族が成りすましている可能性はある、かのカタストレのように。
「ということは、大お姉様のすぐそばに天使が?」
「ん?それはわからないわ。だとしても尻尾を捕まれるようなエルセーではないし、その辺の情報を集める為に教会に通うつもりなのでしょう。でも、危険な行為ね……」
「でも、もし存在していても敵かどうかも分かりませんし、どんな行動をとっているかも分かりませんよね?」
「そうね…でもおそらくは敵で、今も私達を探しているわ」
「探してる?……!っ、怪盗っ…ですか?」
「そう、あれはおそらく囮。縄張り意識の強い者を誘き出して、後から出てくるのは神兵かテーミス本人」
だからテーミスがいる可能性が高いのはハルムスタッドでは無く、自分達のそばとなる。
「でも、どうすれば?」
「どうも出来ないわ」
分かっているのは名前だけ。エサに飛びつく程うかつでは無いし、何もしなければやり過ごせる可能性の方が高いのだから。
「そう…ですよね?放っておけば通り過ぎて行きますよね」
「今、街を騒がしている怪盗が囮なら、囮を演じている以上私達を見つける能力には長けていないはずだから」
それに本当は関係の無いただの盗難事件である可能性も捨てられない。
(それでも、たとえそうだったとしても……明日にでもテーミスが新たな能力に目覚めたら?)
今回、自分達はやり過ごせても万が一エルセーが見つかってしまったら、助けに行くことは出来るのか?トリィアやセレーネだってそうだ、常に一緒にいるわけでは無いのだから。
(結局こうなってしまうの?分かっていたことなのに…)
ウレイアの古いキズの痛みが甦る。もう2人いるはずだったアーニスとレイス、アーニスは行方知れずだが今は生存は期待していない。レイスは彼女のすぐ近くで殺された。
よくある事だと知っていたところで慰めにはならなかった。自分の与えたものが彼女たちを救えなかったのなら、戦う力などむしろ呪いでしかなかったのではないか?
そのあとのウレイアには長いひとりだけの時間が必要だった。トリィアに出逢うまで。
(私はどうすればいいの……?)
「お姉様…」
トリィアはウレイアを後ろから抱きしめた。再び失うことへの恐怖と、自分の無力さを呪った怒りと硬直を抱き包んだ。
「そんな顔をなさらないで下さい、お姉様は欲張りですから……でも何でもかんでも、おひとりで抱え込まないで下さい。大お姉様もセレーネも、私の前の2人のお姉様方もきっと……」
「!」
「もちろん私も解っていますよ?だからお姉様が傷ついたり無茶したりしないか、皆いつもハラハラと心配なんです」
「トリィア」
「それに、そのテーミスという天使はセレーネにも敵わないヘッポコかもしれないじゃないですか?」
「ヘッポコ…なんてめったに聞かないけれどまあ、それは…そうかもね?」
「ただねえ……それでも私は心配です。お姉様がひとりで行ってしまいそうで…だから首輪を着けておこうと思います」
「え?」
ウレイアを包み込んでくれていたトリィアの両手からルビーのペンダントがこぼれ落ちた。そしてチェーンを摘んでいたその手が、首の後ろで留め具を結ぶ。
「この石は…」
「はい、前にお姉様にいただいたルビーです。ちょうど半分に切って、その面だけ磨いてもらいました。お揃いですよ?」
「………」
「お守り、みたいなものです。私だけでは心もとなくて、大お姉様に教えていただきながら想いを込めたのですが、ちゃんとお役に立つかどうか…」
「トリィア…」
「お姉様のうしろには、いつも私がいます。今はまだ見守ることしか出来ませんが、いつか必ず、私がお姉様をお守りします」
「ありがとう…大切にするわ」
ルビーに手をあてると、トリィアの石に込められた想いが暖かく伝わってきた。
(そう……私はもう、ずっと前から守られていたのね。エルセーやセレーネ、トリィアにも、だから生きてこられた……それは奇跡でも気休めでも無いっ、それが私達の力なのだから。皆の想いが私を救う、いえ、お互いを救いあう?これは……っ!)
「ああん、もうっ!」
「ん?何?」
「セレです、外まで来ています。せっかく良い雰囲気だったのにい。あれ?お気づきにならなかったのですか?」
「え?ええ……」
足を床に叩きつけながらセレーネを迎えに出るトリィアを見て、ウレイアはくすりと微笑んだ。