11 バートン通り探偵社
枢機卿と教会の一団がこの街に来た目的は分からず仕舞いなのだが、腹の内では彼等を侮っていることも手伝って、カッシミウにはただの布教の為に訪れたことにしておくことにした。だからといって油断して良い訳では無い、しばらくは周りにも気を配り、教会とそのまわりの体制に変化がないか観察を続けていくつもりだった。
「そういえば、エルシーは無事だったのでしょうか?まさか余計な事はしないですよね?」
朝食のジャガイモを口に放りながらエルシーを思い出すトリィア。
「まあ、別に心配はしていないけれど、どうしたの?気になるの?」
「いえ、まあ…気には、なりますけど……」
「会いに行ってもいいのよ?トリィア『姉さん』」
「うっ、あ、あんな可愛げの無い妹はいりません」
このところトリィアはエルシーのことをたまに思い出してはそわそわと心配顔を見せることがあった。
結局はことある毎にエルシーを擁護していたのが自分に他ならないし、無事にウレイアの期待に応えて妹弟子になって欲しいような……欲しくないような、そんなふわふわもやもやしたものを抱えて持て余しているようだった。もしかしたら思いがけずエルシーは良い役目を担ってくれているかもしれない、ウレイアは微笑ましく見守っていた。
「!」
2人がぴくりと外へ意識を向ける、どうやらリードがやって来たようだが、しかし、毎日のように来てはいるが早朝からやって来るのは初めてのことだ。
コンコン…
リードは訪れたことを知らせる為ではなく、入室の許可を得る為のノックをする。トリィアはノックよりも早く、ジャガイモを飲み込みながら立ち上がっていた。
「はいはい…おはようございますっリードさん」
扉を開けると、いつにも増して神妙な面持ちでリードが立っていた。
「おはよう御座います。このような時間に訪ねたことをお許しください」
それに彼1人きりで訪ねてきたことも珍しい。
「どうしたの?」
「失礼いたします。えー、実は今朝、屋敷の鍵を開けに行きましたところ、既に鍵が開いておりまして……」
「っ!、あら、泥棒?」
「はい。あ、いえ、よく分かりませんが、中で男が死んでおりまして…」
……?
一瞬間を開けてごくりと口の物を飲み込むと、トリィアが声を上げた。
「ええーっ?」
「確かなのね?」
「はい……残念ながら」
どうやら冗談では無いようだ。
ウレイアはすぐに2階に行きコートを掴むと、トリィアのコートを本人に手渡し手早く出掛ける支度をする。
「エルセーには?」
「はい、まずはエルセー様にお知らせしたところ、ウレイア様にも声をかけるようにと」
「そう」
ウレイアはリビングのチェストを開けてコートのポケットに小袋をひとつ押し込むと、フードを深くかぶった。
「行きましょうか」
細かい雪がちらつく中、ウレイア達は家を出た。
「2人とも、急がないでね。いつも通りに歩いて」
「はい」
「はい…」
ウレイアはしばらく歩いて人目が無くなった所でトリィアに声を掛ける。
「トリィア、一応『偽装』を……」
「はい、お姉様」
トリィアの擬装はまだ不安定な為に、ネックレスに通した石のひとつで補助することが必要だ。
ウレイアの…いや、元々はエルセーから学んだこの偽装は、姿形を変えられるわけでは無い。もう少し複雑な手順を加えるとこちらが望んだように見せることができるようだが、基本としては顔を見た相手の視覚に影響を与えて絶妙にぼやかし、ぼやけた顔を相手の脳が勝手に補完する、という仕組みになっている。
加えて実際にはぼやけた像を見ているので記憶にはっきりと残ることはまず無い。しかも都合の良いことに、ぼやけた顔に再会した時には、脳は補完した顔をちゃんと甦らせるようだ。つまりは自分の顔が相手にどの様に見えているのかは自分にも分からない。が、これが面白いようにばれないのである。
ところがエルセーの今の偽装は誰に対しても同じ顔が見えているようなのだ。その方法がウレイアにも分からない、今もってこの分野では彼女は権威のようである。
屋敷に着くと、エルセーは中には入らず玄関の前で待っていた。ウレイアは敷地に入る前あたりから2人を制して先頭を行く、ここで見落としがあってはならないからだ。
「おはよう」
エルセーはいつも通りの急迫感も無い挨拶で、手を振っている。
玄関までのアプローチは石のため、昨晩の雨で洗われてしまっていた。
「おはよう御座います、大お姉様」
またトリィアがにこやかに挨拶を交わしているが……確かにまあ、今ここにいる者で死体くらいで動揺する者などいるはずがなかった。
「おはようございます、それで死体は?」
「扉を開けてすぐの所に倒れてますよ、いやぁねえ、もう……迷惑な話しでしょう?」
まるでもう、ねずみの死体でも見つけたような言いぐさである。しかも全員が『ウンウン』とうなずいているぐらいである。
何にせよウレイアは扉に手をかける前に玄関周辺を観察する。
「幸い工事の人間が来るまでには時間がありますよね?それまでに何らかの始末をしましょう。扉は…こじ開けられた様子は無いですね?」
「もう工事自体は終わっているのよ。今日は掃除が入る予定だったのだけどねぇ」
玄関を開けるとすぐに死体が目に入った。扉に背を向ける形で男がうつ伏せに倒れている。その光景を前にウレイアとエルセーはとりあえずため息を吐いた。
足下に注意をはらいながら死体に近づく……死体の手元近くの床には金てこが転がっていた。
「背中を…いっち、にー、2回刺されていますねー」
トリィアも平然と観察している。ウレイアは立ったまま死体を見下ろして一通り探ると、足で死体をひっくり返そうとした。すると…
「ウレイア様、私が」
リードがすかさず死体を横にひっくり返してくれた。
「ありがとう」
「おや、この方は…」
ひっくり返した顔を見たリードがすぐに気が付いた。
「知っている顔なのね?」
「はい、出入りしていた漆喰職人です」
「あらぁ、本当ねえ……ずっとここの工事をしていたわ。あとリード、ベストの前ポケットを」
リードがポケットから何かを掴み出して手を広げて見せると、小銭と2枚の金貨が乗っていた。
「あー何か面倒な予感がしてきたわよ?レイ…」
「そうですね、しかし本当に面倒なのはこちらのほうでは?」
ウレイアに促され全員が家をよくよく見回してみると、方々が金てこで引き剥がされていた。
「何なのこの有り様はっ?それも直していない所ばかりじゃないの!」
エルセーにはかわいそうだが工事はもうしばらくかかりそうだった。
ウレイアは広い家を手早く見て回ると再び玄関に戻った。1階と同様に2階も所々が壊され、せっかくの工事が台無しかと思われたが、新たに直された所には手を付けず、古い板張りや固定された家具などばかりをあさっていたようだ。
「侵入したのは裏手の窓からのようですね?泥棒で間違いは無いようだけど、ふむ、目的が…分からないわね…?」
工事をしていたこともあって中は埃っぽく散らかっているし、大勢の人間が動きまわっていたことから足跡を区別するのも大変だ。ウレイアは改めて玄関付近に注目した。
この男を殺した人物が屋敷の中からは浮かんでこないし、殺されたのはこの場所で間違いは無さそうだからだ。
扉のすぐ横には縦に細長い窓がある。その真下の床をよくよく見てみると、ホコリを押し除けたような小さな斑点が残っている。そして窓ガラスにもちょっとした異変を見つけた。
ウレイアは幾つかの手がかりを整理して頭の中で時間を巻き戻す。
「どうやら、前の住人を調べる必要があるようですね。とりあえずは、泥棒として警備詰め所に知らせたほうが良いでしょう」
「やっぱり?そうよねえ。面倒くさい…」
エルセーがこの上なく煩わしそうにうなだれた。
「目的を知りたいですね。場合によっては、この家にまだまとわりついてくる可能性がありそうですから」
「しょうがないわねぇ。リード、ちょっと詰め所まで行ってきてくれる?ありのままを説明すればいいわ」
「かしこまりました」
おかしな事件だが普通に泥棒として処理されるだろう。問題は2人目の人物とその目的なのだが…
「誰かが来る前に私達は出ましょう、トリィア」
「は、はい」
「それからエルセー、落ち着いたら私の家に来て下さい」
「分かったわ」
リードが警備兵を連れて来る前にウレイアとトリィアはその場を離れた。今は一旦家に戻って、後でまた出掛けることにしよう。
「お姉様、何か解りましたか?」
「あなたはどう思う?」
「いっ?」
逆に聞き返されて、トリィアはワタワタと現場を思い返す。
「わ、分かったことと言えばですね、あそこで働いていた職人が泥棒として雇われたことと、雇い主には目的があって、その目的が果たされたかは分からない。くらい…です……」
「多分ね…金貨2枚で雇われたと結論づけるのはちょっと強引だけど、他の状況と関連づけると正解だと思うわ」
「あとは?あとは何ですか?秘密主義はもう無しですよっ?泣きますよっ!!」
トリィアが体を押して詰め寄って来る。
「いえ、そんな大した事は解かっていないわよ?」
「それは私が判断しますっ!」
ウレイアはトリィアの気迫に気圧されて、咳払いをしてから話し始めた。
「んんっ、前の住人を私は知らないけれど、あの家を引き払った時期に『何か』を残したのでしょうね。それを誰かが人殺しも厭わず探している…のかしら?」
「うんうん」
「分からないのは雇った人間を殺すほどの理由……まあ、それは置いておくと、犯人は隠し物をした人物…私は家主だと予想しているけれど、その人物の秘密を知っている人間で多分……女かしら?」
「!!!!!っほらーっ!どうしてですか?!何で女が出てくるのですかっ???」
何かを暴いたわけでもないのに、鬼の首根っこを掴んだようにトリィアが責め寄ってきた。
「だから多分よ…多分。中に入ってすぐ横に窓があったでしょう?その窓の前に誰かがずっと立っていたのよ、男が何かを探している間…」
「だ か ら っ、何故そんなことが分かるのですかっ?」
「窓の下の床の埃に水滴の跡がたくさん残っていたのよ。昨日から天気も悪かったから服に着いた水滴が床に落ちたのね。埃は毎日出ていただろうから跡が付いたのは昨晩だと分かるでしょう?」
「!」
「当然窓ガラスにも埃はたくさん付いていたけれど、一部だけ吹き飛ばされていた…そうね、私の顔の10センチ位下かしら。雨が降る暗い夜、しかもガラスには埃にまみれて外がよく見えなかった。つまり、窓の前に立っていた人物は窓から外を見張っていたのよ、息がかかるくらい顔を近づけてね。さてじゃあ……私よりずっと背が低くて時間が惜しいだろうに力仕事に参加しない理由があって…加えて凶器が細身の短剣で刺し傷も深くなかった。となると?」
「おんな…だと思います……」
「さらにその仕事に参加しない理由としては、その女が雇い主だからとも考えられる、まあ多分だけど。例えば小柄で非力な…男の子だったかもしれないし」
「やっぱり…」
「ん?」
「やはり、秘密にしていらしたじゃないですかっ?」
トリィアがすね気味になって口を尖らせている。
「あ、あくまで想像でしかないことを自慢げに語るほど、自惚れてはいないわよ?」
「でも…でも、これからの捜査方針を決める大切な情報ではないですか?」
「捜査?方針?」
この国で起こった犯罪は、国や王族、余程の大貴族が被害を被らない限り行政主導の調査が行われる事はない。
あくまで警備も防犯と国の防衛が主目的で、現行犯で捕まらない限り犯人は野放しとなる。
そのかわりに個人での犯人探しや正当な仇討ちは認められていて、場合によっては警備兵が手を貸してくれることもあった。
「知りたいのは目的だけなのだけど…?」
「でも、それは犯人探しと同義ですよね?」
「それは…成り行きだけど。分かったわ……それじゃあ戻ったら今後の捜査の方針について相談ね?」
「はい、ぜひっ」
ところがこの時のウレイアの頭の中を覗いてみると
(面倒ねっ、本当は捜査方針も何もあの屋敷の住人の事を聞いて回るしか次の手は無いし、そもそも私が家を選んだとは言え、流れでエルセーに押し付けられた案件だけにトリィアほどのやる気は沸いてはこないわ…)
だがしかし無視するわけにもいかない。とりあえず家でエルセー達を待つことにした。
警備所に報告をしても、当然彼らは犯人を捜す気も無いのだからたいして時間を取られることも無いだろう。
それでも思いの外早く、2人はウレイアのウチにやって来た。そして2人にお茶だけ出すと、早速今後の話をきりだした。
「それで、どうしますか?」
「どうするの?」
ウレイアの問いをそのままエルセーは投げ返してきた。
「わたしですかっ?」
「ええ、レイにまかせるわ」
「私に『押し付ける』の間違いなのでは?」
「いーえ、貴女でなければ犯人の女を見つけられないもの?」
(はあ…まったく白々しい。しかもエルセーも『女』には辿り付いているのに)
「良いんですね?…それでは手分けをしましょう。リードは職人ギルドに行って死んだ男の情報を。エルセーは役所に行って前の家主の話を聞いてきてください、もちろんそこから先は展開次第で自由に動いてください」
エルセーはせっかくウレイアに押し付けた『面倒』を利子をつけて返された。
「えー?私もなのーっ?あなたたちはどうするの?」
「私とトリィアは知っている商人に話を聞いてみます。エルセーは特に…言わなくてもお分かりですよね?」
「はーい、家族関係を根掘り葉掘りしてきまーす」
「では少し休んだら動きましょう」
ウレイアはまず、デアズ・ウィットンに会うつもりでいた。デアズは商人ギルドの中においても役を担っている人物なので、同じ商人ならば何らかの情報を持っている可能性が高い。
実を言えばエルセー達の情報には期待していないのがウレイアの本音だ。ただエルセーあたりはそれも見透かしているだろう。
「ウィットンの屋敷にはついこの間行ったばかりなのだけど…」
ウレイアは目的は違えど再度訪問することに道すがら愚痴をこぼす。
「お姉様は二度手間を本当に嫌われていますよね?」
「否定はしないわ。と言うか…エルセーとの関係を修復してからずっと振り回されている気がしてね。思えば以前はいつもこんな日常だったけど……」
「なるほどお、お姉様の『お姉様気質』はそこで育まれたのですねー?」
ウレイアは左の眉をつり上げた。
「あら、人ごとねぇ?いいわ…」
「えっ?何がですか?お姉様?おねえさまー?」
その頃先に家を出たリードは役所をすでに回って、職人ギルドを訪れていた。役所担当のエルセーはどうしたのかと言えば…当然自分の分担をリードに押し付けたのだった。
さて、職人を手配する為にはまずはこの職人ギルドを尋ねるしかない。多くの職業には協会が存在し、基本的にもぐりは許されない。従って職人の情報も大体はここで手に入ることになる。
ちなみにウレイアの鑑定士は特殊な職業で、協会などは存在しないし、仕事の確保も自分次第であった。
「失礼致します」
「ああ、リードさん、さっき役人が来たよ。すまないな、職人が大それたことをしちまって……挙句に悪い仲間に殺られて置き土産にされたんじゃあ、あんたのご主人もさぞ気分を悪くしただろう?」
「いえ、ご心配無く」
「聞けば結構な被害があったみたいだね?ウチとしても何か出来ることがあればいいんだが、基本的に保証というのはチョットね…」
この男は運が良い。損害にしても死体にしても、主人であるエルセーが気にするような人物では無いからだ。
「では、新たに発注を致しますのでそちらを勉強していただけますかな?」
「!、おおー、それはもう任せて下さい。ウチの手数料なんていらねえや、なんなら今回は職人に直に交渉して貰ってもかまいませんよ?」
「いえ、そこまでは申しません。そのかわりに、亡くなった男のことを教えていただきたいのですが?」
「ルヨンの事を?」
男は不思議そうな顔をした。
「ルヨン…というお名前ですか。いえ、私の主人は彼を殺害した仲間の方を警戒しておりまして、警備の参考になればとおっしゃっておりますので……」
「あー、なるほどねぇ、でもそんなに悪い噂も無い男だったんだけどな?だからそちらにまわしたんだけど」
「ご結婚などは?」
「独り者だね。浮いた話しも聞かなかったねえ」
「そうですか、ご家族や恋人がいなかったのは幸いだったかもしれませんね?ところで親しいご友人などはおりませんか?」
「そうだなー、大工のクルス・マッカイてヤツかな?たまには一緒に遊んでいたかな……」
「それは丁度良い。明日からでもそのマッカイさんに工事に来ていただけませんか?」
「そうかい?まあ、聞いてみますよ。断られたら他の職人でも良いかい?腕の良いヤツをさ?」
リードはにこりと微笑んだ。
「かまいませんよ」
世間話程度の会話にギルドを出たリードは浮かぬ顔でふうとため息をついた。
デアズ・ウィットンに会いに来たウレイア達は応接間に通されると、所用で出ているという本人を待つことにした。
この屋敷に入ってからすぐ、もちろん3人共に気づいている。そのエルシーは厨房でなにやら交渉をしているようだ。
「お姉様、これはきっと…」
「そうね」
「失礼しまーす」
どう交渉したのかは知らないが、お茶を運んできたのはエルシーだった。
「ようこそ、ベオリア様、姉…ええと……」
メイド服のエルシーを見るなり、トリィアは口をおさえた。
「ぷ…っくく……」
「?、な、なんだよ、姉さん」
「エルシー、あなた…っ」
トリィアはエルシーのメイド姿が余程面白いようだ。
「わ、分かってるよ。どうせ似合わないさ…」
「違うわよエルシー……いい?衣装に着せられているから自分が浮いてしまうの。衣装を従わせるのよ」
「衣装を…?」
「こんな服よりあなたの方が可愛いんだから……ここはこうでしょう?それから……」
トリィアはかいがいしく、エルシーの服を直している。
「あら、随分とじょう舌よ、トリー姉さん?」
「い?お姉様っ、名前は…」
ぱんっとエルシーは胸の前で手を組んで喜んだ。
「姉さんはトリーと言うんだっ!?たとえ偽名でも教えてくれて嬉しいよっ。よろしく、トリー姉さんっ」
偽りの無い喜びをためらわず表に出し、見惚れるほどの笑顔を見せるエルシーに2人は目を丸くした。
「お、お姉様…この子?」
「ふふ、キュートね。末恐ろしいかも?」
「え?なに?なんですかっお師さま?」
トリィアは更にけげんな顔をする。
(おしさまー……?)
自慢こそしないが、彼女達の容姿が整っているのは偶然ではない。望みを叶える彼女達の力は、年月を経ることで容姿にも影響を与えている。あと20年も経てば、エルシーは驚くほどの美女になっているかもしれない。
「大丈夫…良い話よ、エルシー」
「?」
エルシーは首を傾げ、トリィアは不安に眉をひそめる。ウレイアはその不安を払い落とすように背中を上からさすってなだめるのであった。
「お姉様ぁ……」
「ほら、ウィットンが帰って来ましたよ?」
と、そこへデアズ・ウィットンが戻って来た。
「お待たせしました。今日は妹さんもご一緒だそうで……エルシー?お前がお客様の対応を?」
「あ、はい」
エルシーはそそっと2歩下がった。
「失礼はありませんでしたか?」
「いいえ、気に入りました。今後は是非この子に…」
エルシーは鼻を拡げて笑顔を噛み殺しつつ、小さくこぶしを握った。
「そうですか、それは上々。よろしければいつでもお貸ししますよ?」
すると今度は顔を紅潮させて、思いがけずプレゼントを貰った子供のような顔になり、その表情を隠すようにぴょこんと頭を下げるとエルシーは下がって行った。
「それで?今日はどういった御用向きでしょうか?」
「ええ、最近…近所に知り合いが家を購入したのですが…」
ウレイアは少しの嘘を混えながら物語を作っていく。とかく商人というのは相手の言葉や内容の違和感に敏感でなければ務まらない。そんなデアズと会話の駆け引きで遊ぶのも一興と思ったが、今は力をやんわりと使いながら手っ取り早く情報を集めることにした。
「なるほど、あのマロー・レインズですか……交易商人で長いことこの街に住んでいましたね。当然商人ギルドの組合員でしたよ」
「『あの』とは?」
「いえね、半年程前ですが、突然姿をくらましたんですよ。その時はギルド内でも少し騒ぎになりましたから……」
「それは本人の意思だと思いますか?」
「おそらく……土地の権利も手放して、従業員や使用人を全て解雇してから消えていますから。あー、であるなら当人としては突然ではなかったのですかね?」
「ふむ、消えた理由は何でしょうね?」
そう聞くとデアズは腕を組んで考え込んだ。
「ううむ。分かりかねますが…まあ、そもそも商人というのは大なり小なり腹にいちもつを抱えている…のも事実です。が、私らなりのルールと言うか教示に従って商売をしています。でもねえ、嘆かわしいことに怪しげな輩が多いのも本当でして…特にこのレインズという男は、方々飛び回っていたようですが、大した商売はしていないのに羽振りだけは良いことで有名でした。怪しいでしょう?」
「ふむ…そうですね」
他人の知らない儲け話……少しは答えに近づいているような気がした。
「それでは家族はどうしたのですか?」
「彼に家族はいないと思いますよ?妻には先立たれ、子供もいなかった筈ですが…」
「恋人や愛人も?」
「そこまでは私も…あ、でも…1、2度会合の時に女性に送られて来たことがありましたね。ただ…ちらりと姿を見ただけで顔も分かりませんし、どこの誰かも聞いていないのですよ」
ようやくここで女の影が見えてきた。まだ顔も見えないほど遠くにだが。
「では、レインズの趣味や…自慢していたことはありませんか?」
「ううむ、それでしたら……よく先祖…とにかく自分の古い家系の話を自慢げにしてましたね。元は貴族だとか何とか、彼は人を下に見るようなところがあったのでよく自慢していたことは覚えていますよ。元貴族なんてまあ、よくある話ですし右から左でしたが……」
「ふむ、彼は執事を雇っていましたか?」
「ああ、ええと、キンブルと言いましたね。ギルドにも何度も顔を出していましたよ」
「そのキンブルさんが今どこにいるかは?」
「いいえ、残念ながら」
「そうですか…では最後に、よく組んでいた商人仲間はいませんでしたか?」
「んー、思いつきませんねえ」
ウレイアの力でウィットンは嘘をつけない。結局思ったほどの収穫は得られなかった、中々に慎重な男だったようだ。
その後は軽い世間話などを混えると話しを切り上げた。
「お時間をどうも、助かりました」
「いいえ、あまりお役には立てなかったようで。まあ、いつでも遊びに寄って下さい、エルシーも気に入っていただけたようですし……」
「ありがとうございます」
あまりにもささやかな進捗だった。重要人物の影を踏むには至らなかったが、不満のままデアズ邸から引き上げざるを得なかった。
ウレイアは帰りの道すがら、今後の行動を考えてみるが…
(レインズの関係者を捜し出してしらみつぶしに尋問するしか無いのかしら?冗談じゃないわね……まあ、必ずしも犯人を見つける必要は無いけれど。やっぱり大きな手掛かりは現場の側に……)
「お姉様、これからは毎日『愛している』と言って下さい」
「ん?え、なぜ?」
トリィアはもう、事件どころでは無い。自分の中にイヤな感情が少しでもあることが許せないらしい。
「でないと、私は醜い人間になってしまいますよ?」
「しまいますよ?って……ああ、あなたとエルシーを比べることなど無いし…………分かったわ、あなたの方が可愛いわよ」
「は、はあああ…癒される……まいにちっ、毎日お願いしますっ。あと『愛している』とっ」
「あ……」
鬼気迫るその要求はちょっとウレイアには荷が重かった。
「まったくっ、そんなことを気にするのはおやめなさい。今の言葉では不十分だと言うの?」
「いえ、あの……」
「さあ、戻って2人の報告を聞きましょう!」
「ではあの…毎日頭を撫でてくれるでも……」
一番に帰ったのはウレイア達で、しぼんだトリィアの頭を撫でながら待っていると、先に戻ってきたのはリードだった。
彼もまた、あまり芳しくない顔色を見せていたが、互いの報告はエルセーが帰ってから、その方が効率も良いので全員が揃うのを待つことにした。
「まあまあ、もうみんな戻っていたのね?」
「あれ?大お姉様、お召し物が変わってますね?」
最後のエルセーが戻ると、早速リードから集めた情報の報告が始まった。
リードとウレイアが集めた情報は、マロー・レインズという商人とルヨンという職人の人物像くらいのもので、女とみられる犯人の正体を突き止めるには至らなかった。
「運が良ければルヨンなる職人の友人が、本人から殺人犯の話を聞いているかも知れません」
リードが手配した大工がわずかな望みとして残ったが、ウレイアにはもう探す気は無くなっていた。
しかし、ここで静かにタイミングを見計らっていたエルセーがテーブルをノックした。
「リグリーというパン屋の女主人ですって!」
「!」
「?」
突然の発言に3人の視線がエルセーに集中する。
「!、エルセー?リードに役所を押しつけてどこへ行ってらしたのですか?」
「ん?ああ……この街の人は中々に親切ねえ、私が困った顔をして家の前で立っていたら近所の人が何人も声をかけてくれてねえ……その中でもはす向かいの生き字引みたいな老婦人がね、暗くなってから訪ねて来る女を何度も見たらしくて……あれは広場のパン屋の女主人じゃないか?って言っていましたよ?」
「………」
「そんなことでっ??」
トリィアが思わず感嘆の声を上げた。
「だって、普段から近所に目を配っている住人がいれば、当然私のこともすぐに見つけてくれると思って…」
「お着替えされたのも?」
「ふふ…少し下心をくすぐってみようと思って良い服を着て、目立つアクセサリーでちょっと飾ってみたのよ」
目立ちたくないウレイアは噂になるのを恐れて付近の聞き込みは諦めていた。それを知っていたエルセーは向こうから声をかけて来るように仕向けたのだ。もしも近所に裕福な隣人がいるならば、下心のある者ほどお知り合いになりたいと狙っているものだ。そして大概その類いの者は近所の動向に目ざといものである。そんな者の目の前に声をかけ易そうな裕福な貴婦人が困り顔で立ちすくんでいたら……?
エルセーは美味しそうな餌をつけて釣り糸を垂らしたのである。しかもすり寄った相手に告げ口のように他人の秘密を漏らしたとあっては、その貴婦人と知り合ったことを言いふらすことも無いだろう。しかも秘密を共有することで特別な関係を築けたことに満足するからである。
ウレイアは感心すると同時に少し自分に落胆した。
「正直、あとは罠を仕掛け再度現れるのを待って犯人を抑えるつもりでしたが……敬服しました」
「んーっレイに褒められちゃったっ!気持ちいいわぁ……」
「大お姉様、すごいっ!」
「お見事でございます」
もとよりエルセーをコントロール出来るとはウレイアも思っていないが、自分の指示が無視されたことに違いはない。さらには称賛を強要されるという面倒さだ。
「もう、いいですか?」
「はい、気が済みまし…たっ」
「それでどうしますか、エルセー?」
「ん?面倒くさいから任せます」
「…」
そのエルセーっぷりに3人は閉口するが、逆にその言葉はウレイアに寄せる信頼の現れとも受け取れる。そう思うと、ウレイアも師の期待に応えたくなってしまうのだ。
「まあ…まだその女が犯人と決まったわけではありませんが……手っ取り早く行きましょう。リードをお借りします、どうせなら、貴女好みにいきましょう」
エルセーがにこりと笑った。
冬の時期に午後4時ともなればすでに日も落ち、商店は軒並み看板を下ろす。この売れないパン屋も最後まで粘っていたが、辺りに人気が無くなっては渋々店を閉めざる得ないようだ。
皆には手っ取り早くと言ったものの、まずは容疑者の女を尾行して、自宅に帰るのを確認した。
「こんな事を頼んでごめんなさいね?」
「いいえ、楽しゅうございます。このような事も以前はよくエルセー様から仰せつかっておりました」
「まあ犯人の動機も大方は想像できているけれど、すっきりと決着を着けないと皆んなも納得できないでしょう?」
「ウレイア様のご苦労はお察しします」
「ふふ…でしょうね?」
「はい……」
リードの苦笑いで彼の苦労がしのばれた。しかも人の身で彼女の要求に応えるのは並大抵ではなかった筈だ。
「あなたは何故エルセーのそばに?」
「はい……私は幼い頃から少し人としては捻くれておりまして、そんな私の目にエルセー様は誰よりも純粋な人間らしく映ったのです。そしてその、『本当の強さ』に憧れました」
彼の言葉はエルセーの本質を射抜いていた。奔放でわがままで正直で何も裏切らない人間そのものの彼女は、同時にそれを押し通す強さも兼ね備えている。
「そしてそのエルセー様に更に『節度』を備えられたのが、ウレイア様で御座います」
「!……そう?ありがとう、と言って良いものか……」
2人はお互いに苦笑いをするしかなかった。
その後、自宅に戻った女が寝室に入って落ち着いてからが頃合いと見て、しばらく物陰で更に待機となった。
「背中の『道具』を見せてくれる?」
「はい」
リードの背中には短剣が2本、隠されている。慣れた手つきで静かに剣を抜くと、剣先をウレイアに向けぬように差し出した。
「随分、使い込んでいるわね?」
受け取った剣は短剣よりもやや長く、先端に向かって真っ直ぐ細くなる刺突剣。飾りも無く、薄く軽く造られた剣は扱いを間違えると簡単に折れてしまうが、手入れを繰り返し鈍く光るこの剣は、もはや念が込められていると感じるほどの迫力を備えている。
「それとあなた、エルセーの『石』を身に着けているわね?」
「はい」
(でもたったそれだけで……私達と渡り合ってきたのね?もっとも手に余る相手にはリードをぶつけないでしょうけれど……)
ウレイアが常に行なっている『監視』の中でも時おりリードの存在はゆらゆらと焦点が揺らぐことがあった。おそらく彼の姿に背景を重ねて見せようとしている。ウレイアが使う『隠伏』とはまた違うカモフラージュだ。
「あの人のそばにいるのは大変だったでしょうね?」
可能な限り軽くしつらえた双剣は極限まで素早く攻守を行えるように考えられているに違いなかった。それは明らかに人では無く同族を想定した武器である。
「それほどのことはございません。特にマリエスタ家に入ってからは、あまりお役に立てず心苦しいばかりです」
ウレイアはリードを流し見ると、剣をくるりと回してリードに返した。
「あなたの特技ははたして何かしら?興味が湧いてきたわ」
「その内に、その機会がありましたら…」
「そう…そろそろ行きましょうか?」
リードは1枚の布で手早く顔を覆うと帽子をかぶり直した。緊張も気負いも無い平常心であることが分かる。エルセーの要求に応え続けてきた男なのだからこの程度は些細なお願いだろう。
ウレイアは扉の前に立つと音も無く鍵を開けた。
「あそれいります」
初めはウレイアが先導し、女相手にただ小芝居をしてもらう程度のつもりだったのだが、先に滑り込んだリードの身のこなしは完璧だった。
足音を消し、スーツの衣擦れの音さえ立てずに素早く動く、彼が相当な手だれであることを再認識する。ウレイアは姿を消して彼の背後に付いた、暗闇の中でリードをサポートするつもりだったが、常に壁と一定の距離を保ち障害物をかわし、罠を警戒している素振りさえ見せる。しばらくその動きを眺めていたいほどだ。
口伝えで位置を教えた寝室の前に迷わず止まると、扉に耳を近づけて中の様子をうかがっている。
リードは納得したのか、古い扉を音も無く開いて部屋の中に侵入した。
手を伸ばせば届く程度にベッドに近づくと、今にも寝つこうとしたしている女に静かに声をかける。
「くれぐれもお静かに…」
「ひぃっ?!」
声にもならない悲鳴で女は体を起こした。
「夜分に失礼いたします、アフトンさん。私の言うことをよく聞いて下さい、私の剣はあなたが声を上げようとした瞬間に、あなたの声だけを奪うことが出来ます……」
いつの間にか抜かれた剣が女の前でわずかな光を受けて生々しく光っている。
「ひっ、だれなのっ?」
「それは、申せません。ただ、レインズ氏に貸しのある者の代理でやって参りました」
「!、れ、レインズ?」
「はい」
リードは言葉は丁寧に、しかし効果的に剣をギラつかせながら話を進める。
「私への依頼は、レインズ氏が信頼を置いていた人物の割り出しと、依頼主にとっては問題となる記録の確認と回収でございます。お分かりですね?」
「い、いいえっっ、何のお話しをされているのか私には……」
「私は依頼を完遂するために夜間はレインズ邸を見張っておりました。あなたを見つけることが出来たのはそのおかげなのですが……まさかあのような思い切った事をされるとは…驚かされましたが、レインズ氏があなたと秘密を共有していたことに確信を得たという訳です」
「…」
「ところで、その枕の下のナイフは例の凶器ですかな?まあ触れぬ方がよろしいと思いますよ。手首から先が無くなることになりますので……」
「!……」
ナイフの事は事前に教えておいたが、丁寧で執拗な尋問にアフトンはパニック寸前まで追い詰められていた。
「ひ、ぐすっ、ころさ、ないで…」
無理も無いが遂には泣き出してしまった。
「セラ、落ち着いて下さいミス・セラ。あなたは今、置かれている状況をようやく理解出来たのです。ならばするべき、いえ、あなたが出来る事が分かりますね?記録を渡して下さい」
「ぐす、無かったの…」
「は?」
「見つからなかったの」
「それは、本当ですか?」
「ほんとうなのっ。私言ったの、ぐずっ……そんな事をしていて大丈夫なのか?って。そしたら、『自分が死んだら全て、全て明るみに出る』と言ってあるから大丈夫だって……」
「セラ?落ち着いて思い出して下さい。マロー氏は消息を断つ前にあなたに何かを言いませんでしたか?」
「『すぐに連絡する』からって…でもまだ連絡が無いの、ひっく。もし捕まってたりしたら助けないと、それには彼が残したモノが必要でしょ?だから…」
アフトンが泣き崩れても尋問のテンションは変わらない。だらりとさげたリードの手にはゆらゆらと剣がぶら下がっている。
「なるほどっ。あなたの話を信じるならば、レインズ氏の記録は存在しないようですね?」
「ええ?」
「そもそも脅迫相手に見せられないものなど用意する意味が無いと思いませんか?つまりハッタリですね。他には、もし捕らえられたのならば、あなたに持って来て欲しいと連絡させると思いませんか?労せずにあなたと記録を同時に始末できるのですから」
「えええ??」
「さて、あなたをどういたしましょう」
「ええええ???お、お願いします。私は何も知りません……!」
「ふむ、そうでしょうね」
「お願いしますぅ」
リードはわざと長い沈黙を作る。逃げる事も出来ず、アフトンは目の前の悪魔の審判を固唾を飲んで見守った。
「いいでしょう。私も人殺しが趣味というわけでもありませんので」
「は…はああ……ありがとうございますーっ」
「いえ、勘違いはされない方がよろしいですよ?」
「え?」
「たまたまです…運良く私があなたを最初に見つけましたが、あなたを探しているのは私だけではないでしょう。レインズ氏が消えた以上、あなたの価値が上がりましたから」
「そんな…」
「幸いあなたは持つべきものはお持ちの様です。それを持って人生をやり直されては?では、私はこれで…」
リードは軽く会釈をしてこの場を去ろうとした。
「そんな、あ、あの人は?あの人は一体?」
「私には知り様もありません。では…」
暗闇に溶け込むように後ずさると、入った時よりも更に素早く出口に向かって動く。
もちろん出口では一旦停止を守り、外を確認したウレイアが肩を叩くと流れる様に外に飛び出し安全圏まで油断する事なく移動した。
『去り際に気をつけなさい』
ウレイアもことある毎に言われた言葉だ。
「素晴らしいわ!」
ウレイアは思わず声に出してしまった。これまで見てきた人間の中でも飛び抜けた技巧、単純な強さでは計れないものだ。
もしかしたら自分達の力は他人の能力にも影響を与えることが出来るのだろうか?リードの年齢を考えれば、尚更そんなことを思ってしまうほどだった。
「お役に立てましたでしょうか?久しぶりでしたので少々不安でした」
「いいえ…予想以上でしたよ」
良いものを見せてもらった、ウレイアは上機嫌で帰路に着く。と同時に彼が敵でなかったことに感謝した。もちろん殺すにはあまりに惜しいと思ったからだ。
「お帰りなさいませ、おねえ…さま?どうしたのですか?すごくご機嫌がよろしいですけれど?」
ウレイアの顔を見てすぐにエルセーが察する。
「あら、リードのお手柄?どうやらレイのお眼鏡にかなったようねえ」
2人の前でもウレイアはリードを賞賛した。当然リードを褒めるほどエルセーの鼻は天井に着かんばかりに高くなっていき、逆にリードは居心地が悪そうに小さくなっていった。
「まあねえ、私が鍛えたのだもの…試合でも無ければまあ、リードを凌ぐ人間がいるとは思えないわね」
「いえいえ、ウレイア様に完璧にサポートしていただいたお陰でございます」
「それでも暗闇であれほど動けるとは…」
「暗闇でも目を凝らすとぼんやりと見える気がすると申しますか、扉などが開いて一瞬でも光が差せば視界のものは全て記憶出来ますし」
人間の持つ可能性をリードは正に体現している。ならばそれらの可能性の先に自分達の力があるのではないだろうか?ウレイアはそんなことを思わずにはいられなかった。
「あーん、私もご一緒したかったですーっ」
トリィアがリクエストするも奥手なリードには『その機会に』と丁重に断られ、トリィアは新たなる野望に胸を熱くしていた。
翌々日、相変わらず朝からエルセーはウレイアの家に入り浸っている。談笑している2人の前にウレイアはとあるメモの束を差し出した。
「あら?これは何なの、レイ?」
「マリエスタの名前が無くて良かったですね?」
メモは不揃いで保存も良く無いがメモの数は3桁を軽く超える。
「ではやはり存在したのね?脅迫のリストは」
リードには小芝居の時わざと存在を否定させたが、ウレイアにはその存在に確信があった。
「ああーっ!お姉様っ、また抜け駆けされましたね?」
「ぬ、抜け駆け?」
「で?どこにあったの?」
「そうですよっ、役所に行くと言って昨日ふらっと出かけたと思ったら、もう……っ」
リードの一件に続いてお宝発見も見逃したトリィアが、いつにも増して可愛らしく怒っている。
「役所に行ったのは過去にレインズ家が貴族に名を連ねていたか確かめる為よ」
それは確かに記録にあった。
「レインズ家は建国から子爵を拝する家系だったのに2代目で爵位を取り上げられてしまったようね」
「何があったのでしょうね?」
「さあ?ところで、たまには読み返したり付け足したりする物を壁や床や家具の中に隠したりすると思う?」
「いえ……壊しては直し、直しては壊しでは何かの罰ですよね?」
トリィアはウレイアのためにお茶を注ぐ。
「だから今更あの家を探すのは見当違いよね?おそらく雇われた男は最初から目ぼしい所は探し回っただろうし」
「では敷地外と言うことに…でもよほど良い隠し場所じゃないと不安ですよね?やはり誰かに預けていたとか?」
「役所に行った理由はもうひとつ、もしレインズ家が歴史のある貴族であったなら墓の場所を知りたかったからよ」
トリィアはウィットンとの会話を思い出した。
「ああっ、ウィットンさんがちらりと言っていましたね」
「それにレインズが…アフトンが言っていた言葉、『自分が死んだら明るみに出る』とね。『何かあれば』では無くて『死んだら』…その言葉には違和感を感じたわ、アフトンの記憶力に感謝ね」
「それで、お墓なのね?」
「ええ、まあ、そこそこでも貴族の墓と言えば『廟』。人が寄り付かず、頻繁に訪れても怪しまれない場所。ちゃんと鍵を付けておけば都合の良い隠し場所でしょう?それで確かめに行ってきたの」
「それでそれで?」
「まあ、小さ目だったけどやはり廟があったわ。貴族はわりと生前から自分の入る場所を用意しておくものだけど、マローは既に棺桶まで用意してあったわ。当然だけどその中に…この束があったというわけ」
「なるほどねえ。死んで自分が葬られることになると、このリストが人の目に触れるというわけね……」
しかもリストが不揃いなのは紙だけではなく、筆跡も不揃い。脅迫はレインズ家代々のお家芸だったらしい。
もしかしたら『保険』を自分の棺桶に隠す方法もお家芸だったのかも知れない。
ここでトリィアは根本的な疑問を口にした。
「結局、マロー・レインズは何処に行ってしまったのでしょうか?それになぜリストを置いて行ったのでしょうか?」
「リストを動かしてしまうと、マローの復讐装置が機能しなくなってしまうからねえ。でも彼が何故逃げたのか?どうなってしまったのかは、分からないわねぇ…?」
ここからは大切な話になる。ウレイアは真剣な口調でエルセーに見解を述べた。
「とりあえずは、これでおそらく屋敷が狙われることは無いと思いますが、懸念が無くなったわけではありません。それにそのリストはやはり元に戻した方がいいでしょう」
「マローが捕らえられてリストの場所を話してしまった場合ね?」
「はい。もちろん、内容を書き写してからですが…中々面白いですよ?貴族や商人、教会関係者の名前も並んでいますね。中には、ハルムスタッドの王族の名前まで……とにかく国内外、数世代に渡って集めた秘密です」
好奇心が主だが、これは使い方次第では大変な価値を持つ。期せず4人それぞれが目を見合わせながら微妙な空気を味わっていた。
「『レインズリスト』ね。私の分も写しておいてくれる?」
「わかりました」
これでこの事件は終わった。
しかしトリィアはまだ興奮気味な口調で言った。
「わずか3日ですよっ?いえ2日かな?何しろ数日で解決してしまうなんて、これって私達に向いていませんか?」
「何?あなたは調査官にでもなりたいの?」
「それではつまらないです。報酬を貰って色んな難事件を解決するんです。鑑定にも通ずる謎解きです、私達には天職じゃないですか?」
これはイケる。そんな風に嬉々としてトリィアは新しい商売を頭の中で展開しているようだが、それは自分達が公然と名乗れる時代が来るまではお預けとなるだろう。
「まあ、そうねえ。それが許されるのなら、商売なんてしなくてもトリィアちゃんは聖人として崇め奉られているでしょうねぇ?」
「ええー、ダメですかー?まあでも…私が聖人ですか?それも良いですねぇ。でもその時は、お姉様も、大お姉様も一緒ですよ?」
そんな未来を想像してトリィアは笑った。
首都モーブレイ……
ペンズベリー王国の王都である首都モーブレイは警備兵の数はカッシミウと大差はないものの、兵士ひとりひとりの練度には大きな差がある。
基礎教練を終えた者がカッシミウを含む地方で経験を積み重ね、見出された者が王都に呼び戻されると、更なる訓練を重ねてようやく一角の兵士として役を与えられ、王都の警備や防衛、または士官として戦地に赴くことになる。
そのモーブレイの警備兵を統括しているのは中央警備発令所であり、警備における責任者を務めるのが、エズモンド・パーソンズ上級尉官である。
「失礼いたします、上級尉官殿」
「んー、なんだ?」
パーソンズの元には絶えず部下からの報告が上がってくる。いちいちドアをノックされるのが煩わしいと、この男は就任してすぐにドアを外させた。
「昨晩で3日連続です。このままでは我々警備隊の名折れとなってしまいます。私は警備の強化を進言いたします」
「ああ?」
ため息をつき見上げながら、良い若者だとパーソンズは思った。
良い若者らしく与えられた任務を愚直に遂行しようとしている姿だ。自分とは性根の出来が違う、そう思うと苦い笑いがこみ上げてきているようだった。
「却下だっ警備に変更は無い」
「なぜですか?賊に侮られては面目が立ちません、上級尉官殿のお名前にもキズを残すことになります」
「安心しろ…俺にもお前たちにもキズはつかん。放っておけばすぐに静かになるだろう」
「は?それは一体…」
「気にするな、それが命令だ」
「はあ……失礼いたしました」
カツっと直立すると良き若者は去って行った。
「まったく……気にするなと言っても無理な話だわな…一体、何が起こってやがる?」
パーソンズは立て掛けた自分の剣に目をやった。