10 鑑定士
カッシミウにも冷たい冬の風が吹き、雲は厚く空はいつも不機嫌な季節になり、日の出ている時間も随分と短くなっていた。
ウレイア達がハルムスタッドから戻ってから4カ月あまり、意外に思っていたのはエルシーと出会っていないことだ。
カッシミウは大きな街だが、人が集まる場所は限られている。あえて探すようなこともしないが、お互いにたまたま出会ってしまう方が自然だし、彼女がこの街にいることは間違いないはずなのだが……
などと本を読みながらウレイアが考えていると、出かけていたトリィアが帰って来た。
「ただ今戻りました、お姉様」
「おかえり、トリィア」
「少し雨が降ってきましたよ……?」
いつも通りの日常に和んでいると、トリィアの背後から非日常が飛び込んでくる。
「あらぁ?私には声をかけてくれないの?」
大きなコートを羽織り深々とフードをかぶった怪しい人物もトリィアと共に入って来た。
「…ようこそ、エルセー」
ところで、この国では土地を購入することは出来ない。あくまで土地の使用権を毎年買い続ける仕組みになっている。
ただし上物には基本的に国は感知しない、家を建てるも改築するのも借主の負担となる。住み始めるには易く、住み続けるには定収入が必要となり、住人の管理もしやすくなる。国としては上手い仕組みだ。
ウレイアはハルムスタッドから戻った直後、エルセーから頼まれていた家探しをすぐに手配した。
警備兵詰所のあるウッドランズ通りを横切り、自宅からは5分ほど歩いた向こうに、古い商家の屋敷がしばらく放置してあったのを知っていたのだ。
条件を全て満たしていたわけでも無かったが、すぐに手付けを打ってエルセーに連絡したところ、まもなく改装の手配をする為に執事であるリードがやって来た。
彼は宿に泊まり込み、2カ月あまりを経て最低限住むに支障が無い程度まで進んだところでハルムスタッドにとって返し、なんとエルセーを連れて来たのである。
エルセーは工事中の屋敷と宿に交互に泊まる形で、改装工事の仕上げをあれやこれやと指示しているという話だ。当然身の置きどころが無い時間は常にウレイアの家で過ごしていた。既にウレイア邸はエルセーに占領されつつある。
「工事の進捗はどうですか?」
「大体はカタチになったのかしら?あとは実際に住んでみないとねえ?ちょっと手狭な感じだけど……」
「マリエスタのお屋敷と比べないで下さい。それでも我が家の5倍は広いのですから」
「最大6人くらいが泊まりますからねぇ。私1人なら気楽なのだけど……」
多分泊まるのはエルセーとリードが殆どだと思うのだが。
「ああ、お姉様…お手紙が届いていました」
「そう、ありがとう」
バートン通り32。そこにはもう一軒、ウレイアが借りている小さな家がある。ここから見えるほどの距離だが、対外的にはその家を現住所としていて、こうした郵便物の多くもそちらの家に届くようになっていた。
「お仕事なの?」
エルセーが興味を示す。
「そのようです。街の反対に住むウイットン商会の主人からですね」
「同じ街に居るのにお手紙なの?」
「あちらの家には誰も居ませんから。会えなかったからメッセージを置いていったのでしょう、明日にでも訪ねてみます」
ウレイアの顧客の多くは商人などの富裕層が多く、他の客も彼等の紹会がほとんどである。
彼等は値踏みに困るような商品を扱う場合、鑑定と意見を聞く為に彼女を呼ぶというわけだ。ウイットンはそんな顧客の1人である。
「あなたのお仕事も面白そうねえ?」
「そうですね、それに商人は情報源としても優秀ですから…そちらの方が重要ですね」
「お姉様は美術品にもお詳しいですよね?」
「人より長く生きられるのだもの、普段意識して見ているだけで自然と身につくわよ。それに、私達には最高の『道具』があるでしょう?」
「道具……ですか?」
美術品などの場合には、対象の真贋と取引の相場などの相談に応えるだけで芸術性を評価しているわけではない。それはデータの蓄積で身につくことなので、自分達にとっては比較的簡単なことだと思っていた。
ウイットン商会の会長はデアズと言い、中央広場を過ぎた海側に屋敷を構えている。
カッシミウの発展と共に財を成した家で、大商人のマリエスタ家とは比べるまでもないが、この街ではそこそこ大きな商会と言えるだろう。
ウレイアは屋敷に直接ウイットンを訪ねて来た。幸いにも彼は在宅であったらしく、ウレイアは取り次いでもらうために受け取った手紙を使用人に渡す。
そして、いつもの様に周辺と屋敷の中を監視すると…思ってもみなかった人物がいた。
(エルシー!こんな所にいたのね?)
「どうぞベオリア様、ウイットン様がお会いになるそうです」
「ええ、ありがとう」
エルシーは気付いていない。どうやら使用人としてここで働いていたようだ。メイド服を与えられいるようだがあまり似合ってはいないのが残念だ。
ここへは何度も訪れているが、今日は珍しく応接室に通された。いつもは書斎に案内されることが多いのだが。
(あ、気付いたわね?)
ウレイアが近づいたことでエルシーに気付かれた。キョロキョロとウレイアの方向を確認している。
「いやぁ、ベオリアさん、さっそく足を運んでもらって申し訳ない」
「いえ、いつも不在で申し訳ないわ」
2階で掃除をしていたエルシーが階段を降りて来る。
「今回は絵が2枚と宝石をひとつ、見ていただきたいのですが…確かビッケンにお詳しかったですよね?」
「ええ」
ビッケンは60年ほど前に亡くなった画家だ。特に宗教画では有名で数多くの作品が残されているが、肖像画や風景画、油絵や水彩など多才で数が多い反面鑑定が厄介になっている。当然、贋作も多く出回っていた。
「今、持って来ると思いますので」
「失礼いたします」
すると、執事が額に収まった絵画を2枚持ってきた。それと同時にメイドがお茶を運んでくる。
執事が絵を壁に立て掛けるのを見て、ウレイアはテーブルをひとつ窓際に置くよう頼んだ。
「鑑定依頼…ということでよろしいですね?」
「ええ、頼みます。どちらも引き取って欲しいと言われたが判断できんのです」
ウレイアはさっそく絵の1枚をテーブルの上に置くと、まずは全体を見回した。そしてそのまま視線を部屋の入り口に移すと……エルシーが仔犬の様な目でこちらをじっと覗き込んでいる。
ウレイアの視線に気が付いたデアズはその先にエルシーを見つけると声をあげた。
「こらっ、お客様に失礼な事をするんじゃない」
デアズに言われると、エルシーはスイッと顔を引っ込める。
「新しい子ですか?」
「お恥ずかしいところを……エルシーと言うのですが中々に無愛想で。まあ、仕事は真面目ですし不思議と憎めないところがありましてな」
「そうですか……」
話を聞きながら2枚目の絵と入れ替える。どうやらウレイアに言われた事を守って真面目にやっているようだ。ただ実名を名乗っているとはウレイアも思わなかった。そういえば、偽名を使えとも言わなかったが……
「どちらもビッケンに間違いはないですね。まずは1枚目、こちらの油絵は分かりやすいですね。売り値は金貨25枚、欲を出して30枚と言ったところでしょう。2枚目の水彩は…15枚、いえ、13枚ですね。あくまで相場ですが……」
本来、ウレイアの専門は宝石なのだが、宝石同様に美術品を見る時に役に立っているのは、彼女の使う『監視』の技で対象を走査する方法だ。力の精度を上げていくと、非常に僅かな絵の具の段差や時にはその下の下書きまで見えてくる。
彼女は一度どこまで見えるのか研磨された石の表面を限界まで見てみたことがあった。映り込むほど綺麗に磨かれた石でも表面はざらざらしているし凹凸があることが分かった。もっともそれが限界だったが。
美術品の場合はそこまで精度を上げずとも、筆の使い方や力のかけ具合など、作者の特徴が露わになるのだ。
「そうですか……では金貨40枚ですね?」
ウィットンは高めに見積もった。
「かまいませんが…良いのですか?」
そしてこの仕事の報酬は、基本料と経費、プラス市場相場の5%をウレイアはいただいている。したがって、ウィットンが高く見積もったこの2枚の鑑定料は金貨で2枚ということになる。
この金額は決して法外な額ではない。鑑定には膨大な知識と確かな眼が必要となるし、取引において信用を得る為やギリギリの駆け引きをする為には正確な査定は非常に重要なことだからだ。
まあ、贅沢をしなければ金貨2枚はひと月食べていける金額なのだが。
「貴女の査定で損したことは一度もありませんから」
「どうも。それで、もうひとつの宝石というのは?」
デアズが内ポケットから紙の封筒を取り出すと中からひとつの指輪を取り出した。
「この、古い指輪なのですが……」
石に触れぬよう指輪の部分を摘み上げる。
「なんでも持ち主いわく幸運の指輪だそうです」
ウレイアは眉をひそめた。
この仕事をしていると、たまにこのような宝石に出会うことがある。ほかの同族によって何かが書き込まれた物だ。何かの理由で他人の手に渡ったマテリアルが世を巡っていく、結局これが幸運や呪われた石と呼ばれるようになるのだ。
幸運の石と呼ばれる以上、おそらくは身を守るために作られた物だろう。
「サファイアですね。大きい物ですが、曇りがありますね」
おそらくこの曇りは使われる度に部分崩壊が積み重なったもの。初めは綺麗な石だったのだろう。
彼女達が書き込むときにマテリアルとなる物は、ガラス、金属、木、石ころなど、要は何でも良いのだが条件がある。
ウレイアは目で見えない小さな世界を視ることが出来る。もちろん限界はあるが、多分…物は非常に小さな粒が固まって形作られていると考えていた。
『書き込む』とは、その粒の隙間に言葉を閉じ込めているイメージなのだが、粒がバラバラでは上手く言葉を繋げることができず、簡単な言葉しか収まらない。色々な物で試した結果、鉱物の結晶が最も粒の配列が綺麗なのだろう、という結論になった。
さらに言葉を詰めるほどマテリアルには強度が求められるようだ。その結果、複雑なイメージを閉じ込める時は鉱物の結晶を好んで使うようになったのだ。
「残念ですがこれだけくすみがあると、大きさの割には、そうですね……金貨2枚で売れれば良いと思います。ただ…幸運の付加価値は計れませんが」
「そうですか、ではこの指輪の引き取り額は納得していただけないかも知れませんね?」
そして、このような石を見つける度に、もしかしたらこの指輪は狩られた同族から剥ぎ取られた物かも知れないとウレイアは考えずにはいられない。
「どう、しました?」
「ああ、いえ」
「えー、では鑑定料は金貨2枚と銀貨8枚でいかがですか?」
「ええ、十分、ですが…」
「いえかまいません、これからもよろしくお願いします」
(べつに経費はいらなかったけれど……)
ウイットンは商人然というお辞儀をする。この程度の仕事はかなり小さなもので、それでも月に2本もあれば暮らしていくには十分な金額になる。
「では私からもサービスを……その壁に掛かっているメドーが贋作なのはご存知ですか?」
ウィットンは目を見張って振り返った。
「えーっ?」
ウレイアはウイットンの屋敷を出ると適当な物陰に身を潜めた。人目を避けて追ってくるエルシーに気付いていたからだ。彼女はウレイアを見失うことなく一目散にこちらに向かってくる。
(ふむ、前にトリィアがエルシーのことを『犬っぽい』なんて言っていたけれど…ふふ、そう言われてみると……)
エルシーは数歩離れたところで立ち止まると、そこからゆっくりと近づいてきた。そんな彼女を微笑ましく思いながら声を掛ける。
「なんとか、やれているようね?」
「お師さまっ!」
「おしさま?」
「だって…名前を教えてくれないから……でもベオリアって言うんだね?」
「……」
「あっ!もしかして偽名…?」
「くす、聡い子は好きよ」
ウレイアが微笑むとエルシーの顔が嬉しそうに明るくなって、更にもう一歩、歩み寄ってくる。
「姉さんも元気ですか?」
「姉さん…?ああ、元気よ。ところで、今はどこに住んでいるの?」
「この屋敷だよ?」
「え?でもあなた、私が十分なお金を持たせた筈だけど……」
「お師さまにもらった金は使ってない、ああ、ちょっと使ったかな。でも滅多には使えないよ」
エルシーは楽しそうに笑った、まるで少年の様な笑顔をするものだ。
「そう、あなたの好きにしなさい。勉強はしているの?」
そう聞くとエルシーは得意げな表情で言った。
「もう文字は覚えたよ。この屋敷には本も沢山あるから……今は、少しずつ本を読んでいるんだ!」
「まさかあなたっ、それも考えてここに…?そう…頑張りなさい」
「はい、がんばるっ、ます、お師さま」
「そう、もう戻りなさい、じゃあね?」
「あ、お師…」
エルシーを振り切るように歩きだす、どうやら何の心配も要らないようだ。彼女は思っていた以上に頭が良く素直な性格をしている。少し従順過ぎるところが逆に気にはなるが。ウレイアは顔だけ振り返って笑顔を見せた。
出かけたついでにお菓子をいくつか購入すると、まもなく工事が終了するエルセーの屋敷を見に寄った。
外からの見た目は、馬車が動きやすいように庭が整地されて植栽がすっきりと無くなっていたが、建物の外観に変化は無い。やはり工事の中心は内装になるのだろう、建物の中では職人達が工事をしているようだが身内を気取って中に入るつもりは全く無い。リードの姿も見当たらなかったので、ウレイアはそのまま自宅に戻った。
家に戻ると、ダイニングではリードが椅子に座ってエルセーを待って待機している様子だった。
「お帰りなさいませ、ウレイア様。ダイニングをお借りしております」
「かまわないわ、ご苦労様。2人は?」
「トリィア様のお部屋にいらっしゃいます」
「そう。あなたにもお菓子を買ってきたから召し上がって」
リードは嬉しそうに笑った。
「これは、お気遣いありがとうございます。では皆様のお茶をご用意いたしますか?」
「そうね…お願いしてもかまわないかしら?」
「もちろんでございます。それから、このようなものがまわってまいりました」
彼はテーブルに置いておいた紙を1枚差し出した。
「留守番までさせてしまったのね…申し訳ないわね……」
「いえ、どうぞお役に立てて下さい」
「ありがとう」
リードに礼を言うと、ウレイアはリビングに向かいながら受け取った紙に書かれた内容を確認する。
明後日、教会のヘンリー枢機卿がこの街の教会で祈りを捧げるから拝謁を希望する者は午後2時に教会に来いというものだった。
(興味無し)
戻れば当然2人にはすぐに気づかれる。ウレイアを出迎えるためにトリィアがトントンと階段を踏んで下りてきた。
「お姉様、お帰りなさいませっ」
「ええ…何かエルセーと悪巧みでもしていたの?」
「うふふ……、なんてそんなわけ無いです。ちょっと授業を受けていました」
「そうですよ」
次いでエルセーも2階から降りてきた。なぜか最近、毎日のようにトリィアとエルセーは時間を共に過ごしているようだ。
「お仕事ご苦労様」
「それは何のお知らせですか?お姉様」
トリィアがテーブルに放られた回報を見つけて興味を示すが
「つまらないものよ。それよりも、あなたの好きなお菓子を買ってきましたよ?」
「本当ですか?ありがとうございまーすっ」
トリィアは飛びあがってダイニングに向かった。
「これは…教会から来た知らせねえ?偉いさんが来るみたいだけど、でもこんな冬場に?変ねえ……」
エルセーはいぶかしげに紙をひらひらさせる。
「何か理由があるのでしょう、でも告知の大概は街に貼り出されるものですが……高価な紙の無駄使いですね?」
「まあ、無理に関わらない方が良いと思うわよ?」
ウレイアはエルセーに同意した。
「そうですね…」
トリィアはそこへお菓子の全てを大皿にのせて持ってきた。
「お待たせしましたーっ」
「あなたっ、まさかリードの分までのせてきたの?」
「ちゃんと取り分けましたよー」
そのリードがお茶を運んで来る。
「ご心配、ありがとうございます」
「ふふ、何か楽しいわねぇ」
上機嫌のエルセーは満足感で満たされていた。人としては平凡であっても自分にとっては得難く、はかなく、いつ誰に奪われるとも知れない不安から戦い続けることを余儀なくされてきた。
だからエルセーは現在から未来に全力を尽くす。全力で楽しみ、愛し、憎み、戦う。
そして彼女はもう随分前に後悔と言うものを捨てた。彼女達には過去に囚われている余裕はないのだ。
2日後、教会の枢機卿が訪れるということで、街は普段と比べて少し騒がしくなっていた。
カッシミウにも教会はあるが、おそらく本来の目的は首都モーブレイにあるとエルセーと推測した。ここへはついでに寄る、そんな程度であろうと言った。
「あれ?お姉様、朝からお出かけですか?」
枢機卿がどんなオッサンなのかなど興味は無いが、教会の動向が気にならないと言えば嘘になる。何かを得られるとは思えないが一応暇つぶしも兼ねてウレイアは出かけることにした。
「例の教会の件ですか?ええと…私はご一緒しない方が良いですか?」
「?」
トリィアに見つかった時点でてっきり連れて行けと言うとウレイアは思っていたが……待て待て、最近はずっとエルセーと一緒に過ごしていたのだから、何らかの入れ知恵や指南を受けているのでは?ウレイアにはそんな確信があった。
「かまわないわよ、一緒に行く?」
「はい、ではすぐに仕度をしてきますね」
トリィアは急いで階段を上って行った。
「やった、やった……」
2階へ、ぶつぶつとつぶやきながら部屋に戻るトリィア。まあしてやられたのだろう、エルセーに……選択肢の無い選択を強要された。
それがどういうことかと言うと、ウレイアはそもそもトリィア自身に障りが無ければ連れて歩くことはやぶさかでは無いのだ。でもわざわざ同行するかをトリィアに聞くことは殆ど無い、わがままのように彼女が行きたいと言えば連れて行くし興味が無ければ置いていく。それがトリィア自身もウレイアのお荷物かもと引け目を感じていたいつものパターンであった。
その事実をエルセーは利用したのである。トリィアが気を遣っていることを知って彼女はこう言う……
「大丈夫よトリィアちゃん、そんな時はこう聞いてごらんなさい?『私は行かない方が良いですか?』って。そうすればきっとウレイアから誘ってくれますよ?」
トリィアが行きたがっていると思えばウレイアの選択肢は誘うの一択しか無いのである。結果は同じだと知っていながら自分のディレクションに見せかけて人心を掌握する。それも基本中の初歩と言えるやり方だ。
「では行きましょう、お姉様」
「ええ」
つまりこれはトリィアへの『授業』であり、ウレイアがちゃんと察して期待通りに動いてくれると確信しての策謀に違いなかった。
口惜しいのは察したが故にウレイアはトリィアを誘わざるを得ない、最初から連れて行くつもりであっても『授業』のために拒否を排除され『選択を強要された』とウレイアがため息をつくのはそういうワケである。しかもこの謀略はご丁寧な二段仕込みでもあった。
今回のターゲットはトリィアだが、このように相手の信頼を得てコントロールする。選択肢を無くして誘導する。こんな些細なことから練習を始めて繰り返し、かけひきを学んでいく、ウレイアも散々やられていたことだった。
(まったく…後でトリィアにタネ明かしをしろと言うのですね、エルセー?しかも……)
悩みを抱える者がこれをやられると信心に曇ってこのカラクリには到底辿り着けなくなる。こういったことを得意としているのがエルセーである。そして本当の目的はこの先にある……
投げ渡されたこの『授業』を完結させるためには結局、『初めからあなたを連れて行くつもりだった。あなたを連れて歩くことに私は何の不満も無い』などということをトリィアに告白しなければならないのだ。
するとどうだろう?気に病んでいたトリィアの不安は解消され、結果は『大お姉様』の評価もうなぎ上り、『大お姉様スゴイ!大お姉様ありがとう!!大お姉様大好きです!!!』などと言われて抱きつかれる。そしてやはり信頼を得る……エルセーはそんなことを想像していたに違いないのだ。
これではウレイアのため息も二段仕込みである。
まだ朝にもかかわらず、街の雰囲気はそわそわとしているが、枢機卿が来るのはおそらく午後になってからだろう。
2人は朝から開けている中央広場の店の一軒に入ると、例のごとくウレイアは本をひろげた。
「あれ?長期戦の構えですね……?」
ここでトリィアはちょっと先走った自分に後悔したが、とは言え帰るわけにもいかず、いつ終わるとも知れない張り込みを覚悟した。
「トリィア」
「はいっ?」
突然に呼ばれてぴょこんと背筋を伸ばす。
「今、西側から来た2人組の男」
「え?ああ、あの歩いている体格の良い2人組ですか?」
2人共身体を隠しているが1人は上背も高く筋肉質、もう1人は平均的な体格だが腕の振り方を見てもかなり身体を鍛えている事が分かる。
「ふうむ、特に挙動不審にも見えませんが?労働者でしょうか?」
「よく見て…常に2人以上で監視方向を分担しているし身なりらしからぬ几帳面さ、武器を密かに携帯していて訓練された身体、どう見ても兵士だけど、今日忍んで入り込むのは…多分教会の神兵よ」
「彼らがですか?」
トリィアは少し身を乗り出して彼等を凝視する。
「また来たわ」
似たような2人組が矢継ぎ早にやって来る。2人、4人、10人ともう数える意味も無い。そもそもウレイアがここに来る前から入り込んでいる可能性が大である。
「まあ、警備の為の先乗りでしょうね。領民に紛れて街を監視するつもりね」
いつの間にか、ウレイアは彼等を睨みつけていた。ウレイアは彼等を見ていると否応無く、何かお腹に泡立つようなものを感じざるを得ない。
「あの、お姉様?」
トリィアに心配そうな目で見つめられ、ウレイアは自分自身をたしなめる。
「ああ、ごめんなさいね。個人的な事よ」
「いえ違うんです。もしお辛い事があるのなら、もしお嫌で無ければ私にも分けて欲しいのです。それでお姉様が少しでも安らいでいただけるのでしたら…」
苦笑い、とも言える微笑みでトリィアの不安に応える。
「もう帰りましょう」
「え?もうよろしいのですか?」
「念のために見に来ただけだもの、これ以上見ていても、まあ他に発見も無いでしょう。雨も降ってきそうだし…」
すぐにでも中央通りを中心に神兵が守りを固めるだろう。その前に引き上げるのが一番良い。
帰りの道すがら、ウレイアは歩きながらトリィアの体を側に引き寄せた。
「ええっ、お姉様?こんなところでっ?」
「私の両親はね…2人とも学者、今で言う科学者だったの」
「え?お姉様…?」
「特に母は父よりもずっと優秀な科学者だった。でもね、いまだにそうだけど、学問の世界にも女の居場所は無いの。母は自宅で父のゴーストサイエンティストとして研究をしていたわ…」
「ゴースト…」
「でもそれが不幸というわけでは無いのよ?認められることは無くても母が優秀だったことは知られていたし、父と私…家族のためだもの、父の功績になれば母も喜んでいたわ」
薄らと儚い笑みをウレイアが見せる。
「不幸だったのは母のその才能……突然始まった魔女狩りは教会の思惑もあってあっという間に激しさを増していくと、ある日突然、家に大勢の神兵が踏み込んできた。彼等は母に見当違いな疑いをかけたのよ」
ウレイアの腕を掴むトリィアの手にぎゅっと力がこもる。
「母は魔女として、父はその崇拝者として捕まった。声が外に届かない深い地下室で父は寝台にくくられ、母は両手両足を針金で絞られたままに拷問を受けた…………彼らはね、1日目はこれから始まる拷問の説明をするのよ。明日の2日目は尋問、3日目は体の表面を痛めつける。4日目は肉、5日目は骨、そして、6日目は家族にも拷問を始める、と……」
トリィアはついには体を固くして立ち止まってしまった。
「認めれば家族全員が魔女扱いされて全員火あぶり、でも拒み続ければ家族が拷問死という中で、母は拒絶し続けたのだけど…」
「あの…お姉様が、そんなにその……状況にお詳しいのは…」
「ええ、見ていたわ。椅子に縛られて見せられていた。母が何をされたのかも良く覚えているわ…6日目、その私の首に太い針が突きつけられた時、母は自分は魔女だと、認めてしまったのよ…」
「そんなこと…っ」
「全ては教会の宣伝の為。その次の日には、多くの観衆と私の前で父と母は焼き殺された」
ウレイアは淡々と、なるべく感情を込めずに過去を語った。そしてこの話をしたのはトリィアで2人目、もちろんこんな程度では終わらなかったし、エルセーに話した事の幾分にも満たないが、トリィアの思いやりに応えるには十分だろうか?
「許せません…そんなの、絶対に許せません!」
ウレイアがこの話をしないのは憐れみや同情を何より嫌ってのことなのだが、トリィアはエルセーと同じように、ウレイアの心に寄り添って怒りを示してくれた。体を震わせながら……
「どうしてくれましょう?」
「いい?どうもしてはダメよ」
再び歩きながらトリィアを抱き寄せる。
「ありがとう、トリィア」
「でもっ、とても気が済みません。お姉様にしたことを後悔させなければっ」
「ふふ、まあ、少しずつ……ささやかには抵抗しているけどね」
「そう言えば、公爵の件もそうでしたよね?」
「そう、私に有利なことがあるとすれば、それは時間。ずっと長く生きられる私達の時間を使えば、いつかはね」
トリィアは握った拳を緩めると
「悔しいけど、簡単ではないのは分かります……お姉様のお母様にもお会いしたかったな。きっとお母様はお姉様にそっくりだろうなって思いました」
「どうかしら?」
「絶対そうです。だってお姉様はオタクですもの」
「ん?あなた今、私のことを侮辱した?」
「いいえ、お褒めしました…」
「しかも私の母も馬鹿にした?」
「いいえ、お褒めしましたっ。オタクと言うのは悪い意味ばかりでは無いのですよ?」
「そうなの?」
ウレイアは昔、母の話を語り、微笑む時が来るなど考えられないと思っていた。今、トリィアと実の母を共有するまでは……