第九話 ユメちゃんの教え
夢花と徹平は、つぼみを連れて校庭に下り、設けてあるベンチに座った。つぼみが泣きやんだのを機に、声をかける。
「で、俺は何で蹴られたんや」
つぼみに体を向けるようにして、話かけると、つぼみは正面を見つめたまま唇を尖らせた。
「だってー。テッペーばっかり秀ちゃんに笑ってもらってずるいんやもん」
徹平は、眉間にしわを刻んだ。ベンチの背持たれの上を、リズミカルに指で叩く。そして、不意に顔を上げると、腰を浮かせた。
「何やねん。その理由!」
声を上げた徹平を、慌てたように夢花が押さえる。
「テ、テッペー君。落ち着いてっ。ねっ」
笑ってみせると、徹平は浮かせた腰を下ろした。
「それは、何か。俺にやきもち焼いたっちゅうことか。ツボミ」
徹平のイライラとした口調が、つぼみの耳に届く。
つぼみはしばらくしてから、口を開いた。
「分からへん」
「分からへんってなんやねんっ」
また、徹平が怒鳴った。夢花がそれを抑えるように手を上げる。
「まあまあ。テッペー君。落ち着こうよ。ねぇ、ツボミちゃん。シュウ君が、テッペー君に笑いかけたから、腹が立ったんやね」
つぼみは少し考えて首を縦に振った。
「うん。そうやと思う」
夢花はその答えに、嬉しそうな顔を見せる。
「そう、なら、それは何でやと思う?」
その問いに、つぼみは首をかしげた。
そう言われれば何でなのかと思う。
一向に答えないつぼみの手を取って、夢花は告げる。
「ツボミちゃん。それは恋よ」
「コイ? 池に住んでる?」
「何でやねん! コイはコイでも魚の鯉やろそれ」
徹平が律儀にツッコミを入れる。
「えー、じゃあ金色の丸い……」
「それは、コイン」
「じゃあ、ラーメン大好き?」
「小池さんやろ、それ!」
「ツボミちゃん。だんだん離れてってる」
夢花が優しく言った。つぼみは眉間に皺をよせている。
「ツボミちゃん。池の鯉でも、コインでも、ましてや、小池さんな訳がないでしょう? 恋よ。恋。ラ、ブ」
夢花を見ると、いやに瞳がきらきらとしている。
「ラ、ラブ? え? ウチが、秀ちゃんに惚れてるっていいたいの? ユメちゃん」
声を上げたつぼみの手を両手で握って、夢花は頷いた。
「そう。正解。大正解よ! ツボミちゃん」
なぜか、夢花は夢見る少女のような顔をしている。その背後から、徹平が笑い声をたてた。
「あははっ。うっそ。まさか、ツボミに限って、それはないやろ」
「えー。何でよ、テッペー君」
夢花は、つぼみの手を離して、徹平を振り返る。徹平は言った。
「そりゃ、だって、ツボミはお子様やし」
「テッペー君。ツボミちゃんやって女の子よ」
「そやけど、ユメちゃん」
つぼみが、夢花に声をかける。そして、夢花から徹平に視線を移して、こう告げる。
「ウチ、テッペーのこと好きやで」
夢花の顔が引きつった。
徹平が慌てて声を上げる。
「お、おまえ、何言いだすねん」
「もちろん、ユメちゃんも好き」
夢花の顔が明らかにほっとした表情をつくる。その横で、徹平も安堵の息をついた。
「カナエちゃんやって好きやし。シュウちゃんやって……」
つぼみは言いながら俯いた。夢花と徹平は顔を見合わせる。
「なぁ、ツボミちゃん。それやったらこう考えてみて? テッペー君と私が付き合うことになったとき、拗ねはしたけど、認めてくれたやんな」
「うん」
つぼみが頷くのを見て、夢花はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「シュウ君やったらどう? 私が、シュウ君と付き合うって言うたらどうしてた?」
「そんなん嫌や!」
夢花の言葉に被さるような勢いで、つぼみが声を上げる。
「何で? テッペー君はよくて、シュウ君はあかんの?」
聞かれて、つぼみは当惑する。
「分からへん。分からへんけど、嫌なもんは嫌や」
夢花は嫌やと繰り返すつぼみの肩に、手を置いた。瞳を覗きこむようにして唇を開く。
「それが、恋やねんで、ツボミちゃん」
それが、恋。
つぼみは目を見開いて、夢花を見る。夢花は頷いた。徹平に視線を向けると、どこか照れくさそうに徹平も頷く。
それが、恋。
頭の中でその言葉を反芻して、つぼみは顔を上げた。
それが、恋か!
「ウチ。秀ちゃんに謝ってくる。さっき、大嫌いって言うてもうてん」
「ん。それがいいわ。行ってらっしゃい、ツボミちゃん」
夢花が手を振る。
まるで、霧が晴れたような気分だった。
つぼみは立ち上がって、駆けだす。
秀に謝って仲直りするために。
そして、告白をしようと思う。
秀が夢花を好きだと知っている。
それでも、万に一つくらいの可能性はあるかもしれないではないか。
そう信じ、つぼみは秀がいるはずの教室を目指して走った。
校舎に入るために、近道をしようと裏庭に足を向けた。
すると、裏庭に目的の人物の背を見つけ、つぼみは足を止める。
誰かと一緒にいる。
つぼみは、とっさに校舎の陰に身を潜めた。
「なあ、栗原君。私、栗原くんのこと好きやねん。栗原君には、野山さんみたいな、ちんちくりんな子、似合わへんわ。正直、迷惑してたんやろ? あの子、ベッタベタ栗原君にくっついとったもんね。なあ、私と付き合って? そしたら、あの子を遠ざけることもできるやん」
胸が嫌な音を立てる。
声の主の顔は、つぼみの位置からよく見えた。
あの時の子や。
つぼみはそう思って息を飲む。つぼみに、秀が迷惑しているから教室に来るなと言ったあの子だ。
夢花と似た雰囲気を持つ、女の子からの告白。
つぼみは、我知らず唾を飲み込んだ。
そして、秀の背に、視線を注ぐ。
祈るように、胸の前で指を組んだ。
「……まぁ、ええけど……」
秀の返事が耳に届いて、つぼみは後退った。
今、ええけどって言うた。
今、ええけどって……。
つぼみは、踵を返して走りだす。
やっぱり、秀ちゃんの好みはすずらんみたいな子やったんや。間違ってもウチみたいな男の子っぽい子とちゃう、可愛らしい女の子やったんや。
ウチに、望みなんてなかった。
ユメちゃんがあかんかったからって、似たようなタイプの子に告白されたらオーケーしてしまうやなんて。
酷いわ。
走って、走って、息を切らして。
つぼみは、いつの間にか、校舎裏にあるごみ収集所の前に来ていた。
行き止まりで、足を止めて。
「最低や。最悪や」
そう呟いて、つぼみは膝を抱えてうずくまった。