第六話 もしかして
放課後。秀は一年二組の教室を覗いて、首をかしげた。
近くを通りかかった女子生徒を捕まえて尋ねる。
「なあ、つ……やなくて。野山知らん?」
「ああ、野山ちゃんやったら、さっきもんのすごい勢いで教室出て行ったで。何か用事でもあるんちゃう?」
秀はそう言った女子生徒に礼を言い、一年二組の教室を離れた。
休み時間のたびに秀の教室に来ていたつぼみが、体育の授業を終えた後の休み時間から一回も秀のもとへ来なかったのだ。
いつも来ている奴が来ないと気になるではないか。そう思って、教室を訪ねたのだが、つぼみはいなかった。いったいどうしたというのだろうか。いつもなら、帰りも一緒に帰ろうと、秀の教室の前で待っているのに。
そんなことを思いながら、階段を下り、一階の下駄箱へ向かう。
「お、シュウやん。めずらしいな。一人か」
言われて顔を上げると、徹平と夢花がいた。
「おお、まあ。一人や」
「なら、一緒に帰ろう。シュウ君」
夢花の言葉に断る理由もなく、秀は頷いた。靴を履き替え、玄関前で待っている二人に追いつく。
「ねえ、つぼみちゃんは? いつも一緒に帰ってるんよね」
夢花の問いに、秀は曖昧に頷く。
「まあ、な」
「何や? 喧嘩でもしたんか」
歯切れの悪い返事に、徹平は何かを感じ取ったのだろうか。秀は返事のしようがなかった。喧嘩した覚えなど、秀にはない。ないが、つぼみに避けられているのではないかという思いが頭をかすめた。しばらく秀を見つめていた徹平は、立ち止まると、中庭の方を指差した。
「なあ、あっちでちょっと何か飲んでから帰らへん? 何やおまえと話するん久し振りな気ぃするし」
「あ、いいやん。そうしよ。シュウ君」
夢花が口を添える。秀は頷いて二人とともに中庭に向かった。
中庭に向かう途中、自動販売機でジュースを買って、三人は中庭に設けてあるベンチに並んで腰かけた。
「いい天気やなぁ」
徹平が空を見上げて言うので、秀と夢花も空を見る。確かに澄んだ青空が広がっている。青い空に、白い雲はほとんど浮かんでいなかった。
「んで、喧嘩の原因はなんや」
唐突に聞かれて、秀は徹平を見た。徹平はいつの間にかこちらに顔を向けていた。
「別に、喧嘩なんかしてへんし」
「そうか? その割には、お前の顔暗いで」
そうかなと、秀は首をかしげた。
「そうよ。シュウ君。シュウ君がつぼみちゃんと一緒におらへんの、変な感じやもん」
夢花の言葉に、秀は顔をしかめる。
「何か、二つで一つみたいな言い方やな」
「だって、そんな感じやん。ねぇ、テッペー君」
「そうそ。なんやかんや言うて、秀にくっつくつぼみと、嫌そうにしながらもつぼみに付き合うてやるっていうのが、お前らのスタンスやん」
だから、何かあったんやろ。と、徹平は聞いてくる。秀は缶のプルトップを開けて、ジュースを一口飲む。
入学式の翌日から、毎日つぼみが休憩時間のたびに教室に来ていたこと。そして、そんなつぼみが、急に来なくなってしまったことを二人に話す。
「まあ、確かに毎時間毎時間来られたら、ちょっと面倒くさいかもしれんけど。どうせシュウのことやから、つれない態度とったんやろ」
徹平の言葉に、返す言葉がない。そんな秀に夢花が追い打ちをかける。
「シュウ君。気づかへん間に、つぼみちゃんを怒らせること言うたんと違う?」
そうなのだろうか。秀はつぼみが最後に教室に遊びに来た休み時間を思い出す。確かつぼみはもっとかまってと言っていた。そんなつぼみに、自分はどんな返事を返したのか。
「淋しかったんやろうか。つぼみ」
「え? どういうこと?」
「ああ、確かに最近、俺ら五人で集まることってなかったもんな」
徹平が自嘲気味に呟く。夢花も同意するように頷いた。
「そうやんね。ねぇ、シュウくん。私らに気を使ってくれてるん分かってたから言わんかったけど。前みたいに、一緒にご飯食べたり、遊んだりしたいねって、テッペー君とも話しててん。あかんかな」
「いや、あかんことないけど。おまえらがそれでいいんやったら」
「あかん訳ないやん」
徹平が断言する。秀はそんな徹平に笑って見せた。ちょうどその時。背後にある校舎の方から三人に声がかけられる。
「あ、あんたら何三人だけで集まってるんよ。アタシも混ぜてよ」
振り向くと、香苗が校舎の一階の窓から身を乗り出していた。香苗はちょっと待っとってと言いおいて、廊下を走って行く。
しばらくして、香苗は三人の前に立った。走ってきたので呼吸が荒い。香苗は秀の隣に腰を下ろすと、乱れた呼吸が整うのを待って口を開いた。
「シュウー。あんたのせいで、酷い目に遭うたわ」
香苗に睨まれて、秀は顔をしかめる。
「どういう意味や」
「ツボミ、四時間目の授業中にうちのクラスに来てんで」
「え? 授業中?」
夢花が驚いた声を出す。その問いに頷いて、香苗は秀の持っていたジュースを奪うと口をつける。ごくごくと飲んだ後、香苗はジュースの缶を秀に突きつけた。
「おいしかったわ、ご馳走さん」
秀は手渡された缶を振った。残りはもうわずかしかない。
「ちょっとしか飲んでへんかったのに」
「ケチ臭いこと言わんといて。あんたのせいでアタシは酷い目に遭うたんやから」
「それは、さっき聞いた」
「酷い目って、何があったんや」
徹平に促されて、香苗は口を開いた。
「ツボミ、授業中やのにバーンって教室のドア開けてやで、アタシに向かって泣きながら、カナエちゃーん。ウチ死ぬーって言うねん。何が起こったんやって思うやろ」
三人が頷くのを見て、香苗は先を続ける。
「よう話を聞いたら、何や、シュウに嫌われてるいうて、えらい落ち込んでて」
「え? 何で?」
秀が驚いた声を上げる。香苗はなぜか、にんまりと笑んで口元に手をやった。
「ムフフ。あんたも隅に置けんなぁ。シュウ」
「何がやねん」
嫌そうな顔をする秀に、香苗は楽しげな声を上げる。
「ふふふ。あんたのこと好きな女子がおるみたいでな。つぼみに、もう教室来るなって言うたんやって。その子が」
「はあ?」
訝しむ声を上げた秀の横から、夢花が香苗に向かって目を輝かせる。
「何それ、ほんまに? いやーん。シュウ君モテモテやん」
音が鳴るほど強く、秀の腕を夢花が叩く。秀は叩かれた腕を押さえて、夢花を見た。夢花の奥に座った徹平が、秀に向かって宥めるような声をだす。
「まあまあ、シュウ。良かったやん。つぼみが教室に来ぇへん理由が分かって。誤解が解ければ問題ないってことやんか」
「まあ、そうやけど」
秀は納得いかないような顔をする。
「でも、つぼみの性格からして、その子の言うこと聞いて俺んとこ来ぉへんのって、何か変な気ぃする」
その言葉に、確かにと、残りの三人は頷くのだった。