第一巻 強制退場2……再編集:2025/04/09
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「ハロー♪」
起きたら目の前に奇妙なカボチャがいた。
(え。カボチャ?)
カボチャではあるが喋っている時点で普通のカボチャではない。
そもそもこのカボチャ、人間のように身体が生えているではないか。
上にはシルクハットで下はスーツ……いや燕尾服というのか。それもフォーマルな黒ではなくて白の生地に目が蛍光色のペンキを撒き散らしたような落ち着きのない派手な格好を着込んでいた。
カボチャの色はオレンジ。だがハロウィンでお馴染みのジャックオランタンのように顔が彫られたものではなくてクレヨンで書いたようなぐるぐるお目目の落書き。目がチカチカする服の下から見えるのは人間の肌……ではなく人間の骨らしきものがカタカタと音を立てながら動いているではないか。
首から上がカボチャの骸骨人間。目覚めてたった数秒で俺の視覚情報網はパンパンだ。そんな俺なんか気にせずにカボチャはひょろ長い身体で優雅にお辞儀をひとつ。
「……グーテンターク。ボンジュール。ブオンジョルノ。オラ。メルハバ。ズドラーストヴィチェ。ニーハオ。チャオアィン。サワッディーカップ。アンニョンハセヨ。スラマットスィアン」
「え、何……?」
突然その落書きの口から発せられる言葉に戸惑う。
(何処だ此処は? 暗い? なんで俺は此処にいるんだ?)
冷静に周りを分析したいが脳内は大混乱中。
(もう何がなんだかわからない!! 泣きそうだ!!)
夢であってくれと頬を叩いたがすぐに痛みを感じた。空間が真っ暗で下を地面と表現していいのか分からないが足が地に着いている感覚はあって試しに手と手のを合わせて擦ると摩擦により熱が生まれたことも感じられた。
つまりこれは現実。現実の中で俺はいま訳の分からない場所にいるということになる。
「おやー。日本語ですねー。では、日本語でお話ししましょー」
「日本語?……あぁ俺、日本人、です」
俺が日本人だと分かった瞬間、落書き顔はニッコリと笑った。しかし周りの真っ暗さと訳の分からない状態に追い込まれている俺にとってはその笑顔は不気味でしかなくて大きく肩を跳ねらせた。
(何だ何だ何だ——!?)
脳内は「身体の現状整理」から「何故この場にいるのか」の情報整理へと移行。カボチャの顔に顔面を真っ青にさせながらも働けと脳内に訴える。
(俺はバスに乗っていたはずじゃ——!?)
頭一つ分ほど大きいカボチャに見下ろされながら必死にいままでのことを思い出す。その間もカボチャは俺から目を離すことなくジッーっと見つめてくるが怖いとはいえ未知な存在から目を離すわけにはいかないと本能的に見つめ返す。しかし。心臓は素直なもので。見つめ合っている中でも相手にも聞こえるのではないかと錯覚するような大きな音を立てる。
(思い出せ——!!)
俺は普通に学校から帰っていた。いつもの通りバスに乗っていつも通りにゲームで遊んで。何もない平凡な一日を過ごしていた。
「……そうだ。急に大きな音が聞えきて人が目の前でふっ飛んで……いや、その前に強い衝撃を感じて……それじゃぁ俺って……?」
必死に思い出した真実に唇が冷たくなっていく。
顔はさらに蒼くなっているだろう。分かってしまった自分に降りかかった現実を理解した瞬間に寒気と絶望が一気に襲い掛かってきた。
「俺……死んだの……?」
思い出さない方が幸せだったのか。だが、もう遅い。きっかけがあれば記憶など次々と勝手に思い出していく。
あの時の身体が強く叩きつけられた痛みも頭がクラクラした気持ち悪さも。目の前で車内の窓が割れて人が容赦なく横に吹っ飛んでいく風景も。外から聞こえる救援を呼ぶ声も。目を開くことすらできない脱力感も。
それらの光景が段々霞んでいって最後には真っ暗になる視界も全部。フラッシュバックにて思い出される。
あの時。間違いなく俺は事故に巻き込まれた。巻き込まれて人生が終わってしまった。
「い、嫌だ!! なんで!!」
全てを思い出しても理解したくなかった。目の前にピエロカボチャがいるのも忘れて頭を抱えながら左右に振りながら叫んで眼をかっ開き、次々と全力で否定する言葉をこの口から吐き出した。
「俺は死んでない!!」
何故俺が目に合わなければいけないのか。何か悪いことをしたのかと自分自身に問おって今までの人生の記憶中から探し出す……が。どれだけ探してもいつも通りの日常を送って普通に生きてきたことしか思い出せない。
勿論「聖人」と言われるような人生を過ごしていたわけではない。悪い事だと分かっていても小さい事だと思ってやってしまったことだってある。だけどそれらは自分の死で償わなければいけないことだったとは思わない。俺の死に匹敵するような罪は何一つ犯していないと嘘偽りなく言える。
(どうして!?)
口には否定の言葉を吐き続けさせて頭の中では死への疑問をずっとループさせる。その過程で一瞬だけ昔に「英雄は早く死ぬから英雄になった」と誰かが言った言葉を思い出したがそんなもの遥か彼方に吹き飛ばした。
死ぬ理由がわからない。死の理由を知っても死を受け入れたくない。
「おやー?おやおやおやおやおやー?」
「っひ!?」
否定と疑問を繰り返えすことに夢中で目の前のカボチャの存在を忘れてしまっていた。急に骨を鳴らしながら目を見開いたような落書き顔を目と鼻の先に近づけてきたことで間抜けの声を上げてしまう。
「これはーこれはこれはー。何とも珍しくおかしなお方ですねー」
顎に当たるであろうところに手をあてそのカボチャの頭をかしげる。突然視界いっぱいに広がった不気味な顔にまた肩を跳ねさせながらも虚勢を張る様に大きな声で言葉を返した。
「おかしいのはお前だろ!!」
「あっはっは!! 確かーにこの格好はよくおかしいと言わーれまーすねー!んーでも彼女は違う意味で『おかしい』とおっしゃってまーしたねー」
「そんなこと知らねぇよ!!」
「はっはっは! 知らなーいのは当たり前ですねー。これは私と彼女の思い出ですからー」
「笑うなよ!!」
所々が伸びる独特の話し方は人生を強制的に奪われた俺を馬鹿にしているように感じた。先程まで感じていた恐怖は何処にいったのか。俺の手は力が入って拳を作っていた。触れて大丈夫なのかも全くわからないのに沸々と感じる苛立ちをこのカボチャに殴ってぶつけたくて仕方がない。
どうして自分は死ななくてはならなかったのか。
くだらない愚痴を心の中でずっと呟いてしまったからなのか。それならばいくらでも反省する。毎日学校でもバイトでも手伝いでも料理でも人助けでもなんでもやってやる。
だからどうか。この死は嘘なのだと言ってくれ。
「ちょっと失礼しまーすねー」
「——っ⁉︎」
突然。なんの前触れもなくカボチャが俺の頭に手を置いてきた。
今まで触ったことのない人間の骨。それに直接触れた瞬間に全身に鳥肌が立った。……いや鳥肌どころではない。それが人間の骨なんだと脳が理解した瞬間に歯がガチガチと鳴り出した。
湧き上がって苛立ちは一瞬にして鎮火。それどころか先程とは比べものにならない程の『恐怖』が大波で一気に襲い掛かってきた。
自分の身体だ。顔は元通りで目は乾くほどに見開かれて唇が青白くなっていくことがわかる。
これは本物の『人間の骨』だ。刷り込まれた遺伝子情報だろうか。一度も触ったことも見たこともないのにそれが本物であるとわかってしまった。
(怖い……!!)
一瞬で自分もカボチャの骨のようになるのだと想像してしまった。死んだ俺の死体は赤々と燃える炎に焼かれて肉は無くなり骨だけとなり死んでいく。その骨もいま頭に置かれるカボチャの手のように時間が経って冷たくなっていく。そんな光景を想像してしまい身体が一気に震えあがった。
「嫌だよぉ……死にたくないよぉ…」
大きく見開いた目から涙が大量に溢れて頬を掛けていくのがわかる。男なのだからというプライドなんてない。死んでしまったらそんなものには意味がない。普段なら出さない情けない声を上げて幼い子どもみたいに俺は泣き出した。
死んでいるのに死にたくない。可笑しな言葉使いだけど死にたくないんだ。
「ちょっと勘違いしてまーせんかー?」
しかし。残酷な運命への涙はおかしなカボチャによって止められた。
「ごめんなーさーい。私の手がリアール過ぎましたねー。アイムソーリーヒゲソーリー。大丈夫大丈夫! 貴方様は勘違いをさーれているだけですよー」
「え……?」
古のネタと『勘違い』という単語に先程まで溢れる様に流れていた涙が思わず引っ込んでしまった。
(このカボチャは何を言っているんだ?)
全くと言っていい程にカボチャのテンションと内容についていけずに茫然としてしまう。そんな俺の頭をカボチャはさらに力を込めた。より一層人間の骨を感じさせる行動にまた肩が大きく跳ね泣きそうなるが、カボチャ今度は優し気な落書き顔で俺に声を掛ける。
「少しだけ我慢してください。人間にとってこの手は恐怖そのものかもしれませんが、決して貴方様には害はありません」
「えっ……」
おちゃらけていたカボチャの口調が変わった。
「ほんの少し、 貴方様を拝見させてもらいます」
その優しい言葉と共に、目の景色が変わった。
パソコンのシャットダウンのように全てが真っ暗になる。
(また変なところに飛ばされたのか?)
脳がこの状況を乗り切ろうと再び必死に働いているのがわかる。
また混乱の渦に落とされるのか、と思った——その時だった。
(光……?)
真っ暗な世界の奥から光が見えた。その光は何枚もの帯となってこっちに向かってくる。
(いや、帯というよりか……映画のフィルム?)
テレビの中でしか見たことのない映画のフィルムが一枚一枚七色の光を纏って此方へと向かってくる。
(……⁉︎)
驚くのも無理は無いだろう。何せその一枚一枚のフィルムに俺の家族や友人、この人生で知り合って触れて、人生を共に作り上げてきた人たちが写っているのだから。
(俺は——?)
自分がいない。流れてくるフィルムには自分の姿がない……だけど数秒でその理由に気付いた。
(あぁこれは俺の記憶なんだ)
すべてが俺の目線で見てきた光景だ。
走馬灯なのだろうか。通常死にかけたものが見るものではないかと思うが、そんなことどうでもいい。カボチャの手に触れたことなど忘れてとても気分がいい。
あの世界に生まれて親や兄弟に愛情を貰って生きてきた。死んでから気付くなんて本当に馬鹿は死ななきゃ治らないんだなぁ、とこんなところで学んでしまう。
(もう……帰れない……家に帰れない……‼︎)
帰れないならば。頼む。この時間が続いてくれ。思い出に浸ってずっと見ていたい。
自分は生きていたんだ、と。
ずっと———
「はーい。終了でーす」
しかし。甘くはなかった。
「へっ?」
カボチャの気の向けるような声で俺は強制的に走馬灯の世界から連れ戻された。
(一生……本当に一生あの中に閉じ込めてくれてもいいじゃないか……!!)
何とも血も涙もないカボチャなんだ。終わるタイミングも話し方も何もかも最悪だ。自分は死んでいるのだからずっと見ていてもいいじゃないか、と文句を言おうとした……が。次のカボチャの言葉に口を塞いでしまった。
「貴方様の過去全てを見さーせてもらーいまーしたーよー」
カボチャの言葉で再び目をかっと開いた。
(勝手に見たのかコイツ!?)
このカボチャの辞典にプライバシーという言葉はないのか。いくら死んでる人間でも人間には変わらないだろう。俺の思い出を許可なく見やがってと苛立ちをぶつけるために口を開けようとした……が叶わなかった。
「貴方様の過去……十五歳ですかーら、十五年間ちょっとを拝見さーせてもらーいまーしたーよー」
「十五年間ちょっと――?」
あんなに短く終わったのに、あれが俺の人生の全てだというのか? 十五歳は平均年齢の何分の一だろうかと考えてて頭の中で計算を始める。五分の一……いやいまの日本人なら六分の一になるのか。ならば平均に生きてもアレの五~六倍となる。
途端に全身からエネルギーが消え去って脱力してしまう。
(短い。本当に短い……)
俺の人生は本当に短かったのか、と途方の無い後悔が押し寄せてくる。
なんて勿体無い過ごしてしまっていたのだ。なんて贅沢な使い方をしてしまっていたのか、と。
もっとできることはあったはずなのに。自分はまるで生きることを放棄したような生活をただ送っていただけではないのか。自分の生き方が間違っていたような気がしてきてしまい収まっていた涙が後悔の涙としてまた出てきそうだ。
(もう何もない。何も出来ない。誰にも会えない。もう終わりだから……)
「おかしいのですよねー」
もうどうでもいいと思い始めた俺にカボチャがおちゃらけた——でも『何か』を含めて頭を再び傾げた。
「何が……?」
自分でもわかる気力のない声。消し去ることのない後悔に襲われ、何も考えたくないと思いながらも返事をする。
礼儀知らずの最低最悪カボチャだけど話し相手がいることは良かったのかもしれない。こんな場所に一人でいたら何もかもわからないままだった。不幸中の幸いってわけでもないけど話し相手ぐらいしてもらおうか。
そんな軽い感じでカボチャの話に耳を傾けた……が。その最低最悪カボチャから予想外の言葉が発せられた。
「どうして君がーここに来ているのかーわーかーらーなーいんですよねー」
「……はぁ?」
このカボチャは何を言っているのか、と眉間に皺を寄せた。
自分は交通事故にあった。そして転倒したバスの中で何も出来ないまま死んでしまった。だからここに来たのではないか。
祖父母の家に仏壇があるのだから多分仏教に沿った死の世界に行くのだろう。そうなると閻魔大王の裁判があるのか。……いや、閻魔大王に辿り着く前にいくつか裁判があると聞いた。それに「親より先に子が死ぬ」こと事態が大きな罪だって聞いたことがある。ならば俺は天国には行けない。罪人として川の近くで石を積み上げる罰を受けることになる。
「……あれ?」
そこでふっ、と俺は気付く。
(そもそも此処は何処だ?)
さっきから仏教とか天国とか考えているけれど。そもそもうちに仏壇があるのにこんな西洋のようなカボチャがいるのは可笑しくないか? ……いや待て。誰も死後の世界に行って帰ってきた者はいないのだから何を基準にすればいいのかわからない。
(いやでも。昔にキリストに出会った男の子の実話があるって聞いたことあるようなぁ)
昔の記憶をチラかせたが曖昧のものだ。ややこしくと判断していまは遥か彼方へとふっ飛ばしておくとしよう。
(それにこのカボチャは一度もここを死後の世界だなんて言っていないよな……?)
それは俺が混乱して勝手に死後の世界だと思っていることで。実は最初の「ここは何処だ」という謎は何も解決していない。
「……!!」
次々と襲いかかる情報量に大忙しだった脳内が『あること』に気付くいた。
それは当たり前過ぎて、生まれてから一緒にあるものだからこそ当然のもので。
「まさか……!!」
それを確かめるために自分の手をしっかり見つめる。そして力を込めて拳を作り思いっ切り———自分の頬を殴りつけた。
「いっつ~!!」
滅茶苦茶痛い。勢いが良過ぎて涙が出るほど痛い……がそれで確信することができた。
痛いのだ。
つまり。痛覚といった感覚神経が働いている。
最初に確認したではないか。自分の足がしっかり地面に着いている感覚を。手を擦り合わせて摩擦で熱が生まれた感覚を。頬を叩いた衝撃も。全部最初に確認してこの世界が現実であることを確認したではないか。
人は死ぬ時は次々と感覚がなくなっていき、そして最後に残るのは聴覚だという。もしかしたら死後の世界では全て感覚が戻るのかもしれない。そりゃ地獄で熱湯の釜に入れられたり磔にされたりするのだ。苦痛を味わさせるためにも魂にも感覚があるのもしれない。
でもまさか。もしかしたら。一縷の望みは捨てられない。俺はわずかな可能性に賭けて希望を抱いたこの言葉を口にする。
「俺はまだ生きている……?」
カボチャの反応は――と、期待と不安を胸に落書き顔への目を向けた。不気味だと思って見るのが怖かった顔を真っ直ぐ見れば少し驚いたような顔の落書きに変化している。
果たしてこの考えは正解か不正解か。カボチャからの返答は希望か絶望か。自分でもこの回答は数パーセントの確実だと思っている。それでもこの答えに賭けたかった。
そして。カボチャは声を出した。少し驚いた声を俺に向かって。
「えぇ。貴方様は生きていらっしゃいますよ」
再編集:2025/4/9