1-2 変化
いつも通りの道を、大凡いつも通りの時間に通る。
ボロボロの家しかない寂れた場所から、徐々に綺麗で格調高い家々が並ぶ通りへと変化していく様は、いつみても面白かった。
まぁ、自身の環境がいかに劣悪なのかを感じさせられ、多少は憂鬱な気分へとなったりもするのだが……。
と、そんなこんなで向かう事30分。遂にルトは見慣れた、そしてある意味では未だ見慣れない大門の前へ着いた。
周囲を見渡すと、ルトと同じ制服を完璧に着こなした、如何にも金持ちそうな少年少女が、次々とその大門を潜っていく。
と、ルトは大門の右側壁へと視線を向けた。
そこにはここが国内唯一の術師育成機関、即ち『王立アルデバード学園』である事を示すように、その名がはっきりと書かれていた。
その名を、そしてこの大門を目にすると、何となく気が引き締まる。
ルトは、再度身なりを整えた。
そして他の生徒と同様に、そのまま大門を潜っていった。
と、同時に、学園のその全貌がルトの視界へと飛び込んできた。
それは、あまりにも広大であった。
草木が青々と茂る庭、綺麗に整地された道の数々。敷地の中央には、その大部分を占めるほど大きな学園が存在しており、その権威の凄さを有り有りと表していた。
「…………ッ」
圧倒されながらも、ここは毎日ルトが通ういつも通りの、格式高い学園。
その圧倒的なまでの存在感に、普段との違いは一つとしてない。
しかしこの日、いつもとは少しだけ、様相が違っていた。
「…………ん?」
校舎へと続く道、その外れに何故か人だかりができていたのである。
更に加えるならば、皆一点へと目を向けながら、ザワザワザワザワとまるで噂話でもするかのようにそれぞれが友人と小声で話をしていた。
「…………何だろ?」
何かイベントでもあっただろうか。いや、そもそもこんな朝早くにイベントなどやらないか。
などなど、頭の中で探るも特にこれといって思い浮かばない。
と、なるとあの人だかりは何かが突然起きて、周囲に人が集まったということになる。
また、雰囲気を見るに、例えば殺人が起きたとかそういう緊急性を要するようなものでもなさそうである。
特に女子の中には、なぜか黄色い声を上げている者もいる事からも、それが言えた。
「…………」
何か自身に害をなす事でないのなら、特に興味はない──とはならなかった。
やはりルトも一端の人間であり、こういった人だかりを見ると、どうしても気になってしまうのである。
という訳で、ルトはまるで引き寄せられるかのようにその人だかりの方へと近づいていった。
しかし、野次馬は思いの外多く、またルトの身長が165cmと、平均より5cm程身長が低いということもあって、思うように見えなかった。
だが、それでもルトは諦めない。
このまま校舎へと向かっては、まず間違いなくモヤモヤしてしまい、講義に集中ができなくなってしまう。
そうならない為にも、なるべくそういった不安材料は消し去っておきたかった。
ここでルトは背伸びをしてみる事にした。
すると、全体像は見えなかったが、状況は掴むことが出来た。
ルトの視線の先。そこには、2人の男女の姿を見ることができた。
そしてそのどちらもが、ルトですらよく知るような有名人であった。
まず男の方は、ルトの通う学園の2年の部に置いて、現在序列3位に位置し、そのチャラチャラした風貌と、激しい戦いぶり、そして何よりも本人が戦闘好きである事から《戦闘狂》という名で呼ばれるようになった、イグザ・ライオードである。
そして女性の方は、現在この学園に置いて、もっとも注目を集めている人物であった。
彼女の名は、ルティア・ティフィラム。
ルト同様の1年生ながら、上級生にも引けを取らない凄絶な力を有し、そして何よりも女神様でさえ嫉妬してしまうのではないか。そう思わせる程の美貌を持つ、非の打ち所のない少女だ。
そんな彼女の容姿や力、そして纏術師である彼女の、霊者を纏った時の見た目がそれに近いという事もあり、ついたあだ名が《天使》。
現在、序列戦1年の部において1位でもあり、そのあだ名に名前負けしない程の成績を収めている、凄まじい人である。
そんな2人が、向かい合っていたのだ。
何か普通ではない事が起きているということは、ルトにも理解できた。
「……どうしたんだろ?」
ルトが小さく首を傾げる。
途中から野次馬として参加したルトからしたら、当然の疑問であった。
決闘、喧嘩、逢瀬、それとも告白? と色々な可能性が浮かび上がりは、消えてゆく。
そして何を思い浮かべようと、結局は状況がわからず、しかしそれでももう少しだけ見物していようと、そう考え──
「……今な、イグザ先輩がルティアちゃんに告白した所なんだよ」
突然、右横からそう言った声が聞こえてきた。
いやはや、状況がわからないと思った瞬間に、他方で同じ話題が上がるとは何とラッキーな事か。
ルトはそう、自身の幸運具合に喜びを感じ、同時に、そっか告白か〜と、目の前の出来事について整理をしようとし──そこで疑問が生じた。
先程の都合良く聞こえた声。その声が、誰かと会話をしていた様子がない上に、思いの外近くから聞こえてきていたのである。
まさか、とルトは思う。
この学園は、完全実力主義であり、卒業後の事も考え、できるだけ関わるのは強者だけにしようと、生徒達は動く。
故に、この学園に入学してから今の今まで、《無能》であるルトに関わろうとする者など、1人も居なかったのだ。
だからこそ、そんな筈はないと否定し、しかしやはりもしかしたらと淡い期待を抱きながら、声のした右方へと視線を向けると──1人の少年の姿が目に入り、同時にその少年と目が合った。
「…………ッ!」
まさかその少年が声をかけてくれたのだろうか。
……いや、しかしやはり自身に声を掛ける者など居ない、きっとあれは幻聴か何かだと結論付けると、ゆっくりと目を逸らし──
「……ちょいちょい! 何で目を逸らすのさ!」
先程の少年からそう突っ込みが入った。
活発そうな見た目に合った、とてもノリの良い少年であった。
ここで、ルトは彼を無視をするべきか考えた。
この学園において、今の今まで自身に好意的に接した人間など居なかった。
だからこそ、どうせ今回もただ罵倒が飛んでくるだけになるだろうと。話した所で、気分を害するだけで終わるだろうと。
しかし、先程ちらりと見えた彼の姿、そして瞳。
まるで今日の空のように澄んだその瞳からは、今まで学園で向けられた視線とは違う、どこか力強く、優しげな雰囲気が感じられた。
……それに先程決めたではないか。
変わろうと。その為に、行動を起こすのだと。
今回のこの出来事は、間違いなくルトにとって転機となり得る事であろう。
なら、この場を逃すのは、間違いなく愚策だと言えるのではないだろうか。
「…………」
考え、意を決した様子で、ルトはゆっくりと少年の方へと顔を向けると、
「えっと……もしかして、僕に話しかけてる?」
恐る恐ると、夢と現の狭間に居るかのような様相で、小さく口を開く。
それを聞いたその少年は、
「おう!」
と短く口にすると、ニッと爽やかな笑みを浮かべた。
対するルトはというと、 少し困惑した表情で、
「えっと……」
と声を漏らした。
罵倒や陰口を除き、この学園で話しかけてくれた者は少年が初という事もあり、どう対応すれば良いのかわかなかった。
それに、どうしても『あの事』を思い出してしまい、仮に彼から友好的な雰囲気を感じたとしても、果たして会話しても良いのかという躊躇いもあった。
と、そんなこちらの雰囲気を察したのか、少年が先に口を開いた。
「とりあえず自己紹介しようぜ! 俺は、アロン。ルトと同じ1年で、一応魔術師をやってる。よろしくな!」
言って、ルトの手を取り、ブンブンと縦に振った。
成る程、中々に強引な少年らしかった。
ルトは、その距離の近さに多少の戸惑いを感じながらも、明らかに好意的な態度を見せる彼に、返答をした。
「あ、よろしく。……えっと、僕は──って、あれ? なんで僕の名前を知って……」
よくよく考えてみると、まだこちらの名前は言ってない筈だ。しかし、何故か少年は知っていた。
良くない考えが頭に浮かぶ。
だがその考えも、アロンが口を開いたことで、消え去った。
「いやいや、だってお前結構有名だしな。魔術も纏術も持たずに入学した者が居る……ってな」
さも当然といった様相でアロンが言う。
しかし、ルトからすれば、それは初めて耳にする内容であった。
だからルトは、目を見開くと、
「そうなの? ……今まで誰とも話さなかったから知らなかったよ」
「……あー、この学園は完全実力主義だからなぁ」
わかるわかると、アロンが頷く。
そしてすこし間を空け、更に言葉を続けた。
「……俺もルトと同じで序列戦全戦全敗だからさ、誰も話しかけてくれないんだよな」
「え!? そうなの!?」
「そうそう。だから、入学して半年経った今も友達はゼロ。講義中もいつも一人ってわけ」
先程まで活発な見た目ということもあって、リア充だと、自分とは正反対の人間だと思っていたルト。
しかしこの時、目の前でため息をついているアロンの姿に、どこか親近感を覚えていた。
「……ってことは、友達が欲しくて、それで僕に話しかけてくれたの? その、同じく序列戦全敗だから?」
「ん? いや、戦績とか関係なく、前から普通に話してみたいと思ってたんだよ。魔術、纏術のどちらも使えないのに、術師団入団を目指しているとか……めっちゃガッツあるなって思ってさ。……ただ今まで中々きっかけが無くて、声掛けられなかった」
「……そ、そっか」
何故か照れ臭くなり、言い淀む。
「……でも、ほら。きっかけなんてなくても話しかけてくれてよかったのに」
「いやいや! 無理無理無理! そんなの緊張で心臓が破裂しちまうよ!」
「え、でも、さっき凄いナチュラルに話しかけてくれたよね」
先程の自然に会話に入っていく様子は、アロンのコミュ力の高さを感じさせた。
「いや! あれだって、めちゃくちゃ躊躇ってやっとのことで発せた言葉なんだからな!」
「え、そうなんだ」
「そうだよ! 今だって平静を装ってはいるけど、案外緊張してるんだぜ!」
「……プッ、フフッ」
「な、なんだよっ!」
顔を赤くし、声を上げるアロンの姿に、ルトは何故だかおかしくなって、小さく吹き出した。
そして同時に、思う。
この学園に入って、初めてだと。
──他人と会話をして、楽しいという感情が芽生えるのは。自然と笑みが溢れてしまうのは。
だから、だろうか。
最初は、自分が変わる為のその転機となり得るかもしれないからと会話をした。
しかし、この時のルトはその事を忘れ、ただ仲良くなりたいと、それだけを思い、極々自然に口を開いていた。
「改めて……僕の名前はルト。……よろしくね、アロン君」
「君付けなんて要らない! アロンで良いぜ!」
言って、アロンはニッと眩しい笑顔を向ける。
ルトは、彼のその言葉に、多少の気恥ずかしさを感じながらも、ニコリとはにかむと、
「うん、わかった。……じゃあ、よろしくね、アロン」
「おう! よろしくな!」
言って二人は、野次馬に紛れたまま握手をした。
そんな野次馬の中、握手を交わす二人の姿は、学園を行き交う生徒達の目には、中々に滑稽に映っていたのだが、等の本人達は全くもって気づいてはいないのであった。
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