神のイケニエ2
ゲリラ豪雨のように激しい雨粒が叩きつけるように降ってくる。眩しい光が目を開けられなくさせて、大きな音が聴覚をかき乱す。それでも天狗は空中をあちこち跳んでいるので、ミコト様が向かってきていることはわかった。
「み、ミコト様」
雨も激しくなりすぎると声を出そうと口を開けるのも一苦労になるというのを初めて知った。轟音と雨音の合間に、ミコト様の呻き声が聞こえる。
「ルリ……、ルリを、返せ」
腕で雨を遮って目を凝らすと、ミコト様が苦しそうに身を屈めていた。息は荒く、刀を持った手で左肩を堪えるように抑えている。
「ミコト様、怪我が痛むんじゃ」
「ぬぅ……」
止まった攻撃に天狗がうちわを使って私に屋根を作ってくれる。見やすくなった視界で、ミコト様が顔を歪ませていた。それでもこちらに向かってくるけれど、一度刀を振りかぶるとしばらく動きは鈍くなる。ガクリと空中から落ちそうになるのは見ていられなかった。
「天狗様、地面に降りられませんか? ミコト様が落ちちゃったら大変だから」
「ぬ……」
長い鼻を雨に濡らした天狗が、渋るように首を振る。確かに地上は街並みが広がっていて、大立ち回りをするには危険かもしれない。今の天狗や神様が人にちゃんと見えるかわからないけれど、私は人間なので確実に見える。目撃されたらどう言い訳すればいいかもわからない。
「あの、お社のところは? 私を降ろしたら離れて行ってくれていいですから」
「ぬ」
今度ははっきりと首を振られた。お父さんから頼まれたこともあって、私をこんな状況で置いていきたくないのだろう。はっきり言って刀を持っている人と二人きりだなんて私も嫌だけれど、相手はミコト様だし、ミコト様は今怪我をしているのだ。
山の神様のことであの怪我が酷くなったのであれば、また私のせいでミコト様の怪我が悪化したことになる。
「ミコト様、私が天狗様と一緒にいるから誤解しているのかもしれません。お願いします。少し離れておいてくれませんか」
「ぬぅ」
赤い顔の顰め面をさらに難しくしながら散々迷っていたようだけれど、ミコト様がフラフラになりながらも攻撃してくる。天狗は諦めたようにおんぼろ神社の木々の間へと私を抱えて飛び込んだ。
「うわ」
おんぼろのお社がある空間は、異様に暗くカビ臭い空気が停滞しているように感じる。鬱蒼と生えた木と豪雨のせいだけでは説明がつかないほどだった。これがよくない気なのかもしれないと思いながら、屈んだ天狗の腕から地面へと降りる。
「ミコト様!!」
木の天井へ叫ぶように呼ぶと、ミコト様も落ちるように私達を追いかけてきた。狭い敷地の中で、私達と3メートルほど距離を取ったところに降り立つ。それと同時に飛び退った天狗は、それでもうちわを構えながらじっとミコト様を睨んでいる。けれどもミコト様はそれに目もくれず、昏い目で私をじっと見ていた。
「ルリ……なぜ、私を置いていく」
「別に置いていってませんよ。ミコト様、助けに来てくれたんですよね? 山の神様と会って大丈夫でしたか?」
聞いた途端に、物凄く大きな音が響いた。どこかに雷が落ちたようだ。咄嗟に目を瞑ってそれをやり過ごして前を向くと、ミコト様が1メートルほどの距離へ近付いてきている。そのせいで、ミコト様の様子がはっきり見えるようになった。肌をインクで黒く染めたような部分が、左半身を中心に広がっている。所々の皮膚が爛れているのもわかった。見ているだけでも痛々しいけれど、ミコト様も相当苦しいのか動きが時々堪えるように止まる。立っているのも苦しいんじゃないかと思うと心配になって一歩近付くと、ミコト様は怯むように一歩後ろへと踏み出した。
「ミコト様、怪我の手当てをしましょう」
「……近寄るな、」
返せとか言ったり近寄るなとか言ったり、情緒不安定な神様である。
もう一歩近付くと、ミコト様は顔を歪めて目を逸らした。
「私は穢れ過ぎた。触れればルリにも穢れが移ろう」
「また傷大きくさせちゃってごめんなさい」
「違う……ルリが……私は、ルリを殺してしまうかもしれない」
逃げて欲しい、と言うくせに、私がミコト様以外に目を向けると刀を握る手に力を込めるのは何故なのか。鬱蒼とした葉っぱの間から、雨のしずくがいくつも降ってきている。それがミコト様の服に染み込んで、黒くなった部分はまるで暗闇のように濃くなっていた。下ろされた髪も張り付いて、なまじ整った顔のせいで幽霊のような恐ろしさに拍車をかけている。
けれど、弱々しく吐き出される声は、いつものミコト様のものだった。
「ミコト様、私は殺されたくないです。痛いのとか、怖いのももういいし、十代で死ぬとか短すぎると思うので」
「来てはならぬ」
「ミコト様、助けに来てくれてありがとうございます。探してくれたのも、ありがとうございます。私を心配してくれてありがとう」
近付くたびに、ミコト様は狼狽える。その姿を見ていると、私は何故か冷静になっていた。
よくよく考えたら、ミコト様が私を殺したり出来るわけない。めじろくんの言ってた通りだ。大体、そんなことが出来るような神様なら、恨みで出来た傷が原因で引き篭もったりしないだろうし。あんなに細かいお守りを作ってくれるわけもないし。
そう思ったらなんだか気が抜けて、私はずかずかと近寄った。ミコト様の手から刀が抜け落ちて固い音を立てる。私は刃が痛むんじゃないだろうかとちょっと心配になった。
力の抜けたミコト様の手を両手で握ると、おぼつかない足取りで後退ろうとしていたミコト様が止まった。
「ミコト様、」
そのまま手を引っ張って、ぎゅっと抱きつく。濃厚な血の匂いの間に、僅かにお香の香りがする。
「しっかりして下さい。ミコト様は、私の神様なんですから」
「……はい……」
カチコチに固まったミコト様が、喉から絞り出したような声で返事をした。




