天狗の巣1
よく死ぬ前には走馬灯が見えるとか言うけれど実際そんなことないんだな、とぼんやり思う。
ただ全てがスローモーションに見えるのは本当だった。といっても、青空と地面とがぐるぐると回っているのだけが見えているだけだ。前転しているのか後転しているのかはわからなくて、ただぐるぐると回っている。
このまま地面に落ちて死ぬのかな。死因がわからなくて大変だろうな。ミコト様はすごく泣くだろうな。こんなことならおやつ毎日お腹いっぱい食べておけばよかったな。そういえば、制服干しっぱなしだ。
放り投げられるような感覚から落ちていく感覚に変わった辺りで、急に体に衝撃が来た。お腹が苦しくなって、風に吹かれるように落ちていく。体が横向きのまま住宅が近くなってがくんと一度下に叩きつけられるような重みが走り、次の瞬間には逆方向へと引っ張られるように頭が揺れた。
バウンドするような衝撃に目が回ってきて、思わず目を瞑る。
次に目を開けた時には、私は古い畳の上で寝転がっていた。下にしていた頬を擦ると跡がついていて、お腹から下にはブランケットのように手拭いのような薄いシーツが掛けられていた。
「ここどこ……」
起き上がると、奇妙な感覚に襲われる。
周囲を見ると、古い民家の中にいるようだった。戸は開け放たれていて、家から半径10メートル程のところに木が生えているけれど、どの木もこの家を中心にしてやや外側に放射状に生えていた。家の近くにはたまに雑草が生えているくらいで、平らな地面が続いている。
近くの大きな柱に手をついてめまいを抑えながら立ち上がると、違和感の正体がわかった。
畳がとても大きい。私が知っている畳の4倍くらいの大きさがある。けれどもその畳が大きいのではなくて、柱や屋根もものすごく大きく作られている。大黒柱のような大きさの柱は、ただ縁側と部屋の境界に立てられている普通の柱で、藁葺の天井は3階建て以上あるのではないかというくらいに遠い。縁側も一部屋作れそうなくらいの幅があって、端に近付いてみると地面も遠かった。ここから沓石まで下りたら、上手く着地しても足首が痺れそうだ。
畳の部屋から続く板の間、そこから降りる土間も広く、かまどは子供の頃にプリン公園と名付けていたところにあった小山状の遊具を思い出させる。大きく開いた口には炎がぼうぼう燃えていて、乗せられた釜はお風呂に使えそうな大きさで、その蓋の隙間から湯気を出している。
何もかも大きくて、もしかして私が小さくなったのではないかと錯覚してしまうほどだった。そうではないと気付いたのは、庭でくわーと鳴いたカラスが私の知っている縮尺だったからだ。
ととっととっと跳ねるように近付いてきたカラスは羽で飛んで縁側の端に止まり、私に向かってまたくわっと鳴く。首を傾げてしばらく静止してから、振り返って外へくわくわと鳴く。すると、庭に風が吹いて放射状に広がった木々がゆさゆさと大きく揺れた。もしかしたら、この風のせいで木が斜めに生えているのかもしれない。
急に空が暗くなって、大きな影が庭に現れる。
ものすごく大きな一本歯の高下駄は黒い漆塗りで、その下駄に見合った大きさの大きくてゴツゴツした足が乗っている。硬い筋肉が大きく付いたふくらはぎが見えていて、その上には袴を膨らませて履いていた。山伏のような格好、大きな黒いポンポンを胸にさげて、筋肉隆々の腕の片方は肩に大きな壺みたいな形の籠を掛け、反対の腕には先程のカラスが嬉しそうにとまる。
赤い肌は顔で一際濃くなって、ぼうぼう爆発したように生えた髭と、ぎょろりとした目と、大きな筆で描いたような眉を強調していた。そして何よりも目立つのが、その中心に生えた長くて大きい立派な鼻である。
風がおさまるまでじっとしていたその巨体、ゆうに3メートルは超えている。
一度ゆっくりと大きな目を瞬いた巨大な天狗が、こちらへ一歩近付いて私に気が付き、ぬ、と低い声を髭の間から漏らした。




