下駄の音4
夏休みの宿題をするのに今までの小さな文机だとちょっと狭いので、すずめくんが大きいテーブルを出してくれた。畳用の高さが低くて大きい、なんか昭和っぽいテーブルである。そこに宿題と教科書を広げてこつこつと進めているけれど、ふっと気が付いた。
英語、もう全部やったじゃん。
ペンを置いた手は白い袖に通されている。下は朱色の袴。何故か巫女さんっぽい服だ。隣りに座るにこにこ顔のミコト様を見付けて、私はとりあえずその頬を引っ張った。
「ひはひほ、ふひほ」
「勝手に夢に入ってくるとかセクハラですよ」
「せっ……せくはらではない……かと……!!」
私は別に不埒なことなどしていない決してしていないと慌てるミコト様は、頬に傷跡がない。いつ眠ったのか覚えていないけれど、宿題をやっていたとこまでは覚えているので寝落ちしたのかもしれない。
あわあわしているミコト様は、けれども私の隣から動こうとはしなかった。そのうちしゅんと大人しくなって、そっと私を見る。
「その……ルリと近頃話すことが少なかったから……」
「すみません」
「……私を厭うてのことでは……ないのだろう?」
「別にミコト様が嫌いになったわけじゃないんですけど……」
「そうかそうか!」
ぱっと表情を明るくしたミコト様は心底嬉しそうで、今まで避けていたという罪悪感が胸にのしかかる。
「ルリは反抗期だとめじろが言うておった。抗えぬ敵愾心の芽生える時期で、成長の証であると」
「いや違うから」
「思う存分反抗してくれてよいぞ、ルリ。何が嫌だと言うのはよいことだ。好きなものも嫌いなものも告げるがよい」
いらっ……ときた。
包容力ありそうな微笑みで両手を広げるミコト様に思わず飛び込んで、両頬を存分に引っ張った。私の反抗心がメラメラしたせいなので仕方がないことだなあ(感嘆)。
「はぅ」
「別に反抗期というか、なんかその、そのミコト様の態度が何か、イライラするんですよ。なぜか」
「ふひ」
「なんでなんですか? 他の人の優しさとかは別に何も思わないんですけど、ミコト様のその、なんかこう包むような感じのやつ、なんかこう……なんで笑ってるんですか?」
「へむ、わ、笑ってなど……おらぬ」
もしかしてミコト様って痛いのとか好きなアレなのだろうか。流石に引く。
一歩後退ると、慌ててミコト様が顔を引き締める。それからにへっと笑った。
「いや、笑ってもないが怒ってもおらぬぞ。ルリがしたいことなら私はいつでも頬を貸そう」
「えっ……こわ」
「何故怖がる? 私はルリのやりたいことを叶えるだけで嬉しい」
最初のときはふわっと引っ張ったけど、二回目のときは結構しっかり引っ張った。普通怒ってやり返すくらいの痛さだっただろうに、ミコト様は持ち前の器のデカさで微笑みながらうんうん頷いているのだ。ここまで来ると逆に変。
ドン引きしながらミコト様を見つめていて、気が付いた。
これが私のモヤモヤの理由だ。
「ミコト様、私が顔も見たくないって言ったらどうしますか?」
「えっ! ……謝る……すまない……何か気に障っただろうか……」
「例えばです例えば。もし謝っても嫌だって言ったら?」
「それは……ルリがそう望んだのであれば私は姿を見せぬようにしよう。とても悲しいが」
「そういうとこだわ。私がミコト様にイラッとくるのは」
「えぇっ……」
腑に落ちた。ミコト様の優しさというのは、自己犠牲も躊躇わないというのが根本にあるのだ。自分の出来る範囲で誰かに優しくするという、他の人の優しさとは違う。
「ミコト様、私の願いは別に全部叶えなくてもいいんですよ。無理して叶えてほしいとは思ってないです」
「無理はしていない。ルリを助けたいと思ったのだ」
「でも、私が無理をしろって言ったらするんじゃないですか? 現にこの前、傷を悪化させちゃったし」
「あれはルリのせいではないだろう。ルリの願いを叶えて、ルリが喜ぶのが嬉しいのだ。私はルリに喜んで欲しい」
「そうじゃなくて……」
ミコト様はよくわからないと顔に書いて首を傾げている。私は自分の思っていることを上手く言葉に出来ずに少し戸惑ってしまった。
「普通は……誰かに親切にしても、自分のやりたいことはやるんですよ。自分の気持ちや意思を曲げてまで、誰かに親切にしなくっていいんです」
「しかし、私はルリの願いを叶えたい。それが自分の意思ならよいのではないか? やりたいことが、そなたの願いを叶えることなのだから」
「え……」
求めることが合っていたら問題ないのか?
ミコト様の言葉に考えてみても、やっぱりそれはなんだかモヤモヤイライラする。
「なんか多分違うからダメです!」
「ル、ルリ」
「上手く言えないけど、そういうんじゃなくて……もーわかんない! ミコト様のわからず屋!」
「あ、待っ、ルリ!」
ミコト様の手を振り切って、立ち上がり走り出した。誰もいないお屋敷を走って裸足のまま欄干を超えてジャンプする。ぐるっと風景が揺れて私は目が覚めた。ミコト様がオロオロしながら逆さまに私を覗き込んでいる。
ブランケット代わりに上衣が掛けられていて、頭の下に柔らかくて温かい枕の感触があった。
「ルリ、ルリよ、そのまた怒らせてしまったか」
「……」
「すまぬ、そんなつもりではなくてその、私はただルリが喜ぶようにと」
むくっとそのままの状態で起き上がり、体にかけてあった絹の衣をミコト様に頭から被せた。慌てているミコト様を置いて、自分の寝室へと行くことにする。途中、すずめくんに「ミコト様が何か言ってきても忙しいって言って」と頼むと、すずめくんは溜息を吐きながら頷いてくれた。
とりあえず、勝手に人に膝枕するのは割とセクハラの域だと思う。




