下駄の音2
「天狗のお見習いさんですね。ここから少し南の方の大きなお山のとこでお努めしていらっしゃるんですよ」
「へぇー」
「少し前に請願成就のあかつきには一万日のお礼参りをするとご祈願なさって、それからお見えになるんです」
「そうなんだ」
一万日って大まかに30年弱では。よっぽどすごい願いをミコト様に叶えてもらったのかもしれない。
お礼参りは毎日欠かさずということではなく、本人は見習いで大変な時期だから雨風の強い日などは来なくていいし、こっちも忙しい日もあるのでゆっくりでいいとミコト様が言ったらしい。なので大体100年くらいかかるのではないかとすずめくんは言っていた。気の長い話である。
「なんか凄い人だったんだね」
「最近は天狗になるという人も減りましたし、あんなに必死にお願いする人も珍しくてミコト様も根負けしたみたいです」
引き篭もり生活を謳歌していたミコト様が、頼まれまくって頷く姿が想像できる。時間をかけてお礼参りをするようだけれど、長くお参りして貰える分細々と信仰してもらえて良いのかもしれない。
今日のおやつは例のお見習いさんに貰ったカニカマである。何故カニカマ。貰ったときは盛大に混乱してしまったけれど、天狗の仮面を被ったままでもしょんぼりしているのがわかったので慌ててお礼を言った。カニカマは好きだ。ただおやつとしてお屋敷で天狗の仮面を被った人から貰うという状況について行けなかっただけで。
そう日を置かずにお屋敷に来るお見習いさんは、大体午前中にやってきて早めに帰る。なので私が表の掃除をしていると高確率で顔を合わせることが出来るのだった。私が箒を持っていたり枝拾いをしているといつも褒めてお菓子をくれるのである。もしかしたらそう見えずとも本人は結構年を取っていて、子供が手伝いをしているように見えているのかもしれない。
ミコト様のお客さんなので居候である私があんまり親しくしても、と思ってミコト様にお伺いを立ててみると、非常に複雑そうな顔をしながらミコト様は「ルリがそうしたいなら」と許してくれた。
いかついお面を被っている点は置いておいて、天狗のお見習いさんは気さくに話し掛けてくれて親しみやすい。喋り方や仕草がどことなく現代っぽいし、くれるおやつがたまごボーロとかぱちぱちする綿あめとかどう見ても街で買ってきたものなので仮面の下は私と同じ人間なのではないかと思っているけれど、まだ深く話を聞ける間柄ではないので未確定だ。
「そんなことよりルリさま、主様の辛気臭いのどうにかしてください。もうここのところお屋敷がずぅっと曇りですよ。すずめはお外に買い出しに行って眩しさにびっくりしました」
「う……すいません……」
最近のミコト様との接触時間は朝鯉の餌やりをするのと、食事時間くらいだけしかない。お屋敷に来た頃とそう変わらないくらいだけれど、なんだかミコト様に対して取っていた普通の態度というのが思い出せずにギクシャクしてしまっている。悪い態度にならないようにとにこやかにしすぎたり、話題が見付けられなくてごはんを早く食べたり。
態度が変でごめんなさいと謝るのも、庭にある小さな社を通じてという有様なのだ。なんかこう、きちんと説明したいけれど、自分でもよくわかっていないのでそれが出来ない。
ミコト様から送られてくる手紙が異様に多くなっていたり、掃除をしているとじっと視線を感じたりしているけれどどうにも出来ないまま、お屋敷の天気は日に日に雲が多くなっていた。
「ミコト様、傷付いてるよね……」
「寂しいアピールですよう。このまま曇りばっかりになって困ったことになったらルリさまから話し掛けて来るだろうってわかっててやってるんですよ。自分からいく勇気がないんです主様は」
鼻息荒く言いながら、すずめくんは手早くザルにあけた小豆を選別している。見ていてちゃんと見分けられているのかと思うくらいのスピードで質の悪い小豆を除けていっているけれど、除けたものを見るとちゃんと形がいびつなものだったり割れていたりするのですごい。ちなみに悪い小豆は床に置かれた大きな平たいザルに入っていて、食べられるのと食べられないのに更に分別される。この作業をしているのはヤマバトとかキジで、台所の土間で大人しく頭を上下させている。初めて見たときは何かシンデレラみたいでちょっとテンションが上がった。
もちろん私が手伝える仕事ではないので、私はすずめくんの隣で桶に入った白菜の泥を落としている。
「ルリさまも色々と思うところはあるでしょうから、主様と顔を合わせるのが嫌でしたらお手紙でも出されては?」
「イヤってわけじゃないんだけど……うーん、そうしてみる」
きれいになった白菜をきゅっと擦って、私は桶の水を替えるために立ち上がった。




