下駄の音1
夏の庭を南に下って主屋の方へ回り、そっと見回してから掃き掃除を始める。真ん中を門まで貫く石畳の道はお客さんもくるのでほとんど完璧に綺麗だけれど、横の玉砂利のところに枯れ葉とかが落ちていたりするのだ。
ざかざかと手早く、しかしあまり音を立てないように気を付けながら掃除をする。この時間はミコト様は来客対応中だとすずめくんが教えてくれたので、さっさと終わらせるつもりだった。
あれからなんとなく、ミコト様と気まずい。
というか一方的に私が気まずく思っているだけだ。ミコト様の傍にいると、なんだかムカムカというかイライラというか、ミコト様に八つ当たりしたくなってしまうのだ。どう考えてもミコト様は悪くないので八つ当たりしないように当たり障りのない対応を心がけているけれど、ミコト様がまたその変化に気付いて気遣い溢れる態度で接してくるのでそれでまたイライラ度が増してしまう。
好きなお菓子を用意するように指示してくれたり、おやつを分けてくれたりするのに、なんだか上手くお礼を言えない自分に落ち込む。酷くなってしまったミコト様の傷が早く治るように手伝いたいと思っているのに、こんなにくさくさした気持ちだと全然うまくいかない。白梅さんや紅梅さん達が心配そうなのもわかっているのに。
「なんか落ち込むわ……」
箒の行き先に先回りして転がされている鞠と一緒に掃き掃除をしていると、ハラハラと紅白の花びらが散った。良い匂いの花びらは掃除をしていて少し気分が上向きになる。梅コンビが慰めてくれているのかな、と思いながらちりとりで集めていると、カコンカコンと変わった音がした。
振り向くと、変な人が立っている。
「あっ……」
「えっ」
私がいるのに気が付いて立ち止まった人は、変なお面を付けていた。変なと言うか、天狗のお面だ。赤黒くてテラテラ光る色をしていて、鼻がにょーんと長い。眉と髭はふさふさした黒い毛の飾りが付いていて、目のしろめ部分が金色に塗られている。いかついお面は両側に紐が付けられていて、少し茶色っぽい短い髪をした人が付けているのだとわかった。頭には小さい帽子を乗せて顎で結んでいて、山伏のような姿である。足元で変わった音を立てていたのは、妙に高くて真ん中に一本の歯がある下駄のせいらしかった。首にかけて両肩から垂らした四角い布に白いポンポンみたいなのが2つずつ付いている。左手には小さな風呂敷包みを抱えていた。
天狗の人なのだろうか。思わずまじまじと観察してしまったけれど、相手もじっとこちらを見ていたようだ。お面を掛けているので本当に見えているかはわからないけれど。
この人がミコト様のお客さんだったのかと思うと、どう対応して良いものかわからずにとりあえず頭を下げる。
「あ、どうもこんにちは」
「こんにちは」
カコンカコンと下駄を鳴らしながら近付いてきた天狗のお面の人は、想像していたより普通の声で普通の挨拶をしてきた。つい挨拶を返してしまったけれど、いいのだろうかと応えてから考える。
「お掃除してるの? 偉いねえ」
「いえ……」
「これあげる。甘いもの食べて頑張ってね」
「ありがとうございます」
天狗仮面は懐を探って、握った拳を私に差し出してきた。箒を脇に抱えて手を出すと、ころんと2つ落ちてくる。それを見て私は目を瞬いた。
手に乗っていたのは、キャンディ包みにされたチョコレート。海外のブランドだけれどちょっと大きいスーパーとかでも買える、大きめの丸いチョコレートだった。美味しいけどやや高くて、高校生としてはあんまり頻繁には買っていないものだった。
顔を上げると、うんうんとお面の人は頷いた。くわっと怖そうな天狗のお面だけれど、本人の雰囲気はそうでもない。着物から出ている首や手足もよく見ると白くて線が細かった。
「じゃあまたね」
「さようなら……?」
ひらひらと手を振って、カコンカコンと音を鳴らしながら天狗仮面は門に向かって歩いていった。扉がひとりでに開いて、門の外でゴロンゴロン寝転がっていた狛ちゃんと獅子ちゃんがパッと立ち上がったのが見える。尻尾を振る狛ちゃんの傍でしゃがんで撫でている姿が閉まる扉の隙間から見えた。
ポンポン跳ねた鞠が、チョコの乗っている手に着地する。
「あの人何だったんだろう……これ貰っちゃって良いのかな」
鞠とふたりで首を傾げていると、「ルリよ……」と小さい声が聞こえてきた。振り向くとミコト様が柱の陰からこっちを覗いている。
「どうかしたのか? 何か悩み事でもあるのか? 小さなことでもいいから教えてくれると嬉しい」
「ミコト様」
「そのう、それでその、掃除が終わったのであれば、共に州浜を作らぬかと……忙しければ良いのだが」
「ごめんなさい、宿題まだ終わってないので」
「そうか、沢山やらねばならぬのだったな。無理はするでないぞ、いつでも手伝うからな」
「ありがとうございます」
しょんぼりと肩を落としてミコト様が振り返り振り返り部屋に戻っていく。ミコト様のお誘いを断ると罪悪感が凄い。けれど、もやもやした気持ちを抱えたまま一緒に遊んでも傷付けてしまいそうで嫌だ。
貰ったばかりのチョコを口に入れると、ふわんと優しい甘さが広がった。もう一つはあとでめじろくんからミコト様に渡してくれるように頼むことにする。




