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変わりゆくもの7

「何か前にもこんなことありましたよね。上下逆ですけど。お屋敷の床ってツルツルなんで転びやすいのかも」


 LEDのランタンは真っ暗な倉の中でもしっかりと仕事をしていた。真っ赤になってアワアワしていたミコト様が、徐々に複雑そうな表情へと変わっていっている。

 得意げに曲を掻き鳴らしていた琵琶や、ガタガタと震えて存在を主張していた棚の上もいつのまにか静かになっていて、閉ざされた蔵の中はしんと静かになっていた。


「でも滑り止め付いた靴下履くと逆に危なそう」

「……ルリよ」

「なんですか?」


 ミコト様が私の上に覆いかぶさったまま動かないので、寝転んだまま返事をする。するとミコト様はますますムゥと顔を顰めた。


「そなた、このような状況で落ち着きすぎではないか……?」


 私の両肩の近くにミコト様が腕を付いていて、私の右の腕にミコト様の袖が乗るほど近い。たっぷりと布を使った前身頃が私に触れるくらいの距離にいるので、間近にミコト様のキレイな顔が迫っていた。ガーゼの下に塗った軟膏の匂いが僅かに嗅ぎ分けられるほどだ。起き上がろうとすれば、確実に頭突きが決まる近さである。


「前々から思っていたが、ルリは警戒心が薄い。若い女子であるのだから、危ない目に合わぬためにももう少し気を張っておいたほうがよい」

「危ない目って……」


 乙女より乙女なミコト様に言われても。

 そう思ったのが顔に出ていたのか、ミコト様は僅かに怒ったように目を細めた。造りが整っているので、真面目な顔をすると迫力がある。


「そなたにはわからぬかも知れぬが、」


 衣擦れの音とともに私の二の腕にミコト様の手が触れた。大きな手が優しくつかむような形で腕を包み、そのまま下がっていって手首まで撫でる。それから握るように手を閉じて、ゆっくりと掴んだ両手首を私の顔の横に持ち上げてそっと力をかけられた。


「私とて、ルリの前ではただの浅ましい男だ。そなたより力があり、そなたより強く、そなたより欲深い」

「ミコト様」


 いつもよりゆっくり、言い聞かせるように喋るミコト様が近付いてきて、鼻同士が触れ合いそうな距離で止まる。迷いなくスッと描いたような切れ長の目は、近くで見るとくっきりと黒い瞳をしていた。瞬きをすると、伏せた睫毛が目立つ。じっと注がれた視線から目を逸らせないまま黙ってると、薄い唇が形よく動く。


「ルリが私の傍で心安らかにあるのは嬉しいことだが、時々こうして困らせたくもなるのだ」


 異性の前ではあまり気を抜かぬように、と説教臭いことを言って、ミコト様は溜息を吐きながら私の手を開放する。

 上半身を退けようとするその動きがヤレヤレみたいな感じに見えて、何故だかムカッと来た。

 腕を伸ばして、ミコト様の前の合せ目を掴んで引っ張る。油断していたのか、ミコト様はぬゎっ! とか言いながら頭を私の胸元にぶつけていた。勢いがあったので、一度だけ咳が出る。


「な、ル、何を」

「なんとなく」

「何となくとは、そんぶ」


 煩いのでミコト様の頭を両腕で抱え込んでみる。ぎゅっと引き寄せて、それからそういえばミコト様はケガしてるんだと思い出して慌てて右腕だけ緩めた。ズレたお面が邪魔だったので剥がすけれど、傷を痛がっている様子はなくて少しホッとする。後ろで一つに纏めているミコト様の髪が手にかかってスルスルとキューティクルをアピールしていた。


「ミコト様、知ってますか? ハグして反射的に嫌悪感を抱かない相手は、恋愛対象になり得るらしいですよ」

「え? は、はぐ? ル、放し」

「こうしてぎゅっと出来る相手はワンチャンありってことです」

「わん……?」


 ミコト様はちんぷんかんぷんといった様子で混乱している。体重をかけまいと両脇で腕立て伏せのように耐えている腕や、真っ赤になっている顔がちょっと面白くて腕を緩めると、しゅばっと音がしそうな勢いでミコト様が起き上がってしまった。


「い、いきなり何を、私の話を聞いていなかったのか」

「聞いてましたよ」


 あれおやめくださいとか言いそうな感じでジリジリ下がりながらもそんなことをいうミコト様に、またムカッと来る。

 起き上がって立ち上がると、ミコト様はビクッと肩を竦めてこちらを見上げていた。ミコト様はとても親切で、自分のおやつをまるごとくれるくらい優しくて、私のことを思って注意したんだろうけれど、何でなのか私の胃袋の近くがムカムカする。大きく一歩、床を踏みしめながら踏み出すと、ミコト様が不安そうな顔をしていた。


「る、ルリ、その……」

「ミコト様は私のこと困らせたことないくせに!」

「は……」

「ミコト様の意気地なし。セクハラ意気地なし!」

「せ……? ルリ?」


 キョトンとした顔のミコト様を残し、私はドスドス歩いて出口へ向かう。慌てたように開いた扉を通って庭に出て、弱々しい声で私を呼ぶミコト様も跳ねて追いかけてくる鞠のことも振り返ることなく、まっすぐに夏の庭を突っ切って自分の部屋へと戻ってきた。

 四角い畳の敷かれたところに乱暴に座って、膝を抱える。そして10分ほどそこに顔を埋めてから、改めて頭を傾げた。

 そもそも私は何をそんなにイライラしたのだろうかと。






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