変わりゆくもの5
明け方の夏はとても過ごしやすい。顔を洗って頭をすっきりさせてから、庭師のりすさんに箒を借りて庭掃除を始めてみた。
「あんなにお寝坊さんだったルリさまがお掃除のために起きるなんて感心ですねえ。そこ、隅にまだ砂が」
「はい」
にこにこと縁側から褒めてくれるすずめくんは、早めに起こして欲しいと頼むとスズメ姿で起こしに来てくれた。あんなに小さくてふわふわな生き物がちゅかちゅか言いながら髪の毛を啄んできたらそれは起きる。スズメの足は小さいのにひんやりしていてそれがまた羽毛とのギャップで目をさましてくれるのだ。鳥可愛い。
「よし」
りすさんは私に塀に沿ってゴミを掃き出すようにと指示してくれた。壁際はゴミが見つけやすくて構造も単純だからかもしれない。私が夏の庭の壁を綺麗にする間に、りすさんともうひとりお手伝いの人は植物の生い茂る庭の落ち葉や枯れた花を拾い、縁の下にまで潜って掃除を終わらせていた。毎日続けていればあれくらい早くなるのだろうか。
被っていた麦わら帽子を脱いで汗を拭いながら、庭の端にある小さなお社の前に立つ。縄を揺らして鈴を鳴らし、二礼をしてパンパンと柏手を打った。
ミコト様が今日のお昼のオヤツを分けてくれますように。
あと、汗かいたので朝風呂しても良いって言ってくれますように。
顔を上げて、お社の格子を眺める。これ開けたらどうなっているんだろう。ミコト様に繋がっていたりするのだろうか。神社って鏡がおいてあるけど、なんでなんだろうか。
今日もミコト様が楽しく過ごせますように。
本当は、早く傷が治りますようにとお願いしたい。だけど、それは今のミコト様にとって難しいお願いかもしれないので、もう少しハードルが低く、私も手伝えそうなお願いにしてみた。ちなみに今日のオヤツは白梅さんが胡桃のクッキーを作るらしい。ものすごく美味しいのでいっぱい食べたいからお願いしてみた。ゼリーが残っているから交換してもらうつもりだ。
お庭から建物へ戻ると、早速梅コンビがタオルを用意して待っていてくれていた。朝風呂は入ってもいいらしい。
「そのう……ルリや」
「なんですか?」
宿題の休憩にと出されたクッキーにラムレーズンアイスを乗せて食べていると、ミコト様が困惑した様子でそろそろと近寄ってきた。流石に寝そべってオヤツは行儀が悪すぎたかと座りなおすと、持っていた小皿をそっと差し出してくれる。オヤツとして出されたクッキーをまるまる持ってきたらしい。
「あっ、2枚くらいでいいですよ」
「ルリが食べたいのなら好きなだけ食べるがよいが……」
「でもこれ美味しいですよ。アイスかけるとほんとヤバイですよ」
「あいす……」
わざわざ氷が入った桶に入れられたそばちょこからアイスを掬ってクッキーに乗せ、ミコト様に渡すと、上品にそっと食べたミコト様が無言のままパッと顔を輝かせた。やっぱり。絶対ミコト様が好きな味だと思った。
しばらくもぐもぐと2人でオヤツを味わって、めじろくんが途中で淹れてくれたほうじ茶で口の中を温める。それからミコト様はそわそわしはじめ、それでその……、と小さく口火を切った。
「私の気のせいでなければ、ルリは近頃よく願い事をしていると思うのだが」
「気のせいじゃないですよ」
「そうか、いや、それは良いことだが、嬉しいのだが、どうもその、前は口に出して言うていたようなこともわざわざ願い事にしているような」
別に咎めているのではないぞ、どんどん言うがよい、よいが少し気になって、とミコト様は控えめに控えめに最近どうしたんだと訊いてきた。
「日に何度も風呂に入るようになったし、現し世で何かあったのではないかと心配で……」
確かにいきなりあちこち掃除をしたり何度もお風呂に入ったりしていれば怪しいかもしれない。
「経験値……じゃなくて、信仰心がミコト様のご神力を上げるって聞いたので」
「わ、私の」
人の信仰心によってご神力が増え、澱みや穢れを祓う力になるという情報を得たので、同級生のアドバイスを参考にしつつわからないなりに行動に移してみた、と答えると、ミコト様はじわじわ赤くなり、サッと袖で顔を隠してしまった。
「私のために……ルリが……」
「傷が痛いと心配ですし、ぶっちゃけこんなことしてて効果あるのかよくわかんないですけど」
「そんなことはない!」
願い事が小さすぎるせいか目に見えた変化がなくて本当は効き目がないのではと思いかけていたけれど、ミコト様は力強く否定してきた。顔を隠すことも放棄して私の手をぎゅっと握っている。
「そなたの願いを聞き届けるたびに、少しずつでも力が戻ってきている。それに、そ、その、ルリがそう思ってくれているだけで私はとても嬉しいのだ」
ミコト様が頬を染めたまま、はにかんだように微笑む。その左側には相変わらずガーゼと趣味の悪い仮面が付いているけれど、半分だけでもその嬉しそうな様子は十分に伝わってきた。整った顔がほころんで柔らかい印象になり、細められた瞳が本当に嬉しそうに優しい光を映している。
「ありがとう、ルリ。私は果報者だ」
やわらかく告げられた言葉が、じわっと私の心も温かくした。
私は別にご神力どころか霊感もただの勘も全然ないけれど、それでもありがとうという言葉には何か力があるのではないかと思ってしまった。自分がやったことが相手に感謝されて返ってくると、それだけで嬉しい。嬉しい気持ちが、もっと何かしたいというエネルギーになっていくみたいだった。小さい頃にお母さんの手伝いをして褒められたことを思い出した。感謝って不思議だ。
私の手を握ったミコト様のそれに、もう一方の手を添える。
「ミコト様が嬉しいと、私も嬉しいです」
「そ、そ、そうか。私もだ」
「ミコト様もいつもありがとうございます」
「うむ、ルリも、ありがとう……」
私とミコト様のありがとうを延々と言い続ける会は、鞠が跳ねて握った手を離させるまでしばらく続いた。




