変わりゆくもの2
登校日の朝。
おはよう、と言うやいなやというスピードで、百田くんは青い顔で口を抑えてダッシュして行った。残された私と百田くんのツレであるノビくんはそれを見送ってから顔を見合わせる。
「うわマジだったんかよ……あいつ予告ゲロとかすごくね? えーっと、」
「箕坂です。おはよう、ノビくん」
「そうだミノさんだ、ごめん俺名前覚えんの遅くてさー!」
校門前で出会ったのでトイレまで走ったけれど、百田くんは今日吐くかも、とエチケット袋まで持参していたらしい。さすが。しかし予想していたとは言え、顔を見るなり吐き気を催されるとちょっと乙女のプライドが傷付いた。
「つかミノさんなにそれペット? すごくね? メルヘン少女じゃん」
「あー、うん」
紺色のサマーベストの左肩には鞄を掛けていて、右肩にはスズメになったすずめくんがちんまりと座り込んでいる。ノビくんが指を伸ばすと、ヂュヂュッ! と鳴いて黒い嘴で突こうとしていた。
「やべ、怖え! つか学校に鳥ってウケんだけど、ミノさんこんな面白キャラとは思ってなかったわ」
「ありがとう」
「鳥写メ拡散していい?」
「だめ」
「ミノさんは顔隠すから!」
「だめ」
真夏の学校は普段とどこか雰囲気が違う。登校日は普段より集合時間は少し遅めなので、あと30分くらいは余裕があった。靴を履き替えて一階トイレ近くに並ぶ水道のところで私とノビくんは百田くんを待った。
蛇口をひねるとしばらくぬるい水が出てから冷たい水が出てくる。手を洗っていると肩から腕伝いにすずめくんが降りてきて、手のひらで溜めた水で水浴びを始めた。暑かったらしい。
「やっべマジかわいーんだけどこの鳥。名前なんての?」
「すずめくん」
「いやスズメにスズメクンってストレートすぎんでしょ! マンテーニャ1号とかにしようぜ! な、マンテーニャ」
ヂヂッと怒ったすずめくんがノビくんの首元に止まってブルブルと水滴を振りまいている。ノビくんはやべおこじゃんとか言いながらもすずめくんをスマホで捉えようと必死だ。
なんか楽しそうだなあ。
「おー、モモ平気か?」
「わりぃ……ちょっと風通しの良いとこ行こうぜ。かつトイレ近いとこ」
「あ、うん」
トイレから復活した真っ青になったまま親指でくいっと上を指した。手からペットボトルとビニール袋を手放せない状態なのに、私と話をしようとする姿勢は責任感の強さを感じさせる。
すずめくんは私の方に戻ってきて羽繕いを行い、百田くんが心配らしいノビくんも付いて来た。
野球部の監督はいかつい顔と体をしているけれど英語の先生だ。主将である百田くんは監督の信頼も厚いらしく、職員室に寄ってLL教室の鍵を借りてきていた。入ってすぐにノビくんが冷房を付け、すずめくんが見回りをするように教室内を一周した。
「箕坂お前、そうとうヤバそうな気配背負ってんぞ。なんで何ともないんだよ」
「出た〜ミノさんこいつ霊感的なこと言うけど引かないでやってね」
「あ、うん。やっぱりヤバくなってるんだね」
「心当たりあんのかよ……」
「残念ながらあります」
「あっちゃうのかよ! ミノさんもそっち側の人かよ!!」
「お前はちょっと静かにしてろ」
ノビくんがいちいちリアクションを取ってくれるので、会話がいい感じに力の抜けるものになっていた。私は鞄の中から小さなタッパーを出して、すずめくんにご飯をあげる。鳥の姿のときは鳥のエサを食べるらしく、すずめくんは色んな小さい穀物の入ったタッパーのフチに止まってサクサクと音を立てながら嘴をエサの中に突っ込んでいた。一粒咥えると細かく嘴を動かして器用に皮を剥くのは見ていて楽しい。
エサを食べるすずめくんに夢中になるノビくんを置いておいて、私は百田くんに簡単に事情説明した。百田くんがミコト様が人間ではないということを知っている上にクラスメイトである私を心配してくれているのであれば、むしろ全部話して相談に乗ってもらったほうが良いのではないかと考えたのだ。
私がミコト様に助けられたこと、お屋敷でお世話になっていること、多分もう家には帰らないこと、そうなった関係でミコト様の傷が酷くなってしまったことなどを話すと、百田くんは深く深く溜息を吐いた。
「やっぱり神仏系かよ……お前ほんとそれはヤバイぞ」
「どうヤバイの?」
「はっきり言ってどう転んでも手助けできねーわ。あの日帰ったら親父に何やらかしたってめっちゃ怒られたし。何もしてねーよ。そもそもできねーし」
由緒あるお寺である百田くんの実家では、やっぱり霊感っぽいのがある人が多いらしい。力の強い住職の百田父は幽霊だの何だのというのに対処することもあるらしいけれど、百田くんに対してもくれぐれも神仏には手を出すなと口酸っぱく教えていたそうだ。
「そのルリの神様っつーの、多分祟り神とかそういうのになりかけてるぞ。人間の怨念とかが可愛く見えるレベルだわ」
「えっ、そうなの、別にそんな感じしないけど」
「まだまともな神気があるのが不思議なくらいだぞ。相当力のある神様だったのかもな」
タタリ神と聞いて出てくるのはアニメの映画に出てきた気持ち悪いオバケみたいなやつだけど、ミコト様は私の見る限りそんな気配はないし、どちらかと言うと神様らしい神様だと思う。
百田くんの推察によれば、普通の神様が持っているような清らかさというか威厳みたいなものも感じると言うので、それで穢れを抑えているのではないかということらしい。
「変に目ぇ付けられてるなら匿って隠せばいけるかと思ったけど、何かお前の周りにぐるぐる気配付いてるし」
「マジかよー! ミノさんやべーじゃん! 神隠しとかじゃん!」
どのへん? と私の周りに手を伸ばしてくるあたり、やべーとかいいつつ意外とノビくんは度胸がある。しっかりと見えているらしい百田くんはすごい目でノビくんを見ていた。
「つかモモ、やべーならなおさらミノさん助けてやんなきゃじゃね? 何か出来ねーの?」
「あほか、そもそも神仏の悪い念っつーのは手に負えないんだよ。人とは格が違うからな。ゾウが怒って暴れだしたらどうにも出来ないようなもんで、神様にとっては些細な力でもフツーに人は死ぬ。太刀打ちできない」
「ゾウかー、ゾウは無理だわー」
「あの、逃げるとかじゃなくて、ミコト様の怪我を治したいんだけどどうすればいいとかある?」
「お前な、より厄介だわ」
百田くんが水を飲み干して項垂れた。
別に逃げ出したいとかは思っていないし、すずめくんがちゅんちゅく言いながらノビくんを攻撃し始めているのでミコト様をやべー呼ばわりするのは一旦やめてあげてほしい。ノビくんも野球部だからか動体視力は良いらしく、大きな手のひらを丸めてすずめくんをやんわり捕まえたけれど、それでもすずめくんは指を力いっぱい噛んでいた。ノビくんはあんまり痛くなさそうだったけれど、すずめくんを返してもらって私の手のひらの中で大人しくしてもらう。
すずめくんは少し不満そうに鳴いていたけれど、親指で目の下辺りをそっと擽ると気持ちよさそうに目を閉じた。




