ブレイクオフ5
ミコト様のお屋敷に住ませて貰うようになって、そろそろ一ヶ月が見えてくるくらいの時間が経った。その間に嵐でも来たのかというくらい、知っている家とは違って見える。
「う、」
二階に上がって自分の部屋のドアを開け、思わず口を抑えた。今まで嗅いだことのないような嫌な匂いが充満している。うなじと髪の間に隠れたすずめくんを落とさないように気を付けながら散らかった部屋を進んで、窓を全開にする。緩やかに入ってくるのは夏の上がりかけた気温の風なのに、それがとても爽やかで新鮮な空気に感じるほどだった。
「うぇ……、気持ちわる」
ベッドのシーツもクローゼットの洋服もぐっちゃぐちゃに撒き散らかされている。部屋の中に食べ物もないし、溢れて汚れるようなものもない。だから下と比べても散らかっているのはともかく汚さはそれほどでもないようなのに、どこか汚い。私がいない間に巨人がやって来てこの家を持ち上げ、泥水の中に放り込んでシェイクしたと言われても納得しそうな、部屋の中にヘドロが詰まっているようなそんな気がして鳥肌が立った。
「すずめくん、大丈夫?」
新鮮な風の入り込む窓際にそっと小さな鳥を置くと、ちゅん、と鳴いてその場でじっとこちらを見上げていた。私の部屋の窓は家の正面から見て右側の側面に付いていて、下に一階の屋根が少し見え、ブロック塀とお隣さんの敷地も近い。それらを伝って外に出られるのは、これまでに何度かやっていたせいで知っていた。今日は使うことがないといいけど。
うずくまるようにサッシに座っているすずめくんが嘴を横にしてちゅんと鳴くと、ふわんと浮き上がった石像が目に入った。狛ちゃんと獅子ちゃんが私達に気付いて塀を伝って来たらしい。2匹ともどうやってるのかぐるぐると喉を唸らせながら窓のすぐ近くをうろついている。
「ちょっと待っててね」
すずめくんが用意してくれた唐草模様の風呂敷ふたつに、必要なものを詰め込んでいく。まず筆記用具はお屋敷にあるので、教科書類とノート。電子辞書に学校関係の書類。重くなったそれを溢れないようにぐるっと巻きつけて、狛ちゃんの背中に乗せて首元で結ぶ。もう一つの風呂敷には冬用のブレザーとスカートに体操服。お父さんとお母さんの位牌は、友達から貰ったフェイスタオルに包んでから入れる。お母さんがくれた冠婚葬祭用のジュエリーケースも入れて獅子ちゃんに担いで貰った。
絶対になくせないものを入れ終わって部屋を見ると、あちこちに目につく物がある。小学生の時から使っていたペン立て。学校で注文したものじゃないのが嫌だと駄々をこねて、お母さんがキラキラするシールで飾ってくれたお裁縫セット。高校入学の時に相談しながら新しく買い替えたシーツとラグ。友達が作ってくれたバースデーボード。
大事で必要なものなんてほとんどないと思っていたけれど、いざここに立って見てみると心の中を全部引っ張られるような未練が残っている。
この全てを、ここに置いていく。今まで生きてきた大きな流れを断ち切るような、そんな恐ろしさと不安が吹き付けてくるように感じた。まだ何か忘れていないか、必要なものがないか探してはいるけれど、実際にはどんなに汚れた状態でもこの部屋を離れがたかった。
何かないかと目線で部屋をかき回していると、すずめくんがヂュヂュヂュヂュ!! と声を出してぶつかるように私の肩に飛んでくる。羽をばたつかせたすずめくんを手で支えると、下の階から物音が聞こえてきた。




