四季の咲く庭1
夜寝るのが早いということはつまり、朝起きるのが早いということだった。
「ルリさまはお寝坊さんですねえ。さあさあ、お支度して。もうお掃除終わってないのここだけなんですよ」
6時に起きてちょっと早いかなと思いつつ部屋の外に顔を出すと、呆れた顔のすずめくんにそんなことを言われてしまった。
いつも空が明るくなる前から起きているらしい。それは私からすると朝でなくて夜だ。
「目覚ましもないのにどうやって起きてるの?」
「東の方が騒がしくなりますから寝てられませんよぉ。でもすずめはお仕事があるからで、ルリさまは別にお好きな時間に起きていいんですからね。あんまり遅いと主様が心配して騒がしくなっちゃうと思いますけど」
水の入ったタライや手拭い、着替えを持って色々とお世話を焼いてくれる。小学生くらいの子供にそんなことをさせるなんて非常に心苦しいけれど、すずめくんは動きが素早くて迷っているとまくし立ててくるので上手く口を挟む隙もなかった。
顔を洗えば手拭いを差し出し、立ち上がれば寝間着を解いてぴし、ぴしっと手早く着物を着付けてくれる。さも当然みたいな態度でいられると、こちらも恥じらうというより戸惑うしかない。
今日も上半に白の着物で赤い袴を履いて、色んな色の着物を重ねる。
「お洋服はまだ用意できてないんです。ごめんなさい。主様が俗世に顔を出さなくなって長いので、ほら、ミニスカートとかだと多分ひっくり返っちゃうんで……」
「えっと、お気遣いなく……と言いたいけど、着物汚しそうで怖いし、正座は足が痺れるので出来たらジャージでも何でも良いから欲しいです」
「お年頃なんですからジャージばっかり着るなんて良くないですよぉ! 数日中には用意するのでもう少し我慢してくださいね。はい出来た。ここは暑いですから、涼しい西側でごはんを食べると良いですよ」
このお屋敷は色々建物があったりするけれど、大きな建物は東西南北の4つがあって、それぞれが廊下を兼ねた建物で繋がっていて空から見下ろすとロの字になっている。南の横長で一番大きい建物がミコト様の住む主屋、北の建物も横長だけれどそれより少し小さい。東と西の建物が主屋から見ると縦長方向に伸びていて、同じ大きさで北の建物よりやや小さいくらいらしい。他にも倉とか色々あるけれど、ミコト様が時々変えたりするので大まかな間取りだけ覚えておけば大丈夫だろうということだった。
ぶっちゃけとても大きいのでよくわからないのですずめくんの説明のまま頭に入っているだけである。私が夜寝ていたのは東の建物なのだそうだ。
「中庭は春ですからね。景色も良いですよ」
案内された部屋は外に続く壁が開け放たれていて、明るくて広い庭が見渡せた。庭の中央にいびつな形の大きな池があって、川がそこへと繋がって水が入り込み、また流れ出ている。その間には橋が渡されていたり、小さい船が浮かんでいたりしていた。所々に大きな桜が植えられていて、ひらひらと舞う桜吹雪が川に落ちて流れていっていた。他にも色々な植物が植えられていて、小さな山になっているところもあるし、大きな岩が置かれている場所もあった。
晴れていて暖かいけれど、風は涼しくてまさに春の陽気で庭が輝いている。
「向こうは暑かったのに、不思議」
きれいな景色を眺めながら、一人朝ごはんを食べる。低いテーブルのようなお膳に、ごはんと焼き魚とお漬物と汁物。蕗味噌というのが苦手な味だった。
すずめくんがニコニコおしゃべりしながら傍にいるけれど、一人だけで食べていることに変わりなくて、ちょっと寂しかった。
「あ、主様がこっち見てますよ」
「え、どこ」
「ほら、あの主屋の几帳の影」
「キチョウってなに?」
布で作った屏風のような目隠しをするのを几帳というらしい。その後ろから主様がこちらを見ているとすずめくんは教えてくれたけれど、ここからだと主屋はすごく遠い上に、開け放たれた建物に几帳がいくつも並んでいる。全然わからない。すずめくんはとても目が良いらしかった。
よくわからないまま手を振ると、真ん中あたりにある几帳が倒れかけて大きく動いた。そこにいたらしい。ガタガタと音が聞こえてきそうなほど布が揺れて、黄緑色の服を着ためじろくんがそこに近付いたのがわかった。
「ルリさま、何かしたいことがなければお庭を見て回ってはいかがです? お屋敷を巡ってもいいですけど今日はお天気が良いし、主屋はお客人がいらっしゃるみたいなので」
「見ていいならそうしよっかな。楽しそう」
中庭は見ての通り春だけれど、外側の庭はそれぞれ東側が夏、北側が秋、西側が冬になっているそうだ。私がやって来た南側は季節が曖昧で、普段はお客さんが来ても良いように暑くもなく寒くもないように保っているらしい。
私みたいにここにお世話になるような人がいるのかと思ったけれど、今日のお客さんは主様にお礼を言いに来ただけの人だそうだ。ここで住んでいる人以外には、私しか泊まる人はいないとすずめくんが言った。
ごはんを片付けて建物の東側に面している夏の庭を覗いてみると、夜に見たときよりもうんと広く感じた。木が生えたりしているからか敷地を囲う塀がものすごく遠く感じる。
「庭っていうか、公園っていうか、緑地っていうか……」
「暑いから笠被っていきますか? あんまり暑かったら主様にお願いして曇らせてもらった方が良いですけど」
「笠」
笠を被って、上に来ている着物を薄手のものに替えて引きずらないようにゆるく帯で結び、物凄くつばの広い笠を被る。笠には周囲を覆うように薄布がかかっていた。
これは、この姿は……
「あ、アキタコマチ……!」
「今日のお米はゆめぴりかでしたけど、あきたこまち派ですか?」
「ううん、なんでも良いよ。違いとかよくわかんないし」
南に近い方の庭だとお客さんと鉢合わせするかもしれないのでこの姿だけれど、北側へ進むなら薄布は取っても良いらしかった。布を取ったほうが風通しが良いらしいけれど、私はコシヒカリの袋に描かれてる人のコスプレが気に入ったのでこのまま歩くことにする。手の甲につけるアレは、旅の時につけるものらしくて出してくれなかった。
「ほらこれ知ってます? 鶏頭って言うんですよ。これは鳩麦。数珠玉がまだ青いですね。この粟もどっかから種が飛んできたんでしょう。手入れしたけど、あちこち行き届いてないんです。あの花は夏水仙ですよ」
「すずめくん、めちゃくちゃ博識だね……」
咲いている花や植わっている木をあれこれ教えてくれるので、庭を歩いているだけでも面白かった。東の庭にも細い川が流れていて、水音が涼しげだし近くに寄ると暑さがマシだった。南側から北側へ向かって庭を歩く。
「ルリさま、あれわかります? あそこにある木」
「ん? あれ?」
「あれ、無花果ですよ。ほら実がなってる」
「へぇ……イチジクってヨーグルトの味とかでしかよく知らないや。木になるんだね」
「はい」
すずめくんは私の相槌に返事をしたのかと思ったけれど、木から視線を戻すとにこにこしながら何かをこっちに差し出していた。
「何これ?」
「笊です」
「なんでザル?」
すずめくんがにこにこしながら無花果の木を指差す。
「取って下さい。すずめは背が届きませんから」
そんなに背が高くない木だけれど、届くところのものはもう取っちゃったらしい。木に登って収穫するのも面倒だなあと思っていたところだったとか。
「まさかこのために庭に連れてきたの?」
「そんなことないですよう〜。ただついでに取ってくれたら嬉しいなと思っただけで。もちろん1番熟れてるのはルリさまがおやつにしていいですし、干したものも出来たらお出ししますし」
葉っぱが大きいので笠は取ってすずめくんの頭に乗せておく。手のひら大の涙型に実ったいちじくは、柔らかくて潰さないように取るのが意外と大変だった。
ちゃっかりした性格だなぁとは思ったけど、枝からもいですずめくんの差し出すザルに乗せる度ににこにこ嬉しそうな顔が目に入るのでまあいいかという気分になってくる。
「イチジク好きなの?」
「はい! 果物が好きなんです。主様にお願いしてあちこちに美味しい実のなる木を植えたので、このお屋敷では毎日果物食べ放題ですよぉ」
ザルにいっぱい収穫してもイチジクはまだいっぱい残っていた。桶に汲んだ井戸水でしばらく冷やしてから、建物に上がる階段のところで並んで座って食べる。
赤黒いイチジクは割ると中身がちょっとグロいけれどとても甘かった。
「美味しいですねぇ。ルリさま、ありがとうございます!」
「また熟したら取ってあげるね!」
「ルリさまがお優しくって、すずめは嬉しいです」
すずめくんは可愛いし素直なので、ちょっとのことならつい許してしまう。
「あのさ、すずめくん。明日から朝ごはん一緒に食べてもいい? 一人で食べるの、あんまり好きじゃないから」
「えっ、すずめとですか? いつも食事は、裏で手伝いのものと食べてるのですが……」
「うん。早起き頑張るから。叩き起こしてくれていいから仲間に入れて欲しいな」
「はい! すずめもルリさまと食べたいです!」
ふくっと白いほっぺが笑うと丸くなってとても可愛い。
いちじくは2つずつ食べて、それから夏の庭を一日掛けて散歩した。
訂正(2017/11/18)