アウトサイド4
「ルリさー……んはすずめと一緒に帰ります! まっすぐ帰るんです。どこにも行きませんから!」
「……箕坂、親戚の子とか?」
「そんな感じかな……」
流石にサマ呼びは違和感あると思ったのかすずめくんはちょっと躓いたものの、勢い良く首を振りながら私にぎゅーぎゅー抱き付いている。百田くんはそれを戸惑ったように見ながら質問してきた。長年の付き合いなので、私が一人っ子だということも知っているのだ。
「親戚の家にいるのか? お前のとこの親、あちこち連絡しまくったせいで結構噂んなってんぞ。無事なら騒ぎが大きくなんないほうが良いだろうから、親戚の人経由でも止めたほうが良いんじゃないか」
「ルリさんはきちんとお守りするから大丈夫です! ほっといて下さい!」
「ほっといてっつっても……お前」
坊主頭でちょっと無愛想な百田くんは一見怖そうに見えるけど、野球部の主将だったり子供会で小さい子の面倒を見ているだけあって面倒見がいい。
すずめくんを説得するようにしゃがんで目線を合わせ、そのまま怪訝な顔になった。目の悪い人のように、目を細めてすずめくんを凝視している。
「箕坂……こいつ、本当にお前の親戚か? つか、そっちの人も連れ? お前マジで言ってんの?」
「えっ」
傍で黙って立っていた蝋梅さんも同じように目を細めながらジロジロと見つめて、百田くんは立ち上がり、先程よりも深刻そうな顔になった。
「お前、家出とかそんなんよりヤバイ状況じゃねーのか。 一緒にいてわかんないのか?」
「え……えぇ〜っと……」
お寺の息子というのが関係しているのかわからないけれど、百田くんにはすずめくんや蝋梅さんが普通の人間ではないということがわかったらしい。私は全然わからなかったし、正体を知った今でも人間と変わりないと思うくらいなんだけど、何故わかったのだろう。霊感とか関係あるのだろうか。
どういう反応を返すべきなのか迷っていると、それを見て百田くんは察したらしい。頭を掻いて溜息を吐いた。
「とりあえずマジで寺来い。家に知られるのが嫌なら親に黙ってるよう俺も説得するから。ずっとそこにお世話んなるワケにいかねーだろ」
「駄目です駄目です! 行きません! お屋敷に帰ります!」
親父に車回してもらう、と言いながら私の肩をぽんと叩いた百田くんの手を、すずめくんがジャンプして叩き落とそうとする。とはいえすずめくんは子供の姿だし、毎日部活でしごかれている野球部に対抗できるほど筋肉があるわけではない。すずめくんが騒げば騒ぐほど百田くんは心配そうな顔になって、とにかくここから動くなと私の腕を掴んだままスマホをいじっている。
トイレの前のスペースはあまり人がいないけれど、心配そうな顔をしている男子高生に泣きそうな顔の子供、あとだんだん心配そうな顔になってきた美女に挟まれた私という構図は風景には溶け込みにくく、通る人が不審そうな顔でこちらを見ていた。
「あの、百田くん、心配してくれるのは嬉しいんだけど、お邪魔するのも悪いし迷惑かけるつもりもないから」
「そういうんじゃなくて、お前状況わかってないだろ」
「別にすずめくんも蝋梅さんも、えっとちょっと変わってるけど、それ以外はとても優しい人達だし」
「そういう意味じゃないって」
「もー! 駄目です! ルリさまに触んないでください!」
私の腕を掴んで深刻そうな顔で引っ張る百田くんを、すずめくんがバシバシ叩いている。ダメージがないようだとわかると、すずめくんは百田くんの腕に噛み付いた。あまり強い力ではなさそうだけど、半袖シャツを着ていたせいで素肌を噛まれた百田くんはいってと声を上げる。
「あぁちょっとすずめくん! ダメだよそんなことしたら!」
「ふいははははふひははほおほへはふへふ」
「何言ってるかわかんないしとりあえず人は噛んじゃダメだから! 怪我するから!」
血が出るほど噛んでいるわけではないけれど、私が引き剥がそうとしてもすずめくんは噛み付いたまま剥がれない。百田くんも百田くんで、子供の力なら振り払えそうなのをそうせずに私の手首を掴んだまま耐えている。どっちも退くことのない膠着状態で両方を説得しながら困っていると、遠く、百田くんの背後から声が聞こえた。
「すずめ、やめなさい」
「主様!」
小さくてもよく通る声は、穏やかなのに強制力があるような響きだった。すずめくんはぱっと口を放して笑顔になる。
対照的に、百田くんは真っ青になり口元を抑えながら思わず力が緩んだという風に私の手首を離した。
「すまない、うちの者が無礼を働いてしまった。怪我はないか」
「う……」
「百田くん? うわ、ミコト様洋服だ」
「うむ、その、たまたまその、出掛けたい気分になったのでな、たまたまこう……そう、偶然に……」
ミコト様はチノパンに生成り色の開襟シャツ、青緑のカーディガンをプロデューサー巻きにしていた。靴はこなれた革靴で、足首がチラ見せされて夏らしさを演出している。スタイルが良いのでおしゃれ感が出ているけれど、顔のガーゼを隠すためか片側に不自然に流した長い髪と斜めに被ったカンカン帽、マスクが怪しさ満点だった。
「ミコト様、誰にスタイリングしてもらったんですか」
「梅らがその、街へゆくなら今様の衣がいいと……」
「意外と似合ってますよ」
「そうか! その、ルリも、夏らしくてよい。袖がえらく短いが」
お屋敷にいた時には上着を羽織っていたけれど、外が暑くて脱いだままだったのでミコト様は半袖が気になったらしかった。これを着るか? と自分の肩のものに触れていたので、断って自分の上着を羽織る。ざっくりしたカーディガンだけれど、色が地味にミコト様のとお揃いなことに気付いた。近くで着るの微妙に気まずい。
「その、蝋梅が呼んだので少し寄ってみたのだが、すずめが困らせていたのではないか」
「同級生と会ってちょっと話をしていて……」
すずめくんと蝋梅さんの正体を見破られた挙句心配されて寺へ行く行かないの問答になっていました。というのをストレートに告げても良いものか迷っていると、百田くんがうっと小さい声を上げて前かがみになる。顔は真っ青というより真っ白になっていた。
「百田くん、大丈夫? 具合悪い?」
「お、まえ、見えてないのか」
しっかり抑えた口元から漏らすように喋った百田くんが、目だけでミコト様を一瞬見る。ぐっと喉を締めるような音を上げて、素早く顔をそらした。目を瞑って、吐き気に堪えるように体を強張らせている。脂汗を掻きながらも足を踏み出して、口元を抑えていない方の手で私の手をもう一度掴んだけれど、それを見咎めたすずめくんがミコト様! と声を上げると手を離し、すまん、と小さく呟いて逃げるように男子トイレへと駆け込んでしまった。
まるでとても嫌なものが近くにいるかのように怯えている姿は、普段あまり動じない百田くんらしくなかった。子供の頃から妙に地に足をつけているような落ち着きのあった百田くんが真っ青になり、必死で背を向けるようにしていた場所には、傷付いたような顔で寂しそうに笑っているミコト様が立っているだけだった。




