おんぼろ社の大豪邸4
夜中に目が覚めた。
色々あったせいで神経が冴えているのかもしれない。暗い中で目を瞑っていても眠気が来ないので、スマホのライトを付けて部屋から出てみることにした。
まだ夜の10時なのでいつもなら起きてる時間だけれど、すずめくんは夕食が終わると寝る支度を整えてさっさとおやすみを言って自分の部屋に帰っていったのだ。昼間は走ったり大浴場に入ったりしていたせいか私も早めに眠ったけれど、今はスッキリ目が覚めてしまっている。
壁でしっかり区切られた寝室から出て、さらに回廊になっているところからも出ると、庇と低い手すりの付いた縁側っぽい場所に出る。月が出ているせいで中にいたときよりも明るかった。スマホは圏外だ。
月と星が出ていて、所々に雲がある。ゆっくりと雲が動いているけれど、地上の方では風がなかった。
もう正座で足が痺れるのは嫌なので、浴衣だけど少し足を崩して低い手すりに両腕を乗せて庭を見る。敷き詰められた白い石が月の光でぼんやりと光って意外と庭の風景が見えた。夏の夜だけど木の床に座っているせいか暑苦しくない。
庭をぼーっと眺めながら何もしないでいると、色々と頭に浮かんでくる。
畳は必要な分だけ敷くシステムなのかとか。
夕飯の和風ハンバーグは和食なのだろうかとか。
なんでアルジサマは私をここに置いてくれたんだろうとか。
いつまでここにいて良いんだろうかとか。
組んだ腕に顎を乗せて考えながらぼーっとしていると半分寝ていたのか、背中にふわっとかかった感触ではっと気が付いた。振り向くと、高そうな着物が掛けられている。細かい刺繍の入った布地からは不思議な良い匂いが漂っていた。
周囲を見回すと、ちょうど5メートルほどの距離にある角のところでさっと何かが隠れたのが見える。昼間だったら開けっ放しなので姿が見えただろうけれど、今は雨戸みたいなのを嵌めているので翻った布しか見えなかった。
「アルジサマ?」
「うっ……その、夜は冷えるから、女子がそのような薄着でいるのは良くないと……」
いくらよく響くいい声だからといって、角の向こうでもしょもしょ喋られると聞き辛い。肩に掛けられた着物を手で支えながら、私は座ったままちょっとアルジサマの方へと近付いた。
「ちなみに私はたまたま夜歩きをしていただけで、別に見張ったりはしていないから安心しなさい。これは本当だ。何か明かりが見えたから、どうしたのかと思っただけであって……別にそういう、そういう思いではないから……!」
「あの、上着ありがとうございます」
「うむ!」
割と一人の世界に入るのが上手い人なのかもしれない。
待ってても止まりそうにないので適当なところでお礼を言うと、明るくほっとしたようなアルジサマの声が返ってきた。
「アルジサマはいつもこの時間起きてるんですか?」
「うむ……いや、いつもというわけではないが……そもそもあまり力を使わない日は眠らなくても構わぬのでたまに月見をしたりするな。夜があるのはここに住む者のためというのが大きい」
「夜……がないっていうのも出来るんですか?」
「出来るぞ。ここは私の領域だからな。流石に夜をなくすと文句を言う者がいるからやるのは憚るが、ここの屋敷の庭は場所によって四季を替えているから興味があれば見てみるとよい」
「へえ、すごい」
「そ、そのような、そうでもないぞ」
季節や時間を自由に調整できるだなんていかにも神様っぽい。ちなみに私が寝ている棟のあるところは夏の庭になっているらしい。私がいるので外とあまり変わらない時期がいいだろうと思ってのことらしかった。
「布団も作ってみたが、普段は西洋の敷物で寝ているのだろう? 今夜は間に合わなかったが、そっちが良ければ用意しておくぞ」
「いえ、そんなにしてもらうわけには」
「私が好きでやっているのだから、遠慮はしなくてよい。一日二日やまだしも、何日も慣れない寝床というのは辛かろう。なんとかいう西洋の敷物は使ったことがないので上手く出来るか不安だが……」
話しぶりからすると、アルジサマは一日二日では私のことを追い出さないつもりでいるようで少しホッとした。どうせ二人きりだし上手いことやんわり尋ねる方法もわからないので、この際ストレートに色々聞いてみることにする。
「あの、ぶっちゃけどれくらいいても良いんですか? これ以上いたら迷惑とか、ハッキリ言ってくれると有り難いんですけど」
「迷惑などと! ここは私とあと何人かしかいない寂しいところだから、好きなだけ居てよいのだ。誰も迷惑などと言わぬ」
「でもそんな、じゃあずーっと何年もいますよとか言ったら流石にエッてなるでしょう?」
「エッ……とはならないというか、私は嬉しいが、その、その、ルリが困るのではないか? ほら、今は夏の休みがあるらしいが、普段は今様の寺子屋に通っているのだろう」
「寺子屋……高校です」
「それだ。ここから通っても構わぬが、あの鞄だけでは荷が少ないのではないか?」
「え、ほんとにずっといても良いんですか」
「そう言っているぞ」
外と行き来するなら色々と準備が……とアルジサマはもしょもしょと独り言を呟いている。
本当の本当にいつまでいても良いと思っているらしい。太っ腹すぎてこっちが心配になってくる。
「なんで、そんな……」
「そなたはそう願ったろう? どこかに隠れたい、誰かに助けて欲しいと。力及ばぬ神とはいえ人間は私の許しなくここへは近付けないから、望むだけここで隠れているがよい。私が匿ってみせようぞ」
アルジサマがあまりにもあっさりとそう言うので、私はなんだか宙に放り出されたというか、色んな糸で引っ張られてたのを全部切ってもらったような、そんなホッとしたような不安定なような気持ちになった。
「アルジサマ、ありがとう……ありがとうございます」
「うむ」
昼間に挨拶した時の形式的なのが強いのじゃなくて、心からの気持ちを込めてアルジサマにお礼を言うと、アルジサマは角の向こうでまた嬉しそうに頷いた。
「ところでその……主様という呼び方だが」
「はい」
「その、ルリは私に仕えているわけでもないし、その主というのはちょっと違うのではないかと……」
「じゃあなんて呼べば良いんですか」
「本当は真名で呼んで貰いたいが、今のルリには難しいかも知れぬから、その、ミコトと」
「ミコト様ですね。わかりました」
「そう。様でなくてもよいけれど、主様と呼ばれるよりずっとよい」
アルジサマ改めミコト様はうきうきした声になった。私は膝立ちになって角に手をかける。
「ところでミコト様」
「わぁ! な、何故急に覗き込む?!」
「お姿を見ると祟りがあるとかそういうのありますか?」
「そそそそんな心配はないがもしそんな不安があるならまず訊いてから覗くべきではないか?!」
ひょいと角から顔を出してミコト様を覗き込むと、周囲に漂う香りが強くなり、ようやくミコト様の本体が見えた。
すずめくん達と似たような平安っぽい雰囲気漂う着物だけれど、夜だからか頭につける帽子みたいなのはおらず長い黒髪は後ろで緩く括っている。月夜だけなのであまり良くわからないけど青っぽい服はグラデーションがかかっているようで均一な色合いではなかった。背はやや高く、意外にちゃんとした体格をしている。
顔は見えない。
「なんで顔隠すんですか?」
「いや……その……」
「顔見たら怒りますか?」
「お、怒りはせぬがその……」
しどろもどろになりながらも片手を前に出して着物の袖で顔を隠している様は、平安貴族というかお姫様っぽかった。じりじりと近付くと、じりじりと後退りながらもミコト様は頑なに顔を見せようとはしない。
「ミコト様、隠されると気になります」
「そ、そのような……そのようなこと……!! 今宵はもう眠るがよい! 私も寝屋へ帰る!」
ミコト様はそう叫ぶと、めちゃくちゃ素早い身のこなしですたこらと逃げていってしまった。あれだけの速度で板の床なのにほとんど音がしないのは凄い。これも神様の技なのだろうか。
「あ、上着」
うっかり返し忘れてしまった。仕方ないので明日本人かすずめくんに渡すことにして、私も眠ろうと立ち上がる。
部屋まで持って帰って屏風に立てかけておいたらいい香りが少しだけ部屋に広がって、私はようやく瞼が重くなった。
誤字訂正(2017/11/17)




