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一歩、踏み出す1

 朝。

 夏の庭に面した方からやってくるじーわじーわと煩い蝉の声と暑さに起きて、洗面所へ向かう。タオルや着替えを用意してくれる紅梅さんと白梅さんと少しお喋りしてから紙コップに掬った鯉の餌を持って庭に降りる。


「ルリ!」

「ミコト様、おはようございます」

「うむ、今日も元気そうだな」


 顔を袖で隠す癖が取れてきたミコト様は、非常にわかりやすい。

 私を見つけるとパッと顔を明るくさせ、ニコニコウンウン頷いて色々と親切にしてくれるのだ。


「その、それでその、今日はこれを……」

「あ、いつもありがとうございます」

「うむ、その、うん……」


 白い頬を染めつつもじもじチラチラしているときは、手紙を持っているとき。最近は一緒に鯉にエサをあげているので、めじろくん経由ではなく自分で手渡すようにしているようだった。今日の手紙はミモザの枝に結ばれている。そして相変わらず私は手紙を全然読めない。


「ぃ今開けてはならぬー!!」

「読めないのに……」

「私の問題なのだ。せめて、せめて私の見ていないところで頼む」

「わかりました」

「ルリィー! ェエーサァー!!」

「ハイハイ、跳ねなくても上げるから。飛沫はやめて」


 鯉らしい鯉達と鯉らしくない鯉にエサをあげ終わると、びちびちと陸に上がろうとする黒い鯉をなだめてから主屋に戻る。庭までごはんの良い匂いが漂っているので、私とミコト様は自然と急いで歩いていっている。

 隣を歩いていると、ミコト様は結構背が高い。着物がしっかりしているせいか、体格もしっかりしているように思える。絹の着物は生地だけでも迫力があるので、洋服の私ははたから見るとわりとしょぼく見えていると思う。


「ルリ、新しい石鹸を使うがよい」

「はい」

「これで手を拭くがよい」

「はい」


 お礼をいうと、ミコト様はにこっと笑う。

 主屋にいつの間にか増えていた庭側の洗面台は、蛇口が2つあるので並んで手を洗える様になっている。黄色と紺色のタイルでモザイク模様を描いているのがレトロな感じで可愛いので少しお気に入りだった。


「主様、ルリさま、お早く! もう皆揃っていますよ!」

「うむ、待たせたな」

「主様、お早うございます!」

「うむ」


 食事をする大広間から屏風が片付けられてから、ご飯の時間がますます明るくなった。朝からミコト様の顔を見られるというのは、ここのお屋敷で働く人達にとってとても嬉しいことらしい。今まではミコト様は一人でご飯を食べていたということもあってあまり人と喋る機会は少なかったようだけれど、屏風越しでは遠慮していたような挨拶や目礼も出来るようになったので多くの人と接点が増えて、ミコト様自身も少し明るくなったように感じた。


「主様! 今日はお好きな朴葉味噌ですよ! すずめが舞茸を刻んで入れました!」

「ほう、それは嬉しいな。ルリも好きだろう」

「好きです。美味しいですよね」

「そ、そ、そうであろう。足りなければ半分やるぞ」

「多分大丈夫です」


 ミコト様の顔がよく見えるようになったのを嬉しく思っている人が多くて、私がそれに貢献したと思っている人も多い。なので、そのお礼代わりなのか私は色んな人からプレゼントを貰うことが増えた。例えばきれいな桜貝、おやつのおまんじゅう、真っ赤に染まった紅葉、翡翠の欠片。そして必ず私のお膳が豪華になっているのだ。

 今日は付け合せのニンジンが綺麗な桜になってお皿に散っているし、百合根を甘く煮たのが2つ。今日は蕗の煮物の日なのに私だけ白和えに変わっていて、お膳の端に置かれている小さなお皿にはヤマモモというクセのある甘さが特徴の丸い小さな果実が乗っかっていた。


 皆が座って、ミコト様がお膳に手を付け始めると朝ご飯が始まる。朴葉味噌はでっかい葉っぱの上にお味噌を乗せて焼く料理で最初はびっくりしたけど、お味噌を口に含むとしょっぱさの中に葉っぱのいい香りがふわんと広がってとても美味しいのだ。お屋敷で働く人達は、山に入る時にはおにぎりと味噌を持っていって、お昼に朴葉を取って味噌を焼いておにぎりと食べるらしい。そういう話を聞きながら食べると、知らない料理でも美味しそうに見えてくるから不思議だった。

 ミコト様も朴葉味噌は好物らしく、にこにこしながらお箸を伸ばしている。ミコト様はマナーが完璧で、お箸も綺麗に持っているし、食べ方もすごく美しくてぱくぱく食べてもどこか上品で、小骨の多い魚が出てもお皿は綺麗なままだ。未だにすずめくんに厳しくお箸運びを指導されることがある身としては羨ましい限りである。


「ルリよ、今日のよおぐるとには蜂蜜を掛けるか?」

「私は昨日作ったブルーベリージャムをかけます。ミコト様もどうですか? 美味しいですよ」

「おお、それがあの黒丸の実の……ほお、青いのだな。めじろ、匙を取ってくれ」

「はい、主様」


 新しく植えたブルーベリーはびっくりするほど豊作なので、生食にゼリーに冷凍にジャムにとここしばらく大忙しだった。結構甘党なミコト様だけれど保存用ではない砂糖控えめのジャムでも美味しかったらしく、うむうむと頷いてヨーグルトを食べている。


 ミコト様の顔の左側は相変わらず傷が広がっていて、手当する時には軟膏がしみて痛そうだし今も布で覆ってあるままだけれど、誰もそれを変な目で見ないしミコト様も過剰に意識することは少なくなってきたようだった。流石に傷のことを考えているときは憂鬱そうな顔をしているけれど、私と目が合うと「ルリの手当てで少し楽になった」と笑ってくれるようになった。それがお世辞だとしても、お世辞を言えるくらいになったのだというのは良いことだと思う。


「ルリ? おやつをもう少し貰うか?」


 きょとんと首を傾げるミコト様にお腹いっぱいだと言うと、それは良かったとにっこりと笑う。ミコト様の笑顔は、嬉しいとか楽しいとか全面に書いてあるようなものしかない。心からの微笑みばっかりなのだ。

 うーん。


「割とめじろくんの言う通りだったわ……」

「めじろは嘘は言いません」

「うん? めじろ、何を言ったのだ?」


 よくわかっていないミコト様の隣で食後のお茶を飲むめじろくんがしれっと頷いた。

 明るく笑うミコト様は、右半分だけでも「いけめん」である。






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