這い寄るモフモフ9
※大きい傷の描写があります
「とりあえず見えないんで灯り点けますね」
倉は入口近くに予備の提灯や蝋燭などが置いてある。それに火を点けるための火打ち石というのも置いてあったはずだった。最近は文明の力である着火マンを皆使っているけれど、すずめくんはスイッチが固いので石の方がカンタンだとカチカチやって点けてくれる。
大人しくなったミコト様の上から降りて入り口の方に四つん這いで歩く。見えないので手探りしかないのだ。
「えーっと、石とコレをこう……?」
「ままま待てルリよ! 持ち方が逆だしそこに火口はないぞ、もしやそなた火を起こしたことがないのでは」
「ないですけど見てたのでわかりますよ」
「私がやろう。急に火打ち石を使いたくなってきたのでな」
「じゃあお願いします」
慌てたミコト様がそっと私の手から火打ち石を奪っていった。なんか火花飛ばすのが楽しそうだったので密かにやりたいことのひとつだったんだけど、暗闇大好きになってしまっていたミコト様自らやると言い出したのであれば喜んで譲ろう。
カチカチとミコト様が音を鳴らすと、フラッシュのように俯くミコト様が見える。それから小さい火が出来て、やがて自立する提灯のひとつが灯った。
「……そう見ないで欲しい……」
「あ、すいません」
両手を使って灯りを点けていたミコト様が居心地悪そうに袖で顔を隠す。倉は肌寒くて暗く、提灯ひとつでは近くしか照らせないけれど、私と近くに座っているミコト様だけなら問題はない。
問題はないから予備の提灯はゴトゴト順番待ちで並ばないで欲しい。
「じゃあまずそのガーゼ剥がしましょうか」
「本当にするのか」
「しますよ。あ、精製水が入ってる」
使い込まれた木箱を開けると、中は意外と近代的な装備が入っていた。注ぎ口の付いた未開封の精製水は2本入っているし、ピンセットや個包装されたガーゼに脱脂綿、エタノールまで入っている。隙間に詰められた無地の手拭いと、手のひら大くらいの丸く平たい陶器だけが薬箱としっくり合っていた。
ミコト様、と呼びかけて顔を隠している腕に手をかけると、少し抵抗したもののミコト様は大人しく顔を見せてくれた。顔の右半分の端正な作りと、木綿の布をいびつに宛てた左半分が灯りに照らされる。
左の額から鼻を避けて頬全体に傷口があるようだった。そのまま口の横を通り、外側は顎の輪郭まで。一部が首の方まで傷が広がっているけれど、耳はなんともないようだった。布から傷がはみ出している部分からすると、酷い擦り傷のようなやけどのような感じで痛々しい。癒着している布の向こうで左目がどうなっているのかわからなかった。
「よく見ると結構傷の範囲広いですね。主屋の方で手当しませんか?」
「それはいやだ。見られたくない……む、無理に連れ出そうとするとその、このまままた倉を閉じてしまうぞ!」
「じゃあしょうがないですね。ガーゼ張り付いちゃってますから、とりあえず精製水で剥がしましょう。アレないのかな? ハイドロなんとかってやつ。あれすぐ治りますよね。すずめくんに買ってきてもらいましょうか?」
「廃土……? よくわからぬが、この傷はただの傷ではないゆえ……あっ……普通の作法で治るとは……ルリ、もっとそっと……」
「そういえばそんなこと言ってましたね。ミコト様、手拭いで水受けといてください。流しますよ」
指で触れても剥がれそうにないので、精製水をかけてふやかすことにする。化膿したり熱を持っているところはないようだけれど、出来たら医者に診せて欲しいくらいだった。けれども治療で治らないなら見せても意味がないのかも。
「うひぃ、痛そう。こんな状態でよく耐えられましたね」
「長いことこのままなので、普段はさほど感じはせぬ」
「それ麻痺してるんじゃ……」
傷をまじまじ見ると痛そうなので思わず顔を顰めると、既に顔色を悪くしているミコト様がきょときょとと視線を彷徨わせて「すまぬ」とか「やはり止めたほうが」とか言いながら引け腰になってしまう。なので出来るだけ話し掛けて気をそらしながらすることにした。
「もうちょっと流しますよ。大丈夫ですか?」
「う、うむ、少し冷たいくらいで」
「目も怪我してるんですか?」
「いや……目は……」
「じゃあ布で塞いでたら生活しにくかったんじゃないですか」
「あまり……屋敷にいればさほど目を使わぬから……」
「へぇ、すごいですね。そういえばさっきも真っ暗だったのに見えてましたもんね。どんな感じで見えるですか?」
「うむ……うまく言えぬが、州浜を覗き込んでいるような、あの中に入り込んでいるような感じというか」
「なんか楽しそう」
州浜は、私とミコト様がよく遊ぶもののひとつになった。割り箸とかで椅子や橋を作っては足していくので段々ジオラマ自体も大きくなっていっている。最近は眼鏡橋に挑戦中だ。
「なかなか剥がせないですね。くっつけたままのほうが良いのかなこれ。でもこのガーゼだいぶ古いですよね」
「……ル、ルリッ、ちょ、ちょっと近い」
「じっとしててください。あ、ほら、ここらへん剥がれそう……痛くないですか」
「わからぬ……ッ」
「やっぱり麻痺ってあんまし良くないと思いますよ。お医者さん呼びたいです」
「……そ、そこな膏薬を塗れと薬師如来殿が」
「薬師如来って凄い有名な神様? 仏様? じゃないですか。マジで存在するんですね」
「ま、まじだ……だから少し離れてくれぬか」
「いや、塗るんでじっとしててください」
「ぬぅぅ」
青くなったり赤くなったり忙しいミコト様をそのまま動かないように言い含めて、陶器の入れ物を手に取ってみる。飛び交う雀の絵の描かれた蓋を取ると、白っぽい柔らかな色のクリームのようなものが入っていた。嗅ぐとほんのり鼻を刺激する漢方のような臭がする。
「ラッパのマークのアレの匂いだわ。私こういう匂い結構好き」
「す、好きとな」
「これ塗ったら良いんですか。そのまま? 脱脂綿とかで塗りましょうか。ミコト様ちょっと薬持ってて下さい。剥がしたやつと手拭いは纏めて置いときますね」
「ぬ」
ふやけて剥がれた布を剥ぎ取ると、痛々しい傷があらわになった。端の方は引き攣れたようになっているけれど、全体的にはまだ怪我して日が経っていないように見える。ものすごく深い傷ではないけれど、ずっとこのままというのはとても辛かったのではないかと思う。
ピンセットで脱脂綿を挟み、白いクリーム状の軟膏を掬ってミコト様に近寄る。僅かに血が滲んでいるせいか生臭い匂いがほんのりしていて、薬を塗るとそれを上塗りするように漢方っぽい匂いが広がった。傷を押さえ過ぎないように気を付けながら塗ると、白いクリームが変色していく。
「あれ、薬が黒くなった」
「……薬効が負けたのだ。何度も塗ったが、そうやって黒くなってしまう。だからもうずっと前に塗るのをやめたのだ」
「あらら。とりあえず全体に塗っときましょう。黒くなったのは拭き取ったほうが良いんですか?」
「わからぬ、どうせ治りもせぬから気にしたこともなかった」
「ミコト様、ネガティブになってますよ」
「どうせ私は根が暗いのだ……だからこそ神と名乗るのも恥ずかしいほどの傷を抱えているのだぞ……うぅ、染みる」
「染みるんですか。痛そう」
「でも止めぬのだな……」
軟膏を傷口の全てに塗り終わると、ミコト様の白い肌とくっきり別れるように黒い色に変わっているのがわかった。小さな容器だけれどなくなるくらいまで使っても、その黒い色は変わらない。それを告げると、ミコト様は恥じ入るように顔を背けた。
「これは私が至らぬという証なのだ。いかな妙薬であれど治すことは出来ぬ」
「でも、これ塗ったらちょっと血が止まってますよ。ほら、黒いクリームで見えにくいけど、ちょっと色も鮮やかになってるし」
「気のせいだと思うが」
厚めに塗ったクリームだけを少し拭うようにすると、薄く薬で膜を張った傷口は先程よりも状態がいいように見える。
「少なくともあんなガーゼ貼ったきりより良いですよ。ちゃんと毎日塗ったら良くなるかもしれません」
「そうは思えぬ」
「でも毎日手当もしたことないんですよね? やってみないとわからないですよ」
「……染みるのは嫌だ」
「子供みたいなこと言わないで下さいよ。なんだったらイタイイタイのとんでけ~ってしてあげましょうか?」
「ぬぅ……そ、し、してほしい」
してほしいのか。
軟膏だらけの傷口には触れないように手をかざして傷みを吸い取るようにイタイイタイの〜と唱え、それを投げるようにとんでけ~と言うと、ミコト様は少し頬を染めながらもじもじする。
「どうですか恥ずかしいでしょう。私も少し恥ずかしいです」
「で、でも少し傷みが引いたように思う」
「それこそ気のせいでは……?」
プラシーボでも、気が楽になったのであれば恥ずかしい思いをした甲斐もあるかもしれない。
それから顔をむき出しで出るのは嫌だと言い張るミコト様と協議し、新しい手拭いを手頃なサイズにしたものをそっと軟膏の上からあてて、私達はようやく倉から出ることにした。




