神様の大事な仕事3
ぱちぱち、と瞬きをしたミコト様は、ちょっと小首を傾げ、そして戸惑った顔をしながらも口を開いた。
「そ、その……ルリが現世での暮らしを大事にしておることはよくわかっておる。それがいずれ離れるという気持ちがあるからこそだということも」
私の辞めたい発言は、とりあえず空耳だったことにしたらしい。
「ルリが友や現世との繋がりを保とうと努力していることも知っておる。しかし、しかし……近頃のルリを見ていると、私は胸が張り裂けそうになるのだ」
ミコト様はまた沈痛な面持ちに戻り、袖をぎゅうと掴んでいた。
ミコト様がこうやって悩みまくる原因は大体私にあって、今回は私も心当たりがあった。
最近、仕事がつらい。
入社3年目がそろそろ終わろうといているという時期だけれど、新入社員で慣れないことばかりだった頃よりもはるかにつらい。最近はずっと憂鬱だったので、ミコト様やお屋敷のみんなが心配してくれていた。そんな気遣いにも応えられないくらいに大変だった。
「ルリが生活の上で私の力の影響をなるべく受けずに暮らしたいと思うておるのはわかる。ルリがひとりの人間として生活ができる時間が限られておるのも……しかし、しかし私はルリがつらい思いをしているところを見たくはない」
「ミコト様……」
「ルリが落ち込んでいるのは、千の槍で刺されるよりも痛い。ルリが悲しんでいるのは、穢れに我が身を蝕まれていたあの痛みよりもつらい。それになにより、ルリの助けになってやれぬこの身が憎らしゅうてたまらぬ」
ミコト様は顔を歪めてそう呟くと、ぽろりと涙をこぼした。その雫を拭おうと頬に触れると、ミコト様の手が私の手を掴んで頬を寄せる。
「ミコト様、ごめんなさい」
「ルリが謝ることなどない。私が」
「ミコト様が、私のことを大事に思ってくれてるのは知ってたのに、心配させてしまって……相談できなくてごめんなさい」
大学や就職は、なるべく私の好きにさせてほしい、とミコト様にお願いしたのは私自身だ。ミコト様は今はボロボロなお社に住んでいるけれど、神様は神様。しかも、なかなかすごい神様だ。千里眼みたいなのも使えるし、雷だって呼べるし、宝くじだって当ててしまえる。だから、試験や就職で助けてほしいと私がお願いしたら、ミコト様は間違いなく手を貸してくれただろう。
けれど、それは私の実力じゃない。
神様と契りを交わした私は、普通の人とは時間の流れが変わってしまっている。私がこの生まれてからずっと過ごしてきた戸籍の人生を送れるのは、どれだけ長くても20年には届かないのだ。だからこそ、私の存在を周囲の人に怪しまれるようになるまでの期間は、ごく普通の暮らしをしていこうと決めたのだ。
試験勉強も、就職活動も、自分で決めて自分で努力してきた。決めた道を歩めたことに誇らしさも感じていたけれど、その反面、ミコト様やお屋敷のみんなに対して弱音を吐けないようなプレッシャーも感じていた。
自分で選んだことが、やっぱりダメだったとここで諦めたくない。お願いしたのに簡単に諦めると思われたくない。そんなふうに思っていたのだ。実際にそうなったとしても、ミコト様がそんなふうに思うわけじゃないなんてわかりきっていることなのに。
「全部ちゃんとやらないとって、自分で選んで入ったんだから、こんなことで辞めたりしたら意味ないって思ってしまって」
「意味がないなどと。ルリよ、そなたのこれまでの努力はなくなるようなものではない」
「でも最近本当につらくて、ミコト様も心配して優しくしてくれてるのに、それもちゃんと喜べなくて」
「もうよい、ルリ、もうよいのだ」
ぶっちゃけ、つらい。
その一言が言い出しにくくて、喉につっかえたままどんどん大きくなっていたような気がする。
ミコト様に抱きしめられながら打ち明けたら、それが溶けて消えていくような気がした。ミコト様が着ている着物の少し重さを感じる袖も、雪を吸って少しひんやりした感覚も、なんだか優しく感じる。
ミコト様は、やっぱり私の神様だ。
そのまましばらくふたりでじっとしていて、すずめくんに追い立てられて冷えた体を温めにミコト様とお風呂に入りながら、私はそう思った。




