こいのたより8
ちゃぷちゃぷと桶の水面を時折波打たせている黒くて大きい鯉。
黄土色っぽい平安貴族っぽい服を着て袖で顔を隠しているミコト様。
そして私。
「……」
三つ巴には荷が重い。
「エ゛ー……サァ。ル゛ゥーリィー……」
「ミコト様、エサが欲しいみたいですよ」
「そうだな……麸を持って来させるか」
「それ以前に池に返したほうが良いんじゃ、というか、なんでこっちから来たんでしょう」
ミコト様のいる部屋は主屋の中でも1番大きなところなので、北側には縁側っぽいのを挟んで池がある中庭がある。けれども鯉がやって来たのはそことは反対側の廊下からだった。
「うむ……もしかすると、鯉はルリを追ってきたのではないか? 朝池でエサをやり、一度自室へともどるであろう。そこから足取りを辿ってきたのであればあちらから来ても不思議ではない」
「その通りでしたよ!!」
「あ、すずめくん」
掃除のために廊下に行っていたすずめくんがぷんすかしながら部屋に入ってきて、そのまま勢い良く桶の中に手を突っ込んでぐわっと鯉を掴んだ。
「こらっ! お屋敷をもうあっちこっち汚して! 謝りなさい! それから主様にご挨拶なさい!」
「ェエ゛ェザァアア!!!」
ビタンビタン暴れる鯉とすずめくんが格闘しているせいで、桶から水が溢れている。ミコト様がオロオロと手を彷徨わせつつ、まあまあと宥めたり、手拭いで水を拭き取ったりしていた。どちらが主なのかよくわからない光景になってしまっている。
すずめくんの両手によって空中に持ち上げられてしまった鯉がパクパクと口を動かしている。
「ァア゛……ア゛ァル゛……ジイィ……」
「主・様、でしょう!」
「ア゛ル゛……ア゛……ル゛ゥリ゛イィ!!」
「いやなんで私の名前に……」
「まったく! 物覚えの悪い鯉!」
「す、すずめ……そのへんで放しておやり」
「主様は甘いです! すずめはお屋敷に仕えるものを取り仕切っているのですからね!」
「すまぬ」
ふくっとしたほっぺを更にプクッとさせながらも、すずめくんは渋々鯉を桶に戻す。ミコト様がやんわりと諭してくれたおかげで再び泳ぎ出した鯉は、すいすいと桶を廻るとすずめくんの説教をすっかり忘れたようにエサだのルリだのと呟いていた。
「東から渡り廊下を通ってこちらまでずっと水跡が続いてました。今拭かせていてあとで香も焚かせますけど、お昼時ですし先にごはんを終えてからの方が良いと思って」
「大義だったな」
「めじろがお台を急かしてます。出来たらお二人様も早く食べちゃって下さいね」
「うむ」
「すずめくん、鯉はどうする? 運ぶ? お腹空いてるみたいだけど」
「朝沢山食べてるんですから、エサをやる必要はありませんよ。エサをくれろと言えばルリさまが構って下さるから、そう言っているだけです」
すずめくんはそう言って、「エ゛サァ、ルゥリィ」と騒ぐ鯉にも「お黙んなさい」と一喝していた。ほんわかくりくりの可愛い少年なのに、締めるときはピシーッと締める、すずめくんはギャップ系男子である。
「ルリが来る前は私がエサをやっていたというのに私にエサをくれろとは言わぬのだな……」
「ミコト様……」
「エ゛ェサ……ク……レエ゛……、ルゥリ゛ィ……」
ミコト様はちょっとしょんぼりしているというのに、鯉はお構いなしだ。背を心なしか丸めたミコト様に鞠が慰めるように擦り寄っていた。
「あの、もしあれだったらエサやり係代わりましょうか? もともとミコト様がやってたんだし」
「うぅ、うぅむ……」
正直、お屋敷をビタビタ跳ね回られるほど懐かれても困るので、ミコト様がやりたいといのであれば私も嬉しい。けれどミコト様の返事は唸っているようなものだった。やっぱめんどくさいのかなと思っていると、すすっと寄ってきたすずめくんが私を肘で突きつつ耳打ちしてきた。
「え? あぁうん……ミコト様、毎朝一緒にエサやりしませんか?」
「う、うむ!! それはよい考えだ! 明朝からぜひ早起きしようと思う!」
「いや、あんまり早すぎると私が無理なんで普通でいいです普通で」
ぱっと声を明るくしたミコト様が袖の向こうで元気に頷いていた。ミコト様はわかりやすい正直な人だ。ババ抜きとかめっちゃ弱そう。
「さあさ、ルリさまお昼の前にお着替えしましょうね。水滴が飛んでしまっていますから。主様も。よおく手を洗ってくださいねぇ」
「うむ。ではルリ、後ほどな」
「はーい」
すずめくんに追い立てられながらバイバイと手を振ると、ミコト様も手を振り返してくれた。ハプニングもあったけど今日は結構喋ったし、割とミコト様とも仲良くなれたのではないかと思う。
ピカピカに掃除された廊下を通って帰りながら、私は結果に満足した。




